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拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

1人でも多くの命が助かりますように

2011-03-12 | 旅人のひとりごと


昨日三陸沖を震源に発生した、M8.8の東北地方太平洋沖地震ですが、皆さん大丈夫ですか???


フランクフルト市内でも街中の大型ビジョンや地下鉄駅の街頭ビジョンで、同震災の火災等の映像が流れ、「日本の大地震」という衝撃的なニュースが世界中を駆け巡りました。


自分も日本の両親等に連絡をとって無事を確認し、よかった~等と当初はお気楽なことを言っていたのですが、帰宅後にTVをつけて飛び込んできた、衝撃的な映像を繰り返しみる度、事の重大さに愕然とし、被害にあわれた方々のことが心配になって、眠れなくなってしまいました。(まもなくドイツは深夜3時です)


被害の影響範囲等、メディアを通して伝わってくる数字は、今なお膨らみ続けていますが、地震や津波等の直接被害はもちろんのこと、阪神大震災や過去の大規模災害時で発生した二次的・三次的な被害を含めて、今は1人でも多くの命が助かって欲しいと切に願っています。


海外にいても、今すぐ自分にも出来ることが何か無いかと考え、インターネットで情報収集していたところ、被害にあわれた方々向けの対策記事を偶然目にしましたので、「ネットの力」を信じて、同記事を次に転載致します。




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東北を中心とした大きな地震が起こりましたが
皆さん大丈夫でしょうか?

軽トラの地域は幸い被害がありません。

地震の被害に逢われた方は以下のことを参考にしてください。
(転載して多くの方に知らせてください)



随時、情報を追加しますのでこちらをご確認ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/innocent_world22/2317201.html
【追加】
ひとりでも多くの方に読んで頂きたいと思っていますので
人気記事ランキング入りの為に「傑作」「コメント」をいただけると助かります。


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【追加】
寒さを防ぐ方法
●体のまわりに空気の層を作る
(新聞紙を服と服の間に入れる。セーターなど空気を含みやすい服を着て、その上に空気を通さない服、ビニールシート、ゴミ袋などをはおる)
●タオル等で顔、耳、頭など皮膚を露出しないようにする
●首と背中を重点的に暖める

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【追加】
車中泊をされる方へ
●車両は交通の邪魔にならず、津波の心配のない安全なところで
●エコノミー症候群防止のため、水分を十分とり数時間おきに足を動かす運動を
●就寝中、誤ってアクセルを踏むと、急発進やマフラー等の加熱による火災の恐れがあるのでなるべくエンジンは切ってください
●車から逃げる際はキーをつけたままに逃げること

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【追加】
危険勧告
震災時、建物に赤い紙が貼られている場合、
その建物は全壊判定を受けた建物です。
絶対に近づかないでください。

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【追加】
地震酔いの直し方
地震酔いに苦しんでいる方が多いと思います。
地震酔いの際は、目をつむり10秒程度深呼吸を繰り返してください。
口内が乾いている場合は水等を含んでください

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【追加】
避難の際は、可能であれば以下を持ち出すように!
●現金
●身分証明書
●印鑑・預金通帳・保険証
●飲料水、非常食
●携帯電話・充電器
●家族の写真(家族を探している方はこれがあると便利です)

持ってると便利なもの
ゴミ袋(給水時のバケツ代わりやトイレの代わりなどいろいろ便利)
サランラップ(皿に巻くと皿を洗う水を節約できる。あと包帯のかわりにもなる)
クッション(頭の保護に。あと枕にすると体力が温存できる)

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【追加】
簡易トイレの作り方
●便器の中にビニール袋を二重に入れる
●ビニール袋の口の一部を管などに括る
●ビニール袋に新聞紙を入れ、出来れば消毒液等を入れる
●必要に応じてビニール袋を代える

水が出ない場合はこの方法を!


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【追加】
■災害用伝言ダイヤルと伝言板

利用エリアに制限あり

・利用方法は「171」をかけるとガイダンスが流れる。
・そのあと「1」をかけ電話番号を入れる
・一つの伝言あたり30秒の録音ができる。
・その音声の伝言は48時間保存されます。

■それを外から聞きたいときは
・「171」をかけたあとに「2」をかける
・被災地の方の電話番号を入れれば音声の再生が可能になります。
・つながらないと思ったら「171」をかければガイダンスが流れるので使用法を忘れてしまっても大丈夫。

拡散推奨


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水を出来るだけ貯めてください


地震の際はまず水です。
特にマンションに住んでいる方、揺れ終わったらすぐに、
風呂、バケツ、シンク、桶…なんでもいいですから出来る限り水を貯めましょう。
揺れてすぐに水道管が壊れて水が出なくなるけど、マンションだったら屋上の貯水槽にまだ水がある。
それを貯めてください。

火を消すためではありません。
飲用でも料理用でもありません。
「トイレ用」です。
いやホントこれが死活問題になります。

都会の地震ならなおさら。
小学校に行こうが公園に行こうが、どこに行こうが水洗便所しかありません。
ってことは水が出ないと流せない。
汚物は溜まる一方になります。


普通の水洗で1回にバケツ2杯分でちょっと足りないくらいの水を使います。
自衛隊の給水に長時間並んでもいいところ1人で運べるのはバケツ2杯。
そう、1回並んで(1時間くらい)トイレ1回分しかもらえないのです。
10階に住んでいたら、重いバケツを階段で必死に運んで(エレベーターもちろん止まってます)
やっとトイレ一回分なんです。
高層マンションの上の方に住んでいる方は運ぶだけで大変です。
ご老人や身体が不自由な方、体力のない方など、死活問題です。

ですから、「まず、水をためてください」

一軒屋の場合でもすぐ近くの水道管が切れない限り少しは出ると思います。
でなければ近くの公園とかに出かけていって公共の水道から出来るだけ
多く水をもらっておくことです。







次にすぐに靴を履いてください。



多くの地域で停電しているとおもいます。
これから夜の7時であろうが真の闇になります。
何が言いたいのかというと、暗かったら足もとが全くわからないということです。
グラスやガラスや食器がそこらじゅうで割れまくっています。
ですからガラスの破片で怪我をする確率が高いんです。

水がでないから傷口洗えない。
清潔にたもてない。
病院はもっと重症の患者で一杯。
ざっくり切った日にゃ大変です。
足の裏を切ると歩けません。
火事から逃げるのもヨタヨタです。
高層マンションに住んでいる方。
エレベーター止まります。
止まったきりで当分動きません。
水とか食料とか近くの避難所にもらいに行くのにいちいち階段を上り降りしなければなりません。
足の裏の怪我は致命傷なんです。
ですからまず玄関にそうっと足怪我しないように歩いて行って、
とにかく靴を履きましょう。床汚すの嫌なら新品おろしましょう。


家を離れるときはブレーカーを落としてください

「通電火災」って言葉知ってますか?
電気はガスや水と違って半日~3日くらいでかなり復旧します。
一応電力系の会社が各家を回って人がいるのを確かめてから
通電するのが原則らしいのですが、そんなもの不可能なので
勝手に通電されることも多いのです。
で、その時に起こる火事が「通電火災」。
実際、阪神大震災での出火原因の6割は通電火災であるとすら言われています。

都市ガスが吹き出している場合もあります。
通電の際の火花がこのガスに引火するケースがあります。
また倒れた電気ストーブに再び火がついちゃったり、落ちた裸電球も
紙の上に落ちたりしていた場合危ない。
熱帯魚用のヒーターもかなり危ないらしいです。
その時家に誰かいるのならなんとか「通電火災」を食い止めることが出来るとは思います。
でもいなかったら無理。
地震後何時間も経ってから火事になった家が多くあります。
ほとんどが「誰もいない間の通電による火災」です。

それを防止するにはブレーカーを落としちゃえばいいのです。
地震後、家をなにかの用事で離れるときは、それがほんの
短い時間でもブレーカーを落す。
忘れないでくださいね。


連絡はメールで

新潟大地震では、ケータイ電話は通じなかったけど、ケータイ・メールは繋がったらしいです。
メールはパケットだから時間掛かっても届くみたいです。
連絡はケータイ・メールでするのが正解かもしれません。


災害用伝言板
  - NTT DOCOMO
http://dengon.docomo.ne.jp/top.cgi

  - au by KDDI
http://dengon.ezweb.ne.jp/

  - SoftBank
http://dengon.softbank.ne.jp/

 


たくさんの転載ありがとうございます。
また情報ありましたら随時追加したいと思います。
他になにかあれば教えてください。
                      ―軽トラ―


クライストチャーチの大地震

2011-02-24 | 旅人のひとりごと


中東デモの話題から一転、ニュージーランドのクライストチャーチで発生した大地震のニュースが話題になっています。


阪神淡路大震災並みの揺れとも言われる今回の地震は、町のシンボルだった大聖堂も半壊し、ご自慢の古き良き英国風の町並みが瓦礫の山となり、多くの犠牲者が出ています。



今から約11年前のことですが、クライストチャーチを訪れた際、数ヶ月後に学生時代の友人が結婚すると聞き、日本に一時帰国できない自分にできることが何かないだろうかと考え、その友人のお祝いにと、同町の川べりで曲作りをしました。


その後、旅先のユースホステルで知り合った、ワーキングホリデーで同国に滞在していた日本人の青年に、電話帳等を使ってスタジオ探しを手伝ってもらって、クライストチャーチ郊外のスタジオまで彼の車で連れていってもらい、書きあげたばかりの曲を自分でピアノを弾いてうたを歌い、レコーディングしました。

それをカセットテープに落として(時代を感じさせます。笑)、披露宴で流してもらおうと、日本の友人宛に送ったという出来事がありました。



その時知り合ったワーホリの日本人の青年は、お互い日本に戻った後にも親交があり、10年以上経った今でも、彼とは年に数回メールのやりとりがあり、生涯付き合える友人になっています。



しかし今日見たテレビの映像では、11年前に何度もその前を通った大聖堂の尖塔が倒壊し、その時曲作りをした小川の前には、余震の恐怖に怯え、逃げ惑う人達の姿がありました。



約10年の月日をかけ世界100ヶ国を旅した中で、訪れたそれぞれの町に生涯忘れられない思い出が詰まっています。


しかし中東デモといい、クライストチャーチの大地震といい、ショッキングなニュースでその思い出が塗り替えられていくのは、少し複雑な気持ちです。


日本人留学生を含め、まだ瓦礫の中で救出を待っている行方不明の方々がいるということで、1人でも多くの人達が救出され、1日も早くクライストチャーチの町が復旧されることを祈りたいと思います。


※写真:クライストチャーチの大聖堂(2000年)

リビアの民間デモに対する、カダフィ政権の軍事攻撃に断固抗議します!!!

2011-02-23 | 旅人のひとりごと


先日ひとりごとで、インターネットを使って広がる中東の民主運動について触れましたが、その後バーレーンが民間デモの加熱を理由に、F1バーレーングランプリの開催中止を決定したというニュースが報道されました。


さらにバーレーンの報道の後を追うように、リビアで加熱する民間デモに対して、軍が力でねじ伏せようと、民間のデモ隊に対して空爆を開始し、既に死者が800人以上でているという衝撃的なニュースが飛び込んできました。


1969年の革命以降、既に40年以上も独裁政権を続けるリビアの国家元首、砂漠の狂犬カダフィ大佐こと、ムアンマル・アル・カダフィですが、民主デモに地位を奪われる位ならいっそのことと、デモ隊に爆撃機を使って空爆を行うという、歴史に残るであろうとんでもない暴挙に出ました。



かつて世界でも有数の反欧米政権だったことで、日本を含めた西側諸国からはいまだ遠い国ですが、リビアを訪れた旅人達からは、他のアラブの国と違い人がすれておらず、皆親切でとても良い国だと聞いていました。

それは同じ独裁政権でも、9.11以前のタリバン政権時代のアフガニスタンとは大きな違いでした。(タリバン政権については9.11以前からも悪評をよく聞いていました)


政治思想の違いで西側からは敵視されていても、キューバのカストロ議長や、パレスチナのアラファト議長のように、カダフィはリビア国民にとっては英雄なのかもしれないと思っていたのですが、今回の行動でそれは大きな間違いであったと思い知らされました。

どんな理由であれ、自国の民間人のデモ隊に対して、一国の元首が空爆を行うという行為は、決して許されるものではありません。


王政打倒を掲げる自国民のデモに対して、「今直面している問題を解決することの方が重要だ」と、F1開催を諦め、国民との対話を選んだ、バーレーンのサルマン皇太子とは大違いです。


この空爆によって、火に油を注ぐように反政府勢力は拡大し、いずれ遠くない日にカダフィは孤立し、政権崩壊は実現されるでしょう。



今回のことは、追い詰められた独裁者が「どうせ全てを失うなら、いっそのこと思い知らせてやろう」とばかりに行ったのかもしれませんが、今回のリビアと同じように、日本へ弾道ミサイルが届く距離の北方の独裁国家でも、ひょっとすると同じようなことが起こるかもしれない(しかも核保有国だけに非常に危険)という、一抹の不安を覚えました。



まだまだ広がり続ける雰囲気のある、中東の民主化運動ですが、何とか平和的に問題が解決されることを心から祈ります。



※写真:バーレーンフォートから眺めた首都マナーマの町(2007年)


2011年インターネット革命

2011-02-21 | 旅人のひとりごと


チュニジアの青年による焼身自殺による抗議をきっかけに、インターネット上のSNSを通じて瞬く間に民主運動が広がり、チュニジア、そしてエジプトで数十年続いた長期独裁政権がわずか数週間で崩壊しました。


それは隣国であるリビアやスーダン、そして現在はバーレーン、ヨルダン、クウェート、イエメン等へ飛び火し、その流れは中東のみならず、中国までも飲み込みそうな勢いを見せています。


これまで政変を達成した多くの革命は、沢山の血が流れる武力と武力がぶつかり合うものが多く、キューバでのチェ・ゲバラや、フィデル・カストロのような、カリスマ的武闘派リーダーを中心としたものが、この数十年世界では多数派だったと記憶しています。


しかし今回のそれは、ごく普通の一般市民の若者達が、インターネットを使って、まるで学生サークルの延長線から、さらに社会現象へと繋がる大きなうねりを生み出し、政権を倒すまでに至っています。


ひょっとすると後年に2011年を振り返った際、「インターネット革命の年」と呼ばれるような歴史的な出来事に、我々は今遭遇しているのかもしれません。



しかし一方で、日常生活の不満から政権を倒したものの、絶対的なリーダー不在の中、それぞれ利害や主張の異なる人々達が、勝手な利権争いの駆け引きをはじめ、その中にはイスラム過激派の危うい存在もあり、これまで比較的欧米よりだった大きな観光資源や石油資源を持った国々が、先の見えない大混乱の中にあります。


アメリカは得意の2枚舌で、これまで西側寄りだった旧独裁政権を支持していたのを忘れたかのように、次の権力者に摺り寄るための準備なのか、民主主義万歳的なコメントを多発しています。
(アメリカの政治家は、メインスポンサーであるユダヤ社会の意向に逆らえないのでしょうが)


しかし民主主義云々を言うのであれば、1日も早く平和的に、当事者であるその国の民にとって、正しいリーダーを選ぶための仕組みづくりを支援することこそが重要だと思います。(治外法権云々を言うのであれば、それこそ国連を中心としてできることがあるはずです)


一方で遠い国の出来事として今回のインターネット革命の報道が、日本のテレビ番組で流れていますが、実は日本も決して他人事ではないような気がしています。


思い返してみれば、第二次大戦後に日本に君臨した、長期独裁政権と言ってもよい自民党政権を倒しはしたものの、その後「繰り上がった」民主党政権では迷走が続き、気付けば今や国民そっちのけで権力争いに突入、高々と掲げたマニフェストは、実質的に実現不可能なものだったことを認めてしまっています。

国民は真のリーダー不在の中、自民も駄目、民主も駄目、そして政治の舞台は地方自治の方向へと向かいつつありますが、いまだ先の見えない不透明な状況です。



自分達の国の未来を決めるのは、他でもない自分達自身であり、日本も同じように、今の政治が駄目ならば、憲法の見直しを含めた、「正しいリーダーを生み出す為の仕組みづくり」の検討が必要では無いでしょうか。


今の政治が駄目なのは、国のリーダーが結局のところ国会上の数の論理で、「政権与党(政治家)によって、総理大臣(国のリーダー)が選ばれる図式」というのも一因だと思っています。


もちろん行政を支えるための仕組み・体制も重要ですが、半世紀以上前に占領国のアメリカにとって都合よく作られた時代遅れの仕組みではなく、同国の大統領選挙のように国民によってリーダーが直接選ばれるような、国民の声が直接反映され易いような仕組みへと、政治の枠組みを再構築しようという動きがもっとあってよいのではないかと思っています。



今の日本の政治が駄目なのは言うまでもありませんが、まるでワイドショーのように、持ち上げるだけ持ち上げて、その後突き落として叩けるだけ叩いて数字を稼ぐ、ご都合主義な日本のマスコミの責任もとても大きいと、個人的には思っています。
(もちろん「世論」や「流行」の名の下に、そのマスコミに踊らされている、我々国民にも責任はあります)


日本の若者達も、就職先が無い、未来に希望が見えないと肩を落とすだけでなく、自分達の手で希望を生み出す為に何が必要なのか、何ができるのかを、我々自身が考える時期に来ているのではないかと思います。



ごく普通の一個人が、「自分の声」を発することの出来るインターネットという便利な道具。

世界では発展途上国と呼ばれる国の人達が、このインターネットを使って、自分の国を変えようとしています。



先進国と言われながらも、中国にGDPを抜かれ、自国の市場は先細りと言われる日本は、確かに今1つの岐路に差しかかっています。


しかし世界の外側から見てみると、日本という国、そしてそこで生きる日本人は、自分達が思っている以上に世界から尊敬&信頼されており、目を見張るべき素晴らしいもの、世界で活躍できるだけの素晴らしいものを沢山持っています。



1人の人間の力はとても小さいものだけれど、その力が集まれば国を動かす程の大きな力になることを、チュニジアやエジプトの人達が証明してくれています。


自分の国と自分自身の未来の為に、今何かできるのかを、我々国民1人1人と、日本のマスメディアが、考えなくてはいけない時だと思います。



写真:チュニジア内陸部の都市でみた青空市場(2007年)




スーパーマーケットでの出来事

2011-01-23 | 旅人のひとりごと


ドイツの自宅近くのスーパーマーケットでの出来事。


朝食用のパンを買い忘れていたことに気付き、夕方スーパーマーケットに入って、パンを1袋手に取り、レジ待ちする人達の列の最後尾に並びました。


しかし土曜日ということもあってか(ドイツには日曜日にお店が閉まるので)、沢山の食料品をカートに入れた人達がずらりと並び、なかなか順番待ちの列が進みません。


そんな中、パン1袋だけ持った自分を見た前列の人が、「1つだけ?それなら先にどうぞ」と声をかけてくれました。


するとその前の人も同じように声をかけてくれ、さらにその先でもと4~5人抜かして、あっという間に最前列まできてしまい、「なんだか悪いな、、、」と思いつつも、皆にこやかな顔で先を譲ってくれたので、お礼を言って、さっさとレジで支払いを済ませて店を出ました。


これも文化の違いかなと思いつつ、家への岐路の途中、ふと先日WEBで見た日本のニュース記事を思い出しました。


それは東京の山手線で起きた、視覚障害者のホーム転落事故の記事で、事故で亡くなった方だけでなく、かなりの割合の視覚障害者の方が駅のホームに落ちた経験を持っており、「ひと声かけるだけ」で、そのリスクはずっと減らせるといった内容のものでした。



5年前東京からドイツの田舎へ引越した際、あまりにも不便かつ非合理的、情報もなく友人もいない、英語すら殆ど通じない生活に、日々本当にうんざりしていたものですが、その田舎での生活の中でも、今日と同じようにスーパーで列を譲ってもらったりしたことや、困っている時に地元のドイツの方に親切にしてもらったことがあったなと、すっかり忘れていた数年前の出来事がふと脳裏に浮かびました。


2年前にフランクフルト市内に引っ越し、ドイツでの生活にも多少は馴染んで、生活の不便さは当時と比べ物にならないほど楽になりましたが、それでも毎日のように大幅に電車が遅れたり、突然運休になったりすることに腹をたてたり、非効率的なことがあたり前の文化に、「まったくドイツは~」とよくイラついている自分が重なり、なんだか少し恥ずかしくなりました。


どんなものでも2面性があり、良い面、悪い面があるもの。


日本(特に都会)での生活は効率的で便利な反面、人と人との関係が希薄で、自分を含めて、皆どことなく気持ちにゆとりが無くなってしまっている気がします。


東京に住んでいた頃の自分は、他人に無関心で、ある程度のお金をだせば他人と必要以上に関わらなくても生活が成立し、「その距離感」が心地よいとさえ感じていました。

もし「ひと声かけることで減らせるリスク」を知っていたとしても、「親切=おせっかい」の勝手な図式で、障害者がいても素通りし、見知らぬ他人に親切にすることを「偽善」とか、「なんだか嘘くさい」と感じる自分が少なからずいました。



しかし異国の地での不便かつ情報も不足しがちな生活の中で、人は助け合わないと生きていけないことを、日々「学ばさせられている」気がします。



10年前の9.11事件後、欧米や日本等のいわゆる西側諸国では、アラブ諸国に対してネガティブなイメージがありますが、数年前に北アフリカを旅した時に、電車の中でも町中でも、多くの人達が体の不自由な人に対して、びっくりする程すごく親切にしている光景を幾度と無く目にし、「弱者に優しいイスラム文化」の存在を知りました。
(そんな弱者に親切彼らにとって、嘘をついて人を騙すことは、それ程悪いことではないみたいですが。苦笑)



ものの良し悪しなどというものは、誰かのモノサシの上での出来事だけで、時と場所が変われば、全然別の意味を持つことも少なくないのかもしれません。


そして日々あっという間に過ぎていく自分達の日常に対して、時にはまったく別の角度から、「視点を変えて見てみる」ことも必要なのかもしれません。


そんな繰り返しの中で、どこかへ落ちかけそうな誰かに届く「ひと言」が、生まれるのかも、、、。




日の暮れかかった空の下、家への帰り道、「スーパーマーケットでパン1袋買うだけで、気付かされることがあるな、、、」と、そんなことを感じた1日でした。



※写真:スーパーマーケットで買ったパン



ドイツで広がる卵・豚肉のダイオキシン汚染問題

2011-01-22 | 旅人のひとりごと


昨年12月からドイツ全土で、基準許容値の2倍以上を超えるダイオキシンに汚染された卵や豚肉が次々と見つかり、食に対する不安が広がっています。


今年1月上旬までに、検査の為に4000以上の農家が封鎖され、そのうちの約12%の農家でダイオキシン汚染が確認され、酷いものでは基準値の78倍のダイオキシンが検出されたケースもあるのだとか。


今回のケースはドイツでも一定のシェアを誇る家畜飼料メーカーH社(ドイツ最北端の州に本拠地を置く)の飼料に、ダイオキシンが混ざった工業用油脂が混入したことが原因です。

しかも驚くことに、同社は2010年3月には本問題を知っていたにもかかわらず、9ヶ月以上通知せず飼料が売られ続け、発がん性物質であるダイオキシンに感染した食物が半年以上にわたって流通し、消費者の口に入っていたのだとか。
(その多くはスーパーマーケットを通して流通済みで、既に調査不可能らしいです。仕事がらドイツ国内出張等が多い自分は、ホテルの朝食等でよく卵やハムを食べているので、知らないうちに摂取済みの可能性があります。汗)


この背景には、卵や食肉の生産者が、極限まで価格を下げさせられているという、ドイツ食料品業界の激しい価格競争の問題があり、生産者がコストを極限まで抑えるために、かなり無茶なこともやっているという背景があるようです。



この問題は、昨年のインフレ率約1.2%であるドイツでさえそうなのですから、デフレ不況で「コストダウン」という言葉が日常に染み付いた日本でも他人事ではないと思います。


価格にかなりシビア(悪く言えばすごいケチ)なことで有名なドイツ人ですが、この問題が起きてから、皆こぞって一般卵の1.5~2倍はするBIO(オーガニック自然放牧農法製品)の卵を買い求めているそうです。



その理由は、今回ダイオキシンが見つかった混合飼料等を使うと、BIOの基準に合格しないからだそうで、これを気に自分もこれまでスーパーで10個1EUR以下の一般卵から、10個2EUR弱のBIOの卵に変えました。



もしドイツで外食する機会があれば、卵や豚肉を食べる前に「BIOの卵や豚肉を使っている?」と聞いてみるのも一案かもしれません。


たぶんドイツ人も普通に聞いてそうな気がするので、これだけ問題が大きくなっている今では、そんなに嫌な顔もされないのではないかと。


来週もドイツ国内で出張予定なので、ホテルでの朝食時にさっそく試してみたいと思います。



P.S.
余談ですが、ドイツで卵や豚肉のダイオキシン感染が大問題になっているという話を、アジア某国在住の知人にメールした際、「中国では食品汚染の問題は日常的で、野菜も洗剤を使って洗うし、ダイオキシンぐらいじゃニュースにすらならない」という返信が返ってきました。(汗)


今回ドイツでダイオキシン問題が発見された際にも、ドイツの専門家が問題となった原材料は中国からの輸入品だとコメントしたことに対して中国政府が反発し、ドイツからの卵・豚肉の輸入を停止したようです。
(中国政府は、中国ではダイオキシン問題は無いと主張しているのだとか)





※写真:ドイツのスーパーで売られているBIOの卵。卵のほかにも様々な食品でBIOのものがあり、BIO製品専門ショップもあちこちにある程、ドイツでは一種のブランド食品として一般的です。





世界遺産であることを「拒否」した町(ドレスデン/ドイツ)

2011-01-20 | 旅人のひとりごと



ドレスデンの船着場に停泊するエルベ川の遊覧船を見て、雪の舞う12月のオフシーズン(定期船の運航シーズンは4~10月頃)にもかかわらず、思わずシャッターボタンをおしてしましました。



「ドレスデン」、「エルベ川」というキーワードから、2009年に世界中を駆け巡った「ドレスデンのユネスコ世界遺産取り消し」のニュースを思い出す人も多いのではないでしょうか。



ドレスデンが世界遺産に登録された2004年の次の年に、住民投票で交通渋滞緩和を目的とした、全長635メートルの4車線の橋を架ける計画が決まりました。
(この橋を架ける計画は、世界遺産に登録されるよりもずっと前から計画されていたそうです)


「景観を損ねる橋をかけた場合は世界遺産資格を取り消しにする」、「トンネルを掘る形で回避するように」といった内容の、ユネスコからの度重なる勧告があったものの、結局「トンネルはお金がかかるから」と、橋の建設が着工され、世界遺産登録から5年程で取り消しが決定されました。



自分が住んでいるドイツ西側エリアの当時の世論(※ドイツは州ごとに祝日も異なる程、州ごとの自治権が強い)では、せっかく世界遺産に登録されたのに取り消しになるなんてもったいない!という議論が巻き起こって、「ユネスコ世界遺産とは?」的な代表例等が、ICE(新幹線)の車内や、航空会社の機内誌等を賑わしていました。



ただ世界遺産を異常にありがたがる日本人と違い、世界遺産だらけの欧州だからなのか?そもそもの話として、ユネスコ世界遺産のことを知らない人達も結構多く、特にドイツ国内でもトップクラスのメジャーな観光地である、ノイシュヴァンシュタイン城やローテンブルク(Rothenburg ob der Tauber)、ニュルンベルク等は世界遺産ではないのに、ドイツ人でも殆ど知らないようなマイナー場所が世界遺産に登録されていたりするので、そのあたりの温度感が日本とは大きく異なります。



確かに世界遺産に登録されていても微妙な場所(歴史的価値はあるのでしょうが)、登録されていなくても素敵な場所が数多くあることは周知の事実です。


実際にドイツのあちこちで見かける、バケーション用パンフレットを手に取ると、世界遺産とはまったく無関係な、南の島のビーチ系や、アルプスの山々系の方が圧倒的にページ数が多かったりもします。




このドレスデンの住民投票結果が、長い目で見てよかったのか、悪かったのか自分にはよくわかりません。


しかし「星付きレストラン」じゃないと美味しくないお店なのか?というと、決してそんなことは無いように、自分は世界遺産であろうがなかろうが、ドレスデンという町を、また訪れてみたい素敵な場所だと思っています。


こだわりの店の頑固親父を彷彿させる、ドレスデンの町のような人達がいても、いいんじゃないか?と、この町を訪れてみて、そんな風に感じている自分がいます。




「他人がどう思うかよりも、自分達がどうありたいかの方が大切なのでは、、、?」



世界遺産であることよりも大事なことがあるという、ドイツ屈指の観光地のこの選択は、そんなメッセージなのかもしれません。



※写真:エルベ川の遊覧船(ドレスデン)






東西ドイツ統一20年

2010-12-30 | 旅人のひとりごと


先日、日本のテレビ番組をかけ流ししていた際、美輪さんが出演していて、「最近暗い話題が多いけれども、世の中悪いことがあれば、それと同じだけきっと良いことがあるはず」といった正負の法則の話をしていました。


その番組を見ながら、今月東ドイツを訪れた際に似た類のものを感じた事を、ふと思い出しました。


今年は東西ドイツが統一されてちょうど20年。


統一20周年記念の際は、ベルリンのブランデンブルク門前で行われた記念イベント映像が、ドイツはもちろんのこと、世界中で放送されていました。


しかし実際の国民感情はというと、東西ドイツ統一前の方がよかったという人達が西側だけでなく、東側でもかなりの割合いるということが、同イベントを前後してドイツで話題になっていました。


経済格差からくる各種社会保障負担割合等、西側にとってはデメリットが多いことは容易に推測できるものの、なぜ東側が?とその時は思ったのですが、ドレスデンを訪れた時に、感覚的に何となくそれが理解できるような気がしました。


ドレスデンで感じたこと、それは西側の町が失ってしまった「古きよきドイツ」といった類のもの。

町中を流れる音楽、町を行き交う人々の表情、扱われる食材と調理方法どれをとっても、ああこれがドイツなんだと、ドイツに住んで5年目になるのに、普段の西側での生活ではあまり感じない「ドイツらしさ」を肌で実感しました。



もちろん普段の生活でも「ドイツらしい」という言葉は、自分の周りの日本人の間でもよく使われるものの、それはどちらかというと「ネガティブ」な意味合いで使われる事が多いのですが、ここでいう「ドイツらしさ」はもっとポジティブな意味合いでの、「ドイツの良さ」といったものを感じた気がしました。


日本とドイツを比較してもそうですが、便利になればなるほど、人々の生活はより無機質になり、人と人との関係もより希薄になっていく気がします。


それはかつて政治体制・思想が違った東西ドイツでも同じ。もっと言ってしまえば、日本国内の東京と地方といった身近な枠組みでも、それはあります。


東西統一で東ドイツは、自由でモノが豊富になったかもしれないけれど、若者達は仕事やより豊かな生活を求めて西側に出ていってしまい、西側からは「世界中どこにでもある」流行の品々がどっと流れ込んできて、東側の人々がそれまで守ってきた文化や生活の中で息づいている「古き良きドイツらしさ」が縮小していっているのは、その町に住んでいない我々外国人でさえも一目瞭然です。


そして自分自身を振り返ってみても、日本にいた頃は海外での生活に憧れている自分がいましたが、実際に海外で生活をしていると、事あるごとに「日本はいいなあ」とこぼす自分がいます。



善と悪、損と得、幸と不幸、、、表裏を表す言葉は多種多様にありますが、確かに大きな視点でとらえると、良いこと悪いことは対の存在であり、何かを失えば何か得るといったものなのかもしれません。


そういった意味では、20年前の東西ドイツ統一も、良かったか悪かったかではなく、「人類の歴史の中での1つの出来事」にすぎないのでしょうか。



ひょっとすると物事の良し悪しなんてものは、本当は全て自分次第なのかもしれませんね。



※写真:ライトアップされたBrandenburger Tor(ブランデンブルク門/2010年12月)

今日より明日ほんの少し、我々の住むこの世界がよくなりますように

2010-08-09 | 旅人のひとりごと



今年もまた原爆の日がやってきました。


今から65年前となる1945年8月6日に広島、8月9日に長崎へ相次いで原子爆弾が投下されました。

同年の推定死者約22万人、その後の後遺症による死者を含めると約30万とも言われています。


しかしアメリカでは今なお、原爆投下は正しかったという意見が世論の3分2以上を上回っていると言われています。

そればかりか日本の首相でさえ、先日も核兵器の抑止力が必要というコメントを出していました。

しかしそれは本当に正しいことなのか。



第二次世界大戦で日本が降伏した直接原因は、ドイツの降伏とソ連の日本参戦にあり、原爆投下が無くても第二次世界大戦は終結したというのが、世界での一般的な見解だと言われています。

そしてアメリカの言う「正しい戦争」は、21世紀のアフガニスタンやイラクでのそれにつながっていきます。


核廃絶を唱えノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領も、全ての核兵器を無くす為の具体的なプランは打ち出しておらず、自分達が核兵器を持ち続けながら(減らすとは言っていますが)、他国に持つなというのは、まるで銃を手にしながら相手に武器を捨てろと言っているのに等しいと自分は思います。


1つだけ言える事は、核兵器を世界からなくせば、核の抑止力など必要なくなります。

冷戦が終わってなお、アメリカを含め、世界の大国が自国のことしか考えていないから、核兵器が無くせないだけ。

それを無理やり正当化しているのが「核の抑止力」という言葉だと自分は思います。




先述の一例に限らず、一方的な偏った情報、偏った価値観の上に、我々の生活は成り立っているという事実があります。

私達が当然だと思っていること、正しいと思っている価値観にも、「本当にそうなのか?」という疑問を投げかけることが必要だと思います。



月日がたつと色々なものが風化していきます。

ただ日本に原爆が落とされた事実を、沢山の人々が迎えた悲惨な死と核兵器の恐ろしさを、我々日本人は風化させてはいけないと自分は思っています。




長崎に原爆が落とされた65年後の今日8月9日に、昨年広島を訪れた際に原爆ドーム前で歌った、ジョンレノンの「イマジン」を再び歌いたいと思います。


音楽機材なしの、ただのデジカメ録画なので相変わらずショボイですが、今は亡きジョンが歌った次のフレーズが、今も自分の胸の中で生きています。


「あなたはたぶん僕を、夢物語を語る人間と言うだろう。でも僕は1人じゃない。いつか君も一緒に参加してくれたら、、、そして世界は1つになるだろう」



今日より明日ほんの少し、我々の住むこの世界がよくなりますように。(by かときち)



当たり前のこと。それを当たり前にやること。

2010-06-17 | 旅人のひとりごと


先日日本の某バラエティ番組を見ていたら、ワタミの社長が出ていました。

その中で自分が死んだ時の遺書の話題があり、自分の会社への遺言が次の言葉でした。

「損得ではなく善悪(己の良心)で判断しろ」


シンプルですが、本質を捉えた胸に響く良い言葉だと思います。


自分も音楽や創作活動、日常の仕事すべてにおいて、「良いものを作り良い仕事をして、それを誰かに伝えたい、誰かに喜んでもらいたい」というのがいつもベースにあります。

しかし現実は、仕事になり多くの人が関わるようになると、こんな当たり前のことが当たり前でいられない、それを貫こうとするとまわりから浮いてしまうことがよくあります。
(自分は頑固な人間なので、よけいに浮いているのかもしれませんが。汗)


資本主義社会において、儲からないと生きていけないのはよくわかります。
でも中身はどうでもいいからとにかく儲かればよいというのは、やっぱり違うと思います。


人々に望まれ、喜ばれる良いものだから、それが売れて儲かる。

これが本質だと自分は思っています。

本当に良いものでも、それがうまく伝わらなければ売れないことはあります。
でも人々に望まれない、喜ばれない粗悪なものをいくら売っても、良い結果は生まれないでしょう。


どんなものでも本質をはずせば、例え一時良くても、長くは続かないというのが自分の持論です。


そんな当たり前のことが、なかなか当たり前にいかない時代に、ワタミの社長のような人がいてくれてなんだか嬉しくなりました。


今度日本に帰ったら、和民でご飯を食べたいと思っています。(笑)



※写真:当たり前のように毎日日は沈み、夜が明ければ日が昇る。
(サントリーニ島からの船上でみた夕日)