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拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

「日本のメディアが今すべき事、その可能性」

2010-05-31 | 旅人のひとりごと

普天間問題で鳩山政権の迷走ぶりが取り立たされています。

民主党の小沢幹事長の政治資金問題の火種もいまだに燻ったまま。

連日メディアでは民主党叩きが繰り返されており、このまま行けば次の参議院選挙で民主党は大敗するでしょう。


自民党が駄目だから民主党へと世論を盛り上げ、政権交代から1年もたたないのに今度は民主党をこき下ろす。

首相の無知・迷走ぶりは呆れるばかりですが、政権運営の経験の無い党に政権を任せることのデメリットの1つとして、ある程度は予測できたこと。


今のメディアの姿勢は、まるでどこかの若者を担ぎ上げて、風向きが悪くなると散々叩きまくる、アイドルタレントと同じ扱いのような気がします。



しかし自分達の国の将来、自分たちの生活の未来を語る上で、これで良いのだろうかと疑問を覚えます。


今のままの結論だと、自民党は駄目、民主党も駄目、やっぱり日本の政治は駄目なのだと、国民は日本の政治に見切りをつけるでしょう。

不況、デフレ、極端な円高による輸出業の危機等も重なって、日本の国民はより深い失望に突き落とされ、希望の光は見えないまま、日本はどんどんと下降線を辿っていくでしょう。

今NHKの大河ドラマは幕末モノですが、歴史上日本が世界の先進国になったのは、たかが半世紀程度のこと。日本がいつまでも先進国でいられる保障はどこにもありません。



人の失敗や問題点を見つけてそれを叩くのは簡単です。

政治と金の問題など、ある程度の大物政治家なら、叩けば大なり小なりいくらでもホコリが出てくることでしょう。


もちろん政治と金の問題を肯定するつもりはサラサラありません。

ただこの問題を語るならば、毎回誰かを槍玉にあげるだけでなく、どうしたら金がかからない政治を実現できるかを、併せて議論しなくてはいけないはずです。



我々国民が求めているのは、「民意に基づいた政治」です。


しかし一方で、民意というのは虚ろぎ易いものです。

そしてその民意はメディアの報道によって、大きく揺れ動くという現実があります。

だからこそ、日本の未来に対するメディアの責任はとても大きいものだと思います。



今の政治の問題点は、政治に(特に力を持った政治家になるのに)金がかかりすぎること、
そして首相は国民ではなく党に選ばれる為、国民よりも自分を選んでくれた党の意向を無視できないことです。



日本のメディアは今こそ、この「日本の政治の構造上の問題」にメスを入れる時ではないでしょうか。

既存の政治が駄目なら、政治の枠組みそのものを見直す議論を加速させる必要があると自分は考えます。


その一例が、国民の直接投票による「大統領制」の議論です。


衆議院の第一党が首相を選ぶ現在の政治では、政治家は選挙の時だけ国民に良い顔をして、選挙が終わればあとはこっち(政治家)でやるからということになってしまっています。


また、優れた個人の政治能力、リーダシップと、第一党の党首に選出されることは必ずしも一致しません。


これは民間の会社でもあるような、現場のことを何も知らないのに上役に取り入るのが上手だったり、コネ等でどんどんと出世する人間がいる一方で、現場では非常に有能でも、上司とそりがあわないという理由だけで、適切な働く場を与えられない事があるのと同じだと思います。


ただし大統領制と言っても、本当に適切な人を国民が選べるか?
タレント出身者等、知名度だけが優先されるのではないか?
言葉ではどんなに素晴らしいことを並べても、一国の将来を担う政治家としての能力はどうなのか?
という部分は、難しい課題です。


そこで併せて考えたいのが、「道州制」の議論です。


現在の都道府県を廃止し、日本を9~13の州にわけ、地方への権限を拡大させ、地方の活性化促進や、都道府県会議員や公務員の数を減らし、使いもしない空港の乱立等の無駄を減らして、「政治の効率化を進める」というのが道州制の考え方です。

ただ、会社間の統合と同じく、社風(この場合は県風?)が違うもの同士が統合による効果を発揮するには時間がかかるとも言われています。


この道州制実現時の最大9~13名の道州知事と国会議員の代表(実質的には与党第一党の党首)に、大統領の被選挙権を与える形で、大統領制の導入を検討してみてはどうか?というのが自分からの提案です。


道州知事の被選挙権の条件に、最低3年以上の知事経験等を含めれば、小さな政府である道州内での実績等が、国民がその人を選ぶ上での1つの指針となると思います。

これはメディアにもよく登場する、某東京都知事や大阪府知事等がいい例だと思います。


そして地方から国政への大きな流れと、地方政治へのクローズアップが今より大きく前進することは間違いないと思います。



大統領制の導入時は、某都知事や大阪府知事の例のように、議会との対立が当初きっとあることでしょう。
そして既得利権と対抗するにも、大きな力が必要です。

もちろん内閣不信任決議や議会の解散等の相互の抑止力は必要だと思います。

しかし大統領がより「民意に基づいた政治」、「国民が未来に希望を持てる政治」を進めれば、同じく国民によって選出される議会は、次第にそれに従わざる得なくなるのは東京都や大阪府の例からも明らかです。


自分の案が良いかどうかはわかりません。もっと良い案が他にあるかもしれません。


ただ政治が、そして世の中がこんな時代だからこそ、
数字主義ではなく、日本のメディアには、もっともっと日本の未来を真剣に考える場、議論する場を、国民に提供して欲しいと感じます。

日本の未来に光を差すことができる、そんな可能性がメディアにはあると自分は信じています。


そして自民党も民主党もこんな状態だからこそ、国民1人1人が自分たちの国とその未来を、もっと真剣に考え、議論する必要があると思います。


昨年夏の衆議院選挙でこれまでの大きな政治の流れを、国民の力で変えることができたように、きっと我々国民は、日本の未来を自分達の手で変えることができると思います。


「日本の未来、自分達の未来を諦めたくない」と、自分はそう思います。



※写真:沖縄の風景(竹富島)

先日某バラエティ番組をみながら思ったこと

2010-02-22 | 旅人のひとりごと



先日、日本のバラエティ番組で、アフリカで医師を続ける人がゲスト出演している映像を目にしました。

その方は外務省付きの医師でしたが、国交が無い為、病気で苦しみ死んでいく現地の人達を治療できない現実に憤りを感じ、当時の年収約1700万円から、収入が10~20分の1になること覚悟で、妻子ある身ながらその地位を捨て、NGOの医師として現地で医療活動等を始め現在に至るといったエピソードが語られていました。

その番組の中でその方の言葉として紹介されていたのが、世界が平和になる為には貧困を無くすこと、そしてサッカーだというフレーズでした。




21世紀はテロとの戦いだという言葉を時折耳にします。

頑張って抜け出せるのは本当の貧乏ではなく、真の貧しさというものはそこから絶対に抜け出せない状態の事を言うのだと聞いたことがあります。

テロリストはどん底の生活を強いられる人達に、捻じ曲がった思想と価値観を植えつけ、武器を持たすことで作られるいう一説を目にしたことがあります。





話は変わりますが、ドイツで生活しているとあまり感じませんが、イギリスやフランス、一部の国等を旅していると、肌の色が黄色い、見た目が中国人に似ているといった理由で、差別的な対応を受けることが時々あります。

自分は何も悪くないのに、見ず知らずの相手に突然、非常に不愉快な扱いを受けると、どうしようも無い怒りが込み上げてきます。


でも冷静になって、「彼達は小さな世界で捻じ曲がった価値観しか持ち合わせない、時代遅れの可愛そうな人達だ」と自分に言い聞かせると、その怒りはおさまっていきます。



しかしもし自分が毎日ずっと「絶対に抜け出せない不当な扱い」を受け続け、「人間らしい生活とは程遠い日常」をおくり、「広い世界を知らず」に、自分達にこんな生活を強いる悪者の存在を聞かせ続けられたら、チェ・ゲバラではありませんが、自分もひょっとすると革命家の道を選んでいるかもしれないと、ふと考えたりします。


逆に言えば、「人間らしい最低限の生活」がおくれる環境で、世界の広さや多様な価値観に触れられる、「ある程度のバランス感のある教育」を受け、スポーツや特技を生かした分野等、頑張ればもっと自分達の生活が良くなる可能性が見える、そんな「希望の光」があれば、世界は今よりももっとずっと平和で住みやすくなるのではないかと、その番組を見ながらふと思いました。


アフリカやアジアを旅すると、貧困の中で日々恐ろしい病気等に怯え、一部だけが潤う汚職にまみれた政権の下、まっとうな仕事につくことが出来ない人達の姿を目にします。

また同じ欧州でも、一部の旧東欧諸国の中には、これが同じ欧州かと疑いたくなるような国・地域が今もあります。




過去の人類の歴史から見て、武力による争いがゼロになることは容易ではないかもしれません。

最低限の生活や教育の支援といっても、現実的には内政干渉等の問題で、それが容易で無い国もあります。


でも1つの方向性として、今より世界がもっと住みやすくなる為のヒントが、ほんの少し垣間見えた気がした、そんな一日でした。



※写真:移動の為、車の荷台に荷物やヤギを積む人々(マリ/アフリカ)
ちなみにマリでは地元の路線バスでも、移動の為「荷物」として、ヤギをバスの荷物置き場に沢山入れたりします。
長時間のバス移動では荷物置き場が高温で空気の循環もよくない為、到着時に絶命しているヤギもいます。

あした晴れますように

2010-01-21 | 旅人のひとりごと



日本航空(JAL)が会社更生法を申請しました。

ドイツでも話題になっており、同社の経営がうまくいっていないことを報道で見聞きしていた我々日本人は、ついに来たかという感じでしたが、一方で周りのドイツ人はかなり驚いているようでした。

欧州でもギリシャの問題等でユーロ安が進み、円高も重なって、欧州内の日本企業でも明るい話題が減っています。


でも何かが減れば何かが増える、何かを失えば何かを得る、世の中はそんなバランスで成り立っているもの。

こんな時こそ逆に、明るい「何かを生み出すチャンス」なのだと、頭をやわらかくして発想を転換する時です。



人生良い時もあれば、悪いときもある。
良いことばかりは続かないし、その逆もそう。
元気で生きていれば、いつかきっと良い時がくる。


どんな時でも、今自分ができるベストを尽くして、1歩ずつ、ただ前に進んでいこうと思う、今日この頃です。




※写真:ジャマイカで見た夜明け



ひとりの日本人として、ヒロシマ・ナガサキについて思うこと

2009-10-13 | 旅人のひとりごと


広島、長崎が共同で2020年の五輪開催都市に立候補するというニュースを耳にしました。

時を同じくして、アメリカのオバマ大統領が核廃絶を訴えたことが評価され、ノーベル平和賞を受賞したという話を聞きました。

アメリカ国内をはじめ欧州でも「オバマはまだ何もしていないのに」という意見が多く聞かれますが、オバマ大統領をはじめ、世界はヒロシマ・ナガサキに原爆が投下されてから75年後にあたる、その2020年の核廃絶を目指しているのだそうです。


核兵器の話をするとき、世界中どこへ行っても必ず話題に出るのがヒロシマ・ナガサキのこと。

戦争の歴史を持つ場所や、中東方面の反米感情のある国等を旅していて、自分が日本人だとわかると、他国の人達の口からヒロシマ・ナガサキについて同情的な言葉をかけられたりすることがあります。

また以前に他国の人から、ヒロシマ・ナガサキについてどう思う?と自分が聞かれた際、別の他国の人から「それはデリケートな話題だからむやみに聞くのはよくない」といった言葉をかけられたことがあります。


その時は「全然大丈夫だから」と笑って返した気がしますが、一方で自分は「ヒロシマ・ナガサキであった出来事」を知識として知ってはいても、知っているだけで、それ以上でもそれ以下でも無いのではないか?という思いが脳裏をよぎったことを、今回の五輪招致の話を聞いた際にふと思い出しました。



「愛情の反意語は憎しみではなく無関心である」という言葉を聞いたことがあります。



先程の言葉ではないですが、世界で唯一の被爆国である日本人は、ヒロシマ・ナガサキ・核というものに対して、特別な感情がきっとあるはずだと他国の人達は思っているのに、自分を含め多くの日本人は「遠い過去の歴史」にしてしまっている事実があります。


確かに毎年夏の季節になると、必ず原爆の話題がメディアでとりあげられます。

しかし戦争というものにリアリズムを感じられない、我々多くの日本人にとって、それは毎年繰り返される単なる情報になってしまっていて、そこで何を考えることなく、ひょっとすると何も感じることさえ無く、自分達を通り過ぎて行っているのではないかと思います。


2020年の核廃絶を世界に訴える為、ヒロシマ・ナガサキ両市がこれからアピールを続けていくのでしょうが、ひょっとするとそれは「世界に対して」というより、「我々日本人自身に対して」とても意味のあることなのではないかと思っています。


「五輪なんて別にどこでやったっていいじゃないか」、「税金の無駄使いだ」等、色々な意見があるでしょうが、未来に向かってほんの少しでも世界が良い方向へ進むように、自分は両市の五輪招致運動を応援して行きたいと思います。


※写真:原爆ドーム(広島)

祝!国民主導選挙!!!

2009-09-02 | 旅人のひとりごと



日本国民の皆さん、政権交代おめでとうございます。

1人1人の力は小さくても、国民の力が集まれば、大きなことが実現できる、それを証明した選挙だったのではないでしょうか。

単に特定の政党が勝利した話だけでなく、本当の意味で「国民主導の選挙」が実現された、間違いなく日本の歴史が動いた瞬間だったと思います。


大勝した民主党ですが、周知の通りこれまでの実績からの勝利ではなく、これからの最大4年間の内容によっては、今回の自民党と同じ結果が次回の選挙で起こる可能性がある、限られた時間の中で「わかりやすい結果」が求められる、非常に厳しい船出かと思います。


今回の選挙では「経済」か「個人の幸福か」のどちらを求めるか?といった内容の報道を耳にしましたが、経済世界3位のドイツは、少子化対策や福祉でも一定の結果を出しており、決してその2つは完全に相反するものではないと思います。

またフランスや北欧等では、公立学校の学費が無料で、子供が3人以上のケースでは、月10万円以上の育児手当が支給され、「子供が沢山いる方が生活が楽になる」ということで、少子化問題が大きく改善された例もあります。


財源という意味では、この後税金の見直しで、欧州等の様に贅沢品限定の消費税等の値上げ(欧州では約20%前後が一般的)等が必要になる可能性があります。

また独身や子供のいない共働きの家庭では、所得税の大幅値上げも視野に入るかもしれません。
(ドイツでは独身の場合、所得の約50%程度が税金。扶養家族3人以上のケースで約30%)


思い切った財源見直しの政策をとった場合、国民から大きな反発が出ることも予想されますが、今回の選挙結果からは「日本の国民はわかっている」という印象を受けます。

家計簿ではありませんが、何の為に幾ら使う必要があるのか、それをどのように工面するのかを誠心誠意をもって伝えれば、きっと日本の国民はわかってくれると思います。



第二次大戦後の自民党の功績は一定の評価を受けるべきだと思います。
しかしいつしか「民意とかけ離れた」、「何をやっているかよくわからない」そんな政治を行う自民党に対して、今回の選挙で国民は「NO」という答えを出しました。


そういった意味で、民主党は良くも悪くもお手本が幾つもあるのではないかと思います。



いつの時代も、国を支えるのは「人」です。

人々が安心して生活ができ、次の時代を担う子供達が希望を持てる国づくりの為に、「わかりやすい、国民の為に必要な政治」を行って欲しいと思います。



※写真:古代ギリシャ時代に民主主義の原型が生まれたギリシャ・アテネの町

間もなく衆議院選挙

2009-08-24 | 旅人のひとりごと



衆議院選挙まであと1週間となりました。

先週日本に一時帰国していた際にも、駅前で国民にアピールする候補者達の姿をよく見かけました。
各メディアでは連日、選挙関連の報道がされ、政権交代の可能性が多分にある選挙ということで、人々の注目度も非常に高いように感じられます。


自分が今回の選挙に対して感じているもの、、、それはバブル崩壊後、皆が持ちづらくなった「未来への希望」といったものを再び取り戻す為、そんな日本の再出発の第一歩になって欲しいという、淡い期待です。


各党のマニフェストには、少子化対策、育児・教育への負担減、高齢者社会への福祉対策に関する内容が取り上げられていますが、欧州ではすでに約10年前に対策が実施され、ある程度の効果が見られるようになってきました。
しかし日本でも同時期から声高に叫ばれつつも、まだ何の効果も挙げていません。


この数年の与党の政策は、「景気対策」の名の下に、所謂ばら撒きを行い、問題の先送りをしてきました。

その間、人々の口からは「どうせ」や「ショウガナイ」という言葉と共に、ため息ばかりが吐かれ、「勝ち組」「負け組」という言葉に代表される二極化が進む中、圧倒的多数の人々が、日々や将来の生活に不安を抱え、それはより深刻な状況へと加速しています。



バブル崩壊後、まずは今この瞬間を生き残る為に、グローバル化の名の下、日本の民間企業はリストラやコストカット、効率化を進め、アメリカ型社会へとシフトしてきました。

しかし時には必要な人材や必要なコストも、適切ではない物指しの線引きでカットされたり、残された者もその穴埋めの為に無理を重ね、過労死や鬱といったものも、自分の周りを見渡すだけでも、決して珍しいものではなくなりました。


終身雇用制は崩壊し、人々の会社に対する忠誠心は薄れ、自分を守れるのは自分だけという状況から、いつしか皆が自分のことしか考えない風潮が生まれました。


また日々のストレス等からか、顧客の立場になると強引な要求やクレームが増え、そして仕事する側の自分達自身にそれが跳ね返る悪循環となり、皆で足を引っ張りあっているような、日本の社会全体にどこかギスギスとした雰囲気を感じます。


次の時代を担う若者達は、そんな大人たちの背中を見て、自分達の人生に希望を持てなくなってしまっているような気がします。




いつの時代も国を動かすのは「人」だと自分は思います。

先に挙げた、少子化対策、教育対策、福祉対策といった、「国を動かす人」を育て、安心して生活できる環境を作るといった分野において、日本は欧州等と比べてかなり置いてきぼりをくっている気がします。

しかし逆に言えば今の日本には、欧州をはじめヒントにできるお手本があるということです。

欧州の対策がそのまま日本に当てはまるかどうかは微妙なところもありますが、、オリジナルをより良いものに進化させる日本のお家芸のアレンジ力を持ってすれば、日本により適した形での実現が可能ではないかと思います。



今回の選挙は、「国民の意思」が政権に直結されることを証明する為の選挙だと考えています。
それが決して不可能ではないことを、先の都議会選挙で人々は実感することができました。

突っ込んで言えば、国民がこれまでの政治不信の責任を問う形で、「自民党にNoを言う選挙」なのだと思います。

しかしそれは「民主党への期待」とは正直、違うものだと思います。
本質的には自分達の生活がより良くなるならば、何党が政権をとるかなんてどうでも良いと思っている人達が多数です。

そして民主党の政治家もその意味を充分にわかっているのではないでしょうか。



日本という国を諦めたくない。

国民1人1人の意思と力を示す為に、1人でも多くの人達が選挙会場に足を運んで欲しいと願っています。


※写真:日本のパスポート

次世代エネルギーに向けたオーストリアの挑戦!?

2009-08-03 | 旅人のひとりごと


先日仕事で中欧に行った時のこと、車でスロバキア国境近くのブルゲンラント(Burgenland/オーストリア)という場所を通った時、100基以上の風力発電の白い風車の塔(タービン)が密集しているのを見ました。

後で調べたところ、同地域には合計130基以上あるらしく、風力発電で注目されている場所で結構有名みたいです。

100基以上も風力発電のタービンがハイウェイ(無料高速道路)ぞいに連なる中、車で駆け抜けるのはすごく爽快で、今回は仕事のドイツ人スタッフの運転でフライトの時間もあった関係で、ただ通り抜けただけでしたが、いつかチャンスがあれば、ゆっくりとプライベートで、レンタカーでも借りて来てみたいと思っています。(ウィーン空港から1時間もかからない所です)


石油の次にスタンダードとなるエネルギーを抑えた国が、新しい時代の盟主になると言われていますが、やはり時代は動いているのだということを実感しました。

もちろん風力発電がそれになるかどうかは微妙で、石油のかわりに風力発電だ等と言うと、専門家ではなくても否定的な意見が返ってくることが多いと思いますが、この規模感で実践しているというところに少し圧倒され、オーストリアの次世代エネルギーに対する挑戦というか、意気込みみたいなものを感じました。


ただ少なくとも、誰もがわかりやすく目に見える形で具現化されると、国民一人ひとりが次世代エネルギーに対する関心や意識は高まると思います。
(日本の場合のそれは、ハイブリットカーなのかもしれませんが)

次世代エネルギーの高い意識を持つ環境の中で育った子供達が、実際に次世代エネルギーを開発するということは、可能性として無くもない話だと思っています。


30年から50年以内に起こるとも言われているエネルギー革命。

新しい時代に向けて、日本も頑張らないといけませんね。


※写真:昔の風車(キンデルダイク/オランダ)

海という存在

2009-07-03 | 旅人のひとりごと

夏になりました。

夏と言えば海。日本でも、もう泳げる季節ですね。


夏はもちろんのこと、仕事が忙しくなり疲れが溜まってくると、ああ海が見たいとそんな言葉をつぶやいている自分がいます。

そして海に行くと、そこが初めて見る海、景色であっても、何だか懐かしい場所に帰ってきたような、そんな穏やかな気持ちになります。


子供の頃から海に囲まれて育ったという環境でもなければ、マリンスポーツにも殆どうとい自分がなぜ?と思ったりするのですが、やはり同じように殆ど陸地で海になじみのないドイツの人達も、夏になるとわざわざデンマークに近いドイツ最北部あたりの海まで出かけるそうです。


地球の約半分が海と言われ、今から数十億年前に全ての生命の源になったと言われる海。

やはり遺伝子レベルのどこかで、私達は海を故郷だと感じているのでしょうか。


泳がなくてもただ眺めているだけで、ささくれだった気持ちを癒し、安らぎを与えてくれる海。

ちょっと疲れたら、故郷に立ち寄る感覚で、海を訪れてみるのも良いかもしれません。


※写真:先日訪れたサントリーニ島の海(エーゲ海/ギリシャ)

日本の幸福度指数は、、、?

2009-06-16 | 旅人のひとりごと

ギリシャのクレタ島で欧州型バカンスを楽しんできました。


食事+終日フリードリンク(アルコール類含む)のオールインクルーシブ(AI)、ホテル、ビーチ&プール、航空券、ローカル空港⇔ホテル送迎がついた1週間以上の滞在型のリゾートパッケージは、欧州では一般的なバカンスプランで、庶民の手が届くお手ごろ値段(1人あたり300ユーロ位からあり、自分は7泊8日のパッケージで1人400ユーロ強位でした)で、終日完全自由行動ながら、近隣の見所へはオプションのローカルツアー(1人30EUR位から)が用意されていたりと、必要な所は全てフォローされています。


このようなバカンスパッケージや個人手配等で、老若男女を問わず欧州の人達は年に1~数回程、1週間以上のバカンスを楽しんでいるようです。
(近所のスーパーの前で、朝から晩までボーっと立っているお爺さんまで、バカンスシーズンはおめかしして出かけていく姿を見かけました。笑)


今回宿泊していたクレタ島のホテルでは、ドイツ人、フランス人、イタリア人、ロシア人の姿をよく見かけましたが、一方でクレタ島や1dayローカルツアーで訪れたサントリーニ島の滞在型リゾートホテルエリアに日本人の姿は殆どなく、これは距離的な要因だけでなく、日本の一般会社員が比較的長期休暇をとり難いことも関係しているような気がします。


ただ今回欧州型の休暇を過ごしてみて、ワーカーホリックとよく言われる日本よりも、はるかに欧州各国の人々の方が休日の楽しみ方は進んで(洗練されて)いるなとそう感じました。



今回宿泊したホテルには、日本人は始めての訪問だったようで、珍しがられましたが、ギリシャの島の田舎レストランで働く従業員でも日本や東京の名前は知っているようで、日本人だとわかるとすぐに「日本は物価が高いでしょう?」と聞いてました。


確かに日本はGNP(今はGDP/国内総生産でしょうか)世界第二位の経済先進国で、各国を旅していても、世界中の非常に多くの人達が、日本人=お金持ちというイメージを持っていることを実感します。



しかし世界を旅していつも思うのが、各国の人々が、日本で生活している時と比較して、はるかに多くの笑顔が溢れており、また実際に言葉を交わしてみて、彼達が人生を楽しんでいることを感じさせられます。

これは旅だけでなく、同じ職場のドイツ人、フランス人の同僚と比べても、自分達日本人よりも人生を楽しんでいると感じます。



そのような意味で、国民1人辺りの幸せ度(幸福度指数?)からいったら日本は世界第何位なのだろうか?と、今回ふと考えさせられました。


日本人は自分が幸せだと思えない人が多いという話をよく聞きますが、ひょっとすると人生を楽しむという意味の「幸福度指数」では、日本は発展途上国なのではないか?とさえ思ったりもします。



人それぞれ尺度が違うので、幸せの定義は難しいですが、自分が考える「幸せ」とは嬉しい、楽しいと同じ感情の1つで、嬉しい、楽しいが継続、発展すると幸せという感情に昇華するのではないかと思っています。


幸福度指数の数値化は難しいですが、嬉しい、楽しい時、そして幸せを感じている時、人は笑顔になると思うので、国民一人当たりの年間平均笑顔率で幸福度指数は表せたりするかも?等と思ってみたりもします。(単位はスマイル?等でしょうか。笑)




日本は24時間お金さえ出せば欲しいものがいつでも手軽に手に入るものすごく便利な生活があり、モノが溢れ、経済的に豊かだと思います。


でもその話をドイツ人やフランス人の同僚にすると、皆口を揃えて、日本のような「便利過ぎる生活」は必要ない、なぜならその分そこで働く人達が大変になるだけでしょう?それならばちょっとぐらい不便でも家族と楽しい時間を少しでも長く過ごせる生活の方が良いという答えが返ってきます。


それが他国の人から言われるだけであれば、文化や価値観の違いという言葉で片付けられるかもしれませんが、世界でも最も豊かな国の1つである日本の若者の多くが、自分の将来に希望が持てず、国民の多くが自分の生活に不安を感じているという話を聞くと、これはやはり何かおかしいのではないか?と思ってしまいます。



経済的にそれ程豊かではない国の人々が自分達の生活を幸せだと感じたり、毎週日曜日には全てのお店が閉まり、24時間開いているコンビニも無く、電車は頻繁に遅れ、ストライキでしょっちゅう運行停止になり、お店等のサービスも対応が悪い国の人々が自分達の生活を幸せだと感じているのに、世界屈指の経済力を持ち、世界で最も便利な生活を送り、電車も殆ど遅れず定期運行される国の人々が、自分達の生活に不安を感じ、自分達の生活に幸せを感じられないという現実。


それが事実なら、おそらく「幸せ」というものは、物質的な豊かさや持っているお金や財産、地位や名誉というものとは無関係なんだと思います。


たかだか100年にも満たない人生の中で、幸せを感じながら生き、幸せだったと笑って死んでいけることは素敵なことだと自分は思います。




ドイツで生活する日本人の知人の中には、5年間積算でドイツで働けばドイツの年金を貰えるので、将来が不安な日本よりもと、ドイツに来たという人がいます。

海外で暮らす日本人と話をすると、日本にはもう帰りたくないという人が少なからずいます。



でも自分が世界の約半分の国を旅し、多くの異なる文化、習慣、価値観を見聞きしても、やはり一番好きな国は日本で、今は海外で生活をしているものの、いつか日本に帰りたいと思っているし、自分は死ぬまで日本人だと思っています。

そして他国の人がどう言おうと自分は、日本は世界でも稀な素晴らしい文化、習慣、歴史、環境を持つ国、民族だと誇りに思っています。



確かに今の日本は幸福度指数が低いかもしれません。

でもGDPが年々変化するのと同様に、幸福度も常に一定ではなく、それを上げる為に自分達が何かできるのではないかと思います。


それはバブル崩壊時にグローバル化の名の下に行われた、どこかの国のモノマネではなく、日本の素晴らしい独自性を残しながらも、今よりももっと日々幸せを感じて生きていくことができるのではないか?と感じています。



欧米の先進国に大きく遅れをとっていた幕末に、抜本的な改革の道を選択し、近代化へと進んだ日本。それはたかだか100年ちょっと前の、曽祖父の世代の話。

また第二次世界大戦の敗戦で国土を焼き払われ、食べるもの着るものにも困っていたのに、その後の頑張りで世界有数の経済力を持つ国にまで成長した現代日本。それもたかだか60年余り前の祖父や父親の世代の話です。


そして次は自分達の番だと思います。



自分自身の人生を諦めたくないと思うのと同じ次元で、自分は1人の日本人として祖国、日本という国を諦めたくないと思っています。



※写真:サントリーニ島のイアの風景

桜舞い散る季節

2009-04-19 | 旅人のひとりごと


先週まで華やかに咲き誇っていた桜の花々も、この数日の雨ですっかり散ってしまいました。


本日は久々の晴天ということもあり、近所の教会が告げる時の鐘の音を聞きながら散歩をしていると、風に乗って沢山の桜の花びらが舞っていました。


桜吹雪という言葉も陳腐に思える光景を目の当たりにし、キレイだという感情と、どこか寂しさが入り混じった複雑な思いになりながら、ふと足音を見ると、先日までは緑だけだった場所に、黄色いタンポポの花々が元気に咲いていました。

そして昨日までの雨が乾き切っていない桜の木々には、小さくも力強い緑の葉が。


華やいだ季節は終わっても、時は緩やかに、そしてしっかりとまた次の季節に向かって動き出しているようです。


※写真:自宅アパートの庭に咲く春の花々