神なる冬

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コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 歌の翼に

2009-11-11 21:26:08 | SF
『歌の翼に』 トマス・M・ディッシュ (国書刊行会)




未来の文学 第Ⅱ期 第11回配本。
ディッシュの最高傑作と名高い、サンリオ文庫からの改訂版。

最高傑作といわれるだけあって、確かにすばらしい小説である。
しかし、SFというよりは、私小説にしか読めないんだよね。

インナースペースの探求の行き着く先が私小説と同じならば、SFの価値はどこに……と思うんだけど、ジャンル小説としてのSFではなく、もっと広い文学の中で考えろということなんでしょうか。

ニューウェーブは大学生の頃に山野浩一とかNWSF誌のバックナンバーとか読んで、ちょっとわかった気になっていたんだけど、やっぱりわからんなぁ。

それはさておき。

時代的にもそういう時代だけに、“翔ぶ”という現象(行為ではないと思う)は、LSDなどで“翔ぶ”ことのアナロジーかと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。

主人公は翔ぶことに憧れ、しかし、永遠に翔ぶことが出来ない男。そのことが象徴する“翔ぶ”という意味。
これは飛翔の物語ではなく、飛翔に死ぬほど憧れながらも翔ぶことができず、しかも、飛翔して戻らない妻の身体を守り続ける男の話。

ゲイ小説の要素も確かにあるのだけれど、主人公が男に身体を売る理由を考えると、いわゆるジェンダーフリー方向からのアプローチを読み取るのは間違っていると思う。人種差別関連からの見方もそう。これは愛する妻を守るために、肌の色も、「男の操」も売った男の純愛話。そう読んだ人はいないのか。

……いや、彼がそこまで妻を愛していたのかというと、それは信じきれない部分があるのは確かだけどさ。妻への愛ではなく、妻の父親への対抗心だったのかもしれないけどさ。

音楽だって、彼が求めて止まない“飛翔”の代替物、もしくは、中間生成物でしかないでしょう。
コーヒーが欲しいのに、手に入るのは生のコーヒー豆ばかりというか。最上級の豆であっても、炒ることも、挽くことも知らず。
自分だけが手に入れることのできない芳醇な香り。

なんか、こう、他の人の感想を読んでも、いまひとつピンと来ないのはなぜなんだろう。
これをゲイ小説とか、音楽芸術小説とかで読むのは絶対おかしいと思う。
ゲイはイヤだ。黒人もイヤだ。音楽なんて所詮バッタ物。それでも俺はこうするしかない。
そんなメッセージは聞こえてはこないんだろうか。

話が変わるが、この小説では登場人物の名前にいろいろな意味が込められているっぽい。名前の綴りが知りたくなる。
ミセス・ボーイズモアティアなんて代表的だが、Boys-More-Tearだぜ。しかも、主人公が少年時代に出遭って、音楽を教えてくれるんだぜ。
ホワイティングだって、“似非黒人”が出てくる以上、そこに深い意味を求めてしまうだろう。
そういう風に深読みしてしまうあたりが、実は著者の思う壷なのかもしれないけれど。