叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 生命の境涯 十四

2006年10月26日 | 生命の境涯
 広島に原爆が落とされ、おおぜいの犠牲者がでたのを聞いた、
アインシュタイン博士は、

「人類はいままで持ったこともない力を手に入れた。
 解き放たれた原子の力は、すべてのものを一変させた。
 ただし、人間の思考方式をのぞいては...」

と言い、人類の前途を憂いた。さらに博士は、

「人類が集団自殺という愚行から逃れるには、
 東洋で興った大乗仏教「法華経」の思想に学ばねばならないだろう。」

と言い遺した。

小乗仏教は、自分だけの救いを求める教えで、法華経を説く以前の教え、
大乗仏教は、自分も含めおおぜいの人を救う教えで、法華経のことをいう。


 



  ユーゴ空爆事件

 一九九八年、ユーゴ紛争のとき、軍事力で圧倒的に勝る、
NATO軍「北大西洋条約機構軍」が、軍事力で劣るユーゴを
大空爆した。

連日の空爆で、ユーゴの首都ベオグラードも、たいへんな
被害をうけた。

一日も早く無謀な空爆をやめるよう、世界の世論は、
NATO軍を非難したが、攻撃はやまなかった。

そのころ、アメリカ、コロラド州のハイスクールで、
前代未聞の事件がおきた。
ハイスクールの生徒が、銃を持って学校に侵入し、
校舎にいた無抵抗の生徒に向かって、銃を乱射したのだ。

死者、十数名という大惨事となり、銃社会アメリカの
恥部を世界にさらす、大事件になった。


 同じころベオグラード近郊の、動物園で異変がおきた。
母トラや、母オオカミが生まれたばかりの、わが子を、
殺す事件が頻発したのだ。
空爆のあったつぎの日に、多発していることから、

動物園がわは、

「空爆で、動物が、精神に異常をきたしている」

と懸念した。  つづく









 













 

人間賛歌 生命の境涯 十三

2006年10月21日 | 生命の境涯
  戦争ッ子 続き 

 あとで知ったことだが、
八月六日の朝、広島に原子爆弾がおとされた。
爆発時の中心部温度、六千度c、地表で千五百度Cあった。

鉄を溶かす溶鉱炉の中が、千三百度Cというから、
地表でそれ以の熱さだ。

爆発のショックで起きた爆風は、秒速四百メートル、
台風の約十倍の速度だ。

爆心地でまともに光に当たった人は、瞬間に蒸発し、
跡形も残さず亡くなった。
爆心地から離れたところに、いた人も
光に当たった人は、全身に大やけどをした。



顔を焼かれて皮膚が溶け、それがたれさがり
鼻も口も見分けがつかなくなった、人々が

「水を、水を、水を飲ませて」

と求めさまよう地獄絵が、白昼の広島で起きたのだ。

ビルの近くでは、爆風で粉々になったガラスの破片が、
からだ中に突き刺さって、ハリネヅミのようになって、
死んだ人もいる。

一瞬にして十数万人の人が死ぬ、大惨事が、
戦場ではなく、一般市民のうえに起きたのだ。

広島の惨状にくらべると、ものの数にも入らぬが、
私が見た岡山の空爆でも、数千人の人が亡くなった。
市内の道路や、空き地は、死体で埋まり、
塀にもたれて、立ったまま死んだ人もいた。

焼け跡の、道路の側溝のフタを取ると、
一年経ったあとでも、被災者の遺体が出てきたという。

猛火に追われ、側溝に逃げ込み、
そのまま、亡くなった人たちだ。

戦争は、悲惨だ。
戦争は、恐ろしい。

二十数億年かけて、進化してきた、
人間のいのちを、奪うほど罪なものはない。
罪を犯したものが、どれほどの報いを受けるか、
だれも分からないのだ。

地獄は、死後あるのではない。この世にあるのだ。
いま、世界中で 起きている、悲惨なことが、
生命に地獄界があることを示す、現証だ。

境涯「因」を変える、絶対的必要を、 
訴えるゆえんである。  つづく



人間賛歌 生命の境涯 十二

2006年10月14日 | 生命の境涯
  戦争ッ子

 戦争の時のことを思い出すのは、つらいものである。
ものごころついた頃から、敗戦まで戦争の中で子供時代を送った
モノにとっては、ひとしおだ。
だが空爆を何回も経験し、原子爆弾が落ちた広島の隣の県にいた、
私にはそのときのことを言い伝える義務があるような気がして、
この記事を書いた。
戦争ッ子というのは、戦時中に子供時代を送った子の意味である。


 昭和二十年、私が小学校五年のころわが家は、岡山市近郊の
農村にあった。
太平洋戦争の末期で、米軍機による空爆が日常化し、敵機が近
づくと、警戒警報のサイレンが鳴った。

警報が鳴って避難しても、敵機がそれて警報がはづれることが、
よくあった。
それを口実に、私はサイレンを無視し、遊びにいったりして、
防空濠にはいるのを嫌がった。

このじぶん父親はすでに亡くなっていたので、
母親と子供四人でくらしていた。私は母親のいいつけに、
あまり従わない子供だったようだ。


 それが八月六日を過ぎたころから、
母親の態度が厳しくなった。

「お隣の広島に、新型の爆弾が落ちてのう、
 ぎょうさん「たくさん」の人が、死んだそうじゃ、
 どうやら広島の町は、燃えて全滅したらしい。

 ピカドンという、恐ろしい爆弾だそうでナ、
 ピカツと光ったのに当たると、
 おとなも子供も、みんな殺されるんぢゃけん、

 これからは、サイレンが鳴ったら、
 ゼッタイ外に出てはいけんぞ、分かったか。」

と言われた。

おとなも子供も、ピカッと光ったのに当たるとみんな死ぬ、
と聞いて、とても恐ろしかった、
それからは、母親の言いつけを守ったように記憶している。
 つづく



人間賛歌 生命の境涯 十一

2006年10月08日 | 生命の境涯
  幸島のサル物語 続き

「イモを洗って食べるとオイシイ」
このうわさはたちまち島中に伝わって、この島のサルで、
知らないものはなくなった。

やがて島のほとんどのサルが、
イモを洗って食べだしたのである。

ところがオスのボスザルだけは、ガンコに昔からのやりかたに、
こだわっていた。

「近頃、若いモンのあいだでヘンなことがハヤっているようだが、
 ワシはやらないぞ」
と、がんばっていたのだ。

ところが何日もたたないうちに、イモを洗わずに食べるのは、
自分だけだと気づき、このボスザルもとうとう洗って食べだしたのだ。
このボスザルが、イモを洗って食べだした島のサルの百一匹目に、
当たったので、百一匹目のサルとして学者のあいだで知られている。


幸島のサルがイモを洗って食べだしてから、
ほどなく不思議なことが起きた。

海をへだてた大分県の高崎山のサルが、
イモを洗って食べだしたのだ。

さらに不思議が続いた、イモを洗って食べる食習慣が、
遠く離れた本州のサルにも広がっていったのである。
人間と違ってサルには、情報を伝えるテレビや電話がないのに、
どうして情報が伝わったか、ナゾになっている。


学者たちが種々研究したが分からず、
「テレパシーの一種ではないか」
と言って、お茶をにごしているようである。


ところで仏教は時の大事さを教えている。時といっても日常使う、
一時とか十時という時間のことではない。

物事の始まる潮時とでもいう時点のことだ。
たとえば、鳥のヒナがタマゴのカラを破って誕生するとき、
内からヒナがカラをツツクと同時に、親鳥が外からツツいて、
固いカラが破れるのだが、
時計で計ることのできない、不思議な時点のことをいうのだ。

法華経は宇宙自体が慈悲の心だ、と教える。
慈悲の心は生命に元々ある善(幸福になる因)と、
悪(不幸になる因)のうち、悪をなくし善を育てる働きをし、
常により優れたものを目指して進化している。

まるで宇宙は、人間を生かすために存在しているようだ。
と宇宙人間主義を主張する天文学者もいるほどだ。


私の推測だが、サルに進化する潮時がきていた。
と言えるのではないだろうか、

幸島ノサルも、本州ノサルも生命にかわりないから、
同じ時点で進化の時をむかえた、
と言ってもリクツが合わないワケではない。

事実、人間の運命に影響を与えるような、大きな発見や、
新しい思想の出現は、ある地点で現れると地球上の、
他の複数の場所でも同じようなことが起きる、

これはよく知られている事実なのだ。  おわり






人間賛歌 生命の境涯 十

2006年10月02日 | 生命の境涯
 勝手をしていました。幸島のサル物語からスタートしたいと思います。
野生のサルがとった以外な行動が、国中に広まっていく不思議な現象を
テーマにしたもので、研究者のあいだで有名な話です。 

  幸島のサル物語 

 九州.宮崎県沖に幸島という島がある。
もともと無人島で、野生のサルの群れが住んでいるが、K大の霊長類研究所が、
野生のサルの生態を調べるため、この島のサルに餌つけをしだした。

サルの大好物であるサツマイモを与えるのだが、
この島のサルに異変が起きるのだ。
研究所の人が、いつものとおりサツマイモを持って上陸し、
待っていたサルたちににイモを与えた。

サルたちはイモをつかむと、それぞれ自分の気に入った
場所に行って、イモを食べはじめたが、
一匹の若いメスザルが、別の行動をとったのだ。


若いメスザルは、イモをつかむと何を思ったのか、
ガケを伝って、海岸に降りて行った。

 「ハテ、なにをするのだろう。」

ほかのサルたちは、不思議そうに彼女サルの行動を
見ていたが、
イモを食うのに夢中で、そこを動くものはいなかった。

海岸に降りたメスザルは、ザブザブ音をたてて、
海に入っていった。

「へんなことをするなあ、だじょうぶか、」

とみんなが思っていると、彼女ザルはイモを海中につけて、
洗いだしたのだ。
イモについていた土や砂が落ち,きれいになったところで、
彼女は洗ったイモを、食べだしたのである。




次の日、また研究所員かイモを持ってきて、
サルたちに与えると、くだんの彼女ザルはまた、
海に入ってイモを洗いだしたのだ。
きれいになったところで、食べるのはきのうと同じだ。

三日目のことだ。
彼女がいつものとおり、ガケを降り海に入って、
イモを洗い出すと、

二三匹の仲間サルが、彼女に見習って同じことを、
やりだした。

若い仲間ザルは、彼女の行動を見ていて、

 「おもしろそうだなあ、オレもやってみるか」

と好奇心にかられた、
そこで彼女ののあとをつけ、海に入りイモを洗いだしたのである。

土や砂をよく落とし、きれいになったイモを口に入れ、
ガブリとやると、
これがなかなかイケルのだ、

砂がなくて食べやすいし、塩味がほどよくついて、
なかなか旨いのだ。

 「ウン、これはいける」

ということで、彼女を先頭に数匹のサルがイモを洗って、
食べだしたのである。  つづく