自然の不思議

2006-03-12 07:58:29 | ブログ

Dsc00072 昨日は田舎に居た、野も山も山桜で一面、さくら、桜の花盛り、人間がヒネクレテいるから、他と異なる変化に引かれる。こんなに花ばかりだと、カメラを向ける気にならない。今朝は起きたら雨だ、垣根に目をやるとツルの先に赤い花?が下がっている、見ると筒の下に花の房が?下がり、上から落ちてくる雨をガードしているように思える子孫繁栄?、自分の場合自分勝手に解釈する、よく自分が使う言葉に昔は良った。少年時代が懐かしいと書く、昔は自分クラスの階級だと、仕事とは生きる為の手段であり、みんな家族を支えあって生きている、稼がないと大げさにゆうと明日の食い物が無い、今みたいにホテルの残飯、捨てられているものを求められるあても無い、父の言葉は、仕事として、金を稼ぐ事はは「死ぬ病」かシンヤッメか「銭取る病か」ゼントイヤッメ(病)か、と同じぐらい苦しく厳しい事だと気合を入れらた。しかし心は明るく生きることに充実していた。叩かれても、殴られても父中心に明るい家庭がある、目的と達成感、皆と、いゆ連帯感のぬくもりがあり、雨が降り仕事ができないと、何処からとなく人が集まり、飲み方はじまり近所となり楽しい宴会がはじまる。今は隣に住んでる人も良くしらない。最近スポーツ選手がよく楽しんでやる、「楽しむといゆ言葉の」捉えかた、つかめないが、今の人はは仏教でいゆうと悟りをえているように思う、自分の感覚でいゆうと、技術に裏打ちされた自信のようにおもわれる、自分のベストを把握しここが、こうだからつぎは更に努力しようと、自分の思いをコントロール出来るから。だから楽しい。のだろうか?自分は70歳にして、自分と約束して彼女が来ないと。面白くない、人間性の未熟を反省すれどこの煩悩やめがたし、悲しいかな、この老いらくの恋も終わりかも、すっぽかされ、今日は涙雨。今日も鹿児島は雨だった。老いらくの恋も終りか。明日はきっと天気だろう。


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