明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

プロの仕事

2011-11-15 22:40:21 | 仕事
今日、ふと、「本を読んでないな・・」と思った。
本当に読書量の減り方がすさまじい。
それと比例して、書く時間も減っているように思う。

でも、今はとにかく書くことに決めた。
短くても内容があまりなくても、とにかく毎日書く。

今日で3日目。
どこまで続くかわからないが、よろしければお付き合いを

今日はあまり調子がよくなかった。
心身ともに。

夫が2週間くらいずっと風邪をひいていて、
ひどくもならないのだが、咳が止まらず完治もせず。

ひたすらゴホゴホと咳をする人の横にずっといて、
生まれてこのかた、「うがい」ということをしたことがないので(歯磨きの後は別)
意地でもせずにいたが、全くうつる気配もなし

楽勝やと思っていたら・・・
なんか喉が痛いし、いやーな咳が出る。

この感じは・・・完全にうつってるやん!

まあ、私の中で風邪菌は3日しかもたないので、明日か明後日には治っていると思うが。
当然熱も出るわけもなく

今日もしっかりお酒、飲んでますがな(笑)

心の弱りは何かといえば、仕事の出来にあまり満足できなかったことかな。
大手メーカーのサイトに携わっていたのだけど、
いろんな人が関わってくる上に、ちゃんとディレクションをしてくれる人もいなかったので、
すごく無駄と修正が多かった。

関わった人たちはみんないい人たちばかりで、仕事もできる方ばかりなんだけど、
仕事のやりやすさって、そういうことじゃないんだなぁと思った。

私の関わらないところで大まかな企画が決まる。
取材時に初めてラフを見せられて内容を聞かされる。
それに沿って取材を進めるけれど、広報担当者と開発担当者がいて、
企画は広報担当者と決めているのに、実際取材する相手は開発者だから、ズレが出てくる。
仕方なく、せっかく決めていた企画をその場で微調整。
そんな状態だから、どうしても取材にもれがある。

でも、帰って得た材料でもう一度組み立てながらテキストを書く。
この後、直接、開発者とやりとりができればいいのだけれど、間には広報が入る。

仕事というのは、何でもそうだと思うが、できるだけ「直」がいい。
伝言ゲームみたいになると、無駄も多くなるし、ストレスもたまる。

広報が「これを入れてほしい」とまわしてきた情報もがんばって入れる。
だけど、それが開発からNGが出る。(というか、情報自体が間違っていたり)

でも、開発は「私」が書いたと思っている。
それがなんか自分の中ではすごくイヤ。
プライドが傷つく。
でも、「いや、あの広報の方の情報で書いたんですよ」と言い訳をする機会も手段もない。
かといって、広報の方が「これは私が出した情報なんです」とかばってくれているとも思えない。
(悪い意味ではなく、たぶんその必要性を感じられていないと思う)

結果、開発から広報を通して、びっしり「赤字」で修正された原稿が返って来た。
普段見慣れないだけに、この赤字はダメージが大きい
自分が書いたものを修正されるというのは、自分の存在が否定されたくらいのダメージがあるのだ

言い訳したい箇所もいっぱいあった。
「いや、これはこういう意図で・・・」と。
でも、直でやりとりできないので、それも押し殺して、とりあえず修正するしかない。

自分の書いた原稿がボロボロになって帰ってきて、
それを清書するときの、みじめな気持ちときたら・・・!

これは、そういうことを経験したライターじゃないとわからんやろな。
情けないやら、憤りやら。

結局、最後には開発の人が書いた文章みたいになってしまった。
あーあ、私の存在って、必要やったんかな、と思ってしまう。
これやったら、最初から開発の人が書けばいいやん、と。

でも、そういうと、「タタキがほしい」といわれるのだ。
不思議なもので、何もないところから物を作り出すのは難しいのに、
あるものをあーだこーだと変えるのは簡単なのだ。

いつも修正された自分の文章を見て思う。
「この『そして』だって、いろいろ考えて、文章のリズムを見て、やっと入れたのに」と。
そういうことは相手にはわからないから、簡単に削除されてしまう
その人にとってはたいしたことではないのだろうけど。

夫にぐちぐち言ったら、
「大企業はいろんな人の思いがありすぎて、どうしたってひっくり返ることが多いと思う。
 直接やりとりできたらいいけど、それもできないと難しいね」
と言われた。

大企業相手の広告マンらしい、意見だった

確かにお金はいいんだ。
こんなふうに憤りを感じても、もらえるお金は大きい。
大企業だから。
新卒のOLさんのお給料くらいのお金が、3日間くらいで手に入る。
自分の実績にもなる。
それは本当にありがたい。

だけどなぁ・・・と思う自分がいる。

これで、「だけどなぁ」と思うから、私はいつまでもしがないライターなんだろう。
でも、数千円のギャラでも、自分で書きながら涙が出るような仕事もあるのだ。

仕事って、ホント難しい。

時には、悔しさで奥歯をかみ締めて、震える手を押さえながら、
それでも書かないといけないようなものもある。

「私はそんなものは書きません!」と言えるプライドと勇気と信念がほしい。

悔しくて酒をあおって、それでも生きていくために、自分の文章を変えてしまう自分がいる。
それがプロだと思った時期もあったけど、今はそんな自分に疑問も感じている。
たぶん賛否両論あるだろう。
それは、その人の価値観。

NHK朝の連ドラの「カーネーション」。
洋裁職人としてがんばるヒロインの糸子が、「いくらでも金は出すからドレスを作れ」と言う踊り子に言った。

「うちの作るドレスはあんたには売らん!」

自分はプロの洋裁職人や。
いい加減な気持ちで踊るあんたにうちの作るドレスを着る資格はない。

自分と自分の作るものに誇りをもって「売らない」と言った。

ガツン

音がするくらい、やられた

もう忘れかけていた、野上弥生子の
「私は自分の書きたいもののほかは、いくらお金を積まれても、一文字だって書きません」
という言葉を思い出した。

真っ赤に修正されたワードの画面。
心を無にして、機械的に修正していく自分。

ただ、この仕事の報酬をほしいと思う気持ちは全くなくなっていた。

それに気づいたとき、
野上弥生子みたいには言えないけれど、まだ完全には腐ってないなと、自分にホッとした。

でも、今日は心身共にダウン。
なんだかしんどい1日だった。