叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

 すべて無料です、気軽に読んでください。

人間賛歌 「新・仏教教室」 百七

2009年11月30日 | 新・仏教教室

 炎の中、凍てつく氷の中(聖愚問答抄続き) *

山本さん、
「生命の真理を悟った聖人と、それを知らない凡人のあいだには大きな開
きがありますね。
聖人の智慧は無量で、過去、現在、未来の三世を見とおして誤りがないと
うかがいましたが、もう少し具体的に教えて頂けませんか。」

ジッチャン、
「聖人はすべての現象を起こす因果の法則を知っていますから、因を知れ
ば果が分かり、果が現れればそれを起こした因も分かります。
これは過去、現在、未来にわたって変わらない不変の法則ですから、三世
を見通せるのです。

経典には「三世を知るを聖人というなり」と記してあります。
その聖人の目で世間を見るとどう写るか、本文に戻って学んでいきましょう。

六道四生に輪廻してある時は焦熱、大焦熱の炎にむせび、
ある時は紅蓮(グレン)・大紅蓮の氷にとぢられ」
 

とあります。どちらも苦しみが極限の状態です。燃え盛る火の中とか、凍て
つく氷に閉じ込められる苦しみは想像することさえできません。
フツウの状態では起きませんが、戦争になるとそうしたことが起こります。

 注 焦熱・肌を焼きこがす熱さ。
    紅蓮・凍てつく寒さで皮膚がとれ、血肉があらわになった状態
    (真っ赤な色)


釈迦の時代も、日蓮大聖人の時代も戦乱はありました。

話が飛躍するようですが、人間が最初に起こした戦争は、食料の奪い合い
から起きた。と学者は指摘します。
相手の部族を殺して、貯蔵している食料を奪えば飢えをしのぐことが出来
るからです。戦争は人間を狂気にすると言いますが、フダンはなんでもない
人が戦争となると狂ってしまい、凶暴になることは歴史が限りなく証明して
います。

私が十二歳のころ、太平洋戦争の末期でした。
米軍機の空襲で焼夷弾が雨あられのように降り注ぎ、空が真っ赤に燃え
上がったのをこの目で見ました。炎の中にいた人たちは焦熱、大焦熱の
苦しみを受けて亡くなったのです。

 私は山一つへだてた防空壕の中にいましたので、焼かれなかったので
すが、ナゼ大人は戦争をするのだろう。。とその時疑問に思いました。
この日、私の住んでいた岡山市は壊滅し、焼死者の数は数千人に達しま
した。

以下次回     
  


人間賛歌 所感  九(信仰) 

2009年11月27日 | 所感

 法華経の智慧に学ぶ 一 *

法華経の智慧第三卷に、難と戦うことで安楽な大境涯が築ける。
という池田先生の指導があります。その中に北陸地方のある夫婦の体験
談が出てきます。

夫婦の貧乏を見かねた信心の先輩が、
 「あなた方は学会活動より経済闘争を優先してやりなさい。」 と指導して
一時期学会活動が出来ないときがあった。
というぐらいですから、並たいていの貧乏ではなかったことがうかがえます。

その内にわずかな資金で始めた食品店が軌道に乗り、いまでは大きな工
場も立て、全国三千六百軒の得意先から連日注文が入ってくるまでに大発
展したのです。
支部の拠点用に大きな家を建て、庭には五、六十台もとめられる駐車場が
あり、駐車場の真ん中には三色旗をあげるポールまである。という信心の
大実証を示すまでになったのです。

 夫妻の話によりますと、
「想像を絶する困苦の中で、ちょつとでも良いことがあったら、ご本尊様に
感謝する。。するとまた良いことがある。。
また感謝する。。感謝、感謝の連続で夢中になって働き、気がついたらこう
なっていました。
 そして、一番辛かったのは学会活動が出来なかった時でした。」
 と述懐しています。

私たちはよく信心の先輩から、
「功徳を出すには感謝の信心をすることだ。」と教えられています。
しかし一口に感謝の信心といっても、いざ実行しようとするとこれがなかな
か難しいのです。一生懸命にやっているのに功徳が出ないとか、難ばかり
でちっともよいことがない。

と、ついグチの心が出てくるのです。これは初信の人よりもあるていど信心
してきた人が陥りやすい傾向があります。

次回に続く   

  
  


人間賛歌 幸せに生きる 二

2009年11月25日 | 幸せに生きる
 幸運ラッシュ *

 ご本尊様は銀行ではありませんから、資金繰りばかり願うのは本筋では
ありません。
ただ当時の私は会社倒産の後始末と、借金返済(借金は待ったがきかな
いのです)、それに在学中の子供二人がいましたので、生活費も稼がなく
てはなりません。
これも待ったがないので、どうしても祈りが金策に向かったのも致し方なか
ったと思います。

そのようなとき、私の事務所に友人が訪ねてきました。
友人は画廊をしていたので、梅原竜三郎が描いたバラの絵が欲しかった
のです。

 私が顔が広いのでバラの絵を売ってくれる人を探して欲しい。資金は一
千万円までだせる。。と頼みに来たのです。

それから数日たったころ、
別の友人が、梅原龍三郎のバラの絵を売りたい人がいるが、だれか買っ
てくれる人はいないだろうか。七百五十万円なら売ってもよいと言っている。
と相談に来たのです。
富山市の資産家が相続税を払うために絵を何点か売りたくて、その中に
バラの絵があったのです。

 私は資金を用意してくれた友人と、急きょ羽田空港に駆けつけました。
小松空港まで空席がないか調べたところ、ちょうど二枚空席が残っていた
のです。
幸運に感謝しながら、富山市の資産家を訪ね、生まれて初めて絵の取引
に成功しました。

倒産した会社が貸し金の担保に取っていた株券が値下がりして、貸し金の
回収は到底難しいだろう、と半ば諦めていた数千万円の貸し金の回収もで
きました。あてにしていなかったので奇跡としか言いようのない出来事でし
た。

 ツキがツキを呼んでこんなこともありました。
私の知人である九州の私立大学の学長を紹介して欲しいという人が訪ね
てきました。その人の子息が飛行機に興味を持っていて、飛行機整備士の
資格が取れるこの学校に入りたい希望を持っていたのです。そしてお世話
になる経費にと言って封筒を渡して帰りました。

封筒の中には不思議なことに、そのとき私が必要だったカネが入っていま
した。後日、この人は、
「せつかくご紹介してもらいましたが、息子はアメリカの学校に入ることにな
りましたので。。」 と言って九州の学校は丁重に断わってきたのです。 

自分のほうが約束を破ったので、あの時のお金は返さなくてもよいですか
ら。と言いました。
思ってもいなかった幸運が次々に起きるのを体験しながら、事業の整理と
借金の返済をしていったのです。

つづく    

人間賛歌 幸せに生きる 一

2009年11月21日 | 幸せに生きる
 はじめに
 私にとって幸せに生きることは、信仰に生きることと同義語ですが、信仰
していない読者には理解しにくい面もあると思います。
そこで誤解を招かないように「信仰に生きる」を「幸せに生きる」にかえて続
けていきますのでご了解くださいますようお願いします。
 
内容は今までと同じで私が三十二年間の信仰生活で経験したことと、
 十数年間も信仰に反対した結果、経験したことを中心に書いていきます。

  *

 私か創価学会に入って法華経の信仰を始めてから、半年ぐらいたった時
のことです。
仲のよかった友人が、ある経済事件に巻き込まれて警察に捕まり、拘置所
に入っていました。裁判の結果次第で、なん年か刑務所に入らなければな
らない状況になっていました。

友人は刑務所に入る覚悟はしていましたが、
一度、保釈で出所し、娑婆を留守にする準備をしたいと望んでいました。
だが保釈金の用意が出来なくて困っていたのです。保釈金は一千万円で
した.。
私もなんとかしてあげたいと思い手を尽くしましたが、私の会社が倒産した
直後だったので、金策を相談できる人も少なく、万事窮すの状態になりまし
た。

このとき学会の座談会で、「この御本尊に願えば必ず叶う」と言った中心者
の言葉を思い出したのです。万策尽きていましたので半信半疑ではありま
したが、中心者の言葉を信じて初めて一時間の唱題をしました。
願ったのは、友達を助けるために一千万のカネがいります。必ず返します
からどうか力をかしてください。 
 と祈ったのです。 

夏の盛りの暑い日でした。
汗まみれになって目標の題目を唱えおわったとき、突然電話がかかってき
ました。二三日前に金策を頼んで断られていた人からで、
「この前は断わったが、半分の五百万円なら都合してあげる。」と言ってき
たのです。

あのとき中心者の言っていたとおりだ。
この御本尊は凄い、願えば本当に叶う。と私は確信し、残りも唱題しては
勇気をだして交渉した結果、期日までに必要なカネを準備することが出来
ました。

当時の自分の立場ではとうてい不可能と思われたことが実現したのです。
このことで信仰に確信を持ったことが、私の人生を幸せの方向に導いてく
れました。

 つづく   

人間賛歌 所感 八

2009年11月19日 | 所感

 信仰の醍醐味・大逆転劇 *

 ここに書くことは、信仰していない人は分りにくいと思いますが、なにかの
参考になりますのでガマンして読んでください。

私も含めて信仰している人え。
せっかく信仰していても、イザというときや、肝心なときに御本尊様に題目
をあげられない人がたまにいます。
このような人は心の中で、こんなことは祈ってもムダだろう。
いままでも祈ったことで叶ったことがない。 と心に不信感を抱いているの
です。

信仰歴が長くても、形式的な信仰になっている人がはまりやすい落とし穴
です。これでは願いは叶いません。
願いを叶えるには自分の心の中にある不信、疑念をなくさなければなりま
せん。
それにはやはり題目しかないのです。
自分の仏界を覆い隠している無明が、不信を起こす元凶ですから、この一
凶を断ち切る攻めの題目が必要になります。

厚い壁を突き破って己心の仏界に直接届く、決意の題目をあげないと壁は
破れません。
元品の無明を退治するは信の利剣なりと、
大聖人は仰せです。また、叶い叶わぬは信心の厚薄によるので、日蓮の
過ではありません。 とのお言葉もあります。自分の信力が仏力となって現
れますので、自分次第なのです。


法華経の信仰の醍醐味は、途中がどんなに悪くても最後の大逆転劇によ
って、変毒為薬できることにある、と言われます。
自分の過去世のほうぼう(法華経に背くこと)により、生命にしみこんだ罪業
を消滅するには時間がかかります。諦めずに信仰を貫けば、一生のうちに
大逆転によって信仰の素晴らしさを実感し、社会に実証を示す境涯に必ず
なれます。

学会員ならだれでも知っている雪村いずみ姉妹の体験を聞きましたが、
 もう ダメだ ! というようなとき必ず大逆転劇があって、見事に切り抜けて
きました。何回も経験しましたがこれが信仰の醍醐味だと思います。
 と、姉妹で語っていました。

   





   


人間賛歌 「新・仏教教室」 百六

2009年11月17日 | 新・仏教教室

 生命の秘密を明かす 続き

 質問、
生命の三諦(サンタイ)についてくわしく教えてください。

 答え、
三諦とは生命を三つの観点で明らかにすることです。空・仮(ケ)・中(中道
実相)の三諦といい、内容は次のとおりです。

 一 空、
心のことです。心は有るとも無いとも言葉で断定できないので、有無にかた
よらないように空といいます。

 二 仮、
身(からだ)のことです。からだは環境を造っている物質と同じもので出来て
いますが、これは仮に和合しているので、永遠にあるものではありません。
和合が崩れると無くなりますので仮和合といいます。

 三 中、
空・仮を伴って現れる生命本体を中道実相といいます。空にも仮にも偏ら
ない中道という意味です。空・仮・中の三つがバラバラでなく一体であるの
が生命の実相(真実)であります。

 私たちが日常生活で意識しているのは仮(からだ)と空(こころ)の一部で、
中(生命本体)を意識することはほとんどありません。

せいぜい、五官を通して得た情報で判断したり行動する第六識(意識)まで
で、潜在意識である七識や、
善悪の行為が積み重なって出来た業(カルマ)・これを八識と言いますが、
八識を通り越した生命本然の状態である九識(仏界)を、意識することはな
いのです。

南無妙法蓮華経(九識である仏界の名号)を唱えれば、
自分で意識しなくても仏界があらわれますので、これを妙とも不可思議とも
言います。頭で考えても分かりませんが実践すると自分で体得できるので
妙なのです。

生命には仏界を頂点にして十の境涯があります。境涯は生命活動の状態
の差異で、境遇もその一部です。
境涯には、六道の境涯(地獄界から天界まで)と四聖の境涯(声聞界から仏
界まで)の十種があり、境涯によって心の働き方が違いますから、世の中は
善悪ともども千差万別の姿を現します。

世の中の全ての現象は心が造り現したものですから、善い心になれば必
ず幸福になれます。善い心の最高が仏界の心です。

続く   

 

  


人間賛歌 「新・仏教教室」 百五

2009年11月14日 | 新・仏教教室

 聖愚問答抄続き 生命の秘密を明かす。  *

 生命の真理を悟った聖人は、生命が、心・身(からだ)・体(生命そのもの)
の三つで成り立っていることを知っています。

 一  
心は自分を認識したり、苦とか楽の感情を起こしますが、目で見ることも、
触ることも出来ないので、有るとも言えず、無いと言っても縁にふれて刻々
と現れては消えていくので無でもありません。これを仏教では空(クウ)と言
います。

 二
身(からだ)は目で見たり触って確認できるので、自分と他人の差異を認識
します。私たちの身は環境(地球等)を構成している物質と同じもので出来
ていますから、環境と身は別々にあるようですが、実際は一つです。

これを、依(環境) 正(生命体) 不二と言い、一体であると観察します。

 三
体(生命そのもの)は無死無終で永遠に続いています。
個個を見れば生まれたり死んだりしていますが、生命自体は滅不滅でそ
の実体は、すべてのものを慈しみ育てようとする慈悲の心です。
生命を不幸に陥しいれる苦の刃を抜き、楽という希望の力を与える大慈
悲心が実相(真実の姿)であります。

この心を仏界の命とも仏の心とも言いますが、これは仏だけでなく私たち
の生命にも具わっています。
ただこれを悟って価値創造する人を仏と言い、この心を知らない人を迷っ
ている凡人と言います。

生命が、心(空)・身(仮「カリ」と言い、環境を構成する物質が和合して出来
ている仮のもので、仮というのは和合がなくなると無になるからです)・
体(中とも中道実相とも言います。生命本体のことで必ず心・身をともない
本体のみで単独に存在することはありません)。

以上を三観といい、これを明らかにすることを三諦(サンタイ)と言います。

 質問
「生命の三観を明らかに知っている人を聖人と言い、知らない人を凡人と
いうのですか。」

 答え
「そのとおりです。万物は心が造り現したものですが、それを好ましいとか
好ましくないとか感じるのも心ですから、造るのも心であり、感じるのも心
ですから、心が一番大事なのです。
その心の肝要を究め尽くしたのが仏教で、万人にそれを分かりやすく教え
られたのが日蓮大聖人です。

 聖人の上に大をつけるのは、慈悲が広大なことと、仏教史上未曾有の
御本尊を顕されたので大聖人と尊称するのです。」

次回に続く   

 注釈
生命の三観を明らかに知り、過去、現在、未来を見通す智慧を持った人を
聖人と言います。



 


人間賛歌 信仰に生きる 四十二

2009年11月11日 | 信仰に生きる

 座談会 最終回 *

私は不眠症に悩んで精神的に強い自分をつくろうと思い、信仰する気にな
ったのですが、具体的に願いが叶うという、今まで聞いたこともない話しを
聞いて、始は半信半疑でした。

しかしその場にいた大勢の人の確信ある態度と、私のことを心から思って
くれる人たちの暖かい振舞いに、

「よし ! この人たちの仲間にならせてもらって、この信仰で苦境を開いてい
こう。」 
 と深く決意したのです。

最後に全員で題目を唱えて終わりました。
午後七時に始まった会合はキッカリ八時半に終わり、一つのムダもない見
事な会合でした。
外に出ると冷気が心地よく、空には三日月が光り輝いていました。

 *
 日名子さん、
「先生、座談会って活気があって、おもしろそうそうですね。
それに、漢字で書いた座談会と、カタカナでザダンカイと書いたのがありま
したが、ナゼですか ? 」

 私、
「老若男女に子供をふくめた同じ地域の人たちが集まって、語り合うという
のは雰囲気が良くてとても意義があります。
私も始めのうちは何か違う世界に来たみたいでしたが、なれるに従って大
好きになりました。

この場面にはありませんでしたが、座談会御書というのがありまして、月一
回の会合には必ず全員で日蓮大聖人の御書を学びました。
最初に私が驚いたのは、お年寄りや若い女性、それに小中学校の子供ま
でが、古文で書かれた御書をすらすら読んでいるのを見て、感動したことで
した。

私自身は社会経験もあり、世の中のことも相当勉強してきたつもりでいまし
たが、座談会に来るようになって自分が知らない事が多いのに驚いたほど
です。
結局私を含めて多くの人は、うわべだけのどうでもよい知識は持っていて
も、本当のこと、例えばじぶんの命の境涯(レベル)とか、心の状態について
ほとんど無知だったのです。

カタカナでザダンカイと書いたのは、
創価学会が広めている日蓮仏法は今、世界百九十二カ国まで広まってい
ます。
どこの国でも座談会をやっていますから、ザダンカイが世界共通語になっ
ているのです。外国ではザダンカイと発音して通じるのですよ。」

 日名子さん、
「インターナショナルなのですね。知らなかったわ。
どうでもいいことは知っていても、肝心のことを知らないとさっき言われまし
たが、私もそうでしたわ。 もっと知りたいと思います。」

 この稿終わり       

 お知らせ
「信仰に生きる」はこれで終わり、次回から「幸せに生きる」で続ける予定
です。

    

 


人間賛歌 信仰に生きる 四十一

2009年11月09日 | 信仰に生きる

 幸福に絶対なれる。 (座談会続き)   *

「この御本尊に願えばどんな願いでも叶う」という中心者の言葉は私の関
心を強くひきました。

 私
「ほんとうにどんな願いでも叶うのですか。私の借金も返すことが出来るで
しょうか。」

 中心者
「必ず叶います。
これはあなたを元気づけるために、気休めやへ理屈で言つているのでは
ありません。そのための信仰なのです。
あなたがマジメに信心に励んでいけば、あなたが願うこと、いや願った以
上の結果がキット出てきます。

ここにいる皆さんは、みんなそれを体験されています。ですからみんな喜
んで信心をしているのです。

 みなさん、どうですか !
中心者は顔をあげて会場の人たちに問いかけました。」

 ゼツタイですよ、 必ず叶います !
参加者の力強い声が返ってきました。声を出さなかった人も私の目を真っ
すぐ見て、「間違いないですよ。」と瞳で語っていました。それは微塵も疑
いのない確信に満ちた表情でした。

中心者は話を続けました。

「東京の銀座七丁目にGというフグ料理店があります。今も繁盛していま
す。その店の主人も戸田先生にすすめられて御本尊を頂き題目をとなえ
ています。
主人は店に来る客や、知人で悩みを持った人がいると必ず信仰をすすめ
ました。この信心をするとどんな願いでも必ず叶い、絶対に幸せになれる
から・・・

難しい理屈や説明抜きで、絶対に幸福になれるから。
この一点だけで人々に法華経の信仰をすすめました。
私の言ったことがウソで、もしあなたが幸せになれなかったら、この店をあ
げる。というのが決まり文句でした。

店の主人は今までに七百人以上の人に法華経を教えたのですが、
だれひとりとして、ウソだったから店をくれ。と言ってきた人はいませんでし
た。

 大地を指してはずれることがあっても、たとえ太陽が西から出ようとも、
潮の満ち干がなくなるようなことがあっても、この御本尊に祈って叶はない
事はないのです。

中心者の気迫のこもった声でした。

次回に続く  

 

   


人間賛歌 所感 七

2009年11月06日 | 所感
 最近の想いを自問自答しました。 *

 質問
なぜ今法華経をすすめるのですか ?

 答え
今までのキリスト教、イスラム教、仏教などの既成宗教は、人々の精神を
奮い立たせ、新しい文化を切り開く力を失っているからです。

 質問
法華経ならそれが出来るのですか ?

 答え
地球が直面している環境問題、貧困と紛争が続く人種問題、先進国に広
まっている無気力・喪失感など、全てを解決するカギは人間自身が変わる
ことです。
大乗仏教では人間と環境は不二で一体のものと捉えます。環境に支配さ
れ従属する生き方を改めるには、人間精神の革命がないと出来ません。

これは世界中の識者が共通に認めていることで、これを人間革命と言いま
す。人間を革命するぐらいの大変革がなければ、直面している難問題の解
決は難しいと思います。人間革命をするには法華経の教えに頼るしかあり
ません。

 質問
法華経は既成宗教の仏教ではないのですか ?

 答え
法華経は仏教です。仏教には、小乗仏教(個人の救済を説いた教え)と大
乗仏教(多くの人が苦悩から開放されることを目的に説いた教え)の二つが
あります。
大乗仏教の最高が法華経ですが、これは特別な才能がないと理解し難い
し、恩恵も受けられません。
それをだれにでも分かるように教え、だれでも実践できる修行法にされた
のが日蓮大聖人です。故に人間革命するには日蓮大聖人の仏法によらな
ければならないのです。

非力な私がブログで訴えているのも、日蓮仏法を皆さんに知っていただき
たいためで、それ以外のものはありません。

 以上