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地域に溶け込む川崎フロンターレ75

2018-01-25 00:01:51 | サッカー(Jリーグ(J1・J2)・国内)

 リスペクトコラムです。
 昨季J1で優勝した川崎さん。1年前だったら、2ステージ制でややこしい決まり方だったので、年間勝ち点が一番多い川崎さんではなく、一発勝負に強い別のチームがたまたまタイトルを獲っちゃっていたかもしれません。川崎さん、1ステージ制で良かったですね。優勝後、様々なメディアで川崎さんが登場しています。たぶん、ここ数年で比べたら頻度が多い方だと思います。そんな川崎さんの話題が日経に出ていました。引用して紹介。
                    
【川崎がJ1初Vで証明した3つのこと(前編) 武田信平・前会長に聞く】
〔なぜ2位ばかり続くのか〕
「社長になったのはフロンターレがJ1からJ2に降格したシーズンの直後。01年の、社長になった初めてのシーズンの最中、フロンターレの試合を見た後にある地元の会合に顔を出した。そこで痛感したのがチームのことがまったく知られていない、興味を持たれていないということだった。地元の商店街の寄り合いなんかに出ても『弱いよね』『親会社からお金をたくさんもらって、それで強くすればいいじゃん』『強くなったら応援にいくよ』とかいわれてね。Jリーグが『100年構想』としてうたう『地域密着』『スポーツでもっと豊かな国へ』という理念のとおり、プロ野球と違って地域の人に愛されないとファンは応援に来ないと痛感させられた。駅前でビラ配りとかしても当時は誰も受け取ってくれない。見向きもされなかったからね」
 「地元に入り込むためにはよほどの方針転換をしないとダメだなと思ったのよ。それで『見えるところからやる』ということで最初にやったのが社名変更と他社からの出資。それまで富士通の100%出資だったクラブに川崎市や地元企業、個人株主からも出資を募り、社名を『富士通川崎スポーツマネジメント』から『川崎フロンターレ』に改めた。」
「訴える相手は工場の1万5000人じゃなくて130万人の川崎市民なんです。企業色を薄めて、川崎の町を活性化するお手伝いがしたいという本気を示すには、社名と出資比率を変えることが第一歩になるという訴えをついに認めてくれて」
「フロンターレの発展に、前市長の阿部孝夫さんの御理解と後押しがあったことは間違いない。」
「なぜ、フロンターレを応援してやらないんだ』という声が市民の間からほうはいと湧き起こるくらいの環境をクラブが整える方が先なんだよ、と」

〔とにかく挨拶回りと営業〕
 「それからは私の仕事はとにかく挨拶回りと営業だよ。市役所の人間をつけてもらってあちこちの団体を回ったね。富士通の100%子会社じゃなくするために、地元の企業に出資を頼んで回る。1年くらいの間で三十数社が出資を申し出てくれた。個人の株主でお手本にしたのはコンサドーレ札幌。個人個人が株主として総会に参加すると事務的に膨大な負担がかかるので、個人持ち株会として1票の議決権を持ってもらうことにした。会員を募集したら406人が集まって3000万円以上集まった」
「娯楽が身近にあるという都会ならではの難しさもあるし。エリア的にも川崎市は北部、中部、南部と縦長に伸びていて特色も違う。それをゼロからまとめていくのは大変だった。イチからじゃなくてゼロからの出発というのは、川崎市にはヴェルディというホームタウンを同じくする先輩がいたこと。この先輩が地域に密着していなかった。僕が挨拶回りに行くと『せっかく応援していたのに後ろ足で砂をかけるようにヴェルディは川崎を出て行った。お前らも同じだろ』と白い目で見られた。そういう意味では、僕らはヴェルディを反面教師にしたところはある。フロンターレは違うということを時間をかけて実行して証明するしかないと」

〔切っても切れない関係に〕
 「地域密着とチーム強化はクラブにとってクルマの両輪。優勝争いに絡むようなチームにしていくことは大命題ではあるけれど、川崎という市を活性化することも非常に重要なミッション。われわれが町の象徴になるくらいの意気込みですよ。強さは必要だけれど、いつも勝てるわけじゃない。勝っても負けても切っても切れない関係に持ち込むしかないぜと」
引用:日経新聞

 まず前編で目に留まったのが、「地域の人に愛されないとファンは応援に来ないと痛感させられた。」というコメント。商業主義の上から目線で、サービスを提供してやってんだという姿勢では100年続かないという事か。ネットか何かで、どこのカテゴリのどこか忘れましたが、スポンサー関係から「何様じゃ」と陰口を言われていたという声を見た事があります。スポンサーも「サポーター」であり、住民です。スポンサーばかり目を向けて、個人のファン・サポーターに対するサービスを軽視する姿勢も同様。後援会の有無も一つのそういう目安かもしれませんね。例えば、オフィシャルファンクラブしか無い経営環境というのは、果たして地域の人に愛されているのでしょうか。
 「地元に入り込むためにはよほどの方針転換をしないとダメだなと思った」というコメントがありますが、企業チームでありながら、地域に溶け込むために、あえて他社から出資してもらったとあります。どこだったか忘れましたが、個人オーナーが持ち株の過半数を死守して、株主名簿を公開したがらない事例を前に見かけた事があります。今はどうなっているかわかりませんが、まさに川崎さんとは真逆の価値観。この記事の言い方を変えれば、訴える相手はスポンサーじゃなくて、地域住民。スポンサー色を薄めて、町を活性化するお手伝いがしたいという事か。読者の皆さんの地元クラブはいかがですか? あと、川崎さんは地元行政を仲がいいようですね。地元市の担当者が話すと段々イラついてくるパターンとは随分違う様子。
 個人株主制度で参考にしたのが札幌さんというのもいい。似たもの同士ですから。昔のヴェルディさんが反面教師か・・・ 今のヴェルディさんとは違うと思いますが。地域密着とチーム強化はクラブにとってクルマの両輪。お金集めだけの片輪走行になっていたら、そのうち転倒していたでしょう。さすが川崎さん、いい話が次から次へと溢れ出してきましたね。川崎市民は幸せですね。という事で後編です。 

【川崎がJ1初Vで証明した3つのこと(後編) 武田信平・前会長に聞く】
〔算数のドリルにまでフロンターレ〕
「行政には「とにかく何でもいいんで『フロンターレを利用してください』」というお願いの連続だったのが、だんだんとあちこちから『フロンターレの選手に出演してもらえないか』と声がかかるようになった。当時の市長の阿部孝夫さんに理解があったから、行政の現場にいる職員の態度も変わってくるようになった。川崎の市立小学校の算数のドリルにまでフロンターレが使われるようになった。」
「これにも裏話があってさ。きっかけは、09年のヤマザキ・ナビスコ・カップ決勝の敗北なんだよ。FC東京に負けた後、選手はショックが大きすぎて、落胆のあまり、一部の選手は表彰式の態度がぞんざいになってしまった。」
「その後、今度はスポンサーであるヤマザキビスケットの飯島茂彰社長のところにおわびにいき、賞金を返上したいと申し出た。すると飯島社長は差し上げたものを返上されても困ります、Jリーグで有効に使ってくださいとおっしゃる。それで宙に浮いた賞金の使い道を考えているうちに、算数ドリルの制作費に充てて全市の小学6年生に配ればいいとなった」
「そういうクラブと地元やサポーターの結びつきの重要性、必要性を広めてくれた人として感謝したいのは、初期のころなら中西哲生だろう。その後はクラブ生え抜きの寺田周平(1999年入団)、伊藤宏樹(01年入団)、中村憲剛(03年入団)らが何事も率先していとわずにやってくれた。ピッチ外のことも地域密着のためなら前向きに協力してやっていくという流れというか渦をチームの中につくってくれた。腹の中で『マジか』と思っても、表に出さずに何でもやってくれた」

〔スタイルやファンサービス…〕
「今回のフロンターレの優勝は3つのことを証明したと思っている」
「1つ目はサッカーのスタイルに関すること。」
12年に風間(八宏=現名古屋監督)が監督になってからフロンターレのサッカーは面白くなったし、選手はうまくなった。止める、蹴るの技術も判断力もどんどん磨かれて。サッカーは、こんなに面白いスポーツでしょということを世に知らしめた。」
「フロンターレの優勝が証明した2つ目は、地域密着のために選手にいろんなことをさせても、それが負担になって勝てないということはない、ということ。」
「あれだけ2位や準優勝が続くと『余計なファンサービスなんかしているから勝てない』という声が耳に入るようになった。そうじゃないことを証明するには優勝しかなった。それが実現した。「僕に言わせりゃ、ファンサービスは過剰なくらいでいい。もっともっと他のクラブも増やせよ、サービスを増やしてファンも増やそうよ、と思っているくらい。欧州だってもっとやっているでしょう。ピッチ外でクラブや選手を使ってもらって、それでお客さんが増えたら、選手のパフォーマンスに好影響を与えることはあっても悪影響を及ぼすことはないよ。将来のファン拡大に向けて、チームを強くしながらも地域密着も果たすスタンダードを示したと思っている」
 「3つ目はサポーターへの感謝とともに明言したい。フロンターレのサポーターはチームが肝心な試合に負けても、負けても、選手にブーイングを浴びせない。本当に彼らだって悔しかったろうし、ヤジや罵声とともにブーイングで非難や怒りを表明しても不思議じゃなかった。それでも絶対にしなかった」
「そんなサポーターに対して『選手に対する厳しさが足りない』などと批判するやからがいる。それが僕は悔しくてね。『選手は観客がつくるもの』という意見には同調するけれど、北風じゃなきゃダメなのか、太陽では無理なのか、と僕は思っていた」

〔感謝の気持ちを忘れないで〕
「いずれホームの等々力競技場はバックスタンド、両ゴール裏も改修されて、3万5千人収容くらいのスタジアムに変貌するだろう。その具現化に行政、地域、専門家、協力者を巻き込んで取り組んでほしいと思っている。等々力にはアリーナも野球場もミュージアムもテニスコートもある。川崎市のスポーツの中心地になるポテンシャルがあるわけで、そこでフロンターレには常に中心にいてほしいと思う」
 「Jリーグ100年構想じゃないけれど、癒やしと憩いの場を提供しながら、フロンターレには、これからも『証明』していくクラブであり続けてほしい。いろんなことを証明することでしか得られないのがクラブというもの。」
引用:日経新聞

 算数ドリルの裏話は知らなかったですね。ナビスコ決勝のシーン、覚えています。準優勝は「敗者」なので、ニコニコできないという価値観から来たのでしょうが、やはりスポーツマンシップでいきたいですね。返上による使途に困った資金をどう使うのか、真っ先に地域に目を向けるのが川崎さんらしいですね。選手契約にも真っ先に出てくる「地域貢献」。ルーツは中西さんだったのですね。川崎さんはそういう立派なOB選手達に支えられて、今は憲剛選手らが伝統を引き継いでいるのですね。
 J1優勝で3つの証明とあります。特に地域密着のために選手にいろんなことをさせても、それが負担になって勝てないということはない、ということ。当ブログで「サッカーだけやってればええんじゃ」というキーワードが昔よく踊っていたのを思い出しました。ホント懐かしい。そういう時代もあったなと。「ピッチ外でクラブや選手を使ってもらって、それでお客さんが増えたら、選手のパフォーマンスに好影響を与えることはあっても悪影響を及ぼすことはないよ。将来のファン拡大に向けて、チームを強くしながらも地域密着も果たすスタンダード」というのは涙が出るほど、感動を与える生きた言葉ですね。ブーイング論での社長とサポーターの信頼感も見せてくれましたね。
 いい情報が出ていました。等々力競技場はまだまだ変わっていくという事。決して、専スタの新設ではない。あらゆるスポーツの中心にJクラブがいると。正直、企業チームという事で、今まで川崎さんの武田社長はそこまでの方とは思っていませんでした。素晴らしいです。よく当ブログで「親企業のある市民クラブ」というキーワードを口にしますが、武田社長はまさに「親企業から来た市民社長」ですね。当ブログで尊敬するJクラブの社長は、湘南、山形、甲府などを挙げてきましたが、武田社長も謹んで加えさせていただきます。もう17年もされているのですね。これからも、このまんまやっていってください。いやぁ、いい話だった。そして何と、武田社長、日本アンプティサッカー協会の理事長さんでした。やっぱレベルが違う大物でした・・・
J1川崎関連:747372717069686766656463626160595857565554535251504948474645444342414039383736353433323130292827262524232221

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