人間の歴史は悲惨のくり返しであったが、
ウラを返せば「利己主義」がたどった道であったといえよう。
それをいちいち書いていたら、キリがないので自然界の例を一つあげて参考にしょう。
「死海」
エルサレムの東方、イスラエルとヨルダンの国境にある死海には、
ヨルダン河をはじめ六つの河川が流れ込んでいる。
注、
ヨルダン河。キリストが洗礼を受けたところと伝えられている。
地球上にあるほかの湖には水の出口があって、河川から流れ込んだ水は、
出口から流れ出て、一定の水位をたもっているが、死海には水を流す出口がない。
そのため流れ込んだ水はたまるだけで、ほかに出すことがないのだ。
ながい年月をかけてたまった水は、水分だけ蒸発し、塩分だけ残った。
その結果、水中にしめる塩分の割合は二十五パーセントで世界一である。
このため死海は、魚やほかのいきものが住めない死の海となった。
世界中にある湖では、魚やビセイブツなど多くのいきものが生活している。
それをめがけて鳥たちがあつまり、
湖のまわりは、鳥がはこんできたタネから、
草や木が茂り、いきものたちの楽園になっている。
人間もいこいを求めて集まってくるが、死海にはそれがない。
自然界の恵みをうけるだけで、他に与えることのないこの湖は、
いきもののいない異様な世界になったのだ。
死海のように、自分が得るだけで、他に与えることを知らない、
利己主義者のまわりには人が近寄ってこなくなり、栄えるということもない。
死海の姿は、人間に利己主義にならず、
他のために役だつ利他の生きかたをするよう、教えているのだ。
続く、