村上春樹の「1Q84」BOOK3を読み終わった。
感想は、難しい。
頭が悪いのか、読解力がないのか、
あと2回は読み返さないと何も言えない。
読んで、わかる人がいれば、ぜひ解説してほしい。
いろんな人の見解を知りたい。
村上春樹は本当に好きなんだけど、この数年の作品はどうもピンとこない。
私がもう圧倒的に好きなのは、「国境の南 太陽の西」で。
結局のところ、小説や映画、音楽もそうだけど、芸術や文学なんていうのは、
その善し悪しを決めるのは、その人の感性だ。
感性、というか、経験というか。
「絶対的にいいもの」なんて、たぶんない。
「一般的に多くの人に好かれるもの」はあるけれど。
いろんな人がいて、いろんな考え方・感じ方があって、
それで世の中は成り立っている。
だから面白いんだろう。
* * *
最近、ちょっと淋しいことがあった。
これを読んでいる人の何人かは、何のことを言っているのかわかると思うけど。
その人のことをいい加減だとか、無責任だとかは思わない。
裏切られたとも思わない。
怒ってもいないし、キライにもなれない。
ただ、思い出すと、とても淋しい気持ちになる。
何かもう少しやり方がなかったのかな、と思う。
自分がもっと器の大きい人間だったら、頼ってもらえたのかなと、後悔したり。
その場所では一番近くにいたつもりだったけど、結局何もできなかった。
勿論、自分に責任があるとか思っているわけではない。
ただ、淋しいから。私は。
会えないこと、一緒に仕事ができないこと、
しゃべって笑い合えないこと、
一緒にビールを飲めないこと、
いろんなことが淋しい。
苦手だなぁ、こういうのは。
* * *
沢木耕太郎の文庫の新刊を見つけて買った。
久しぶりに沢木作品を読んでいる。
『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』
これは、『世界は「使われなかった人生」であふれてる』に続く、映画エッセイだ。
沢木さんの文章っていうのは、なんでこんなにいいんだろうな。
もう、理想だ。
的確で狂いがなく、簡潔で、小気味良いリズムがあり、
決して難しい言葉を使わず、わかりやすい。
そして、人間味がある。優しさがある。
悲しみを理解できる、人としての大きさが滲み出ている。
こんな文章を書けたら・・・
こんなふうに優しい目で人間を見つめられたら・・・
と、どんなに憧れたことだろう。
初めて読んだのは、10代の終わりだったか。
物書きという道を歩んでみたものの、私はいつまでたってもしがないライターで。
だけど、沢木さんの文章に触れると、
あのキラキラ輝くような未来を夢見ていた自分の気持ちを思い出す。
鮮やかに。
* * *
この間、近くに天ぷらを出す店が新しくできたということで、
たまたま夫と通りかかったときに、寄ってみた。
お昼のランチ。
天ぷら定食が1200円。
この地域でこの値段はないやろ・・・と思いながらも、
逆に、めっちゃ美味しかったら、こんな近くでいつでも来ることができるし・・・
という思いもあって、試しに食べてみることにした。
私は天ぷらが大好きなので。
入ってみると、きれいだし、和風だけどスタイリッシュで落ち着いた雰囲気。
でも、天ぷらが運ばれてきて
「あー、あかんな」と、一瞬でわかった。
こだわりの旬の素材を使っているとのことで、
7、8種類の魚介類と野菜が盛り合わせてあったのだが、
見た目でまず美味しそうじゃないのだ。
全体的に揚げすぎ?
茶色っぽい。
それでもまあ、食べてみると、思った通り・・・
サクサクもしていないし、ふっくらもしていないし、
素材が生かされているわけでもない。
これに、赤だし、サラダ、ご飯、香の物がつく。
1200円はないわ・・・
というか、この味だったら、800円でも私は行かない。
なぜか?
簡単な話。
自分が作った天ぷらのほうがよほど美味しいからだ。
お金を出してわざわざ食べるのは、自分で作るよりおいしいものが食べられるからだ。
もしくは、自分では作れないようなもの、自分では仕入れられない食材など・・・
プロっていうのは、そういうことだと思う。
ちょっと前に、芦屋近辺で取材があり、お昼に2時間空いたので
あやとランチをすることになった。
芦屋の天ぷら屋さん。
ランチが1600円。
だけど、全然高いとは思わなかった。
芦屋という土地柄もあるし、待遇、味、かなり満足した。
むしろ、「おトクやな~」なんて言いながら店を出たくらいだ。
福島にも、行きつけの天ぷら屋がある。
ちょっとビールとお酒飲んだら7000円くらい。
でも、ここもいつ行っても満足する。
最低レベルで自分が揚げる天ぷら。
そして、それより旨い天ぷらをいくらか知っていると、
やっぱりあのレベルでお金を払って食べようとは思えない。
厳しいようだが、プロっていうのはそういうことだろうと思うのだ。
私だって、「こんな文章だったら、自分で書きます」と言われたら、稼げない。
でも、「あんな話をよくこんなふうにうまくまとめられますね。さすがプロ!」と言ってもらえる。
そういう仕事をするから、お金をもらえる。
久しぶりに私はずっとこの店のことでモヤモヤしていた。
夫に「もういいやん」と言われても、しつこく「あの店は・・・」といい続けた。
そして、ここにも書いた(笑)
なんか、いやなんだなぁ、お金を出してまずいものを食べるのが。
ファストフードだったら、「こんなもんだろう」という覚悟もあるし、安いから我慢できる。
それでもあまり行かないけど・・・
まずくはないと思う。
でも、興味が湧かない。
ただ、1回行ってまたすぐに行きたくなるお店と、
もう二度と行かないお店とは、はっきりしている。
昨年、新規開拓したお店では、谷四にある「和亭」と
福島の「Kamoshiya Kusumoto」、京都の「なな治」がよかった。
全部タイプは違うけど、誠実で美味しくて信念があった。
既に2回以上行っているお店もあるし、これからも行きたいお店だ。
他にもたくさんのお店へ行ったけど、あまりリピートしない。
連れて行く人に合わせてリピートすることはあるけれど。
基本的に自分が選ぶお店は美味しいんだが、何か「ガツン」とやられるような、
あかん、まいった!となるような1品がないと、
やっぱり「次も行こう」という気持ちにはならない。
食いしん坊だし、美味しいものに対しては異常な情熱があるし、
できれば新たな店へ行きたいという気持ちが強いのだ。
でも、その情熱すら曲げさせるほど美味しいものがあると、リピートしてしまう。
あと、お酒がおいしいというのは、必須。
まあ、味覚も人それぞれだから、自分がおいしいと思うものが絶対とは全く思っていない。
逆に、違って当たり前と思う。
例えば、日本酒でも、夫と私は好みが似ているようで、実は微妙に異なる。
そんなもんだ。
だからこそ、「自分」のおいしいと思うものをひたすら探し求めている。
(当たり前だけど、自分で作るのが一番自分の舌には合うんだけどね)
感想は、難しい。
頭が悪いのか、読解力がないのか、
あと2回は読み返さないと何も言えない。
読んで、わかる人がいれば、ぜひ解説してほしい。
いろんな人の見解を知りたい。
村上春樹は本当に好きなんだけど、この数年の作品はどうもピンとこない。
私がもう圧倒的に好きなのは、「国境の南 太陽の西」で。
結局のところ、小説や映画、音楽もそうだけど、芸術や文学なんていうのは、
その善し悪しを決めるのは、その人の感性だ。
感性、というか、経験というか。
「絶対的にいいもの」なんて、たぶんない。
「一般的に多くの人に好かれるもの」はあるけれど。
いろんな人がいて、いろんな考え方・感じ方があって、
それで世の中は成り立っている。
だから面白いんだろう。
* * *
最近、ちょっと淋しいことがあった。
これを読んでいる人の何人かは、何のことを言っているのかわかると思うけど。
その人のことをいい加減だとか、無責任だとかは思わない。
裏切られたとも思わない。
怒ってもいないし、キライにもなれない。
ただ、思い出すと、とても淋しい気持ちになる。
何かもう少しやり方がなかったのかな、と思う。
自分がもっと器の大きい人間だったら、頼ってもらえたのかなと、後悔したり。
その場所では一番近くにいたつもりだったけど、結局何もできなかった。
勿論、自分に責任があるとか思っているわけではない。
ただ、淋しいから。私は。
会えないこと、一緒に仕事ができないこと、
しゃべって笑い合えないこと、
一緒にビールを飲めないこと、
いろんなことが淋しい。
苦手だなぁ、こういうのは。
* * *
沢木耕太郎の文庫の新刊を見つけて買った。
久しぶりに沢木作品を読んでいる。
『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』
これは、『世界は「使われなかった人生」であふれてる』に続く、映画エッセイだ。
沢木さんの文章っていうのは、なんでこんなにいいんだろうな。
もう、理想だ。
的確で狂いがなく、簡潔で、小気味良いリズムがあり、
決して難しい言葉を使わず、わかりやすい。
そして、人間味がある。優しさがある。
悲しみを理解できる、人としての大きさが滲み出ている。
こんな文章を書けたら・・・
こんなふうに優しい目で人間を見つめられたら・・・
と、どんなに憧れたことだろう。
初めて読んだのは、10代の終わりだったか。
物書きという道を歩んでみたものの、私はいつまでたってもしがないライターで。
だけど、沢木さんの文章に触れると、
あのキラキラ輝くような未来を夢見ていた自分の気持ちを思い出す。
鮮やかに。
* * *
この間、近くに天ぷらを出す店が新しくできたということで、
たまたま夫と通りかかったときに、寄ってみた。
お昼のランチ。
天ぷら定食が1200円。
この地域でこの値段はないやろ・・・と思いながらも、
逆に、めっちゃ美味しかったら、こんな近くでいつでも来ることができるし・・・
という思いもあって、試しに食べてみることにした。
私は天ぷらが大好きなので。
入ってみると、きれいだし、和風だけどスタイリッシュで落ち着いた雰囲気。
でも、天ぷらが運ばれてきて
「あー、あかんな」と、一瞬でわかった。
こだわりの旬の素材を使っているとのことで、
7、8種類の魚介類と野菜が盛り合わせてあったのだが、
見た目でまず美味しそうじゃないのだ。
全体的に揚げすぎ?
茶色っぽい。
それでもまあ、食べてみると、思った通り・・・
サクサクもしていないし、ふっくらもしていないし、
素材が生かされているわけでもない。
これに、赤だし、サラダ、ご飯、香の物がつく。
1200円はないわ・・・
というか、この味だったら、800円でも私は行かない。
なぜか?
簡単な話。
自分が作った天ぷらのほうがよほど美味しいからだ。
お金を出してわざわざ食べるのは、自分で作るよりおいしいものが食べられるからだ。
もしくは、自分では作れないようなもの、自分では仕入れられない食材など・・・
プロっていうのは、そういうことだと思う。
ちょっと前に、芦屋近辺で取材があり、お昼に2時間空いたので
あやとランチをすることになった。
芦屋の天ぷら屋さん。
ランチが1600円。
だけど、全然高いとは思わなかった。
芦屋という土地柄もあるし、待遇、味、かなり満足した。
むしろ、「おトクやな~」なんて言いながら店を出たくらいだ。
福島にも、行きつけの天ぷら屋がある。
ちょっとビールとお酒飲んだら7000円くらい。
でも、ここもいつ行っても満足する。
最低レベルで自分が揚げる天ぷら。
そして、それより旨い天ぷらをいくらか知っていると、
やっぱりあのレベルでお金を払って食べようとは思えない。
厳しいようだが、プロっていうのはそういうことだろうと思うのだ。
私だって、「こんな文章だったら、自分で書きます」と言われたら、稼げない。
でも、「あんな話をよくこんなふうにうまくまとめられますね。さすがプロ!」と言ってもらえる。
そういう仕事をするから、お金をもらえる。
久しぶりに私はずっとこの店のことでモヤモヤしていた。
夫に「もういいやん」と言われても、しつこく「あの店は・・・」といい続けた。
そして、ここにも書いた(笑)
なんか、いやなんだなぁ、お金を出してまずいものを食べるのが。
ファストフードだったら、「こんなもんだろう」という覚悟もあるし、安いから我慢できる。
それでもあまり行かないけど・・・
まずくはないと思う。
でも、興味が湧かない。
ただ、1回行ってまたすぐに行きたくなるお店と、
もう二度と行かないお店とは、はっきりしている。
昨年、新規開拓したお店では、谷四にある「和亭」と
福島の「Kamoshiya Kusumoto」、京都の「なな治」がよかった。
全部タイプは違うけど、誠実で美味しくて信念があった。
既に2回以上行っているお店もあるし、これからも行きたいお店だ。
他にもたくさんのお店へ行ったけど、あまりリピートしない。
連れて行く人に合わせてリピートすることはあるけれど。
基本的に自分が選ぶお店は美味しいんだが、何か「ガツン」とやられるような、
あかん、まいった!となるような1品がないと、
やっぱり「次も行こう」という気持ちにはならない。
食いしん坊だし、美味しいものに対しては異常な情熱があるし、
できれば新たな店へ行きたいという気持ちが強いのだ。
でも、その情熱すら曲げさせるほど美味しいものがあると、リピートしてしまう。
あと、お酒がおいしいというのは、必須。
まあ、味覚も人それぞれだから、自分がおいしいと思うものが絶対とは全く思っていない。
逆に、違って当たり前と思う。
例えば、日本酒でも、夫と私は好みが似ているようで、実は微妙に異なる。
そんなもんだ。
だからこそ、「自分」のおいしいと思うものをひたすら探し求めている。
(当たり前だけど、自分で作るのが一番自分の舌には合うんだけどね)