かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

受験生の春ももうすぐ

2011年03月10日 | Weblog
県立高校一次入学試験も明日が合格発表日となっています。受験生や保護者にとっては、受験が終わってから発表までの時間は、きっと長いものに感じていることでしょう



 いよいよ明日が、県立高校の一次入試の合格発表です。合格する生徒もいる一方、残念ながら志望校を変更しなければならない生徒も出る可能性があります。



 「先生、発表があるまで落ち着かないよ。」
とスーパーで会った生徒。



 部活などでチームとして緊張感のある体験をしたことはあると思いますが、単独で頑張ってきて結果を求めていくこのような経験は、初めてだと思います。



 家の方も落ち着かない方もいるようです。夕方、職員室にいると、電話がかかってきました。


「子どもが、自己採点をすると、点が伸びていなく、落ちた・・・と言っています。その時は、どうしたらいいですか。」というような内容でした。心配しすぎかなあ。





「自己採点だけではわからないので、明日、結果が出たら、子どもさんを交えて担任の先生とよく相談をして下さいね。どーんとかまえて、不安な生徒を支えてね。」
と返答をしました。




 こういった緊張感のある時間、乗り切っていくことも、これから生きていく中で大切な部分です。



 今回の受験で、印象的だったのは、面接を新たに取り入れた高校があったことです。これに向けて面接の練習をいろんな先生と放課後取り組んできました。



 ある意味、生徒たちにとっては、この練習は礼儀やマナーを身につけるのに貴重な経験だったと思います。




 入室するときは、「失礼します。」

 ドアは両手をそえて閉めて・・・

 「○○と申します。本日は、よろしくお願いします。」今の子どもたちが「申します。」というような言葉を使うことはないですよね。

 「お父さんが言っていました。」違う違う。「人に言うときは、父と言うんだよ。」

 「えーっと、わたしは、三光中学校出身です。」えーっとというなら、「はい。」と言いなさい。「はい、わたしは、三光中学校出身です。」



 受験前には、全員が自信をもって面接を受けることができるくらい、対応できるようになっていました。受験勉強すると同じくらい、これから社会に生きていく中で、大切な部分を面接の練習の中で学んだと思います。



 一次入試のあとは、二次入試があります。結果から、進路変更をする生徒も出てきますが、みんなの春もそこまで来ています。


これからも明るく輝いて

2011年03月09日 | Weblog
幸せってなんだろう・・・。ふとそう思うときがあります。今晩かかってきた電話。切ったあとからいろんな思いを感じ、心からの祈りを送りました


 晩ごはんを食べて、ちょっとゆっくりしていると、教えた生徒のお母さんから電話。


 

 最近お会いしていなかったので、近況をお互いに報告。そして、「先生・・・。」
というなんとなくあまりいい話ではなさそうな口ぶり。



「先生、子どもと同じクラスだった○○さんが入院をしているんですよ。会いに行ってあげてください。」
 それって、何だ?
 それって・・・。


さらに話は続きました。



 きっと苦しい思いをしていることでしょう。でも、がんばって病気と闘っているのです。負けて欲しくはないし、負けるはずもありません。そのエネルギーを持っている生徒です。きっと立ち直ってくれます。教えたころの笑顔いっぱいのいろんな思い出が脳裏を駆け巡りました。



 教えた生徒たちの結婚式には、たくさん出させてもらっています。幸せになっていく瞬間に立ち会うことができたとき、うれしく感じます。



 しかし、教えた生徒たちがこの大地から離れていくことに対して、自分と順番が違ってはいけません。一日も一日も早い回復を祈っています。


 

 幸せって?それは生があることだと思います。時には大きな壁にぶつかることもあるでしょう。でもそれは、すべて生きている証。素敵なこともいっぱいいっぱい待っています。人の縁を人を大事にしながら、今ある瞬間(とき)を大切にしていきたいですね。



 まだまだあなたは、これからの人生。今は長い人生の一区切りでちょっと休憩です。突っ走って来た体を今はゆっくり休ませて下さい。


 

 でも休憩が終わったら、またあなたらしく明るい輝きでしっかりとあなたの道を歩んでいってくださいね。

古いものを思い切って・・・

2011年03月08日 | Weblog
一つひとつのものにいろんな思い出が詰まっています。父や母が使っていたもの・・・幼い頃からあるもの・・・捨てていくのは、ちょっと寂しいけれど、新しい時代を創ると言い聞かせて。


勤務が終わって家に帰ると、ちょっとの間、倉庫などの片付けをしています。


 今日の朝も連れ合いが早くからしていました。でも一つひとつのものにいろんな思い出が詰まっています。連れ合いが、使うこともないものを別のところに移動させていました。



「そんな大きな物をとっていたら、置くところがなくなるよ。」


と諸注意?!


 連れ合いにとっても思い出のある品。
「写真を撮っておいたらいいよ。」
と言ったものの、後ろ髪がひかれるような気持ちだったのでしょう。帰ってから写真に残しておこうということになりました。


 思い出のあるものを捨てることに、気持ちの整理も入ります。でも「思い切らないと」という部分があります。


 昨日、親戚の方が、倉庫の整理をきれいにしてくれました。帰ったらあまりにもきれいになっていたのでびっくりしました。材質の種別に分けてくれていました。またこちらが、あとからいろんな不要品を持ち込んでしまったけれど・・・。



 父は、建材店の他にも水道工事やガラス、ちょっとした工事などをしていたので、いろんな機材がありました。父が使っていたのを懐かしく思い出します。父もその親戚の方なら喜ぶだろうと思い、持って帰ってもらいました。



 仕事、帰ってからの片付け・・・そんなこんなで一日が終わるとどっと疲れが出ます。



 でも今日、インターネットを見ていると、家の改修をしてくれている方のブログで、リフォームの一部が紹介されていました。画像で見ていると、見えない部分の改修の様子がよくわかります。感謝しています。



 思い出のあるものが離れていくことは寂しさもありますが、また新しい時代をこれから刻んでいくと思うようにしています。

卒業式後の初めての学校風景

2011年03月07日 | Weblog
卒業式が終わり、そして、初めての学校日。朝の登校もなんとなく人数が少ないことに寂しさを感じます。2学年だけの学校生活がしばらく続きます



今日は、卒業式が終わっての初めての登校日でした。朝、校門に立っていると、3年生がいないと、なんとなく学校の坂を上ってくる生徒たちがまばらです。


 あいさつ運動に立った2年生が、
「なんとなく、寂しいね。」
という言葉。だれもがそう感じているのですね。



 3年生のいつもの顔がない登校風景でした。



 いろんなところに卒業式後の夢の跡がありました。


 3年生の教室は鍵を閉めています。窓越しから、教室をのぞくと、式が終わってから、教室での学活の様子がまだ黒板などに残っています。



 また、1年生が作ったチリ紙で作った花が黒板の周りにまだついています。粘着力が弱った花が何個か、床に落っこちています。



 にぎやかだった教室は、静まりかえっています。



 掃除時間。3年生の分まで、1、2年生が担当をします。一つの掃除区域の生徒が減ってきました。でもしっかりと在校生でカバーをしていきます。



 会場をきれいに飾ったサイネリアの花。廊下に置かれていましたが、三光地区の小学校が卒業式に使うということで、何校かの先生方が小学校からやってきて、持って行きました。華やかな廊下もまたいつもの風景に戻っていきました。



 しかし、今日、県立一次入試を受ける生徒が、「受験者登校」ということでやってきました。先生から、受験票をもらったり、受験校ごとに分かれて、集合場所や持っていくものを確認したりしました。



 卒業式というお祝い気分も、県立の受験がいよいよ迫ってきたということで、3年生の顔にも緊張感が漂っていました。
 卒業式から今度は受験へと向かいます。いよいよ明日が、県立高校一次入試となります。




 卒業式の感動を今度は進路決定という感動へと繋いでいって欲しいものです。



 卒業式が終わって、在校生は、寂しさを感じていますが、卒業生は、しっかりと進路を決めるために、明日からの二日間をがんばりぬきます。


 写真は、卒業式前夜の教室の様子です。

倉庫の昔と今

2011年03月06日 | Weblog
家も利便性がいいようにリフォームと減築をいろいろとお世話になっている方に頼んで施工します。そこで、今日は倉庫の片づけを少ししました。いろんな思い出が片付ける中でよみがえってきました


 リフォームと減築をするために、今日は倉庫や中二階の片づけを雨も降り多くはできませんでしたが、可能な限りしていきました。


 倉庫にはいろんな思い出が詰まっています。倉庫は、父と母が建材店を営んでいるときに、建てたものです。



 セメントや石灰などを入れる倉庫。ガラスを入れる倉庫。タイルや水道用品を入れる倉庫です。



 セメントを入れる倉庫は、印象は強烈です。



 小学校のころは、セメントは、一袋50キロありました。休みの日には、手伝いをしていました。(させられていた?)倉庫からセメントをトラックに積むのです。



 ぜいぜい言いながら積んでいました。一俵や二俵ならいいのですが、30俵、50俵・・・となってくると、積んだあとは、ぐったり。父も一緒に積むのですが、小学生の体力では至難の仕事でした。おかげで背筋力は人並み以上にありました。



 それから、セメントの袋も40キロと軽くなりました。今は、もっと軽くなっているとのこと。きつかった思い出が多いのですが、ある意味、今体力があるのは、それがあったからかなあって思います。




 ガラスは、学校やいろんな家庭で割れたところなどに父がはめに行っていました。自分の役目は、学校などで割れたガラスの枠のパテをとることです。


 以前、学校のガラスは、パテで止めていました。パテは、なかなか取れないんですよね。これまた、数枚の入れ替え作業になると、すごい労力でした。当時は、ドライバーをかなづちでたたいて取っていました。その役割は、子どもの自分たちでした。


 切る役は母、入れる役は父でした。ガラス倉庫の机の上にガラスを置いて、寸法どおりに、切断用具で切っていきます。「切る先についているのが、ダイヤなんだよ。」と教えてくれました。さすが、ガラスの倉庫は危険なので、あまり近寄らせないようにしていました。




 子どもが手伝いをしないと生活がやっていけなかったのかもしれません。そういった昭和の時代でした。一方、倉庫は、いろいろと隠れるところも多く、かくれんぼには持ってこいの場所でした。友だちが遊びに来たときは、かくれんぼや缶けりで楽しんでいました。




 それももう昔の話。現在は実際には、ほとんど使っていません。いろんな思い出がありますが、整理のときです。


 
 倉庫には、井戸があり、埋めるので、神主さんにお払いをしていただきました。



 昭和の役割も終わろうとしています。

卒業式

2011年03月04日 | Weblog
卒業式。これからの期待と一方では学校から生徒たちが離れていく寂しさでいろんな感情が交錯をした一日でした



朝は、少しだけ積雪。朝出勤をするときに、フロントガラスなどには、粉雪が積もっていました。



 そんな中、中学校の卒業式が行われました。天気には、恵まれたけれど、卒業式には歴史的な体育館の寒さでした。ストーブは、配置していたけれども手の先まで冷たくしびれるようなそんな寒さでした。



 でも、卒業生一人ひとりの顔を見ていると、熱いものがこみあげてくるものがありました。いろんな思い出がそれぞれにあります。



 職種的には、生徒と関わる時間は、ぐっと少なくなってきていますが、それでもいろんなところで生徒との思い出は強いものがあります。


 自分ですらこんな思いをするのですから、これが担任の先生ならもっともっとこみ上げてくるものがあるでしょう。卒業式の前夜、誰もいない教室で一生懸命に最後の話をしている先生の姿がありました。



 入場してきて生徒たちがそろった姿からもうだめでした。一緒に楽しく活動をしたこと、叱ったこと、推薦、一般入試の面接の練習、部活の活動の様子・・・思い出すことがたくさんあります。



 生徒が証書を受け取る姿をしっかりと見ました。真剣な面持ちで受け取っています。



 呼びかけと合唱。練習の時から見てきましたが、在校生も卒業生もよりよいものにしていこうとする姿がありました。最初、練習に入ったときには、式の中で歌えるのかなあと思っていましたが、一回一回の練習で前の時より、すばらしいものになっていっていました。



 式では、練習よりまた気持ちのこもった歌声を聴くことができました。指揮者、伴奏者、そして歌う生徒たちに一体感がありました。




 目に見えないところですが、午後から、学校に来れなかった生徒との卒業式が校長室でそれぞれに行われました。



 3年部の配慮で一人ひとりの卒業式に開式の言葉、校長式辞、卒業証書授与・・・とできるだけ同じように式を行いました。小さな卒業式でしたが、大きな感動がここにもありました。



 一日、頬を伝わっていくものがありました。
 


 卒業生と出会えたことをうれしく思います。寂しい気持ちでいっぱいですが、それぞれが進路をしっかり決めて、自分の夢や目標に向かって、飛躍してもらいたいと願います。
 



 卒業生のみなさん、おめでとうございます。

名残り雪とアナログ生活

2011年03月03日 | Weblog
今日は、朝と夕方に雪が舞いました。名残り雪です。そんな中、ひょんなきっかけからちょっとだけアナログ暖房を



 今日の朝と夕方、雪が舞ってきました。すぐにやんだのですが、冷たい日中でした。名残り雪が降りました。



 明日は、中学校の卒業式です。体育館が冷え込まないか心配です。卒業生が感動の卒業式になることを願っています。



 さて、先日、職員室でお茶の話になりました。炭で火をおこすことから、今度は、火鉢の話に移りました。火鉢?そうそう、幼いころは、使っていたけれど、今は、まったく使っていない火鉢が家にはあります。



 ほかの先生たちも炭がいる人がいたので、何人かで炭を買うことになりました。炭?どこにある?もと一緒に勤務した先生が、今は炭を作っているらしいということになりました。早速電話を。いい炭のほうが、あまり煙も出ないらしい。



「学校に持っていってやるから。」2時間後には、学校に炭を持ってきてくれました。あらら、話が早い。




 しかし、炭と火鉢があっても、火をおこすものや火ばしがないので、購入をしました。



 で、すべてスタンバイ。



 ガスコンロで炭の火をおこし、火鉢に移しました。



 黒い炭が赤く変化し、そこから出るほのかな暖かさ。懐かしい匂い。火鉢にひじを当てて手を火にかざしながら、テレビを見ていると、なんとなく遠い昔を思い出しました。



 あとは、五徳がまだないので、いつかそれを使いながら、お湯を沸かしたり、お餅を焼いたりできたら、またこれもおつなものかな。



 卒業式の準備や年度末の書類の山、山、山で疲れた中で、ちょっと一息をつくことができた今晩でした。



 時には、こんな生活もいいですね。


いざ、長崎へ②

2011年03月03日 | Weblog
長崎での用事の合間の食事。いろんなところに連れていってもらいました。こんなところがあるのかと楽しい時間の中でおいしくいただきました


用事の合間に食事処へも連れて行ってもらいました。有名なのは、長崎チャンポンなどですが、今回は、ふだんはなかなか行かないところにも行かせてもらいました。



 まずは、向日葵亭のトルコライス店へ。トルコライスの発祥の地は、長崎らしい。向日葵亭は一度訪れたことがあるのですが、ボリュームたっぷり。



でも向日葵亭は、長崎の街からちょっと離れているので、車で行かないと無理かな。街の中でもいろんな店があります。カロリー計算をしなくて是非、一度は食べてみて下さい。





 続いてのグルメ。一昨年の紅白歌合戦で、福山雅治さんが中継をし、紹介していた史跡料亭「花月」です。紅白でテレビ放映されてから、一度訪れてみたかったところです。


 「龍馬伝」が終わってから、福山さんたちが再び来訪したそうです。



 食事をしていると、偶然にも芸妓さんたちが三味線を弾きながら、歌っているのが聞こえてきました。江戸時代にタイムスリップしたのではないかという感覚になりました。



 こんなシーンは龍馬伝にもでてきました。江戸時代、長崎の丸山は江戸の吉原、京都の島原とともに天下の三大遊郭とうたわれ栄えた場所です。



 インターネットによると、長崎検番がこの花月の隣りにあるそうです。よく見なかったけれど。検番とは、芸者さんが待機している場所だそうです。




花月(引田屋)は、1642年に誕生しました。幕末には維新の志士たちの出入りも多く、大広間の床柱にある刀痕は坂本龍馬が残したものといわれています。紅白歌合戦の時に紹介をされていたので、しっかり見て写真にもおさめました。




 花月にある絵が「龍馬伝」のオープニングの中にもでています。



 廊下には、坂本龍馬や勝海舟の直筆の書がかけられています。この店の裏口付近で英国人水夫暗殺されたイカルス号事件で、丁度その夜花月で遊んでいた海援隊の菅野覚兵衛・佐々木栄の二名に嫌疑がかけられたために龍馬は奉行所に苦情書を提出、その下書きがあります。すごい。





 幕末や歴史が好きな人は一度は、訪れて食事をしてみて下さい。まさに料亭の中は、落ち着いたムードの中の自然な江戸時代です。



卓袱(しっぽく)料理を堪能して下さい。




 今回は、慶事で来れただけで、・・・史跡料亭、最高級料亭なので、しっかりお金を持っていかないと・・・二度は行けない。



 次回来るときは、この店の前で、写真を撮るだけかなあ。


いざ、長崎へ①

2011年03月01日 | Weblog
私用があり、先日の土日に長崎に行きました。その間をぬって、長崎のいろんな見物にも行きました。龍馬ブームも過ぎ、長崎も何となく落ち着いたムードでした。



 子どもの用事があって、土日に長崎に行きました。長崎まで、車で3時間弱で行きます。運転をしたわけでもなかったので、しっかりと景色を見て、長崎までいくことができました。



 龍馬ブームもちょっと落ち着いた感じでした。前回、長崎に行ったときは、どの観光地も人でいっぱいでした。特に、龍馬とゆかりの場所は並ぶほどでした。しかし、今回は、そこまで観光客も多くはありませんでした。ゆっくりと見学をすることができました。




 まだ行ったことがなかった亀山社中に行きました。「どんなところだろう。」と思いをはせながら、風頭公園に車を置いてすごい坂を下っていきました。


 
亀山社中までは、龍馬の銅像、龍馬のブーツの銅像?のところなどを通りました。かなり狭い路です。当時は、この道を海援隊の人たちは駆け上がっていったのでしょう。そう思えば、ロマンティック街道です。



 亀山社中は、坂本龍馬を中心に結成した貿易会社のことです。銃器の取引を開始し藩に銃器などを卸していきました。




 一昨年の夏に、長崎市が改装をして、当時の様子を復元させながら、公開しています。大ブームの時は、この付近は、大混雑だったそうです。狭い下り坂の路地を通りながら、なんとかたどり着きました。



 ちょっときれいすぎるということと家の中のものは、ほとんどが複製でイメージが違っていました。



 おっ、帰りのことを考えなかった。下りはいいものの、のぼりはきつい。最後公園まで戻ったときは、心臓がばこばこしていました。初めて訪れた亀山社中でした。