明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

ああ、憧れの北新地!

2011-11-14 23:38:21 | 美味しいもの
先週、仕事の取引先の方に食事に連れて行っていただいた。
それも、「前から言っていたように、ご主人と一度食事したいのですが」とのこと。
私だけでなく夫も誘ってくださった。

なんとか夫には仕事を都合してもらい、20時半に北新地集合。
連れていっていただいたのは、「川添」さん。
和風の料亭なのかと思っていたら、カハラ(北新地の有名フレンチ)で長年修業された方のお店だということ。
カウンターだけのこじんまりとした店構えで、和とフレンチを融合したような創作料理だった。

お料理はコースのみ。とにかく素晴らしかった。



この前菜の美しいこと!
琵琶湖のもろこや、牡蠣、北海道のししゃも、大あさり(牡蠣の後ろに隠れて見えない)などなど。
素材の1つ1つにこだわり、そのままの味を楽しもうというお料理。

ワインのボトルも開けてくださった。


こちらはさわらの燻製に、緑色のが菊菜のソース。
上品で、めちゃくちゃおいしい。



あれ?なんだっけ?(笑)


海老芋のスープ


お肉は、いろんな付け合わせが楽しかったな。
スクランブルエッグとか、トマトのキムチとか。


そして、シメは、本日のお魚5種類から好きなものを好きなだけ選んでごはんに乗せてくれる。
私はコハダと・・・あとなんだっけ?(笑)

このお料理の合間に、いくつか美味しいパンも出してくれて、とにかく満足のコースだった。

お店の方の感じもよく、とても気持ちよく食事ができた。
いいなー、北新地!
こちらのお店は、また特別なときにでも、来てみたいなぁ。
もっと稼いで、毎晩北新地で飲めるようになりたいもんだ(笑)

しかし、私がお仕事をいただくという立場でありながら、しょっちゅうご馳走になっている。
自分は本当に恵まれているなぁと実感・・・
いつもこれしか答えはないのだけど、とにかくいい仕事をしてお返しするしかない。

それに、私だけでももったいないのに、何の関係もない夫までご馳走になり、感動を通り越して恐縮!
でも、甘えさせていただこう。
ずっと前から「一度、ご主人と・・・」とおっしゃってくださっていたし、一度くらいは。

夫とも楽しそうにお話されていた。
こういうとき、うちの夫は感じがいいので助かる・・・

さすがに何か手土産でも・・・と思い、京都の長久堂で「鳰の浮巣(におのうきす)」を買ってきてお渡しした。

ついでにうちでも食べた



葛湯なんだけど、こんな形。
これをカップに入れる。


そして、お湯を注いでかき混ぜると・・・


こんなふうに、2羽の鳥が浮いてくる!

かわいいし、ちょっといいでしょ?
それに、葛湯もおいしい。
冬はほっこりする。

味は、プレーン、抹茶、こしあんの3種類。

ちょっとした手土産にもいいし、つがいの鳥だから、結婚の御祝などにもいいかも。


グレーゾーン

2011-11-14 01:18:53 | 想い
今夜は久しぶりに、真夜中に1人、グラスを傾けながらパソコンに向かっている。
「こういう時間」をもたないとあかんなぁと思う今日この頃。

年をとるにつれて怠惰になっていく自分を感じる。
35歳くらいまで、信じられないくらい働いても「しんどい」と思ったことがなかったし、
ついこの間まで何事に対しても「面倒くさい」と思ったことがあまりなかったように思う。
それが今はどうだろう、なんだかしんどいなと思うことも増えたし、たまにいろんなことを面倒だと思う自分に気づいてはっとする。
これは年齢による「衰え」なんだろうか?

最初に書いた「こういう時間」というのは、「自分を見つめる時間」という意味。

20代後半は本当に忙しかった。
寝る時間もないほど働いていた。
だけど、「毎日」日記を書いていた。
昔から読んでくれている人はそれを知っていると思う。
本当に、「毎日」書いていた。何年間も。

あのパワーと情熱は一体どこに行ってしまったんだろう?

見方を変えてみる。
あの頃は書くことが「はけ口」だった。
今は「はけ口」を必要としていないほど生活が充実している。
だから書く必要がない。
パワーや情熱がなくなったわけではない。

そういう考え方もできる。

どっちも誇張していないし、どっちも正しい。

こういうニュートラルな考え方は悪くない。
でも、とても私らしくない。
卑屈で偏って、とことん自分を追い詰める。
そういう生き方のほうが似合っている気がするなぁ。
本人は疲れるけど

一年を振り返るにはまだ少し早いかもしれないけど、
40歳という年齢だからか、今年は本当にターニングポイントだったように思う。
いろんな面で、いろんな意味で。

いろいろと悩んでいる。
誰かに話したい気持ちもある。
でも、友達に会うと言葉は出てこない。
隠すとかそういうことではなく、ただ安心して「もういいや」という気持ちになるから。

文章にするのはこんなにも簡単なのに、話をするのはどうして難しいんだろう。
いつもあんなにペラペラとくだらない話は出てくるのだから、もっと大事なことを話せればいいのに。

この間、もんちゃんとの旅の途中、ようやく本当の意味での「話」ができるようになって、
「ああ、これから」というときに、旅の終わりの時間が来た。
二人とも「これからやったのに・・・」という思いでいっぱいだった。

帰りのバスの中で思い出した。
「旅は3日目から」だったなぁ・・・と。

これは私が昔、気に入ってよく使っていたフレーズ。
旅に出ても1日目は日常が抜けない。はしゃいだ気分とお客さん的な気分とで終わる。
2日目は日常が抜けてくる。旅を楽しみ始める。
3日目から、非日常が訪れる。ルーティンワークをこなすような毎日から離れる。実質的にも、心も。

そこから自分を見つめることがようやくできるのだ。

まさに3日目、やっと非日常が訪れ、本当の「話」ができるようになった頃、終わりが来た。
「話したりない!」と二人ともが言った。「これからやったのに」と。

旅に出ても3日目からやのに、日常の中で私に「話」なんてできるはずもなく。
ここもいろいろと書きづらくなってしまい、心がまとまらなくなってしまった。

だからだろうか、最近はいつも悶々としている。
自分の中の整理ができない。

でも、今日は少し書いてみよう。
うまく書けるかわからないが、少し書こう。

1ヵ月前くらいだろうか、夫の実家へ行った。
その時、おかあさんが言いにくそうに、「おめでたらしいよ」と言った。
夫の兄夫婦のことだ。

「わー、よかったですねー」と私はすぐ喜びの反応を見せたのだが、話は全く盛り上がらなかった。
他の話になってしまったので、「で、予定日はいつなんですか?」と無理やり話を戻さないといけないほどだった。

気を遣ってるんだなぁと思った。
そんな必要は全くないのだが、そういう話をしたことがないし、おかあさんにとったらタブーな話なんだろう。
その気遣いはとても嬉しかったが、不必要でもあった。

帰りのバスの中で、なぜかビートルズの「イエロー・サブマリン」が流れていた。
何の脈略もない。思い出もない。関連性もゼロ。
なのに、ずっと好きでもない「イエロー・サブマリン」が流れ続けていた。
(紙の上なら、「好きでもない」に傍点を打ちたい)

このときの気持ちを一言で表すなら、「あちゃー」という感じだ。
正直、落ち込んでいた。
でも、それは、例えば義理のおねえさんには子供ができて、自分にはできないとか、そういう感情ではなかった。
前から書いているように、自分はどうしても子供が欲しいわけではないし、それに対して何か努力をしているわけでもない。
だから、昼のメロドラマ的に「なんであの人にできて、私にはできないのー!」みたいなのは微塵もなかった。

でも、落ち込んでいた。

いつもの分析癖で、なんで落ち込んでいるんだろうかと分析してみたら、答えは簡単だった。
「もう理由がないから」

お兄さん夫婦は、結婚して7年目。
義理のおねえさんは最初から専業主婦で、特にこれといって没頭する趣味があるとか、そういうわけでもない。
だから、失礼な話だけれど、たぶん子供が欲しくてもできないんだろうなーと勝手に思っていたのだ。
それは環境として「産まない理由」は見つからなかったし、年も私より4つ下くらいで結構な年だから、不妊ということも大いにありうると思ったからだ。

夫のおかあさんは夫を含めて3人の息子を生み、体が弱いのにここまで育てあげた。
それなのに、孫を1人も見ることができない。(もう1人のお兄さんはまだ結婚していない)
それはあまりにも気の毒だと私は思っていた。

おねえさんが無理なら私が生まないと!
これが、私が子供を生もうかと考えた一番の理由だった。

それが、「おめでた」だと聞いた瞬間、「あ、もう理由がなくなった」と思った。
もう誰のせいにも、誰かのためにもできない。
「自分」がどうしたいか?
それだけが選択肢の決め手になる。

私はそのことに落ち込んでいたのだった。

落ち込むというより、恐怖に近かったかもしれない。
もう逃げられない、もう自分で決めるしかないという・・・

イエロー・サブマリンがずっと流れていた。

悩んでいる時間はもうない。
タイムリミットはもうそこまできている。
答えを出さないといけないのに、私にはどうしても出すことができない。

白黒はっきりさせないと気がすまない私だから、
答えが出なくなって迫られる「選択」はとても苦手だ。
昔も一度、別のことで「選択」に悩んだことがあったっけ。
世の中で一番嫌いなことがこの「選択」という作業だ。

グレーでいるのは気持ち悪い。
かといって、白黒もはっきりできない。
この感じが一番しんどい。
だから、最近落ち込んでいるんだろうなぁ・・・

でも、私は絶対に考えることから逃げたくない。
考えに考えて、それで出した結論だったら、どんなことになっても後悔しないと思うから。
昔、「いーーーーっつも何か考えてますよねー!」と、相場さんに言われたっけ(笑)

でも、自分の信条として、「反省はしても、後悔はしない人生」というのがある。
いつも100%で、ひたむきに、真摯に、できるだけのことをしたら、反省はしても後悔はしないだろうと思っている。
これまでもそうだった。山ほど失敗はあるけど。

それに、ちょこちょことだけど、友達に話をする中で、少しずつだけど心がまとまりつつもある。
プライベートすぎて書けない話もあるので、書けることだけ。

ちょっと前、ふみことあやと飲みに行って、その帰りにふみこと二人で立ち話をしていた。
だいたい上に書いたようなことを初めてふみこに話した。
「みんな不安だ」という経験者の話や、ふみこらしい冷静な判断をもらえた。
もう少し深く考えてみようと思えることがいろいろとあり、考え方が少しステップアップした。

もんちゃんとの旅の途中、もんちゃんが言ってくれた言葉も嬉しかった。
私が子供を生んだら、「絶対子育てがうまいと思う」と。その姿が容易に想像できると、言ってくれた。
私も子育てについての不安というのはないのだ。
もちろん、その子の性質もあるのだろうけど、私は、自分が母に育てられたように育てればいいと、単純にそう思っている。
感謝することも、物事の善悪も、美しいものを愛する心も、「教育はお金には変えられない財産」という考え方も、今私の核を作っている全部が母の教えだから。
学歴なんて捨てて就職活動もせずに「作家になる」と言った私を何の躊躇もなく応援してくれたのも母だった。
(無邪気に「早く直木賞とって!」といわれるのは困ったが・・・)
人の道にそれたことでなければ、私がやりたいことを絶対に否定することはなかった。
少ないけれど「好きな自分」というのは、全部母の影響を受けた自分だ。
だから、それを同じようにやればいいと、そう思っている。
でも、これは私の勝手な思いだったから、もんちゃんに肯定されたのはとても嬉しかった。

結局、私が悩んでいるのは、子育てではなく、その子の存在なのだ。
でも、それも、随分と楽になる言葉をかどやがくれた。
夏くらいだったろうか。
二人でワインボトルを2本あけた夜。

私は、自分が好きじゃなくて、いろんな劣等感で生きていくのがずっとつらかった。
でも、友達やいろんな人のおかげで、なんとか今幸せに生きている。
私はなんとかやってこれた。
だけど、私の子供はそうじゃないかもしれない。
「私は、私みたいな子が生まれるのが怖い。私はなんとかやれたけど、その子はわからない」
私はそう言った。
40歳にもなって、まだ自分のことで悩んでいて、自分のことで精一杯の私。
ただでさえ感情移入しやすいのに、そんな自分の分身みたいな人間がそばにいたらもう無理だ。

「私みたいな子が生まれたら、かわいそうやん・・・」
私のこんな言葉に、かどやが言った。

「じゃあ、その子には、また私みたいな友達ができるやん!」

あ・・・・?

一瞬、なんだかわからなかった。
だけど、その後、涙がボロボロこぼれて、お店だというのに止まらなくなってしまった。
(ワインボトル2本も大いに効いている)

「そんなことないよー」とか「なんとかなるよー」とか、そういう言葉を想像していたのに、意表をつかれた。
そうか・・・私みたいな子が生まれたら、その子には、またかどやみたいな友達ができるのか・・・
何の確信もない言葉だったけれど、なんて心強い言葉なんだろうかと思った。
やっぱり、すごいなぁ、この人は・・・と思った瞬間だった。

いろんな人に少しずつだけど機会があれば話もして、言葉をもらって、考えている。
答えはまだ出ない。
グレーゾーンの、一番しんどい時間。

でも、絶対に後悔しないよう、何が何でも考える。

とりあえず、今書けることを書いた。
次に会って、何か言葉があったらください。