朝、目覚めると、飛び回りたいくらいの青空だった。
こんなきれいな日は年に何日あるだろう。
春と秋にほんの数日ずつ。
それくらい今日はきれいな日だった。
昨日は雨が降ったから、空気が変わった。
雨上がりの朝って本当に好きだ。
空気が澄んでいて、山の色が鮮やかで。
彼がいたらよかったのにと思ったが、その頃はまだ船の上。
仕方なく、お昼はピザ風のパンを買ってきて、それを食べながら一人でベランダでビールを飲んだ。
んー!サイコー!
ずっとそうしていたかったけれど、今日は絶対に衣替えをしなければならなかった。急に寒くなったから、布団も冬用を出して干して、乾燥機をかけなくては。
衣替え・・・
いつもこれが苦痛だ。
なんでこんなにあるんやろ?というくらい、服がある。
春夏物のワンピースだけで15枚くらい。
衣装ケース10箱+クローゼット。
もうこれ、絶対着ないよね・・・というのもあるんだが、なかなか捨てる決心がつかず、「一体いつから持ってるねん!」というような服も結構あったりする。
日本には「モノを捨てる」のが好きな人たちがたくさんいるようで、そういうサイトもあって、「私は今日これを捨てました!」「私はこれとこれを捨てました!」と自分の捨てたものをBBSで言い合ったりしている。
「すっきりしましたね!心も軽くなりますね!」みたいな結論なのだが、
・・・私はそれを読んでいるだけで気分が悪くなる。
捨てるって、恥ずかしいことじゃないのかな?
それだけ、無駄なものを買ったってことじゃないのかな?
なんでそれが美徳とされるのか、意味がわからない。
もちろん、生活しているといらないものは増えてくる。
私だって、後になって「あー、買わなかったらよかった。失敗!」ということはある。それに、古くなったり、壊れたりもする。
だから、それらをきちんと「整理して、捨てるべきものは捨てる」ということは必要だ。
でも、捨てるときにはやっぱり「ゴメンナサイ」「モッタイナイ」という心がないといけないよなぁ。リサイクルできるものはしたり、人にあげたり。
そのサイトときたら、「今日は古くなったタオルを○枚捨てました!」とか自慢げに書いているのだ。
切って雑巾にしろよ~!
もったいなくて、憤ってしまった。
私は古くなったタオルやTシャツなどは、小さく切って雑巾にしている。
換気扇など、どろどろになるものを磨く時などにはそれでやるのだ。
ちょっと前にふみこの家に行ったら、同じように古着などを小さく切って置いてあって、やっぱり雑巾にしていた。
それを見たとき、なんだか安心してしまった。
こういう「感覚」が安心する。
もんちゃんちに行っても、なんか見たことある柄のコースターだなぁと思って聞いたら、「これ?私のシャツやってん」と言う。
どーりで!!見たことあるはずだ(笑)
花柄のシャツはコースターと鞄に変身していた(もんちゃん母作)。
「このシャツ、気に入ってたから・・・」と言う。
なんかこういうのが「豊か」なんだよなぁ、と思ってしまう。
収納は限られているし、モノは自然と増えてきてしまうし、時には思い切って使わないものを捨てることは大事だとは思う。
家がきれいであること、整理されていることは、それだけで気持ちもすっきりすると思うから。
たぶん、あのサイトの人たちもそういう意味で捨てることを良しとしているのだろうけど、でも、やっぱり捨てるときには「もったいない」と「ごめんなさい」が欲しい。
「捨てる」という行為自体を否定する気はないけれど、なんの気持ちももたずに捨てるということがイヤなのだ、私は。
あかん。
話が勢いづいてしまったが、そんな私は衣替えがかなり憂鬱だ。
「この服、着ないよなぁ」と思っても、それに出会って、買ったときの気持ちが蘇ってきて、急に愛しくなってしまうのだ。
ああ、でも、私が気に入って買ったんだった!と。
すると、やっぱり捨てられず、「とりあえず来年まで置いておこう」となる。
ただ、全部置いておくわけではないので、何着かは処分する。
いらないものは姉にまわす。
姉はフリマをやってるので、そこで売ってもらうのだ。
誰かが気に入って買ってくれたらありがたい。
日本は豊かな国だけど、捨てることを賞賛する今の日本はどうなのかなぁ。
ちなみに私の夫・エルエルくんは、小学1年生から使っていた勉強机を、この間捨てた。
20年活躍してくれた机に感謝して、泣く泣く捨てた。
こういう人でよかったと思った。
私も結婚して落ち着いたし、これからはもっと買い物も慎重にしていこう。
なるべくモノをためず、なるべくモノを捨てなくていいように。
しかし・・・そんなわけで、今日も半日、衣替え。
せっかくきれいな日だったのになぁ。
こんなきれいな日は年に何日あるだろう。
春と秋にほんの数日ずつ。
それくらい今日はきれいな日だった。
昨日は雨が降ったから、空気が変わった。
雨上がりの朝って本当に好きだ。
空気が澄んでいて、山の色が鮮やかで。
彼がいたらよかったのにと思ったが、その頃はまだ船の上。
仕方なく、お昼はピザ風のパンを買ってきて、それを食べながら一人でベランダでビールを飲んだ。
んー!サイコー!
ずっとそうしていたかったけれど、今日は絶対に衣替えをしなければならなかった。急に寒くなったから、布団も冬用を出して干して、乾燥機をかけなくては。
衣替え・・・
いつもこれが苦痛だ。
なんでこんなにあるんやろ?というくらい、服がある。
春夏物のワンピースだけで15枚くらい。
衣装ケース10箱+クローゼット。
もうこれ、絶対着ないよね・・・というのもあるんだが、なかなか捨てる決心がつかず、「一体いつから持ってるねん!」というような服も結構あったりする。
日本には「モノを捨てる」のが好きな人たちがたくさんいるようで、そういうサイトもあって、「私は今日これを捨てました!」「私はこれとこれを捨てました!」と自分の捨てたものをBBSで言い合ったりしている。
「すっきりしましたね!心も軽くなりますね!」みたいな結論なのだが、
・・・私はそれを読んでいるだけで気分が悪くなる。
捨てるって、恥ずかしいことじゃないのかな?
それだけ、無駄なものを買ったってことじゃないのかな?
なんでそれが美徳とされるのか、意味がわからない。
もちろん、生活しているといらないものは増えてくる。
私だって、後になって「あー、買わなかったらよかった。失敗!」ということはある。それに、古くなったり、壊れたりもする。
だから、それらをきちんと「整理して、捨てるべきものは捨てる」ということは必要だ。
でも、捨てるときにはやっぱり「ゴメンナサイ」「モッタイナイ」という心がないといけないよなぁ。リサイクルできるものはしたり、人にあげたり。
そのサイトときたら、「今日は古くなったタオルを○枚捨てました!」とか自慢げに書いているのだ。
切って雑巾にしろよ~!
もったいなくて、憤ってしまった。
私は古くなったタオルやTシャツなどは、小さく切って雑巾にしている。
換気扇など、どろどろになるものを磨く時などにはそれでやるのだ。
ちょっと前にふみこの家に行ったら、同じように古着などを小さく切って置いてあって、やっぱり雑巾にしていた。
それを見たとき、なんだか安心してしまった。
こういう「感覚」が安心する。
もんちゃんちに行っても、なんか見たことある柄のコースターだなぁと思って聞いたら、「これ?私のシャツやってん」と言う。
どーりで!!見たことあるはずだ(笑)
花柄のシャツはコースターと鞄に変身していた(もんちゃん母作)。
「このシャツ、気に入ってたから・・・」と言う。
なんかこういうのが「豊か」なんだよなぁ、と思ってしまう。
収納は限られているし、モノは自然と増えてきてしまうし、時には思い切って使わないものを捨てることは大事だとは思う。
家がきれいであること、整理されていることは、それだけで気持ちもすっきりすると思うから。
たぶん、あのサイトの人たちもそういう意味で捨てることを良しとしているのだろうけど、でも、やっぱり捨てるときには「もったいない」と「ごめんなさい」が欲しい。
「捨てる」という行為自体を否定する気はないけれど、なんの気持ちももたずに捨てるということがイヤなのだ、私は。
あかん。
話が勢いづいてしまったが、そんな私は衣替えがかなり憂鬱だ。
「この服、着ないよなぁ」と思っても、それに出会って、買ったときの気持ちが蘇ってきて、急に愛しくなってしまうのだ。
ああ、でも、私が気に入って買ったんだった!と。
すると、やっぱり捨てられず、「とりあえず来年まで置いておこう」となる。
ただ、全部置いておくわけではないので、何着かは処分する。
いらないものは姉にまわす。
姉はフリマをやってるので、そこで売ってもらうのだ。
誰かが気に入って買ってくれたらありがたい。
日本は豊かな国だけど、捨てることを賞賛する今の日本はどうなのかなぁ。
ちなみに私の夫・エルエルくんは、小学1年生から使っていた勉強机を、この間捨てた。
20年活躍してくれた机に感謝して、泣く泣く捨てた。
こういう人でよかったと思った。
私も結婚して落ち着いたし、これからはもっと買い物も慎重にしていこう。
なるべくモノをためず、なるべくモノを捨てなくていいように。
しかし・・・そんなわけで、今日も半日、衣替え。
せっかくきれいな日だったのになぁ。