神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 『パラサイト・イブ』はなぜSFモノに嫌われたのか

2013-12-10 23:14:15 | SF

最近、また瀬名秀明がなんか言った(書いた)ことで話題になっていた。

「世界一SF業界から嫌われた」(?)と自虐する瀬名秀明先生

まだやってるのかというより、瀬名さんの書き方がちょっと病的にもなっていて心配になってしまう。これも戦略的にやっているといいのだけれど。

 

瀬名秀明と言えば、『パラサイト・イブ』で第2回日本ホラー小説大賞を受賞してデビューし、この作品がゲーム化や映画化までされたベストセラーになった。

しかし、一般的な読者に大いに受け入れられたにも関わらず、(一部の)SFモノには苛烈な攻撃を受けた。この一件で、瀬名秀明はSF界から距離を置くという選択の替わりに、逆にSF界に興味を持ってしまったらしい。どうして『パラサイト・イブ』はSFモノに嫌われたのか。どうしたら、SFモノにも受け入れられる作品を書けるのか。

その分析と研究の結果、SFモノにも広く受け入れられ、高く評価される作品を生み出すようになった。挙句の果てには、日本SF作家クラブの会長にまで就任してしまったのは驚きだった。

しかしながら、その驚きをさらなる驚きで飛び越えたのが、今年(2013)3月の会長辞任と、脱会だったわけである。

結局、瀬名秀明と仲が悪いのは誰だかよくわからないのだけれど、当時は『パラサイト・イブ』を激しく攻撃したひとりのSFモノとして、SFモノが何に対して嫌悪感を覚えるのか、非SFモノにはわからない嗜好について書き留めておこうと思う。

 

少なくとも、俺の頭の中には、以下のようなエリアが隣り合ってひとつの次元を作っている。

・既知科学
いわゆる、普通の教科書に載っていたり、ノーベル賞を取ったりする科学。

・未知科学
既知科学の延長線上にあり得るかもしれない科学。例えば、タキオンとか。

・疑似科学
既知科学の延長線上では否定、もしくは、疑問視されるが、科学的方法論において(少なくともその作品中においては)科学的であるもの。例えば、『死者の短剣』の基礎とか、『魔法の国が消えていく』のマナとか。スターウォーズのフォースは微妙かも。

・似非科学
疑似科学とは異なり、科学的方法論に則らないもの。例えば、水からの伝言とか。

・オカルト
科学的であることを放棄しているもの。

これらを、左から並べるとこうなる。

非科学的思考←[オカルト][似非科学][疑似科学][未知科学][既知科学]→科学的思考

で、SFモノはオカルトと科学の次元で物事を体感的に見ることが多い。ただし、疑似科学と似非科学をどう見るか、もしくは、(このエントリでの定義における)疑似科学を未知科学に含めるかどうかという点で、SFモノの間にも多くの相違点があるだろう。

しかし、この軸、もしくはこの次元において疑似科学、未知科学の領域にふくまれるかどうかによって、SFであるか否かを体感的、もしくは直観的に判断しているのは間違いないと思う。

確かに、SFであることが、他のミステリやホラーであることよりエライわけではないし、SF以外が全部ダメというわけではない。ところが、未知科学の話だと思って読んでいたら、最後の最後にオカルトになってしまったとしたらどうだろう。それは、SFモノにとっては重大な裏切りである。

『パラサイト・イブ』はまさに、既知科学の領域から始まり、ラストシーンで一気にオカルトに振り切ってしまった。最初からホラー小説大賞受賞作なのだし、そうだからといって誹謗される筋合いはまったくないということは理解できる。しかし、SFモノからしてみれば、このような裏切りは許せることはできず、読み終わった直後に壁に向かって投げつけることになるのである。

同じような作品で言えば、鈴木光司の『エッジ』がこの系統になる。また、非SFジャンルの有名作家では、司城志朗の『ゲノム・ハザード』が似非科学作品にあたると思う。

もちろん、ホラー小説大賞受賞作や他のホラー小説が、いつもこのように右から左へ次元を移動するわけではない。例えば、同時期に第2回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した小林泰三の『玩具修理者』は逆に、オカルトに始まり、疑似科学、もしくは(人間機械論の亜種としての)未知科学まで右側へ向かって移動する。当然のように、小林泰三はデビュー当時からSFモノにも熱狂的に迎えられることになった。

しかしながら、非SFモノにはこの軸の意味が分からないらしい。科学的であることはわかる。非科学的であることはわかる。しかし、その間にグレーに横たわる領域の存在が区別できず、なぜスペースオペラに耽溺するような人が、ミトコンドリアの化け物を受け入れられないのかがわからないのだ。そしてもちろん、非SFモノな書き手にとっても、境目や基準がわからず、SFモノの反応に戸惑うのだろう。そして、意味も分からず「これはSFではない」と言われるので、SFは閉鎖的という結論にいたってしまう。

別に我々(ではなく、俺個人だけか)はオカルトを否定しない。オカルトはオカルトとして楽しんでいる。そうでなければ、UFOや宇宙人なんて、真顔で語れやしない。問題なのは、越境である。未知科学の話をしますと言いながら、オカルトなオチを持って来たり、似非科学な設定をドヤ顔で語るなと言いたいのである。そうすれば、オカルトはオカルトなり(怪談話とか)に楽しむことができるのだ。

問題は、左方向への越境。ただそれだけなのを理解してほしい。

 

そして、声を大にして言いたいのだけれど、SFモノから嫌われたのは『パラサイト・イブ』であって、瀬名秀明という作家じゃないよ!