神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] スワロウテイル/初夜の果実を接ぐもの

2013-09-23 14:22:20 | SF

『スワロウテイル/初夜の果実を接ぐもの』 籘真千歳 (ハヤカワ文庫 JA

 

スワロウテイルシリーズが4巻目で完結。

異性間で感染するウィルスからの隔離のため男性地区と女性地区を分離し、それぞれのエリアでは異性の替わりに人工妖精〈フィギュア〉と呼ばれる美形アンドロイドと結婚するというあまりにもオタク的な設定と、過剰な少女趣味的描写で話題を読んだ作品だったが、最終的には新たな知性とのファーストコンタクトというSF的大ネタにたどり着いた。

そもそもが、フィギュアにやどる意識はどこから来るのかという疑念に始まり、悲劇の計算機的人工生命体の登場、さらに生身のアンドロイドの誕生秘話といったあたりが伏線となり、最後の付録的に裏テーマが明らかになるという趣向。ここを蛇足と見るか、最大のテーマと捉えるかは人それぞれだと思うが、ハヤカワ文庫で出す以上はこれくらいの大風呂敷は必然だ。

小説としての仕掛けも、わざと読者を混乱させるようになっており、ここも評価が分かれそう。Aパート、Bパート、Cパートでそれぞれの“揚羽”を主人公にストーリーが進むのだが、最初は時系列がよくわからない上に、前作までの詳細をよく覚えていないと、ちょっとした記述を見落としてしまう。

それでも、読み進めていくうちに構成の意味が明らかになると、たどり着くはずの結末も見えてしまい、それはどうしてもハッピーエンドではなさそうな感じがして、それに気付いた時に涙が出そうになった。

この仕掛けだけではなく、意図的なのか、意図せずなのか、読者を混乱させる罠があちらこちらに。そこが世界に深みを与えているのが面白いところ。たとえば、揚羽が麝香に語った物語は真実なのか騙りなのか、揚羽が与えた第4法則は本当はなんだったのかなど。これらの不整合には作者の単純ミスもありそうで怖い。

さらに、D、E、Fと蛇足的にパートは進むのだが、実はその一部はアナザーエンドなのではないかという気がする。そういった意味では蛇足中の蛇足なのだけれど、トゥルーエンドでは救われない読者の心の救済という意味ではとても効果的なエピソードだと思った。

ちょっと本筋とは別な話題として、国民と国家についての問題提起が、多少不快ながらも面白かった。“不快な”という理由は、そんな話を突然持ち込むなよという程度の感想でしかなく、別にこのテーマが不快というわけではないのだが。

国民が不在の国家は成り立つのか。例えば、納税や社会保障は日本国籍を持つ日本人以外も対象になっているのであるから、国民不在の国家というのは存在可能かもしれない。しかし、日本国憲法においては主権は国民にあるとされている以上、日本国民が“存在しなく”なれば国家の主権者が存在せず、国家は崩壊する。この強引なロジックと、それを実現してしまう力技の設定、そして、それに対してなんとしても日本という国家を守ろうとする壮絶な闘いは、思考実験としても興味深く、全体的にほんわかしたフィギュアたちのエピソードとの激しい落差が印象的だった。

一方で、ニーチェ談義についてはどうにも乗れず。だいたい、元ネタを読んでいないし、語られる内容もあまり頭に入らなかった。この超人談義が揚羽と真白の行動の起点になっていることは想像できるのだが、残念ながら、ちょっと興味をそそられなかった。

そういうネタはさておき、人間に奉仕するために生まれた美少女アンドロイドの揚羽(3人それぞれの“揚羽”、そして4人目の“揚羽”)それぞれの想いが世界を動かし、読者の心も動かすという感動作だった。

なお、続編は無くていい。というか、これ以上のさらなる蛇足は不要でしょう。雪柳や他のフィギュアたちの日常を描くスピンアウトならいいかもしれないけど。

 


[SF] 夢幻諸島から

2013-09-23 14:05:33 | SF

『夢幻諸島から』 クリストファー・プリースト (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

なんとも感想の書きにくい小説だ。そもそも、これは長編小説なのか、短編集なのか、はたまた、文字通りのガイドブックなのか。

おそらくは、太陽系外のどこかの惑星。大半を海で覆われた星の夢幻諸島と呼ばれる無限の島々で起こるエピソードの集成。

共通して現れる人名はほとんどが芸術家である。小説家、建築家、画家、思想家、記者、喜劇役者……かといって、彼らを主人公とした連作短編というわけでもない。

そもそも、不思議な物理現象によって高高度からの撮影ができず、地図の作成できないような土地であり、多数の方言が入り混じっているために、ある島の話と別な島の話が実は同じ島の出来事を描いたものである可能性があったりする。

この設定は、作中の事実として語られている。そして、それぞれの島の逸話はすべて伝聞であるとの表明もされている。すなわち、最初から正確な事実を記載したものではないのである。

その中から、読者がいかようにも物語を引き出せること、それがこの作品の一つの魅力かもしれない。たとえば、ミステリ好きならば、パントマイマー殺人事件の真実を読み解こうとして見ても良いし、恋愛ものが好きならば、ある小説家と彼が愛した女性の生涯に想いを馳せてみるのもいいだろう。

しかし、そこに描かれているエピソードや伝聞が真実であるのかどうかは誰も知らない。編者ですら、知らないという“設定”なのである。まさしく、確信犯的騙りの文学。

混沌の中から何かを読み解こうとする人、もしくは混沌そのものを楽しもうとする人、読み方はそれぞれだろうが、どうにでも楽しめそうな稀有な作品。

自分はコミス殺人事件をもっとも意識して読んでいたのだけれど、わざと真相がわからないようになっているのだという結論に達し、解読を諦めた。そもそも、ある喜劇役者の死と、あるパントマイマーの死と、コミスの死は同じ事件を述べているのかすら怪しくなってしまった。まさに、プリーストの術中にはまってしまった感じ。でも、それが心地よい。