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拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

存在理由

2009-03-15 | 旅人のひとりごと



10代の頃、ひたすら自分に問いかけていたものがあります。

それは「自分の存在理由」というものについて。


これまで歩いてきた自分の足跡を辿ってみても、30代になった今の自分にはまだ、その頃の自分に返してあげる言葉を見けることができません。




旅をしていると、「旅は人生の縮図」だなと感じることがあります。


前述の問いに対して、旅する自分を重ねてみると、自分のその旅にどんな意味があるのかなど誰にもわからないと思うし、旅をしている最中の自分にも、それが良いとか悪いとか言えるような余裕もありません。


旅の後、、、しかもそれから一定の時間が経った、その後の暮しの中でふと振り返った時に、ただ「よかった」という言葉以上の何かを感じることがあります。




後に振り替えってみて、旅の中で偶然出会った誰かの言葉が、その後の自分の旅に影響を与えたと思えることがあります。


それは自分のまだ行ったことのない場所の情報や、実体験に基づいた生の声であったり、その人が笑顔で楽しそうに語る思い出だったり、苦いトラブルの話だったり、、、。


日本や欧米の先進国だとそれ程必要と感じないのかもしれませんが、特に治安が悪かったり、病気の心配がある発展途上国での旅などでは、旅の前や旅の途中に、生きた情報や生の声を求めることがよくあります。


同じように何度か一人旅を繰り返していると、誰かにふとしゃべった自分の言葉がきっかけとなったのか、「あの時話していたあの場所へ行ってきましたよ」などという話を、後で聞いたりメールでもらったりすることがあります。


そんな話を聞いたとき、こんな自分でも、誰かの何かのきっかけになれたりするのだと、少し嬉しい気持ちになります。


自分の旅の意味は、もちろんその後の自分の人生によって決められるような気がしているのですが、残念ながら自分のことは、自分ではよくわからない部分も多く、やはり同じように人生という「旅の途中」では、良かった、悪かったといえるようなレベルにはまだ無いような気もしています。



こんな自分でも、自身の経験や失敗が1つのきっかけになって、誰かに何かの影響を与えたりすることができる。



そんな時、他人を通してではあるものの、ほんの少しだけ、自分の旅の存在理由が感じられたような気がするから、「嬉しい」という感情が生まれるのかもしれません。


同じように人生という名の旅においても、自分自身の何かが、誰かの何かになることができた時、自分の存在理由という、もやっとしたすごく曖昧なものが、少しは見えてくるのかもしれません。。。


※写真:2000年の旅ではじめて世界を旅した時の最初の旅ギター

冬の灯(あかり)

2009-02-06 | 旅人のひとりごと
欧州は冬になり、クリスマスが近づくと皆わくわくして、街はどこか楽しげな雰囲気に包まれます。

その楽しげな雰囲気も新年のカウントダウンでピークを迎えた後は、暗闇と静寂の中で佇むかのように、どことなく重苦しい気分になります。



そして今年も気づけばもう2月。

先週はフランスでゼネスト(ゼネラルストライキ)があったり、ドイツでも一部の州でストライキがありました。

昨年暮れからの全世界的な不況の波が欧州にも押し寄せており、快適な労働条件確保の為のストライキがあちこちで実施されていました。


リストラや拠点閉鎖だけではなく、最近では1人あたりの労働時間を短縮し、業務を共有する「ワークシェアリング」という試みも始まっています。

「マニュアル化ができる業務」には面白い試みだと思う一方、「個人に依存する部分が大きい職種や業務」となると、まだまだ現状では難しい部分もあるようです。


しかし昔の日本も土曜日が平日だったこと、欧州等日曜日に殆どの店が閉まっても生活がなんとか成り立っていることを考えると、例えば金曜日を休日にして、皆が休んでしまえば、それはそれで何とか成立したりもするのかなと思ったりもします。(一部のイスラムの国では、金曜日が日曜日のように休日だったりします)


この不況で、「男達は家庭に帰るチャンスだ」という言葉が、日本のメディアでもよく耳にするようになりましたが、家族との生活を第一に考える欧州では、既に生活に根付いた当然の考え、そして欧州では現在の不況についても、日本ほど悲壮感が無いようにも思えます。
(それは国民性の違いなのか、日本人の中に「仕事が第一」という考え方が根付いているせいなのかわかりませんが、収入や利便性よりも「家族との時間」を最も重要視する欧州では、日本とはちょっと受け止め方も違うようです)



長く暗い冬のど真ん中にいると、まるでこの闇が永遠に続くのではないかと、そんな錯覚に陥りますが、冬の次は春が必ずやってくるし、朝が来ない夜も無いので、今はなんとかしのぐ時期なんだろうと思います。



そういえば今年も来週末からあちこちでカーニバルが始まります。

欧州でもベネチアやニースのカーニバルなど有名ですが、近隣の町ではそろそろお祭りに向け、わくわくし始めた頃でしょうか。


クリスマスやカーニバルのように、厳しい冬こそ楽しく、「ワッショイ、ワッショイ、ソーレ ソレソレ お祭りだ~♪」と日本もお祭り騒ぎをする時なのかもしれないと思ったりします。


これは自分にも言い聞かせているのですが、同じ時間を過ごすなら、辛い辛いと嘆いているばかりではなく、楽しいことを考えてウキウキしながら過ごす方が良いのではないかと。

楽しいことを考えていると、時間はあっという間に過ぎるものだと思いますから。



暗い闇の中で小さく震え、見えない救いの手をひたすら待つばかりではなく、我々もこれまでと「大きく発想を変えて」、各々が自ら、「自分達のあかり」を灯す時なのかもしれません。


写真:ライトアップされた広場のクリスマスツリー(ボローニャ)



いよいよ誕生

2009-01-20 | 旅人のひとりごと



いよいよ米国でオバマ新大統領が誕生します。

彼のかかげるテーマが「Change(変革)」

日本はバブルが崩壊して以降、「グローバル化」の名の下、コスト削減と効率化といった「米国化」を、良くも悪くもずっと進めてきました。


声高には叫べないのでしょうが、実質的には「資本家至上主義社会」の代表格である米国イズムが世の中に浸透し、勝ち組&負け組と言われた二局化が進み、派遣切りが今問題になっている、資本家にとって便利な雇用形態が世の中に浸透したとたん、その日本が目指した本家米国がこのままではいけないから「変わらなきゃ」と言い出したというのは、何とも皮肉な話です。


昨年後半から米国発の不況の波が全世界を飲み込んでいます。


米国民にとってこのとんでもなく厳しい状況の中、史上初めての黒人大統領であるオバマ氏が掲げる「変革」は、これまでに無い何かをやってくれるんじゃないかという、一筋の希望の光なんだと思います。


一方日本に目を向けると、ワースト記録更新か?と言われる自民党政権の低支持率、米国化が駄目だったから、終身雇用制度に戻したいが、企業だけの力ではできないので国が何とかして欲しいなどという話が経団連等?の資本家層からも出ているひどい混迷ぶり。


欧州の労働者中心の社会は、これでもかという位のストライキを労働者が繰り返し、「家族との生活を守る為には、そんなに世の中は便利じゃなくてもいい」という価値観が浸透する程、労働者主義的な社会ではありますが、こちらも年金や保険制度等が限界を迎えており、資源が少なく、便利な生活にどっぷりつかった今の日本にそのまま持ってきても、適合できない可能性が高いのではないかと思ったりもします。


じゃあ日本はどうしたら良いのか?


「日本の良さ」は何だろうと振り返ってみると、個人的にはオリジナルをより良いものに発展させる「アレンジ力」(りょく)ではないかと思っています。


某東アジアの大国等のように、安かろう悪かろうのコピーではなく、オリジナルをさらに良いものに改良し発展させる「アレンジ力」。これこそが日本の持つ最大の強みなのではないかと。


戦後日本はアメリカの背中をずっと追いかけてきたような感がありましたが、欧州やその他の地域でも世界にはまったく別の価値観を持った人々、国々が沢山存在しています。

オリジナルモデルを生み出す力が今の日本に無いのだとしたら、お家芸とも言えるアレンジ力を駆使し、徹底的に他国と自国自身とをとことん検証して、良いとこどりプラスアルファで、ワンランク上の生活形態をも作り出せるのではないかと。


そしてそれは政治が何とかしてくれるのを待つのでなく、我々一般人(国民)が主導となって世の中を変えていかないと実現できないようなそんな気がしています。
(史実に重ねるならば、今のこの時代は黒船来航前夜といった所なのでしょうか)


残念ながら今の日本では、大統領を直接投票することはできませんから、米国民のように新大統領に希望を託すことはできません。
日本のチェンジは、我々一般の国民自らがムーブメントを起こすしかないのだろうとそう考えています。
(今の日本の政治手法も民主的ではあるのでしょうが、大統領選挙のようにストレートではない分、政治はわかりづらい、民意が届きにくいと国民が感じてしまっている気がします)


こういう時こそ国民の代表として、、、、、小浜市の皆さんに頑張ってもらいましょうかね???
(おーーーーーい、オチが賞味期限切れしてますよぉぉぉぉぉぉ<汗)



写真:海から眺めた世界経済の中心地マンハッタンの町(ニューヨーク/USA)

No Score

2009-01-03 | 旅人のひとりごと
お正月なので、もう少しひとりごちてみます。


最近思い立って昔好きだったバロック音楽を、ピアノやオルガン(昨年1月に東京で購入した安いデジタルピアノですが、なかなか良いパイプオルガンの音が入っているので)で弾いたりしています。


昨日そろそろ曲を暗譜しようとスコア(楽譜)なしで弾き始めたのですが、その途端、これまで間違えたことない場所でミスをしたり、急におどおどした感じになって自分でも思わず苦笑してしまいました。


振り返ってみると、今その瞬間に自分が奏でている音だけしか感じておらず、まるで暗中模索のような状態だったことに気付きました。


しかしこれは僕達が、日々生きていくことも似ているな、とそんな風に思います。




今精一杯で生きているその瞬間、その瞬間だけで、先の見えない毎日。


とくに昨今のような暗い話題がとかく多い、また将来に希望を見つけにくい世の中であればなおさら、意味もなく不安な気持ちに襲われることがあります。



でももし、全体の演じるべき音楽(曲)の姿がはっきり見えた状態で、フレーズの中で1つ1つ確かめるように音を奏でることが出来れば、、、。



よくよく考えてみれば、所詮は毎日弾いている馴染みの曲。

5本の指をピアノの鍵盤の上に戻して、全体のフレーズ、自分の目指すべき全体の曲の姿を思い浮かべて、それをなぞるように音を奏でていくと、嘘のように先程までの不安な気持ちが無くなりました。




10代から音大生だった大学時代までは、RockやPops以上に、僕はクラシック音楽を演奏する機会が多かったのですが、それまでうまくいっていたのに、たった1フレーズミスしただけで酷く動揺し、残りの演奏がボロボロになってしまうことがよくありました。


これも昨日のひとりごとではありませんが、自分は心が弱いせいだ、なんて思ったりしていたのですが、結局はその瞬間、瞬間の「点」で音を奏でるだけで、自分の目指すべき音楽、その全体のフレーズの線をなぞるように演奏できていなかったから、1つのミスで頭が真っ白になってしまったのだろうと思います。


この世に完璧な人間などなく、間違いや失敗をするのが人間という生き物ならば、全体の数百、数千分の一音のミスを悔やんで、その他を台無しにするより、音を奏でた瞬間、瞬間に、それを躊躇なく次々と捨て去るように忘れて、絶えず全体のフレーズを感じながらその先の音を奏でていく方が、結果としてずっと素晴らしい演奏ができるのだと、今は思います。



そしてそれは人生も同じ。



生きていくことに酷く不安に思うそんな夜は、きっと自分の進むべき姿を見失っているのかもしれません。



人生に答えが無いならば、進むべき姿というのは、きっと自分のなりたい姿、やりたい事、こんな風に生きてこんな風に死んで行きたいという、そんな人生のことなんだろうと思います。




とはいえ、追われるように慌ただしく過ぎていく毎日の生活の中で、今の自分が正直どうしたいのかよくわからなくなることがあります。


そんな時僕は、旅先の孤独という名の静寂の中で、「お前はどうしたいんだ?どう生きたいんだ?」とそう自分に問いかけています。



楽譜には音を奏でる音符と、音を奏でない休符が書かれています。


でも音楽の中で休符というものは「意味の無いただの休み」ではなく、全体の曲を構成する上で、「非常に重要な役割」を持っています。この休符をどう使うかで、全体の曲の雰囲気がガラッと変わってしまったりもします。


自分にとって、旅先での自分自身との会話の時間は、この「休符」の役割なのかもしれないなと思ったりもします。


人生もそう、「音の鳴っている部分」だけで成り立っている訳ではありません。



生きていくことに不安を感じたら、そう。なんちゃってフィクション作家にでもなりきって、生まれてから死ぬまでの自分の自伝を、子供の頃の落書きのように、書いてみるといいのかもしれません。


その中で今、自分が何ページ目にいるのか考えてみる、、、そんなことを今度やってみようかな、なんて思っています。
(といっても、生まれた、生きた、死んだの三行で終わっちゃったりしたら、どの辺りなんて感じる余裕はありませんが。<おいおい、もうちょっと書けるだろう。笑)


生前葬なんてモノがある位だから、生前自叙伝?なんていうのもあっていいんじゃないかと思います。


どうせ他人にみせないなら、思いっきり図々しいヤツを今度書いてみようと思う、今日この頃です。(笑)

ドイツ最高峰に登って思ったこと(ツークシュピッツェ/ドイツ&オーストリア)

2009-01-02 | 旅人のひとりごと

今年も元旦ということで、少しひとりごちてみたいと思います。


昨年のクリスマスに鉄道で、麓のガルミッシュ=パルテンキルヒェンからドイツ最高峰のツークシュピッツェ(2963m)に登った時のこと。

始発駅のガルミッシュを出る時には空は分厚い雲に覆われており、今日は無理かな?とも思いました。

しかしまずはそこへ行ってみようと、朝7時過ぎに宿を出て、氷点下の中を震えながら駅に向かい、2時間弱程かけ登山鉄道とロープウェイで頂上につくと、そこは雲の上の素晴らしい絶景が待っていました。


その山頂で素晴らしい景色を眺めながら思ったこと。



ふもとでごちゃごちゃ言ってないで、まずはそこを目指して登ってみること。
そしてその行きたい場所まで行ってみなければ何も始まらないということ。



自分の人生を振り返ると、特に10代や20代前半などどちらかと言えばいつも楽な道を選んできたような気がします。

もちろん難しことにもチャレンジはしましたが、大きな困難に直面すると、ああ自分には無理なのだとすぐに諦めてしまうところがありました。


しかしやはり自分の中にも「なりたい自分」があり、一定の年齢になった際に、どうしても自分自身を諦めきれないところがあって、どうせならばとことんあがいてやろうと思うようになりました。


でもようやくそれなりに結果が出始めたところで、いざという時につまずいてしまうところがあり、その失敗で心が折れてしまうようなことがあって、それは「自分の心が弱いから、いつも大事な所で一歩届かない」のだと、そんな風に思ってきました。


しかし最近、実はそうではないんじゃないかと思い始めています。


30歳になった時、所謂その世界で一流と呼ばれる2人の方から金言を戴きました。


1つが「人間はその気になれば何だってできる」ということ。

もう1つが「考え抜くこと。そしてやり抜くこと」


困難な出来事に直面し、ああ自分は駄目なんだと感じた時、そこで諦めるのではなく、本当に自分にとってそれが大切なものであるなら、どうしたら「なりたい自分」に近づけるかを徹底的に考え抜いて、そしてそれを徹底的にやり抜くことができれば、実は自分にも出来ることがもっともっと沢山あるんじゃないかとそんな風に最近思います。


いざという時に心が折れてしまうのは、心が弱いからという単純な話ではなく、積み重ねたものがまだまだ足りないからなのではないかと、そんな風に思うようになり始めた自分がいます。



ただ人と同じことをするのではなく、少ないながらもとことん知恵を絞って、徹底的により良い方法を考え抜いた上で、それを馬鹿みたいにひたらすらやり抜いてみる。


そうやって積み重ねていけば、なりたい自分にもっともっと近づけるのはないかとそんな風に感じています。


例えそれがカッコ悪くても、はたから馬鹿だと思われても、たった1度の人生、とことん納得がいくまでやってみれば良いのだと思います。

そう自分がどうしてもそこへ行きたいと思うのならば。



前述の件ですが、お一方は宮○アニメの映画音楽やCM音楽を手がけられている久○譲さん、もう一方が○波少年のバラエティ番組で一世を風靡したT○長(T○○デューサー)こと、土○敏男さんから戴いた言葉で、今なおこの胸で生き続けているありがたい金言です。(おいおいネタバレかい。汗)


今年一年のテーマとして、自分を信じてとことんやり抜いてみようと思っています。


※写真:昨年クリスマスに訪れたツークシュピッツェ

遥かなるガンダーラ

2008-12-01 | 旅人のひとりごと
2008年11月下旬に発生したムンバイの同時テロがようやく制圧されました。

邦人被害者を含む200人近い人達が命を落としたこの大事件。


爆発があったタージマハルホテルは、ムンバイのランドマークの1つで、
約8年前に自分がムンバイを訪れた際、この世界的に有名な高級ホテルの前を通ったこと、同じくテロがあったムンバイの駅を利用した時のことを思い出しました。
(当時自分が宿泊していたのは、タージマハルホテル近くのサルベーション・アーミーというバックパッカー宿のドミトリーでした)


またムンバイはビジネス客も多く、周りの仕事関係の日本人からも、ムンバイに出張してきましたという話を耳にする程、ごく一般的な場所で、今回被害にあった方も仕事の出張での滞在だったとのこと。


本件のテロ実行犯は、今年9月にパキスタンの首都イスラマバードで起こったマリオットホテル爆破事件に影響を受け今回のテロを計画したといったニュースも流れています。


実は今年の10月にラホール、イスラマバード、そしてガンダーラ遺跡(タキシラ)を訪れる旅を計画し、8月に日本へ帰った時に、東京のパキスタン大使館でビザも取得していました。
(即日取得。ビザ代100円)


しかし40名を越す死者を出したマリオットホテルの爆破や、今年に入ってガンダーラの遺跡近くでも外国人観光客を狙ったテロが発生していること、利用予定だったフランクフルトからの直行便が同テロ等の影響で路線廃止になったこともあり、憧れの場所の1つであるガンダーラへの旅を諦め、今回中米の旅に予定を切り替えた経緯があります。
(この秋はガンダーラの遺跡で、ギター片手にゴダイゴのガンダーラを熱唱する!というおバカな計画を立てていました。苦笑)



併せて同時期にタイのバンコクで発生した、反政府団体による空港占拠は、1週間経った今なおまだ解決に至っておらず、今日もバンコクの知人と少しだけチャットして状況を聞いてみましたが、大混乱が続いているようです。


武力で解決しようとしていないだけ、タイの事件はまだ良いとは思うものの、たった1つの国の首都空港で起きた出来事が、世界のあちこちで大きな影響を及ぼすそんな時代です。


戦争やテロというと今なお遠い国の出来事といった感がある我が祖国日本ですが、その影は自分達の生活のすぐ近くまで迫ってきています。



インターネットの普及や、先日からの世界的な株価下落等、今や世界のどこかで起きた出来事が、僅か数日後、数ヶ月後に自分達の生活に大きな影響を及ぼす程、世界は日々小さく、身近になっています。


危ない目にあわないように海外に行かなければいいと言う人がいますが、自分達の身の回りのものも、国内で自給されているものは半分にも満たない現在、鎖国時代のように日本の内側だけみて殻に閉じこもって、世界の出来事に無関心でいられた時代は、残念ながら遠い昔に過ぎ去ってしまいました。



今このブログを書きながら思い出した10年以上の前の話ですが、メジャーレーベルからCDを出すということで、当時の担当プロデューサーに自分が書いた曲を何曲か持っていった際、平和や人類愛をテーマにして書いた曲について、この平和な日本でそんな曲を歌っても誰にも共感してもらえないと散々コケ下ろされたことがありました。


我々日本人は、その気になれば世界の殆どの国へ個人で訪れることが容易にできる、世界の中ではかなり裕福な部類に入ります。


大人になった今の自分にとって、当時のプロデューサーの言葉は的確だったと理解できるものの、一方で日本がいつまでも同じように、世界の出来事に無関心で居続けたとしたら、10年後、20年後、日本は明治以前のように世界から取り残された国に戻ってしまうかもしれないと、そんな危機感を抱いています。


日本が世界の先進国の1つだったのは、2000年を超えるこの国の歴史の中で、たかが100年にも満たないのですから。


栄枯盛衰とは昔からよく言われますが、ギリシャやエジプト、イラン(ペルシャ)、モンゴル(元)等、一時は世界でも1、2を争うほど栄えた国々の現在の状況を考えれば、日本がいつまでも先進国でいられる保障はどこにも無いのです。



何もブッシュのようにテロとの戦いを声高に叫び、積極的に軍事参加をしろと言っている訳ではありません。


ただ自分達がこの地球上でくらす当事者として、この世界の未来を真剣に考え、自分達にできることを1つずつ実践していくことが大切だとそう思っています。



またささやかな願いとして、かつて玄奘三蔵が旅したガンダーラの地で、ギター片手にゴダイゴのガンダーラを熱唱するという超おバカな企画が、気軽に実現できる日が1日も早く来て欲しいと思っています。



写真:期限切れになったパキスタンのビザ

今年も9.11を迎えて

2008-09-12 | 旅人のひとりごと




今年も9.11の日を迎えました。


2001年にアメリカでおきた同時多発テロ事件。


グラウンド・ゼロと呼ばれる、旧ワールドトレードセンタービル跡地等で、今年も追悼式典が行われたようです。



2000年の節目の年にギターを抱えて歌いながらの世界一周の旅に出て、偶然訪れたその場所を歩いていた時は、まさか1年後にあのような事件が起こるとは想像も出来ませんでした。


しかしあの事件をきっかけに、誰が叫んだのか、21世紀は「テロとの戦い」の世紀と呼ばれ、今なお世界のあちこちで多くの血が流れています。



9.11の事件は風化させてはいけない、人類の歴史の中でも大きな事件。


しかしその被害者であるアメリカは、今なお加害者?として、世界で戦争を続けています。


世界を旅していて思うことは、戦争に正しいも悪いも正義も悪もない。ただ全ての戦争は悲惨な結果を生み、一部の権力者や利権者を除けば、殆どの人にとって戦争はマイナスでしかないということ。


血を流さずに解決できるよう最善を尽くすこと、それがまず第一で、相手が言うことを聞かなければ殺してもかまわないというのは、それが誰であれ、宗教や思想がどうであれ、やっぱり正当化されるものではないと自分は思います。


「戦争」も「平和」も「愛」も「自由」も、日本で生活をしていると、とんでもなく非現実的に思える、思わず「嘘臭い」とさえ思ってしまう程、リアリティとは対極にあるような言葉ですが、世界を旅しながら、自分の目で「みて」、この耳で「聞いて」、そしてこの肌と心で「感じて」みると、これらの言葉にリアリズムが無い日本という国の方が、むしろ不思議な国のような気がしてくるのはなぜでしょうか。


人類がこれまで生きてきた歴史の中で、常にそのテーマは中心にあったのだと改めて感じることがよくあります。


もちろんたかが通りすがりの旅行者に、実際にその場所でその歴史の中で生きてきた人達と同じように実感ができるはずはありません。

しかしそこに足を運んでみると、自宅のテレビの前で、上から斜めから好き勝手な言葉をはき捨てていた時とは違った感情が、自分の中に芽生えてくるのも事実です。



グラウンド・ゼロとは元々、原爆投下跡地や、核実験跡地の爆心地を指す言葉で、9.11で旧ワールドトレードセンタービルが崩壊したその場所が、そのグラウンド・ゼロの光景によく似ていた為、定着した言葉なのだそうです。


そう、もともとグラウンド・ゼロとは、広島や長崎にアメリカによって投下された原爆の爆心地を指す言葉です。


たかだか65年程度、自分達の親や祖父母が幼少だった頃の、誰もが知っている日本の場所をさす言葉が、なぜか今ではものすごく別世界の場所、出来事、、、まるで映像上のフィクションかのように感じてしまう現実が、他でもない、私達の日常の中にあります。



我が祖国に原爆が投下された当時の日本人は、今の日本の姿が想像できたでしょうか。

そして約半世紀後、自分達の孫の世代となる日本人は、後世に今の私達のことをどのように語るのでしょうか。



マンハッタンのグランド・ゼロは、9.11同時多発テロ事件以来1度も訪れていませんが、それ程遠くない未来に足を運んでみたいと思っています。


もちろん自分にとっての旅のパートナーであるギターと一緒に。


写真:2000年の旅で訪れた、ニューヨークのセントラルパーク内にあるイマジンの碑

【続】進化し続ける世界遺産(サグラダ・ファミリア大聖堂)

2008-09-08 | 旅人のひとりごと
もう1枚、バルセロナのサグラダ・ファミリア大聖堂の写真をアップします。


前回訪れたのは約1年半前でしたが、またちょっと進化しているのがわかりますか???
(夜なのでわかりずらいかもしれませんが)


完成まで100年???とも、かなり短縮され急ピッチで進んでいるとも言われるこの大聖堂ですが、アントニオ・ガウディの意思を次ぐ人々の手に寄って、今なお日々進化を続けています。


我々が生きている間に完成しないかもしれませんが、チャンスがあればまた足を運んで、その道程を見続けたいと思っています。

追悼の十字架前で歌う(ヴィリニュス/リトアニア)

2008-08-24 | 旅人のひとりごと
バルト三国の旅フォトの最後にこの写真をアップします。


これは1991年1月13日の「血の日曜日」事件で、テレビ塔前で犠牲となった人々の追悼の十字架です。

当時は米・イラクを中心とした湾岸情勢に世界が釘付けとなっているときで、1990年3月に独立を宣言したリトアニアを旧ソ連軍がとりかこみ、非武装の市民14人がこのテレビ塔前で命を落しました。


食料品値上げに対するロシア人、ポーランド人のデモを口実に、この2日前となる1月11日の金曜日に、旧ソ連軍が軍事介入し出版センターが占領され、当時のランズベルギス議長の呼びかけで国会議事堂と、言論の自由の核であるTV施設を守る為に市民が集結しました。


12日の夜中、KGBや共産党員等からなる国家救済委員会が権力掌握を宣言し旧ソ連軍が軍事作戦を展開、翌13日の日曜日に大量の戦車と兵士がテレビ塔を襲い、建物を守っていた非武装の市民がこの場所で命を落としました。



雪の降りしきる中、国会議事堂には、同じく非武装の市民が祖国の歌を歌いながら議事堂を守っていましたが、もし同様に旧ソ連軍が議事堂へ侵攻していたならば、さらなる大量虐殺が行われていたことは必至でした。


そしてこの問題は遠い過去の歴史などではなく、現在なお、北京五輪のさなか自分がリトアニアを訪れた1週間後、同じバルト三国であるエストニアを訪れているその日に、ロシア軍がオセチア、アブハジアの境界を越えたグルジア領内で、その軍事作戦により多くの人々が命を落としました。


これは現地のロシア系人民の解放を訴え軍事介入をしたロシア軍という構図は、まったく同じです。


ロシアはコーカサス地方の原油等の資源を抑えたいという思惑から、今回の軍事行動につながっているようですが、一方グルジアを支援する米国がイラクで行ったことも、まったく同じ(それ以上)であり、普通の日本人会社員が仕事上で日常的に関っているロシアやアメリカにおいて、21世紀になってもこのような事件が当事国として起こり続けています。

いつまでたっても人類は同じ過ちを繰り返し続けているのだと、やるせない気持ちになります。



今回のグルジア問題について、日本では「遠い国で起こった自分達には無関係の事件」と、多くの人々が「無関心」のように見受けられます。


同様にこのリトアニアで起きた事件は、当時まだ10代で日本に住んでいた自分にとっても、見知らぬ遠くの国で起きた事件で、正直この場所を訪れるまで、その事実を知りませんでした。



2000年から世界を歌いながら旅していますが、年々世界は確実に「小さく」なってきている気がします。


移動技術や通信技術、インターネット等の発達によりそれを感じますが、身近な「原油価格問題」1つとってもわかるように、経済や生活といったレベルでもそれは確実に「遠くで起こっている事件」ですまされない時代が訪れようとしています。

地球上のどこかでおこった事件が引き金となり、身近な朝鮮半島問題、自分達が住む街でのテロ事件、自分達の生活や人生を大きく変えてしまう程の大きな流れへとつながる時代が訪れようとしています。


私達日本人が「日本人」であることを意識するのは、オリンピックやワールドカップといった国際試合や、仕事、旅行で海外に出た時位で、島国にニッポンでそれを感じる機会は幸か不幸かそれ程多くありません。


しかし近い将来、いやがおうでもそれを意識させられる日が来ることを、日本を遠くはなれて暮らしているとひしひしと実感します。

そしてそれはいずれ「地球人」という、今では大きすぎて実感がわかない、そんな単位へとシフトしていくことでしょう。

それは100年、200年といった遥か遠い未来などではなく、私達が生きている時代に確実にやってくると思います。



この十字架前でギターを片手に歌っていると、並んだ十字架が「この場所で起きたことを忘れないで」と語りかけているような気がしました。


自分達が住むこの地球上でかつて起こったこと、現在起きていること、これから起きようとしていることに対して、その事実、真実を少しでも知り、そして明日自分達がなすべきことを考え、「1人の地球人」として行動していきたいと思っています。

正義と誇り

2008-06-13 | 旅人のひとりごと

旅をしていると、ほんの数年前、十数年前ここが戦火に包まれていたという場所を訪れることがあります。


今はすっかり落ち着きを取り戻した町並み。
自分が歌っていると、笑顔を返してくれる町の人達。

しかし同じ場所、同じ人達がその時、銃や爆弾を手に取り、殺し合いをしていたのだという事実に酷い違和感を感じます。


そんな時「正義と誇り」というものについてよく考えさせられます。



愛する人や家族の為、民族の誇りと自由の為、信じる神の為、、、人が武器を手に取り戦うとき、その胸にはいつも「正義と誇り」があります。

実際は金や利権、権力を手に入れる為に、盤上の駒を動かす指導者達によって、その「エゴ」が美化された言葉にすりかえられているだけだと自分は考えますが、戦地で血を流すのはそんなエゴとは無縁の人々です。


しかし例えエゴではないのだとしても、「正義と誇り」の為に人を殺し、自らも命を失うことは、本当に正しいことでしょうか。

しかし人を殺してまで守らなくてはいけない、「正義や誇り」は本当にあるのでしょうか。

「自分達は正しい」、「自分達は間違っていない」
、、、しかし正しいとか間違いってそもそも何なのでしょうか。


殺らなくては殺られるのが戦争という言葉を聞いたことがありますが、正義や誇りはとりあえず横に置いておいて、そこから逃げ出しちゃえばいいじゃないか?と思ったりするのはイケナイことなんでしょうか、、、。



戦争ではありませんが、自分の胸の中にもいつもちっぽけな正義と誇りがあります。

自分の中では決して譲れない正義であったり、自分自身を支えている誇りであったりして、そのような正義を他人に侵されたり、誇りを傷つけられると、ものすごくムキになる自分がいます。


自分の視点から見るとそれは至極当然のこと。
でも相手には相手の正義や誇りがあり、互いに正義と誇りを主張しあえば、そこで有形無形の争いが生じます。


しかしすべての人間は同じではありません。


容姿や性格、生まれ育った環境や文化、価値観は皆違います。
身近なところでは、好きな食べ物や洋服、音楽の好み1つとっても意見は分かれます。

それなのに自分が一番良いと思うものを、異なる意見、価値観を持った別の人間に「自分が1番正しくて君は間違っている」と主張することにどんな意味があるのでしょうか。



もちろんこちらがそのつもりが無くても、相手が一方的に自分の領域に踏み込んでくることはあります。

そんな時自分も「俺は悪くない」と、いつも激しく憤っています。(苦笑)


でもだったらそこから1度身を引く、という選択肢だってあるのではないか、、、そんなことを感じ始めています。


自分の主義、主張は変えない。
でも争うことは無意味なのではないかと。


以前、このひとりごとでもとりあげたことがありますが、チベットのダライラマはこの考えを実践している一人です。

中国に武力で自国を侵略され、先祖代々の土地を離れインドへ亡命。
しかし自分達の誇りも主張も捨てず、戦争とは違う選択肢を選んだ人です。
それはかつてガンジーがといた非暴力、非服従の考えと同じものだと思います。


でもダライラマやガンジーは決してその正義も誇りを失った訳ではないと思います。

ただその正義や誇りを、力ずくで正面からぶつけ合う方法を選択しなかっただけなのだと自分は思います。


ダライラマがチベットの地に再び足を踏み入れたとき、これまで語られてきた「戦争」という名の殺し合いを正当化する「正義と誇り」というものが、もう1度見直されるのではないかと、淡い期待を抱いています。


こんなことを考えながら、いつもこの胸の中のちっぽけな正義と誇りのおかげで、必要以上に苦しんでいる自分自身の日々の行いを反省している今日この頃です。(苦笑)


写真:NATO軍の空爆によって破壊されたベオグラード市内の建物。(セルビア08年夏)

西側諸国では「悪者」のイメージがある旧ユーゴスラビア体制側のセルビアですが、人々は穏やかで町も古きよきヨーロッパという感じでした。

東西冷戦が終わりを迎えようとした80年代後半~90年代、共産主義体制側であった現在のセルビアは、西側諸国にとって「邪魔な存在」だったのかな?と想像しています。

西側の仲間入りを目指し独立を主張した当時のクロアチア、スロベニア、ボスニア等の人々。西側の人々にとって彼達は「自由と正義」の為に戦うヒーローだったのかもしれません。

しかし一方で当時のセルビアにとって彼達は、いきなり武器を手にとって、自分達がこれまで築き上げてきた「法律」と「秩序」を乱す犯罪者だったのでしょう。

それは私達日本人が、「北の方面の国」で民主化を叫んで、独裁政権から独立しようとするグループが「正義」に感じたり、「宗教を盾にとった過激な人達」が、欧米諸国(今後は日本もその場になりうる)で、銃器や爆弾を使って政治的主張をすることを「犯罪」、「テロ」と感じるという構造等も、実は本質的には同じなのかもしれないと思ったりします。


ただ自分的には、「武器を手にとって人殺しする人達」は、たとえ理由はどうであれ、
「全部バカタレ」だと思います。