叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

 すべて無料です、気軽に読んでください。

「目覚める人・日蓮の弟子たち」 八

2010年01月27日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 八 

「一月に続き九月になって再度蒙古の使者が来ましたので、幕府はそ
れの対応に追われ、それどころではないのが実情のようです。
書状については見て見ぬふりをされるわけですから、お咎めもなく表
立っての沙汰もないように思われます」

「そうか、まあそれはそうだろう。
 当面お咎めがなければ、ひとまずは安心というものだ」

小源太はホッとした様子で姿勢を楽にし座り直した。

「ところで大学どの、亡くなった時頼殿に上人がお出しになった立正
安国論の写しがわしの手元にあるのだ。
こんど蒙古から国書がきたので改めて読み直してみたのだ」

「はい、私も安国論は読みました。上人の警告を無視して幕府がこれ
を用いなければ、内乱が起きたり外国から侵略されるという、さらに
大きな災いがこの国を襲う。と警告されていますが」

「その通りだ、国に災難が起こる原因について教典をひかれて詳しく
述べられている。

人々が釈迦が説いた正しい教えに背き、釈迦以外の人師が説いた間違
った宗教が国で盛んになると、人々の思想が乱れその結果大地震や旱
ばつ、疫病などの災害が起こるとの仰せだ。

わが家は曽祖父の義時公以来法華経の信仰をしていて、わしも法華経
の教えを学んでいるが、地震や旱ばつのような災害が起きる原因が間
違った宗教にあるという上人の説に今ひとつ納得できないものがあっ
た。

だがその後の推移をみると、上人の言われる通りになっているのだ。
そなたは儒学はもとより仏教についても博識で当代第一の学者といわ
れている。
そこで聞きたいのだが、そなたはそのことについてどう思われるかの
う」

「はい、私も実は驚いているのです。
災害が起きる原因が誤った宗教にあるとは腑におちないと思っていま
したが、上人の仰せの通りになるものですから、改めて考え直してい
るところです」

と三郎は応えた。小源太はさらに、  続く


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 七

2010年01月25日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 七

「三郎どの、夜分雑作をかけてすまなかった。
実は今日上人から手紙を頂いたのだが、そのことが気になって急に参
ったのじゃ。
手紙によると執権どのや平の頼綱にも書状を出されたと書いてあるの
で、幕府の反応をそなたに聞けば分かると思ったのだ。
なにか変わったことはなかったかのう」

三郎はやはりそのことだったかと内心うなずきながら、

「実は私がお伺いしようと思っていましたのも、その書状のことでご
ざいます。
御前のところにも届けられましたか、今日のことですが政所の宿屋光
則どのに呼ばれて、書状のことについて聞きました。
今年の正月十八日に蒙古国から国書が来たのは、かねて自分が外国か
らの侵略があると警告していたとおりである。
このうえは、急いで自分を召しだし、蒙古撃退の策と仏法の正邪につ
いて正すように評議されたい。
という趣旨の書状を執権どのに出されたとのことです」

政所とは幕府の政務機関で、幕府の財政や鎌倉の施政をつかさどって
いた。
宿屋光則は代々の執権に仕えた政所の重臣である。

「そうか、それで時宗どのはいかがなされるのかのう」

「はい、時が時だけに騒ぎが大きくなって世間がさらに動揺しないよ
う、どうも黙殺されるようです」

「やはりのう、わしもそうではないかと思ったのだが、前のこともあ
るのでまた暴徒が襲って上人に危害を加えたりしないかと、それが心
配だったのだ」  続く


人間賛歌 幸せに生きる 九

2010年01月24日 | 幸せに生きる

 不可思議な法 *

日名子さん、
「ペルー大地震で助かったミスGさんは、凄い経験をされたのですねえ。
先生、生命の因果律でいいますと、ミスGさんはどんな善い行いをして、そ
んな奇跡を起こしたのですか? 」

私、
「初期の仏教では、善い行いをすれば善い果報を得るという善因善果の法
を教えていますが。。
この場合ミスGは特別に善い行いをしたとは言えませんね。

病気の姉と幼い子供を放っておけない気持ちは、ミスGでなくてもダレでも
持っていますし、弱いものを護る行いとなって現れるものです。
ミスGが他の人と違うことをしたのは、ご本尊様に題目をあげたことです。

 南無妙法蓮華経と唱えることは、善の中でも最高の善でありますから常
識では考えられないことが起きても不思議ではないのです。」

日名子さん、
「題目を唱えることが最高の善になるとは、どういう意味ですか。。
私にはよく分かりませんが・・・」

私、
「その意味を今ここで日名子さんに説明してもお分かりにならないと思いま
す。それに簡単に説明できるものでもないのです。。
日名子さんに限らずほとんどの人が、自分の命の中に偉大なものがあっ
て、それを南無妙法蓮華経というのですよ。。。
と私が言っても、 ああ、そうですか。。とすぐには納得できないでしょう。

でも、一人の人間の生命は地球より重いとか、人間は無限の可能性を秘
めた存在だ。。
と言いますとリクツで納得できるはずですね。
世間一般に普及して、みんなよく知っている言葉ですから・・・

人間が偉大なのは南無妙法蓮華経という仏の命を秘めているからだ。。
と理由を言っても素直に受け止める人は少ないのです。。
 たぶん日名子さんもそうだと思いますよ。。。」

日名子さん、
「先生から言われなくても、たしかに私は素直に納得できるタイプではあり
ませんが、
みなさんは簡単に納得されるのでしょうか。。。 ? 」

つづく     


  


人間賛歌「新・仏教教室」百十四

2010年01月22日 | 新・仏教教室
 法華初心成仏抄 解説 *
 
 (初心者でも幸せになれる法華経の教え)
 日蓮大聖人が御在世の当時(鎌倉時代の初期)、仏教には八宗、十宗と
もいわれる宗派がありまして、
各々の宗が、我が宗が釈迦の教えを正しく伝える正統な宗である。と言い
合っていました。。

主だった宗派を挙げてみますと、
天台宗、真言宗、念仏宗、禅宗、華厳宗、律宗などで、天台宗を除いては、
釈迦が法華経に導くために人々を誘引する目的で説いた仮の教えであり
ます。

これを権経(ゴンキョウ・仮の教え)とも爾前経(ニゼンキョウ・法華経を説く
前の教え)ともいいますが、仮の教えをいくら修行しても成仏という最高の
境涯になることは出来ません。。。
 みなさんの中にもいらっしゃると思いますが・・・

 ナムアミダブツとか、ナムダイシヘンジョウコンゴウとか、
 ナムシャカムニブツと。。
いくら唱えても、みんな権経の題目ですから成仏することは出来ないので
す。

 成仏といいますのは、これからも度々出て来る言葉で。。。
自分の命(心)に具わっている仏界を現すことを言います。
前にも言いましたが、成仏とは仏になるという意味ではなく、仏界を開くと
いう意味で、元々自分に具わっているものを取り出すという意味でありま
す。
自分の心の中にあるものですから、他人はもちろん親兄弟や恋人であって
も自分に代わって開くことはできません。自分が仏に変わる以外にないの
です。

 経文に、自我得仏来(ジガトクブツライ)というのがあります。。
これを普通に読みますと我(釈迦)仏を得て以来と読みますが、日蓮大聖人
は、我仏来(ガブツライ・仏の性分のこと)は自得なり。。。と読まれて。。
仏の性分は自分で得るのだ。と読むのであると教えておられます。

 仏界とか仏の命と言いますのは、「偉大なるもの・・」というしか形容でき
ないほど偉大なものです。。
その偉大さを教えているのが法華経二十八品で、仏の命を褒め称える言
葉で満ちているのです。。

その偉大なるものを得るための修行法は、権経や涅槃経ではなく法華経
を修行するしかない。と教えているのが本文の意であります。

 つづく  


  

「目覚める人・日蓮の弟子たち」 六

2010年01月20日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 六

しばらく行くと松林が途切れて柔らかい砂地になったのか、軽快な音
をたてていた馬の足音が、ザク、ザクッと砂を踏みしめる音に変わっ
た。

 「弥太郎、駆けるぞ」

 小源太は振り向いて弥太郎に声をかけると馬に鞭をあてた。
砂を跳ね上げて疾走する馬の足音も、打ち寄せる波の音に消されて砂
浜には二頭の馬の足跡だけが星空の下に残った。

主従が東小路にある大学三郎の屋敷についたのは、館を出てから小半
時ぐらい経ったころだった。
馬を弥太郎に渡して小源太が案内をこうと、玄関に現れた三郎の妻女
は、小源太を見て驚いた顔で、

「まあ御前さま、こんな時間になにか急用でもございましたか。
 お使いでも下さればこちらからお伺いしましたものを」

と言って玄関の上がりがまちに座ったまま、ふか深と頭を下げた。
小源太は両手で衣服についた砂を払いながら、

「いやご妻女、急なことで夜分驚かせてすまない、大学どのはご在宅
か、」

「はい、先ほど幕府から戻ったところでございます。
 すぐ呼んで参りますのでどうぞこちらにお通りください」

 妻女に案内された書院で小源太が待っていると、すぐこの家の主、
大学三郎があらわれた。

「これは御前、わざわざご足労下さいまして恐縮です。
実は私のほうから明日にでもお館にお伺いしようと思っていたところ
です」  

三郎は丁寧に一礼すると床を背にして座った小源太の前に、ゆっくり
と進んだ。  続く  
 


人間賛歌「新・仏教教室」百十三

2010年01月19日 | 新・仏教教室
 初めて法華経を聞く人に *

ジッチャン、
「去年は聖愚問答抄の一節を研鑽しましたが、ちょつと難しいので、初めて
の人には向かないと感じました。

そこで今年は創価学会創立八十周年の記念すべき年でもありますし、当ブ
ログがスタートして五年目の節を迎えます。
初心に帰る意味と、初めて法華経を聞く人のために、ナゼ法華経が仏界を
開く直道であるのか、日蓮大聖人の教えから学んでいきたいと思います。

 今回勉強する「法華初心成仏抄」は日蓮大聖人が五十六歳のとき、身延
で著された御抄で、
駿河国岡宮(静岡県沼津市)に住んでいた妙心尼に与えられた書とされて
います。

題名のように、初めて法華経の教えを実践する人が成仏(ジョウブツと読
む。成は開く意味で己心に具わっている仏界を現すこと)するには、法華経
によらなければならないので、この名前がつけられたと考えられます。

 それでは本文に入ります。。
ケイタくん、本文を読んでくれないかね。。。

ケイタくん、
「はい、読ませていただきます。。」

 法華初心成仏抄

「問うていわく八宗、九宗、十宗の中にいずれか釈迦仏の立て給える宗な
るや。
答えていわく法華経は釈迦所立の宗なり。
 その故は己説(イセツ)・今説(コンセツ)・当説(トウセツ)の中には法華経第
一なりと説き給う。これは釈迦仏の立て給う処のおことばなり。
故に法華経をば仏立宗といい又は法華宗という又天台宗ともいうなり。」

 現代語にしますと、

 質問します。
八宗、九宗、十宗のなかで、どの宗が釈尊の立てられた宗ですか。
 答えます。
法華宗が釈尊の立てられた宗です。そのワケは法華経法師品第十に、己
説・今説・当説の中では法華経が第一であると説かれていますが、これは
釈尊自身の言葉であります。
故に法華経を根本とする宗を仏立宗といい、又法華宗とも天台宗ともいう
のです。

 注
 己説 今までに説いた教え、法華経を説く前の教え。
 今説 今説いている教え、法華経の開経である無量義経のこと。
 当説 これから説く教え、法華経を説いた後の教えで涅槃経を指す。

解説は次回です。   

 

「目覚める人・日蓮の弟子たち」 五

2010年01月18日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 五 

上人の説法を聞いて考えを改め、今までの宗派を捨てて法華経に帰依
する人々が鎌倉を中心に増えていった。
間違った教えが不幸のもとであると指摘された他宗の僧たちは、慌て
ていた。

『公の場で討論し、宗教の正邪を決しよう。』

と呼びかける上人を、討論をしても自分たちに勝ち目がないことを知
っていた僧たちは、あるゆる手段を使って妨害した。
自宗の信徒をそそのかして上人を襲ったり、幕府の権力者に取り入っ
てざん言し流罪にする等の迫害を加えていたのだ。
極上寺良恵と、北条家の管領で鎌倉の治世を掌握していた平頼綱がそ
の中心人物であった。

 この日、小源太が受け取った上人からの手紙は、かねてより警告し
ていた通り外国からの侵略が始まろうとしている。
一刻も早く幕府の命令で、他宗の者と公論できるよう取りはかられた
い。という趣旨の書状を、幕府の高官や他宗のおもな寺院に出した、
という知らせの手紙だったのだ。

・・この書状を読んだ他宗の僧がまた前のような迫害をおこさねばよ
いが・

と小源太は案じていた。自分と同じように上人に好意を持っている学
問所の学頭大学三郎にあって事情を聞けば様子が分かると思ったので
ある。

 小源太が渡り廊下を通って裏口に出ると弥太郎が馬を引いて待って
いた。彼は身体の不自由さを感じさせない身軽さで馬にまたがった。

松林の中の小道を通って裏門に着くと、警固の侍が門をあけて待って
いた。軽く会釈をし、警固の労をねぎらうと門を出てすぐ右に曲がり
由比ガ浜に向かって馬を進めた。
一馬身ほど離れて弥太郎がピタリとついて来る。 続く


人間賛歌 幸せに生きる 八

2010年01月16日 | 幸せに生きる

 ペルー大地震 *

 千九百七十四年に起きたペルー大地震のとき、ミスGは震源地に近い姉
の家にいました。
病気の姉の看病と、幼い姉の子供たちの面倒をみるためでした。

 その日、火山の大爆発で、真っ赤に焼けた溶岩が洪水のように襲ってき
て、家畜も、家も、人も、みんなその中に飲み込んでいきました。

 死者、行方不明者数万人と発表された大災害で、溶岩は一切のものを跡
形もなく埋め尽くしたのです。。

ミスGはその恐怖の渦中にいました。
不気味な地鳴りと、命の縮むような火山の爆発する音を聞きながら、病気
で身動きの出来ない姉と、幼い子供たちと一緒でした。

 自分ひとりなら、助からないまでも恐ろしくて逃げ出していたのですが、
姉やその子供を見捨てて逃げることは出来なかったのです。
彼女は日本に留学していたとき、友人に勧められて創価学会に入り法華
経の信仰をしていました。

「ここで死ぬ運命なら、ご本尊様に心ゆくまで題目を唱えて死のう。。」

 と決めたのです。

 姉の部屋に御本尊を移して朝まで題目を唱えぬきました。。。
やがて恐怖の一夜は明けました。
 静かになっていた戸外えおそるおそる出てみて、ミスGはそこに信じられ
ないものを見たのです。

姉の家の前まで流れて来た溶岩はそこで止まり、流れを変えて、姉の家族
と自分のいた家だけ残して、すべて埋め尽くしていました。
この家だけ周囲を固まった厚い溶岩の壁で護られていたのです。。

 彼女も、姉も、子供たちも、奇跡的に助かりました。。。

ミスGは自分のただならぬ使命を感じたのです。
彼女は学業を途中で止めていましたが、自分の使命を果たし、祖国の役に
立つ人材になろうと決意し、大学に進んでいきました。。。

つづく     

   


人間賛歌 幸せに生きる 七

2010年01月14日 | 幸せに生きる
 人の不幸の上に自分の幸せを築くな。 *
 
日名子さん、
「先生、あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。」

私、
「日名子さん、おめでとうございます。こちらこそ今年も宜しくお願いします。
ナゼか今日は日名子さん和服ですが、よくお似合いですね。。
決まってますよ。相手が私では申し訳ない気がしますがねぇ・・・」

日名子さん、
「まあ、先生ったら、正月からご冗談ばかり・・・
ところで暮れに聞きました二人の弁護士の話、とても考えさせられました。
人生のことって五年や十年の短い期間では分からないものですねえ。

それに生命の因果律というのに興味をひかれて、今年は勉強のテーマの
一つにしたいと思っています。」

私、
「生命の因果律に興味をもたれたことは非常にいいことですよ。
  私も知っているかぎり応援しますから、ぜひ研鑽してください。。。
私の師匠は、
 「他人の不幸の上に、自分の幸せを築いてはいけない」
と常々教えています。
生命の因果の法則では、他人を不幸にしたことが因になって、自分に不幸
な果が廻ってきますから、因果律は大事なのです。一緒に勉強していきま
しょう。

ところで日名子さんは、日本霊異記という本があるのを知っていますか?

日名子さん、
「日本霊異記ですかぁ・・
 聞いたことがありませんが、どんな内容の本ですか。。」

私、
「第三十代欽明天皇十五年に、百済の国から仏教が渡って来て、それ以
来仏教が盛んになり、一般庶民のあいだでも広く信仰されるようになりまし
た。
仏教を信仰した人が、信仰で利益を得た話がたくさん伝わっていますが、
それをまとめたものが日本霊異記です。
百以上の話が記録されており、仏教普及におおいに役立ったそうです。。

 それで現代版霊異記ともいえる信仰の体験談をここで取り上げていきた
いと思うのです。
幸せに生きることに信仰がどんな関わり合いをもっているか、分かると思う
のですが、日名子さんのご意見はどうでしょうか。」

日名子さん、
「仏教で説く生命の因果律を勉強したいので、ぜひお願いします。」

つづく   


  

「目覚める人・日蓮の弟子たち」 四

2010年01月13日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 四

 小源太がまだ幕府の要職にあった頃、日蓮と名乗る僧が北条時頼に
差し出した書状があった。『立正安国論』というその書状は、正義が
すたれ邪義が広まると、国に災いが起こると警告し、正嘉から近年に
至るまでの相次ぐ災害の起こる原因と、それを防ぐ方法について献策
した諫言書であった。

 小源太が強く惹かれたのはその内容よりも、むしろ一介の僧にすぎ
ない日蓮が、時の最高権力者である時頼の誤りを指摘し、

『自分の忠告に従わなければ更に大きな災いが起きるだろう、外国か
らは侵略され、幕府内に同士討ち(クーデター)が起きるであろう』

と堂々と主張していた事である。

 権力を恐れず自分の命も惜しまない態度に、彼は強く心を惹かれた
のである。幾度も刃の下をくぐって死の恐ろしさを充分に知っている
彼は、名も無い一介の僧が死を賭けてまで、

『不幸に苦しむ民衆を救うため、この国の行く末を憂いて申し上げて
いるのであって断じて自分のために申すのではない。』

と言い切っている態度に畏敬の念すら覚えた。

いったいどういうお方で、その信念と勇気はどこからくるのだろう。
是非、自分の目で確かめてみたい。と心中深く思っていたのである。
そのためにも、幕府の要職にいないほうが万事都合がよいと考えてい
たのだ。    

 その頃、日蓮上人は名越坂に近い松葉ヶ谷に草庵をたてて、法華経
の弘教に尽力していた。仏教の真髄は法華経にあり、それ以外の教え
は釈迦が人々を法華経に導くために説いた仮の教えである。
仮の教えを用いて真実の教えに背くことが、一切の不幸の根源である
と説いていた
その根拠として日本に渡っているすべての経典をもとに、天台大師、
伝教大師の解釈や論文を用いて理路整然と説いたのである。

続く