自我

2006-03-19 16:51:41 | ブログ

Gomai _049 観葉植物としてつると葉の模様を楽しんできたが。妻が是は花が咲くといゆ、いや、是は観葉植物だと言い切る。昨日花が咲いた、それごらん花が咲いたでしょう、いや是は観葉植物だ、といゆ。自分

こだわるな、とらえられるな、と習えども、ついぞまたでる、自我のこころ


自然の不思議

2006-03-12 07:58:29 | ブログ

Dsc00072 昨日は田舎に居た、野も山も山桜で一面、さくら、桜の花盛り、人間がヒネクレテいるから、他と異なる変化に引かれる。こんなに花ばかりだと、カメラを向ける気にならない。今朝は起きたら雨だ、垣根に目をやるとツルの先に赤い花?が下がっている、見ると筒の下に花の房が?下がり、上から落ちてくる雨をガードしているように思える子孫繁栄?、自分の場合自分勝手に解釈する、よく自分が使う言葉に昔は良った。少年時代が懐かしいと書く、昔は自分クラスの階級だと、仕事とは生きる為の手段であり、みんな家族を支えあって生きている、稼がないと大げさにゆうと明日の食い物が無い、今みたいにホテルの残飯、捨てられているものを求められるあても無い、父の言葉は、仕事として、金を稼ぐ事はは「死ぬ病」かシンヤッメか「銭取る病か」ゼントイヤッメ(病)か、と同じぐらい苦しく厳しい事だと気合を入れらた。しかし心は明るく生きることに充実していた。叩かれても、殴られても父中心に明るい家庭がある、目的と達成感、皆と、いゆ連帯感のぬくもりがあり、雨が降り仕事ができないと、何処からとなく人が集まり、飲み方はじまり近所となり楽しい宴会がはじまる。今は隣に住んでる人も良くしらない。最近スポーツ選手がよく楽しんでやる、「楽しむといゆ言葉の」捉えかた、つかめないが、今の人はは仏教でいゆうと悟りをえているように思う、自分の感覚でいゆうと、技術に裏打ちされた自信のようにおもわれる、自分のベストを把握しここが、こうだからつぎは更に努力しようと、自分の思いをコントロール出来るから。だから楽しい。のだろうか?自分は70歳にして、自分と約束して彼女が来ないと。面白くない、人間性の未熟を反省すれどこの煩悩やめがたし、悲しいかな、この老いらくの恋も終わりかも、すっぽかされ、今日は涙雨。今日も鹿児島は雨だった。老いらくの恋も終りか。明日はきっと天気だろう。


すみれ

2006-03-09 15:12:34 | ブログ

Sumire1 菜園の道に咲いた1センチ足らずの花、スミレは日本に80種以上もある宿根そうで、色も多様のよう。此花は人に踏まれたせいか、花も小さく、葉もちじっれている。花園のように肥料ももらえない。道端にひっそりさいている。人見るもよし、見ざるもよし、私は咲くなり


山菜

2006-03-07 17:25:56 | ブログ

Tuwabuki2 Tuwabuki1_2 昨日カメラを持って山にのぼったが、今日は山菜取り目的にリックを背負いつえついてのぼる。畑にツワバタケがあるので、従来のっツワより倍大きく長さが70センチほど、茎が直径1,5センチある、少年時代だと是だけ大きいツワブキをとるには、船で枇榔島え渡り取りにいっていたが、なぜ枇榔島のツワワおおきいか、考えたことわなく、枇榔島へ行くと大きいのがとれる。現在のツワは品種改良され、大きく改良された、ものが綿帽子により、種が広まり週辺は大きいツワブキだけ、のようにおもわれる。ツワは料理の種類もおおく特に今は旬でおいしい。


山桜が咲いた

2006-03-04 15:51:35 | 健康・病気

Yamazakura1 Yamazakura2 春らしい天気が続いたので、山は桜でい一杯だろうと、山に登る。例年の山と桜の木々は花は無い時期はいつだっけ。つわブキわ沢山ある。山菜料理にと一束取り山をおりた。

野山を眺めながら車運転していたら、道路の上に咲いていた。周りを見回すとほかに、二三本さいている。車をおりたら、メジロが10羽ぐらい樫ののみきからtびたつ。今年メジロを見るのも初めてだ、桜の花をデジカメにおさめた。