叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間は何をしに来て、どこえ行くのか 十四

2008年06月29日 | 人間は何をしに来て、どこえ行くのか

 朗読続き、

 ロスは気落ちして死後の世界の研究をやめようと思った。
そのような時に、ひとりの婦人がロスを訪ねてきた。

 婦人の名はケイト夫人で、ロスがケアした末期患者のひとりであり、
彼女が亡くなってからすでに相当の月日がたっていた。
部屋に入ってきた婦人を一目見て、ロスはおどろいた。

 「あなたはまさか、ケイト夫人ではないでしょうね? 」

婦人は、

 「はい先生、おどろかせてごめんなさいね。
 以前先生のお世話になりましたケイトです。今日は先生にお願いがあっ
 てやってきました。」

婦人はロスの座っている机の前に立ったまま、落ち着いた声で言う。

 「キュブラー先生、あなたがなさっている研究をやめずに、
 これからも続けてください。みんな期待していますから、それを言いたくて
 やってきたのです。」

おどろいて口もきけずにいるロスに婦人は、

 「助手のロバート先生にも、そのようにお伝えください。」

と付け加えたのである。

注、 助手のロバート先生は牧師で、死後の世界の研究をしているロスの
理解者であり、よきパートナーであった。

ロスは、

 「私にはまだよく信じられないが、もし本当にあなたがケイト夫人であっ
たら、助手のロバートあてにメモを書いてください。
 あなたが今日訪ねてきたことを、私がロバートに話しても信じてもらえない
でしょうが、
 あなたのメモがあれば彼も信じるでしょうから。」

ロスが言うと婦人は、ロスが自分が来た証拠を欲しがっていることを
 すぐに理解した。婦人は笑みをうかべて、

 「承知しました。」

と言って、ロスが差し出したメモ用紙にすらすらと用件を書き、サインをし
てロスに渡したのである。
 ロスが婦人の申し入れを承諾する旨を言うと、婦人は礼を言って部屋を
出ていった。

つづく   

 

 


人間賛歌 「新・仏教教室」 十三

2008年06月27日 | 新・仏教教室
ケイタくん、

「ジッチャン、十界のどれもが、縁がないと現れないのですか。」

ジッチャン、

「そうだよ、たとえばステキな彼女ができて喜んでいても、彼女にフラれたら
ガッカリするだろう。
 天界の喜びから、地獄の苦しみに急転直下だね。彼女が縁になって、
天界や地獄界が現れたワケだ。

仏界も縁がなければ現れないから、よい友人をもつことが大事なんだ。
悪友と交わると、自分も悪くなるから不思議なんだね。」

山本さん、

「先生、仏教は縁を大事にする教えだと聞いていましたが、そういう意味が
あったのですか。」

ジッチャン、

「そうです。十界の因は生命に内在していても、縁がなければ結果となって
現れないのです。
 余談ですが、生命に十界があること自体がなかなか信じ難いのです。
以前に、世親の唯識論や、ユングの深層心理学などを例にして話しました
が、難しくなるので今日はやめておきましょう。

 注釈  この件について詳しく知りたい人は、唯識論・ユング・深層心理学
 十界の境涯などで、ブログ内検索をしてください。

 仏教では縁起(エンギ)の思想といって、
もともと有るものでも、縁がないと出現しないので、すべての事象は縁によ
って起きると定義し、とても大事な考えかたの一つとしているんですよ。」

ケイタくん、

「ジッチャン、ボクたちはよく「あのひとは慈悲深い人だ」と言ったりしますが、
この場合の慈悲と仏教でいう慈悲とは同じなんですか。」

ジツチャン、

「ケイタくん、慈悲深い人というのは、人の気持ちがわかり、
他人にやさしくする人のことをいうが、仏教でいう慈悲と通じると言えるね。

 ただ慈悲の心というのは本来だれにでもあるので、前に、どうしょうもない
悪人でも自分の妻子は愛するので、
だれにでも慈悲心があることのあかしだということを話したね。
 
 仏教でいう慈悲は、ただ相手を思いやるやさしい心だけではないんだ。」

つづく    



人間賛歌 「新・仏教教室」 十二

2008年06月24日 | 新・仏教教室

ケイタくん、

「ジッチャン、ちょつと質問があるのですが、
仏界のいのちが現れると、ほかの九界のいのちはどうなるのですか。
 消えてしまうのですか。」

ジッチャン、

「ケイタくん、なかなかいいことを聞いてくれたねぇ。
十界のうちの仏界ばかりが続いたので、あとの九界はどうなったのだろうと、
みんなも関心があるとおもうからね。

 仏界が現れると、あとの九界はなくなったようにみえるが、実はなくならな
いのだよ。
たとえば、怒る心は、苦しみ悩む地獄界のいのちだが、地獄界があっても
いつも怒っているワケではないんだ。
 知らない人にいきなりナグられたり、友達に悪口なんか言われると怒る心
が起きてくるね。

 このように怒る心はあっても、それを起こす縁がないと現れないんだ。
人にナグられるとか、友達に悪口を言われることが、この場合は縁になる
んだね。

仏教では、因と縁がくっついて果報となって現れるというが、
十界を現す因は生命に常に内在しているが、縁がないと現れないというこ
とだよ。だから縁が大事なんだ。

 さてさっきの質問に戻るが、
仏界の因は題目をとなえるとそれが縁になって現れるが、仏界は他を思い
やる慈悲の心なので、全宇宙の慈悲の力が味方をするようになるのだ。
 仏教ではこのことを諸天善神の加護といっているがね。


もともと宇宙の実態は大慈悲の心であるから、
慈悲を行う者には共鳴して、万事がうまく運ぶようになるのだよ。

話はそれるが、釈迦の木像とか仏画には、釈迦を中心にして四大天王や
他の神が、釈迦を守護しているのが多く見られるね、
 これは宇宙の力が仏を守る働きを現したものなんだ。
また横道に入ったが、

仏界( 慈悲の心・他を思いやる心 )が現れると、他の九界は隠れてしまうの
だ。これは脳の生理学でも、心理学上でも、怒る心と喜ぶ心が同時に出る
ことはないと、理論的に認められているのだ。

 仏教では有っても隠れている状態のことを冥伏と呼んでいるが、これは
暗いところに身を伏せて隠れているが、縁があると直ちに現れるという意味

 なんだよ。

つづく   


 


人間賛歌 幸運を呼ぶ法則 十三

2008年06月22日 | 幸運を呼ぶ法則

 ツキを呼ぶ心に変える

 アメリカ南部のK州に住むD氏は、保険のセールスマンをしている。格別目立つ成積をあげるほうではないが、そこそこの収入の中から貯蓄をするという堅実な生活態度で、会社から信頼されていた。
 そのようなD氏が知人から、ゼッタイ儲かる株式投資があると奨められて手を出し、それが失敗に終わったのだ。D氏はいままでコツコツ貯めてきた全財産をなくしたのである。

 自分の運の悪さを嘆き、失意で一時は仕事も手につかなかったD氏は、友人に奨められた本で、他人に奉仕する生き方をすれば運が良くなるということを知った。
カネがかかるわけではないし、ほかにこれという方法もなかったのでD氏は、ワラをつかむ思いで早速実行することにした。

 ある日のこと車で砂漠の中の道を走っていたD氏に、ヒッチハイカーの青年が手をあげて町まで便乗してくれるよう頼んだ。いつもなら面倒がって走り去るのだが、他人に奉仕する生き方を実行しだしたこともあって、D氏は青年を車にのせてやった。

 青年は東部の出身で金鉱探しにやってきたが、失敗して無一文になり仕事を探そうと思って町に出る途中D氏に会ったのだ。

 「あなたに会って本当に助かりました。足もヘトヘトで、実はもう何日も満足に食事をしていないのです。」

 青年は自分の身の上を話し、窮状であることを打ち明けた。

D氏は青年がかわいそうになり、他人に奉仕する生き方をしようと決めてから出会ったこの青年を不思議に思った。自分の決意が本物かどうか、神に試されているように感じたのである。
 D氏は青年を家につれて帰り食事をさせたうえに、就職の面倒までみてやった。

青年は町の航空機製造会社に勤めるようになったが、なかなか優秀で製造工程の改良に力を発揮し、やがて工場の幹部にまで昇進した。
 青年はあるときD氏を工場に招いた。彼はD氏の手を握りながら、

 「あなたのおかげでここまでくることが出来ました。なにかお礼をと思っていたのですが、あたにはこれが一番いいと思いまして、工場の幹部たちに保険に入ってくれるよう頼んでおきました。
これからその人たちをご紹介しますから、契約書にサインをしてもらってください。」

 と言って何人かの保険契約者を紹介した。
D氏は、他人に奉仕する生き方を実行して通りすがりの見知らぬ青年を助け、そのおかげで今まで取ったこともない大口の保険契約を、まとめて取ることが出来た。

 その後もツキに恵まれて、やがてD氏は保険セールスマンの憧れの的であるミリオンダラークラブのメンバーになり、後に全米保険協会の会長にまでなったのである。

     
   
  


人間は何をしに来て、どこえ行くのか 十三

2008年06月19日 | 人間は何をしに来て、どこえ行くのか

 朗読続き。

「宇宙にはおおいなる意志みたいなものがあって、
だれかがそれに気づくように、メッセージを送り続けている。
みんなは、それに気づかないだけで、目で見ることはできないがたしかに何
かがある。

 「 それは無限の愛とも、すべてを慈しみ育てる大慈悲の心 」

とでもいえるものが実在していて、そのことを人々に伝えるために、私を選ん
でメッセージを送っている。
 私には人々にそれを伝える義務があるのだ。

とロスは思った。


 そのころロスは病院をやめて、自分の診療所をもつようになっていた。

アメリカ中を探しまわって故郷のスイスの風景によく似た土地をえらび、
ホスピス( 末期患者が安心して死を迎えられる施設 )をつくったのである。

 ホスピスの近くには湖があり、湖を見下ろす丘の上にあるこの施設を
ロスはづいぶん気に入っていた。
丘の登り口にはスイスの国旗を掲揚するポーチも立てた。

ロスの理想を実現したこのホスビスは、
アメリカはもとより世界各国からも、彼女を慕ってくる患者でにぎわった。

ロスは経済面の実務知識がほとんどなかったので、ホスピスをつくるのに
必要な資金を借りる方法を知らなかった。
そこでホスピスの土地、建物の名義を夫にして、夫の名義で銀行の融資
を受けたのである。

 その後離婚した夫は、なにかの事業に失敗し多額の債務を負った。
そのあげく夫名義だったホスピスも借金のカタに取り上げられ、競売され
ることになった。
 やがてロスはホスピスから立ち退くよう要求されたのである。


長年の夢を実現し事業も順調であっただけに、ロスの失望は大きかった。
 死後の世界の研究などという、
ありもしないことを研究している気狂いじみた医者、という世間の評判も
つらかった。夫との離別ももとをただせば、そのへんにあったように思えた
のだ。

つづく   


人間賛歌 「新・仏教教室」 十一

2008年06月17日 | 新・仏教教室
ジッチャン、

「寸分の狂いもなく運行しているのは、天体ばかりではありません。
植物は動物の出す炭酸ガスを取って、サンソを供給し、動物はサンソの
お礼に炭酸ガスを出して植物にお返しをしています。

もしこれらが有料だったらタイヘンですよ。
太陽から光熱費の請求書がきたり、地球が人間に運賃をよこせ。
 と言ったら、人間はたまったものではありません。

植物が出すサンソも無料だし、水なしでは生きていけない人間に自然は
雨を降らせてうるわせます。
 ぜんぶ無料で、だれかれの差別なく与えられますので、大慈悲の行為
なのです。

 地上だけではありません。

海底三、四千メートルのところに火山坑があり、熱水と硫化水素を噴出し
ています。
 海水が温まるので生きものたちが集まってきますが、
猛毒の硫化水素があるので近寄ることが出来ません。

そこで最近分かったことですが、チューブワームという生きものがいて、
二硫化水素を食ってサンソを出しているのです。
 おかげで火山坑近くの海底には、エビやカニ、魚などが喜んでくらして
います。

まえに、

「宇宙はあまりにも人間に都合よく出来ているので、ひょっとして、宇宙は
人間のためにあるのではないか。」

という宇宙人間主義をとなえる科学者がいることを話ましたが、
一事が万事、宇宙全体が人間が生きるのにとても旨くできているのです。

 万物が平等で、安穏で、幸せであるように。
という大慈悲の心がなければ、地球や天体は一刻たりとも存在することは
出来ないようです。
地球は秒速二十数キロの猛スピードで移動していますが、
 この動きがただの一秒でも止まると、私たちは存在できないかもしれま
せん。

アインシュタインが、

「私はいわゆる神と呼ばれるものの存在は信じないが、
 宇宙をそうあらしめている精神的実在の存在については信じる。
そのことについて思いをはせるたびに、敬虔さにうたれて頭が下がる思い
がするのだ。

人類はこの存在に気づかなければ、核戦争という集団自殺的な愚行を
犯しかねないだろう。
 これを防ぐには東洋に興った大乗仏教( 法華経 )の思想に学ばなけれ
ばならないだろう。」 と言い残している。

つづく    


人間賛歌 「新・仏教教室」 十

2008年06月15日 | 新・仏教教室

ジッチャン、

「前回はアキバで通り魔事件が起き、横道に入ったが本筋に戻ろう。

十界の内、仏界( 無限の智慧と力を持った命 )があることは、
もっとも信じがたく、現しがたいが、末代の凡夫( 釈迦滅後の衆生 )が生ま
れて、仏界があることを教えた法華経を信じるのは、

凡夫の生命に仏界がある証拠である。との日蓮大聖人の言葉と、

日本人で始めて法華経の信仰をした聖徳太子の例をあげて、
仏教は教義を学ぶことも大事だが,仏教の真髄である法華経を悟った人
をまねて、
正しい行いを実践することのほうが、はやく悟りに近づける。というとこまで
話したのだったね。」

山本さん、

「先生、前回はすみませんでした。私の質問から通り魔事件に脱線して
ご迷惑をかけました。すまないと思っています。」

ジッチャン、

「山本さんが謝ることではないですよ。
日本人の宗教嫌いについては、若い人の仏教教室で詳しく取り上げま
したが、これを変えるにはもっと長い時間がかかるでしょう。」

山本さん、

「そこで一つお伺いしたいのですが、仏教では釈迦を筆頭に悟りを開い
た人は、仏様として尊敬され、その方たちは慈悲の心で人々を救済する、
というように聞いています。
 その慈悲の心と仏界とはどんな関係になるのでしょうか。」

ジッチャン、

「さすがは山本さん、適格な質問ですね。慈悲の心と仏界とは同じ意味だ
と思いますよ。

大智度論( 大乗仏教の論者、竜樹著、四百五年 クマラジュウ訳 )に、
 「大慈は衆生に薬を与え< 与樂 >、
  大悲は一切衆生の苦を抜く< 抜苦 >  」とあります。

不幸になる本を絶って、幸福になる種子を植えることで、抜苦与楽といい
法華経を悟った人の心の働きです。
仏は、だれかれの差別をせず絶対平等に慈悲の心をそそぐので、
 大慈大悲の心と言うのです。」


 私たちの身の周りにも慈悲の心はあります。
たとえば、地球は地軸を中心に、自転しながら太陽を巡る軌道を公転
していますが、公転面に対して地軸はやや傾いた角度をたもっています。

このおかげで、日照時間に差ができ、日本などでは四季があり、季節の
移り変わりが楽しめます。
 この傾きが、十の四十乗分の一だけ狂うと、宇宙のバランスが崩れて、
存在できなくなるのだそうです。
 また軌道が太陽に近づき過ぎると、地球は灼熱の焦土となり、遠ざかり
過ぎると極寒の凍土になるといわれます。

この絶妙なバランスをいったいだれがたもっているのでしょう。

つづく   


 


人間は何をしに来て、どこえ行くのか 十二

2008年06月12日 | 人間は何をしに来て、どこえ行くのか

山本さん、

「先生、キュブラー・ロスは宇宙からのメッセージを受け止め、
それを理解したのですから、凄いですね。なにか特別な才能でもあった
のでしょうか。」

ジツチャン、

「ロスは三つ子の三姉妹の一番上で、言うに言われぬ苦労をしたらしいね。
医学生になりたくて、ガンコな父親と衝突して家出したり、
 医者になるまでの苦労は並たいていではなかったようだ。

人間の智慧は、不幸を通り越せば通り越すほど、深くなるといわれるから、
ロスもそうかもしれないね。
 それに後のことになるが、ロスが二万人以上の臨死体験者と面接すると
ころなんか、

体験者一人ひとりに、ことばで現せないほどのドラマがあるから、
それを吸収したロスは、フツウの人とはちがった智慧が開いていたと思うね。
 仏教の悟りの境地に近いのではないかと私は思うが。

 アメリカ中を感動させた、
自分の任務を果たして死んだ幼い子の話なんか有名だが、そのうちに出
てくると思うので、朗読のほうに戻りましょう。
 ケイタくん、続きをたのむよ。」


  朗読続き

 だれかが自分たちの画いた蝶の絵を見ることを予想し、
自分たちが伝えたいメッセージを分かってくれることを期待し、
かれらは蝶が空を飛ぶ絵をのこしておいたのだ。それは死んでいく自分
たちのためだけでなく、いつかは自分たちの後に続く人たちに。

「どんなにつらくても試練に耐えなさい。死は終わりではないのですから」

というメッセージを伝えたかったからだ。
その優しい心を蝶の絵に託したのではないだろうか。

 ここまで思い至ったとき、ロスは崇高なものにふれたような、厳粛な感動
に打たれたのである。
 ガス室の前で会ったあの美しいユダヤ人の少女も、
人間として耐えられる限界まで耐え、さらにその限界をも超えていくなか
で、宇宙からのメッセージを受け取ったのではあるまいか。

そうであれば少女が、憎しみを通りこして慈愛に至った変貌のナゾが理解
できるのだ。

ロスは長年の胸のつかえが、
いっきに取れたようで、今までにない晴れ晴れとした気分になった。

つづく   
   

 


人間賛歌 「新・仏教教室」 九

2008年06月10日 | 新・仏教教室

山本さん、

「先生、また無差別殺人が起きましたね。
自分が死にたいから、たくさんの人を殺して死刑になりたいという動機から
ですが、
これはいままでに起きた事件と共通しています。

 自らいのちを断つ人が、年に三万人以上もいたり、死刑になりたいために
なんの関係もない人を殺す。

まるで殺すことしか問題の解決法がないかのように、親がジャマになる子供
を殺し、子は親を殺す、些細なことで妻が夫を殺す・・
 いったいこの国はどうなってしまうのだろう。と心配になります。

みんな黙っていますが、大部分の人がそう感じているのではないでしょうか。」

ジッチャン、

「山本さんの言うとおり、希望を見失って、どうしてよいか分からない人たち
が、ちまたに充満しているのが、現状だと思いますね。

 ヨーロッパの著名な作家は、

「主要な先進国のなかで、宗教心をもたない民族が経済的に成功したとき、
どんな結果が起きるか歴史的実験をしている国がある。」

と言っています。
もちろん日本を名指してはいないが、日本を批判していることは明らか
ですね。
その作家の懸念
どおりのことが起きて、ますますエスカレートしているのが、
わが国の実情ではないでしょうか。

 このあいだY新聞の面接調査で、
日本人で宗教に関心をもったり、宗教が必要だと思っている人は、
全体の三割で、あとの七割は宗教に関心がなく、必要もないという人であ
った。という調査結果が新聞に出ていたね。

 ちなみにこれを他の国と比べてみると、イギリスでは七割の人が宗教の
必要性をみとめ、アメリカでは実に九割の人が、宗教は必要であると思っ
ているそうだ。

 「宗教がないのは、家に柱がなく、人に魂がないようなものだ。」
と先哲は指摘するが、生命の大事さを教える宗教がないということは、自他
ともの生命を粗末にし、人を殺したり、自殺するのが当たり前のような社会
をつくっているのだ。

一部のテレビのドラマは殺人事件ばかりで、目立つ小説は殺人と観光旅行
をあわせた殺人観光旅行小説がハンランしている。

 あれほど多くの推理小説を書いたアガサ・クリステーは、
殺人の起きた作品はただの一つも書いていないし、オオドロボーの
アルセーヌ・ルパンは絶対に人を殺さなかったことで、子供たちに人気が
あったのだ。

つづく   



 


人間は何をしに来て、どこえ行くのか 十一

2008年06月08日 | 人間は何をしに来て、どこえ行くのか
 朗読続き 雪の中に咲いたバラの花、

 夫の墓前に供えられた赤いバラの花束が意味するものは、
娘にも、もちろんまわりの人たちにもわからない。その場にいたほとんどの
人がバラの花束を見たが、季節はずれのバラの花があるな。

と思ったぐらいで、深く気にとめる人はいなかった。

人間の知らない宇宙からのメッセージは、それを求めている人にしか姿を
見せないのだ。

 ロスはこのときの経験がもとで、長年考え続けても解けなかった
アウシュビュッツ収容所のカベに書かれていた、蝶の絵の意味が分かるの
である。


 蝶のサナギ ( 注、蝶やかいこなどの昆虫で幼虫から成虫になる途中の
状態、食べ物もとらず運動もほとんどしない ) は、
サナギでいるあいだ、固い殻にかこまれて食べることも、動くこともできない
不自由なときを過ごすが、

ときがきて成虫の蝶になると、美しい羽をひろげて、おもうぞんぶん大空を
とび廻るようになる。
成虫になるまでの不自由な身から、自由自在な境涯え変身するのだ。

 サナギのあいだは、自在な身を得るための試練なのだ。
試練を乗り越えれば、あとはさえぎるもののない自由な境涯で、その喜び
はたとえようもなく大きいのだ。とロスは思った。

 そうだったのか、
冷たいコンクリートの部屋に閉じ込められていた人たちは、
 みんな死後の世界を信じていたのだ。
そうでなければ、あれだけたくさんの蝶の絵を残していく意味がない。

かれらは自由になる日がくることを信じ、その日がくるのを唯一の楽しみ
にして、つらい日々を耐えていたのだ。
発狂しても不思議ではない極限の状況のなかで、
 かれらが人間としての尊厳をたもち、従容として死に立ち向かって行っ
た秘密はそこにあったのだ。」

つづく