叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 自分の心を変える 五

2007年06月28日 | 自分の心を変える

 前回の続き、

リエは夫の最期の願いを叶えてやりたい、と思うが
さきだつモノがないうえ、近所の店はツケがたまっているので、
これ以上売ってくれるとは、思えなかった。

しかたなく彼女は家をでると、走って隣町まで行った。
そこでワケを話し、モチと酒を手に入れて帰ったのだ。

夫は旨そうにモチを食い、酒をいっぱい飲んで息を引き取った。

苦労と名のつくものを、ひとつ残さずかけた夫だったが、
いなくなると、リエの胸に穴があいたようで、
しばらく何も手につかなかった。
子供は、男の子ひとりと、女の姉妹三人で、四人が残された。


夫の死後も苦労はつきなかったが、
歳月がたち、長男が働ける年頃になり、
これで一息つけると、リエはホッとしていた。

長男の仕事先もきまって、いよいよこれからというときに、
突然、長男は首をくくって自殺した。
なぜ死んだのか、書いたものも残さなかったので、
理由はわからなかった。

長男が首を吊って死んだ姿を見て、長女は発狂した。

二女は好きな男がてき、
結婚して幸せにくらしていたが、夫の留守中、
ひとりでいたところを、ヤクザがおそい手ごめにした。
そのうえ手ごめにしたヤクザ男の、めかけにされたのだ。

三女は隣村に嫁にいき、子をもうけたが、
リエが届けた出産祝いが少ないと、シュウトに非難され、
それがもとで気が狂った。

これでもか、これでもか、と不幸がリエをおそうが、
彼女はそれでもケナゲに生きてきた。
いつのまにか歳も五十をこえ、髪に白いものが目立ちだした。

続く

 


人間賛歌 若い人の仏教教室 四十四

2007年06月25日 | 若い人の仏教教室

 カーネギーの機転でピンチを免れた所長は、その後出世して鉄道会社の
経営者にまで昇進した。
後年カーネギーが自分で鉄鋼会社をつくるとき、出資者を募集したが、

このときの所長が、
「カーネギーがやることならゼツタイに信頼できる。万一の場合は
 私が保証する」
元所長のこのひとことでカーネギーは必要な資金を集めることができたのだ。


カーネギーの他人に奉仕する生き方が、
思いがけないところで幸運をもたらし、元所長はカーネギーから受けた恩を
返すことができたのだ。

山本さん、
「先生すばらしい話を聞かせていただき、ありがとうございました。
ひとつお聞きしたいのですが、
カーネギーに頼まれて五百人以上の成功者に会い、彼らの成功の秘訣を
調べたナポレオン.ヒルという人はその後どうなったのですか」

ジッチャン、
「そう、言い忘れていてごめんなさい。
ナポレオン.ヒルはカーネギーはじめ成功者に共通する法則を発見して、
自分もその通りにし大成功するのだ。

彼の家でパーティがあると、パトカーが出動してハイウエイの交通整理をした。
と言われるぐらいだから相当なもんだね。

それとともにヒルは、
PMA成功法(明確な目標をもち、積極的な心構えをする成功哲学)を普及する財団をつくったんだ。
その結果欧米で数百万人の賛同者をえたんだね。

じつは私も若いとき、この財団の日本普及会に入会して勉強したもんだよ」

ケイタくん、
「ジッチャンは仏教を勉強していたとばかり思っていたけど、
そんなことも勉強したのですか」 

ジッチャン、
「そう、PMA成功法のおかげで若いとき事業に成功し、自分は大実業家に
なるんだ、と夢を持っていたんだよ。
それが思いがけないことがあってね、自分の会社がゼンブ倒産するという
憂き目を見たんだ。

会社は三つあり社員も百人以上いたがね」

ケイタくん、
「ジッチャン、思いがけないことってどんなことなんですか」

つづく



 


 


人間賛歌 自分の心を変える 四

2007年06月22日 | 自分の心を変える
 自分の心を変えた女性、その一

郷土史家がこれほど悲惨な人生を聞いたことがない。
と嘆息した女性三木リエの例をあげてみよう。

三木リエは中国地方O県のごく普通の家に生まれた。両親ともマジメで、
裕福ではないが不自由でもない、平凡な家庭で育った。
そのままいけば彼女も平凡な普通の生活をするハズであった。

それがふとしたことから旅芸人の男と知り合い、つきあいだしてから環境が
変わった。

やがてコドモができその男と結婚するが、
男は芝居で演じる役と、実生活の区別がつかないグウタラで、

コドモは次々できたが、家庭に給金を入れる常識さえ持ち合わせていなかった。


彼女が働いてかせいだカネでは子を養えず、生まれた子は栄養失調で
二人とも死んだ。
男は芝居の巡業に行くたびに、行き先で女をつくった。

女は仲居あり、人妻あり、未亡人あり、女教師までタラシこんでものにするのだった。

そのうちに男は巡業先でできた女を、
かろうじて留守を守っているリエの家に連れてくるようになった。
これで平静でいられるハズがないが、彼女はグチひとつこぼさず夫に仕えた。

女はそうするものと、教育されていたからだ。
 
そんなリエに男は、

「 おまえのようなクソマジメな女は見たことがない。
たまにはヤキモチの一つぐらいやいて、亭主のムナグラでも取ってみろ、
これじゃあ芝居にもなりはしない。そんな女はだいきらいだ」

と憎まれ口をたたくのだった。

やがて男は荒れた生活が祟って重い病になり、床に伏すようになった。
やせて食もすすまず、もう長くないだろうと思うような容態になった。
そのようなある日、男はリエに、

「オレももう長くないだろう。
死ぬまえに好きなモチを食って、酒をいっぱい飲みたいんだ。
たのむからつごうして来てくれないか」

と頼むのだった。

続く

人間賛歌 若い人の仏教教室 四十三

2007年06月20日 | 若い人の仏教教室

 カーネギーは所長を待っているあいだ、
こんなとき所長ならどんな指示を出すだろうか、と考えていた。

線路上に障害物があり立ち往生している列車の場所から、四キロほど後退
したところに引込み線があり、列車が避難できるようになっていた。

立ち往生している列車を引込み線に入れて待機させ、
進行中の列車には引込み線の手前で停車させて、次の指示を待たせる。

追突事故を防ぐには、
これが一番よい方法だと、カーネギーは考えた。
おそらく所長も同じことをかんがえるだろうと....


時間は刻々と過ぎていったが、所長は現れなかった。

「これ以上時間がたつと列車が衝突してしまう、大事故を未然に防ぐ
 ギリギリの時間だ」

カーネギーは決意した。
立ち往生している列車と、進行中の列車に、自分が考えた方法を指示する電報を打ったのだ。

電報を打ちおわると、ことのテンマツ書と電文に、自分の辞表をつけて
所長の机の上においた。

やがて出勤した所長は、机の上にあるテンマツ書と電文を見ておどろいた。
自分が通勤途中に立ち寄った店で時間がかかり、
自分の不注意で思わぬ事故を起こすところだったのだ。

所長はカーネギーを所長室に呼んだ。
「カーネギーくん、この電文はなかなかよく出来ているが、きみが考えたの
 かね」

カーネギーは、
所長宅に行ったことや、いままでのいきさつを話したうえで、
「電文は自分ひとりで考えました。
 勝手に列者に電報を打つことは厳禁されているのに、申し訳ありません
 でした。
 責任をとるため辞表を出しております」
とこたえた。

「カーネギーくん、あやまらねばならないのは私のほうなんだよ。
 よくこの電報を打ってくれた。完璧だよ、私がいてもこれ以上のことは出来なかったと思う。ありがとう。
それから、この辞表は受け取れないからきみに返すよ」

と言って、所長は辞表をカーネギーの手に渡した。

つづく    


 


人間賛歌 若い人の仏教教室 四十二

2007年06月17日 | 若い人の仏教教室

ジッチャン、
「その聖徳太子の遺言に次のようなコトバがあるのだ。

「もろもろの悪しき(あしき)ことをばなすなかれ、
 もろもろの善きわざを行へ」

というのだが、
このなかで悪しきことというのは、自分本位の利己主義をいましめたもので、
善きわざを行へ、とは利他の心で他人に奉仕する生き方をしなさい。
ということなんだよ。

カーネギーや、大成功した五百人以上の男女の例は、
時代や国、人種に関係なく正しい生き方をすれば、幸せを招くことの、万国
共通の現証であると言えるのではないだろうか。

では他人に奉仕する生き方とは、具体的にはどんな生き方なのか、
カーネギーの若いときのエピソードがあるのでそれを紹介しよう。


少年時代のカーネギーは電信技士の資格をとって、ある鉄道会社の営業所
に勤めていた。
所長の指示をうけて、走行中の列車に電報で指示を出す仕事である。


ある朝のことだった。
走行中の列車から、列車がなんらか障害にあい線路上で立ち往生している
(止まったまま動かないこと)との電報が入ったのだ。

カーネギーは電報を所長室に持っていったが、
いつもなら出社しているハズの所長が、この日にかぎってまだ出社していなかった。

急を要することなので、カーネキ゜ーは電報を持って所長宅に走っていったが、
夫人が出てきて、
「主人はいつもどおりに会社にでかけました」
と言うのである。

ひょっとして途中で行きちがいになったかもしれないと思い、慌てて会社に
戻ったが、所長はまだ来ていなかった。

こんなダイジなときに、所長はいったいどこにいるのだろう。
早く後続の列車に電報を打って、前方の線路上に立ち往生している列車
があることを知らせてやらなければ、大事故につながるおそれがある。

カーネギー少年はイライラしながら待っていたが、所長は姿を見せなかった。
列車に電報で指示を出せるのは所長だけの権限で、ほかのものが行うこと
は厳禁されていた。

つづく

 


 


人間賛歌 自分の心を変える 三

2007年06月15日 | 自分の心を変える
 前回の続き、

人が生きることは、十界の内のどれかを現す行動をすることだ。
自分は人間だから、人間以外のチクショウ界とか、ガキ界とか、
現すわけがない。

と思うだろうが、形は人間でも、心は動物とかわらない人間も
多くいるのだ。

いま世界でおきている不幸な事件は、人間が人間の心を失い、
欲望や、嫉妬、憎しみで行動する動物の心になったためだ。
 と指摘するものもある。


人間は環境によって変わる。人生を決めるのは人間関係だ。
とも言われる。

仏法の生命観は、人間と、それを取り巻く環境をひとつ(一体不二)
と捉える。
人間を本体とすると、環境は本体を写す影の関係だ。
だから人間を変えずに環境を変えることは、あり得ないのだ。

苦悩するジゴクの境涯にいれば、環境(対人関係も含む)もジゴクの
境涯を現す。

「内(人間の内面)と外(環境)の区別はない。内がそのまま外なのだ」

ゲーテの言葉だが、そのとおりだ。

また目のよるところに玉がよる。というが、
同じような境涯のものが集まり、同じような環境のなかで、
それぞれの世界をつくるのが、世間の姿のありようなのだ。

環境を変えたければ、自分を変えればよい。だが簡単なようでこれが
なかなか難しいのである。
人間が自由にできるのは、自分の心だけだ。と言うものもいるが、実際は
心を自分の意のままにすることは、不可能に近いのだ。


ここで自分の心を変えた二人の女性と、心を変えられなかった一人の女性、つごう三人の例をあげてみよう。

自分を変えるにはそれに挑戦する勇気と、困難に耐える忍耐力がいる
ことが、よく分かると思う。

続く

人間賛歌 若い人の仏教教室 四十一

2007年06月12日 | 若い人の仏教教室

 カーネギーは、すべての人間には仏界という無限の叡智を持ったいのち
がある。
ということを知らなかったと思うが、

カーネギーが調べた五百人以上の成功した男女が、ひとり残らず
他人に奉仕する生き方をしていたということは、すばらしいことだね。

仏教でいう十界のうちの九番目、ボサツになるための修行法が、利他の心
で他人に奉仕する生き方を教えているんだ。

カーネギーはじめ成功した五百人以上の男女も、
ボサツ行をしていたのだ、と言ってもよいと思うね。

このてんについて山本さんは、どう思いますか。

山本さん、
「はい、先生のおっしゃる通りだと思います。
それにしても人間の幸.不幸を決めるのは、その人の生き方だと仏教は
教えていますが、外国人にも適用するのですね、
ほんとうにスゴイと思いますよ」

ジッチャン、
「山本さんは人間賛歌、賢聖の境涯を読んだと思うが、聖徳太子のはなし
が出てきますね。

日本に最初に仏教をとりいれたお方で、クダラの国から来た仏典のなかに、
法華経の経典がなかったので、わざわざ自分でとりよされた。と伝えられ
ています。


それはともかく、
日本で最初に法華経の信仰をしたのが聖徳太子です。

法華経はひとことで言うと、国の平和と民の幸せを実現する教えです。
聖徳太子のおかげで、その後の日本は平安時代という文化の香る国家
えと進んでいくのですが、

これについては賢聖の境涯に詳しく書いていますので、折があったら
読んで参考にしてください。

山本さん、
「はいわかりました。読ませていただきます」

つづく

 


人間賛歌 自分の心を変える 二

2007年06月08日 | 自分の心を変える

 だれの生命にも十界が具わっている(十界互具という)から、
天界の喜びの境涯で、得意の絶頂にいても急転直下、絶望のフチ(ジゴク界)に
沈むこともある。

また一つ以上の境界が同時に現れることはないので、
ジゴク界と天界が一緒にあらわれたり、人界と仏界が同時に現れることも
ない。

心理学でも、積極的で前向きな心と、消極的で後ろ向きの心が同時に
心をしめることはないと分かっている。

どちらかが現れれば一方は隠れる。しかし隠れるだけでなくなるのではない
から、なにかのきっかけでまた現れるのだ。

境涯もこれによく似ている。
縁によつて十界の内のどれかを現すが、それが固定するわけではない。
常に変化するのだ。
問題はよいほうに変化するか、悪いほうに変化するか、変化のしようにあるのだ。


長いあいだ同じ境涯がつづくと、傾向として定着するようになる。
なにをやつてもダメだ、不幸なことばかりつづく、このような場合ジゴク界が
定着しているのだ。

いったん習慣化し定着した境涯を変えるのは容易ではない。
だがそれをイッキに解決する画期的方法があるが、それについては別の
機会に述べる。

注釈
従来の仏教は十の境界を段階的にのぼって、最高の仏界をめざす修行法を教えた。
これでは長遠な時間をようするリャクコウ修行(何回も何回も生まれかわって
仏道修行をすること)にならざるをえなかった。

 画期的方法というのは、長遠な時間もいらず、どの境涯、たとえば
ジゴク界にいても、途中をぜんぶとばして仏界の境涯になれるという、
前代未門の修行法なのだ。

そんなうまい話があるか、と疑問に思うだろうが、ゼッタイうそではないと
断言する。これは仏の言葉だからだ。

故に、意を強くして大きな希望を持ってもらいたい。

画期的方法を一刻もはやく知りたい、と思う人はあとを読むのをいちじ
やめて、もう一度「仏界の境涯」を読むことをすすめる。

そうでない人は、このまま進んでもらいたい。

続く

 


人間賛歌 若い人の仏教教室 四十

2007年06月06日 | 若い人の仏教教室

ジッチャン、
「カーネギーはこうも言っているのだ。

 「自分に幸せをもたらしてくれるもの、財産、社会的地位、友人、
 良い家庭、快適な日々などは、すべて他人に奉仕する生き方で得たもの
 であり、
 それ以外で得たものはナニ一つないんだ」

カーネギーはさらに、

自分に大成功をもたらせた、他人に奉仕する生き方が、
自分だけに通用したのか、それとも、だれでもこの生き方をすれば、
自分と同じように、人生で成功を収めることができるのか、
調べようと思った。

そして、もしこの生き方がだれにでも通用する法則みたいなものであるなら、
自分と同時代の人や、これから生まれてくる人たちに伝えてあげたい。
と考えるようになったのだ。


カーネギーは、自分の考えをナポレオン.ヒル青年に話して、
自分の考えが正しいかどうか、調査するよう頼んだのだ。カーネギーは、
当時アメリカ社会で大成功していた五百人以上の男女を、

(この中にはヘンリー.フオードや、ロックフェラー、ルーズベルト大統領らも
ふくまれていた)

ナポレオン.ヒル青年に紹介して、彼らがどうやって現在の地位を勝ち得たのか調べたのだ。

ながい年月をかけて調べた結果、
カーネギーが予想していたように、五百人以上の成功した男女はみんな、
一人のこらず、他人に奉仕する生き方をしていることが分かったのだ。

ケイタくん、ここまでは難しくないから、よく分かるだろう」

ケイタくん、
「ジッチャン、よく分かりますよ。
それにしてもカーネギーという人はエライ人ですね、仏教を勉強していたん
ですか」

ジッチャン、
カーネギーは仏教徒ではないが、こう言っているのだ。

「自分は一神教でいうところの、万物の創造主で人間の運命をにぎっている
とされる神というものは信じない。

だが、どんなアタマのよい人でも説明することができない、
無限の叡智とでもいえるもの、または大自然を動かす巨大な力とも言えるが、
それについては私は実在を信じるし、この力を活用せずに成功を収めた
人はいないし、これからもいないだろう」

つづく



 


人間賛歌 若い人の仏教教室 三十九

2007年06月04日 | 若い人の仏教教室
ジッチャン、
「因果の理法は仏教の核心のうちだが、ちょっと難しかったようだね。
これからも因果の法については話す機会が多いから、だんだん分かってくると思うよ。
アタマをいたくしないで聞いてね。

ところで、さっきアンドリウ.カーネギーという人の話がでたが、
ケイタくん、カーネギーってどんな人か知っている?」

ケイタくん、
「ボクはあまり聞いたことがないけど、どんなことをした人なの」

ジッチャン、
「ニューヨークにある音楽の殿堂.カーネギーホールというのは、
知っているだろう」

ケイタくん、
「それは有名だから聞いたことがありますよ」

ジッチャン、
「そのカーネギーホールをはじめ、アメリカ中に三千ケ所もの図書館をつくっ
て寄付した人が、アンドリウ.カーネギーなんだよ。

カーネギーはあまり学校も行っていない貧乏な移民の子なんだが、
鉄の製造で成功して鉄鋼王とよばれるような事業家になり、世界的に有名
な大富豪になったんだ。

カーネギーは、

「知識は学校で詰め込まなくても、図書館に行けばいくらでもある。
その知識を使って世のため、人のために役立つ仕事をする人を育てること
がダイジなんだ」

という考えを持っていたんだ。
だから学校に行けなくても、知識を必要とする人のために、バクダイな私財
を出して図書館をつくり寄付したんだ。

カーネギーがトシをとって引退するとき、自分の会社の株を売ったカネが、
当時のアメリカの軍事予算より多かった、といわれるぐらいだからトテッもない金持ちだったんだよ」

山本さん、
「ジッチャン、カーネギーってスゴイ人ですね。
それほどの財産を子孫に残すとか、自分の欲とかはなかったんですかねぇ」

ジッチャン、
「山本さん、そうなんだよ、
カーネギーはね、
「人間が一生のあいだにカセいだカネを、使い切らずに死ぬほどハジな
ことはない」
と、つねづね言っていたというんだ。

次回は、そのカーネギーについてもっとくわしく話てみよう」

つづく