『青い星まで飛んでいけ』 小川一水 (ハヤカワ文庫 JA)
小川一水の最新短編集。しまった、読んだのばっかりだった(笑)
今回短編集としてまとまった中で、一番おもしろかったのは冒頭の一篇と、最後の一篇の対比。
とにかく外を目指したい、行ったことの無い世界へ行きたいという外に向かう感情を描いた冒頭の作品に対し、外へ向かうだけではダメだ、内へ向かう感情を獲得して初めて生命体として完成するのだという最後の一篇。
そしてまた、小さな閉鎖環境からの脱出に始まり、時間的、空間的に壮大なスケールの探索に終わる。
この2篇は正反対の要素を持っていながら、どちらも小川一水的SFを感じさせる。
また、全体的に感じるのは、ネット世論というか、ネットで話題のキーワードを題材に取ったものが多いな、という印象。もしかしたら、普通の人が、ブログを書くようなイメージで短編小説を書いているんだろうか。物語の紡ぎ手というのは、根っからの語り部だということか。
もうひとつ付け加えれば、小川一水の短編に共通しているのは、科学技術への楽天的な信頼性だと思う。これがあるからこそ、一見悲惨なエンディングであっても、ポジティブなイメージを保ち続けられているのではないかと思える。
「都市彗星のサエ」
こーの支配からのっ……そつぎょう……
「グラスハートが割れないように」
そういえば、水伝も懐かしい話題になっちゃったなぁ。いや、まだリアルタイムな人もいるのか。
「静寂に満ちていく潮」
森奈津子的ななにか。
「占職術師の希望」
自分探しって本当に見つかるものなんですね。
「守るべき肌」
〈デベロッパー〉は太陽喰わないんだっけ? あと、この世界のハード的なメンテは内部から可能なのか?
そういうことの方が気になって、彼らの決断には納得できない。
まぁ、現実がダメなら仮想でがんばればいいじゃないとか、惨事がダメなら虹でいいじゃないとかいう話では無いと思うけど。
「青い星まで飛んでいけ」
下位知性体の言動に似た言動をしている人は下位知性。いやそういう話じゃないか。
しかし、これを文字通りのレイプとトラウマの話とは読めないような。どちらかというと、ありがちなアンビバレントな感情に対する救いのような。
小川一水の最新短編集。しまった、読んだのばっかりだった(笑)
今回短編集としてまとまった中で、一番おもしろかったのは冒頭の一篇と、最後の一篇の対比。
とにかく外を目指したい、行ったことの無い世界へ行きたいという外に向かう感情を描いた冒頭の作品に対し、外へ向かうだけではダメだ、内へ向かう感情を獲得して初めて生命体として完成するのだという最後の一篇。
そしてまた、小さな閉鎖環境からの脱出に始まり、時間的、空間的に壮大なスケールの探索に終わる。
この2篇は正反対の要素を持っていながら、どちらも小川一水的SFを感じさせる。
また、全体的に感じるのは、ネット世論というか、ネットで話題のキーワードを題材に取ったものが多いな、という印象。もしかしたら、普通の人が、ブログを書くようなイメージで短編小説を書いているんだろうか。物語の紡ぎ手というのは、根っからの語り部だということか。
もうひとつ付け加えれば、小川一水の短編に共通しているのは、科学技術への楽天的な信頼性だと思う。これがあるからこそ、一見悲惨なエンディングであっても、ポジティブなイメージを保ち続けられているのではないかと思える。
「都市彗星のサエ」
こーの支配からのっ……そつぎょう……
「グラスハートが割れないように」
そういえば、水伝も懐かしい話題になっちゃったなぁ。いや、まだリアルタイムな人もいるのか。
「静寂に満ちていく潮」
森奈津子的ななにか。
「占職術師の希望」
自分探しって本当に見つかるものなんですね。
「守るべき肌」
〈デベロッパー〉は太陽喰わないんだっけ? あと、この世界のハード的なメンテは内部から可能なのか?
そういうことの方が気になって、彼らの決断には納得できない。
まぁ、現実がダメなら仮想でがんばればいいじゃないとか、惨事がダメなら虹でいいじゃないとかいう話では無いと思うけど。
「青い星まで飛んでいけ」
下位知性体の言動に似た言動をしている人は下位知性。いやそういう話じゃないか。
しかし、これを文字通りのレイプとトラウマの話とは読めないような。どちらかというと、ありがちなアンビバレントな感情に対する救いのような。
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