小説「目覚める人・日蓮の弟子たち」

小説「目覚める人・日蓮の弟子たち」の連載と、上場投信日興225の勉強会をします。

ひとこと

2010-10-31 | ひとこと

 お知らせ

 当ブログをご愛読くださいましてありがとうございました。
私事ですが体調を崩して更新が難しくなりましたので、十月末で更新
を中止いたします。

尚、私のブログ「叙事詩 人間賛歌」に「目覚める人・日蓮の弟子た
ち」と日興225勉強会を更新していますのでそちらをご覧ください。

「目覚める人・日蓮の弟子たち」は下記をクリックしますと一覧表に
つながります。(現在四十八回まで更新済)

http://blog.goo.ne.jp/katu5312/c/fcf70b322f442e055d539b135b84cfbc

 日興225勉強会は下記をクリックしてください。毎週土曜日に更新
予定です。

http://blog.goo.ne.jp/katu5312/c/0d5911a1b385cc2331c8596652da0a91

 以上です。いずれこのブログは廃止します、今まで本当に有難うご
ざいました。  管理人 katu 拝

 


小説「目覚める人・日蓮の弟子たち」三十七

2010-10-30 | 「目覚める人・日蓮の弟子たち」
 法華経の行者 十一

 雅子は、昨夜の小源太の態度を苦々しく思っていた。火事場に行こ
うとする義昭を雅子が、大事をとって引き止めたのを、小源太が無視
して行かせた事である。
 あの人は私の言うことなど聞いたことがない、と夫を不満に思って
いた。

 京の藤原一族の公家の娘だった雅子は、勝気でわがままいっぱいに
育った。四人姉妹の一番下だったせいもあって、両親も、年の離れて
いた三人の姉も、雅子の言うままに扱い可愛がっていたので、いつも
自分が中心でなければ気にいらなかったのだ。
意に沿わないことがあれば、機嫌が悪かったのである。

 政治の実権が武家に移ったとはいっても、長い伝統としきたりを重
んじる京の貴族階級の勢力は隠然として残っていた。

格式を重くみる京の貴族と実力本位の東国の武家の生活は、雅子のよ
うな生い立ちの者には馴染むのが難かしかったのだ。

寝る時も太刀を枕元に置いて放さない小源太との生活も、彼女には野
蛮な行為に映っていたのである。人と人が殺しあう武家の社会より
は、蹴鞠や和歌に明け暮れた京での生活に愛着を感じていた。
京育ちの三郎の妻かねと、時折会って都の話をするのが雅子の唯一の
慰めであった。

 寿光寺に火事があって住職が焼死した事件から二さんにち経ったあ
る日、小源太は彦四郎を供に名越に行くと言って館を出た。名越とい
うのは同じ北条一門の名越時安のことで、屋敷が名越にあったので名
越どのと呼ばれていた。
 小源太の娘且子が嫡男の知時に嫁いでいたのである。

続く   

  

小説「目覚める人・日蓮の弟子たち」三十六

2010-10-29 | 「目覚める人・日蓮の弟子たち」
 法華経の行者 十   

「はい、近くの民家にわけを話して休ませてもらいました。火傷もな
いようなので元気になったら、何か着る物を与えて帰すよう、銭を少
し渡しておきました。」

「それはよいことをなされた。女人に罪はないからの。時孝はどうし
た。」

と小源太が問うたのに、

「はい、弟はよく働いて私が着いた頃には、類焼している民家から逃
げる人びとを助けていました。
動けない老人や病人は背中におぶって、安全な場所に避難させていま
した。」

「そうであったか。そなたも時孝もよい働きをなされた。わしが常々
言い聞かせているように、我が家の家訓は、領主あっての領民ではな
く、領民あっての領主だからの。領民を親のように大事にしなくては
ならないということだ。
ご苦労であった。疲れていよう、早く帰って休むがよい。」

義昭は立ちかけて、

「母上がみえませぬが、」と訊いた。

「母上は、頭痛がすると言って休んでおる。」

「おかげんが悪いのですか。」

「いや、いつもあることだ、心配するほどのことではない。」

「そうですか、お大事になさいますよう、それでは失礼致します。」

と、義昭は父親に誉められて嬉しそうな顔で下がって行った。

続く  

     


小説「目覚める人・日蓮と弟子たち」三十五

2010-10-28 | 「目覚める人・日蓮の弟子たち」

 法華経利行者 九

「それが父上、異なことがありました。」

「異なこととは。」

「はい、私たちが駆けつけた時には、もう火の手が廻って屋根まで燃
えていましたので、寺の者はみな外に逃げて中にはいないだろうと思
ったのですが。」

「うむ、誰かいたのか。」

小源太は体を乗り出すようにして訊いた。

「はい、ちょうど私たちが寺の正門を通って境内に入ったときでし
た。もう境内は熱くて、とても立っていられないぐらいでしたが、燃
えている庫裏の方から、女が飛び出して庭に駆け下りたのです。
寝間着を身に着けただけで帯もしておらず裸同然で私たちの方に逃げ
て来たのです。」

「ほう、それで。」

「突然のことで驚きましたが、倒れた女を助け起こして看病させまし
た。ところがその直後、今にも崩れ落ちそうになった庫裏の中から僧
侶が一人よろめきながら、廊下に出てきたのです。
着物に火が付いて燃えていましたので、まるで火だるまのようでし
た。」

「うむ、僧が、」

「父上から僧侶にはかまうな、と申し付けられていましたし、とても
近寄れる状況ではなかったので、私どもが見ていますと、僧侶が庭に
飛び降りようとする直前に天井が焼け落ち、辺りが火の海になって姿
が見えなくなりました。」

「うーむ、おそらく女を連れ込んで酒でも喰らい寝入っていたのだろ
う。自業自得の仕業だ。それでその女はどうした。」

続く  

    

  

上場投信日興225勉強会

2010-10-26 | 日興225勉強会
 
   日興225日足  

 *

上図を見ても分かりますように、一万円を目前にした位置での往来相場が二ヶ月続いていま

す。相場が上に放れるか、下に放れるかの分岐点で迷っているからです。

 *

先回指摘しましたように、日銀は自己のリスクで上場投資信託や不動産投資信託を買うこと

を決定し、すでに実行に入っていると思われます。

故に上場投信の代表日興225が下に放れる可能性は少ないと思いますがどうでしょうか。

 *

先進二十カ国の蔵相会議が終わりました。為替安競争はしないことで一致しましたので、成

功であったと思います。同じ目標に向かって利害を異にする世界のリーダー国が協調するこ

とは大きな進歩であると思います。1920年代には考えられなかったことですから...

 *

基軸通貨国アメリカもこの決定を無視することは出来ないでしょう。

自民党や一部マスコミは、日本の一人負けと評していますが、勝ち負けの問題ではなく日銀

(いっもおとなしく外面ばかり気にする)が、思い切った政策決定に乗り出したことを評価す

べきでしょう。

 以上


小説「目覚める人・日蓮と弟子たち」三十四

2010-10-23 | 「目覚める人・日蓮の弟子たち」

 法華経の行者 八  

 小源太は、変事が起こるのは軍の気が乱れているからだ、との兵書
から聖職者と言われている僧侶の風紀の乱れをそれとなく憂いていた
が、これほどまでに堕落していようとは思っていなかった。
僧侶にはかまうな、と義昭に言ったのはそのような事があったからだ
った。

 次の日の朝、小源太は三郎夫妻と朝食をともにし、帰宅する二人を
玄関まで送った。居間に戻るとちょうど義昭が来た。

「父上、昨夜は火事場から大仏坂の持ち場に廻って、家中の者の無事
を確認して参りました。遅くなりましたのでご報告ができませんでし
た。」

「ご苦労だった。それはよくお気付きだったな。警固の者たちは変わ
りなかったか。」

「はい、一同元気で持ち場を固めていましたのでご安心ください。」

 幕府は山を切り開いて、鎌倉に通じる道路を作り、北条一門や有力
御家人を、この切通しの警固に当たらせていた。
前方の海から攻めてこない限り、切通しを通らずに鎌倉の町の中に軍
を進めることは不可能だった。軍都鎌倉は要塞のように警固に守られ
ていて、義昭の軍は大仏坂の警固を受け持っていたのだ。

「それで、火事のほうはどうじゃった。」

「はい、火元は寿光寺で庫裏の一部を除いて全焼しましたが、風もな
かったのでまわりの民家への類焼は少なくてすみました。」

「ほう、それは良かったの、火元の寺のほうは変わったことはなかっ
たか。」

 続く  

  

上場投信日興225勉強会

2010-10-09 | 日興225勉強会

   (日興225日足) 

  *

いよいよ一万円を目指して下根を切り上げてきました。

きっかけは先週日銀が決定した今までになかった金融政策であります。物価の上昇率を年一

パーセントまで認めること、

さらに大きいのは特別枠三十五兆円を設けて、上場投資信託や不動産投資信託を日銀のリス

クで買うというものです。

  *

上場投資信託の代表格が日興225指数連動型投資信託です。

大きな買い手が現れたのですから、この勉強会に参加の人も、自分で投資している人も幸運

な人であるといえるでせう。(私も...)

  *

銀行にいくら資金を出しても、借り手がいないのですから効果は期待できません。公開の証

券市場と不動産市場に円札をばらまけば、資産価値が上がってデフレから脱却する可能性が

でてきました。

  *

デフレの象徴小沢氏については検察が結論を出すと云っていましたが、裁判で徹底抗戦する

と頑迷な態度をとっていますから、時が解決するでしょう。

 以上

所感(政治経済)

2010-10-07 | 所感

 思い切った日本銀行 *

前にこの項目で「思い切ってやってみなはれ」と日銀の奮起を促す一文を
書きました。

それが聞こえたのかどうか分かりませんが、昨日日銀は思い切った政策を
発表しました。ふだんおとなしい感じの白川総裁が淡々とはしていても、
命がけで判断した気迫を感じました。
証券市場がすぐに反応して急反発したのもムベなるかなと思います。

しろうと判断ですが、今回の日銀決定には重大なことが三つあります。

一 日銀の貸し出し金利を〇にすること。

二 十年近く下落傾向にある物価がプラス一パーセントになるまでこの政
  策を継続し、インフレ政策を容認したこと。

三 銀行えの貸し出しだけでなく、別枠で国債を買ったり、上場投資信託や
 不動産投資信託も買うという日銀始まって以来の政策であること。

二十年間閉塞状態にあった日本経済を活性化する動機となり、久しぶりに
明るい気持ちになりました。
時を置かず、検察審査会が小沢一郎氏を強制起訴すると発表しました。
政界に君臨し、経済のプロ宮沢内閣をつぶし、海部、細川、羽田、鳩山内
閣を影であやつって巨利をむさぼった実態が法廷で明らかになる日もくる
でしょう。

 新生日本の夜明けとなることを願います。

 一市民

        

        




小説「目覚める人・日蓮と弟子たち」三十三

2010-10-06 | 「目覚める人・日蓮の弟子たち」

 法華経の行者 七   

「父上、私はこれから火事場に向かいます。」

と義昭が言うと、横にいた雅子が、

「そなたは、酒も入っているし落馬でもしたらどうするのですか。弟
の時孝も行っているし、そなたは宜しいではありませぬか。」

「でも、母上。」

義昭が何か言おうとしたとき、すかさず小源太が、

「指揮官が現場にいるといないでは大いに士気にかかる。火事とて戦
と同じ事じゃ。
義昭、気をつけて参れ。焼け出された者のために、非
常食の用意も忘れるな。
それから民人を助けるのが第一じゃ。僧侶にはかまうでないぞ。」

 義昭は、三郎に一礼すると駆け出して行った。

「さあさあ、三郎どのもかねどのも外は寒い、中に入られよ。あの方
角ではお宅とは反対で、その上随分距離も離れている。幕府や政所と
も方角が違うゆえ、ご安心されよ。」

 小源太は二人を促しながら自分から部屋の中に戻った。

この頃鎌倉では、神社や寺の火災が相次いで起きていた。何者かが放
火しているのではと、巷で噂されるほど頻繁に起こっていたのだ。
さらに人々の噂になったのは、円城寺が焼けたときだった。女人がい
ないはずの寺の焼け跡に、僧にまじって女の焼死体が二つもあったの
だ。
しかもその内の一人は、身ごもっていて大きな腹をしていた。

 というのが話しに尾ひれが付いて、寺の住職の隠し妻だとか、夜な
夜な遊女を裏門から引き入れていたとか、口さがない鎌倉っ子の話題
をさらっていたのだ。

続く  

    

 

小説「目覚める人・日蓮と弟子たち」三十二

2010-10-04 | 「目覚める人・日蓮の弟子たち」

  法華経の行者 六  

「はい、私は今はこの通り元気ですが、以前は病気がちで寝込む日が
多く、つい弥陀の救いを求めて念仏を唱えていました。
それが下総の伯母にすすめられて上人さまの説法をお聞きしたのをき
つかけに、念仏をやめ今は毎日題目を唱えております」

「ほう、それで念仏のかわりに題目を唱えられて、なにか違ったこと
がおありかな」

「はい、題目を唱えるようになりましてから、それまで病気がちで心
配性だったのが、病気もしなくなりくよくよ取り越し苦労をすること
がなくなりました」

  「くよくよしなくなるとは。」

「はい、くよくよ考えるより、自分がしなければならない事を毎日全
力でするようになりました。私がするべき事は、主人や子供が毎日元
気でお勤めできるよう精一杯心を配ることですが、そう心がけている
内にいつの間にか病気がちだったのが治っていました。
主人は私が近頃随分明るくなったと言っております」

かねがそう言った時だった。
館内の静寂を破って、何者かが廊下を走って来る音が聞こえた。耳を
澄ますと本家の方角から馬の駆ける足音が乱れて聞こえてきた。

 <何事か起きたか>

義昭がつと立ち上がった。その時廊下の仕切戸を開けて弥太郎が入っ
てきた。床に片手をついて礼をすると、

「との、西の方で火事が起こりました。方角が大仏坂の方なので時孝
さまが今、馬で向かわれました。とのや義昭さまのお耳にいれるよう
にとのお申し付けでした」

弥太郎は廊下に出ると西の方角を手で指した。

 「なに、火事とな。」

小源太が言う前に義昭は廊下に出て、西の空を見上げていた。小源太
と三郎夫妻も続いた。皓々とした冬の月明かりの中で、西の空に真っ
赤に上がっている大きな炎が見えた。
杉の皮でもはじけているのか、時々赤い火の粉が炎の中に飛び散って
いるのが手に取るように分かる。

「これはだいぶん大きいようだ。あの方角には寿光寺があるが、何か
大きな建物が燃えているみたいだな」

 小源太は独り言のように言った。

つづく