明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

萩・宮島旅行 その1 ~松陰先生!!(泣)

2009-06-08 12:05:38 | 
この土日は1泊2日旅行だった。
私の誕生日プレゼントにと、夫が企画してくれた「萩・宮島旅行」。
短い旅だったけれど、充実した楽しい2日間だった。

山口県の萩……、というか、私にとっては「長州藩」であるが、
いつか一度は行ってみたい土地だった。

あの激動の幕末。
吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、久坂玄瑞……
歴史を動かした彼ら、
そして、名を残すことなく散っていった多くの武士、
命を賭けた信念……

思い起こすだけで胸が熱くなり、涙がにじんでくる。

特に高杉晋作は、あまり深く知らないのに心惹かれる人物で。

  「おもしろきこともなき世をおもしろく
     住みなすものは心なりけり」

この歌は、彼の生き方や性格をとてもよく現していると思う。
ぜひ、彼の生まれ育った土地に足を踏み入れてみたかった。

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か細い糸のような小雨が降る萩の町を歩いた。
白壁の蔵や武家屋敷・商家が多く残る美しい町並み。



高杉晋作の旧家はそんな町並みの中にひっそりとあった。
ただ、ほとんど見るところや資料はなく、
「ここで育ったのか……」と思う程度。



また、その近所には桂小五郎の育った家もあり(養子)、
そこはかなり大きく、中は写真や肖像画でいっぱいだった。

同じような志をもって歴史を動かした二人でも、
明治維新まで生き抜いたか、わずか27歳にして志半ばで倒れたか、
その差はこのような形で現代に出てくるんだなと、少し淋しい気持ちになった。

発想力、行動力、奇抜な兵術……
天才・高杉晋作が病に倒れなければ、あの後どれほど活躍したことだろう。

感慨深く、彼の「おもしろき……」の歌をまた心の中で反芻した。

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萩の町を歩く前に、松陰神社と松下村塾にも足を延ばしていた。

松下村塾……
吉田松陰の私塾で、高杉晋作・伊藤博文ら、
明治維新の立役者が学んだという場所。

特に具体的な建物をイメージしていたわけではないが、
そのあまりに輝かしい人物を輩出したという理由から、
どこか華々しいイメージすらあった。

だが、目の前に現れたそれは、驚くほど粗末で小さな建物だった。



目を疑った。
そして、なんだかわからないオーラに包まれて、鳥肌が立つ。
近づくのが怖いほどで、圧倒される感じだった。

ここで……
こんな粗末な小屋で……
日本国を変えようとしたあの大いなる思想、
生死を賭けたそれぞれの信念が生まれたのだ。

「松陰先生!!」

夫と二人、泣きそうになりながら、小屋に近づいた。

吉田松陰という人は、勉強家で兵術にも長け、
人を惹きつけるカリスマ性にも富んだ人物だったようだ。
その思想は、あの時代の人間の一歩も二歩も先を行っていて、
ほとんどの人からは「狂人」のように映っていたに違いない。

言葉も通じないのに黒船に密航しアメリカへ渡ろうとしてつかまったというエピソードは、それをよく表していると思う。

野山獄中で出会った久子という女性。
彼女から影響を受けた「身分など関係なく、どんな人間にも一つは優れた才能がある」という思想。
それを反映した「学びたいものは身分に関係なく受け入れる」という松下村塾での教え……。
身分制度が当たり前だった時代、どれほど奇妙に見えたことだろう。



日本国のことを本気で考え、心配しながらも
弟子にその想いを託して、斬首刑となった松陰先生。

  「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂」

処刑前に「留魂録」に書かれた歌と言われている。

松下村塾の前で、小雨降る中、傘もなく、
ただ濡れながらこの歌を思い出していた。

たった150年前に生きた人の信念は、今の私たちには遠い。
150年というか、この60年で随分と日本人の思想は変わってしまったように思う。
文化自体も大きく崩壊した。
特攻隊でも辞世の歌を詠んでいるのに、今の日本人には歌を詠む習慣などない。
それどころか、書かれている文字を読むことすら難しい。

いろんなことを考える。

松下村塾を目にした瞬間の、あのぞくぞくした感じ。
襲いかかってくる爆発的なオーラ。
あれは一体何だったんだろうかと、夫と話しながらその場を去った。

とりあえず、長年思い焦がれた地に足を踏み入れることができ、満足した。
帰ったらもう少しちゃんと幕末の本を読もうと思った。

※歴史に詳しいわけではないので、
 書いていることが間違っていたらすみません。