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明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

ただの官能小説ではなかった「ダブル・ファンタジー」 by村山由佳

2009-01-31 01:37:10 | 
今年は読んだ本についても、1冊1冊ちゃんとレビューを書いて記録にしたいと思っているのだが、もう既に4冊たまってしまった。
でも、逆に言えば、1ヶ月でまだ4冊しか読んでいないのだなぁ。
昔は3日に1冊ペースで読んでいたのだけど。

とりあえず、その4冊のうちの1冊から。
村山由佳『ダブル・ファンタジー』



あとで気付いたのだが、ジョン・レノンのアルバムのタイトルと同じなのだな。
そういえば、作品中にもその話がちょっとだけ出ていた。

私は村山由佳の作品はデビュー作の『天使の卵』から好きで、
小説はほとんど読んできた。
(彼女はエッセイも多いのだけど、私はエッセイというものがあまり好きでないので、読んだことはない)

だから今回も、本屋で「おっ!新作出てるな」という感じで買ったのだが、帯を見て「あれ?」と思った。
彼女は官能小説を書くタイプの作家ではないのだ。
でも、そういう意味のコピーが書かれている。

本を開いてみると、こうだった。

  男の臀(しり)とは、どうしてこうも冷たいのだろう。

かなり分厚いボリュームのある本なのだが、かなり性的描写も多い。
まあ、そんなことに興奮するような年でもないので(笑)
さらりと読むが、なんだかこういう作品を書くということが意外だった。

途中まで読んだときに、その作品の内容の優劣ではなく、
彼女がこういう作品を書くということにちょっとがっかりした想いもあった。
「売れるために?」と思ったのだ。

でも、もう本当に終わりかけの、ある文章を読んだときに、そうではないと確信した。
そして、とても感動したので、ここに記しておこうと思う。

フィクションであれノンフィクションであれ、他者に向かって何かを<物語る>という芸当が出来るかどうかは、あくまでも才能の多寡にかかっている。文章は巧いほうがいいが、巧ければいいわけではない。計算はもちろん必要だが、計算だけで書けるものでもない。
傲慢に言い放つようだけれど、書ける人間とそうでない人間とは、くっきりと分かたれているというのが奈津の実感だった。書ける人間はほうっておいても書けるし、書けない人間はだれに何を言われようが書けない。それはもう、残酷なほどだ。
志澤の意見に迎合するわけではないけれど、<書ける>というのはたしかに、恩寵よりも劫罰に近い事柄なのだ。何を見て、何を感じても、言葉に置き換えて物語らずにはいられない――書いてしまうことによって自らが血みどろになるとわかっていても、それでも書かずにはいられないという、呪い。

なんだかこの箇所を読んだときに、ああ……と深いため息がこぼれた。
私ごときがそんなことを言うのはおこがましいとはわかっているのだが、
「わかる」のだ。

私は今、自らが血みどろになることを怖がって、
<物語>を書けなくなっているのだということもよくわかる。

でも、本当は、それでも書かずにはいられない、というのが、本当に書くべき人なのだろうな、と思う。
そして、村上由佳という人は、そうなんだろうと思った。

かなりきわどい姓描写。
いろんな男性の「やり方」を一つ一つリアルに批評している。
女性の側から言えば、たぶんこれは実体験でないと書けないものだ。
でも、これを書くことによって、傷つく人もいるだろうし、作者本人も血みどろになるのだろうと思えた。
だけど、書かずにはおれない。
それが文章の端々に顕れていて、そのことに恐れ入った。
やっぱりすごい作家だなぁと。

そして、村山由佳がいつも言われることだが、
この人の使う日本語の美しさ、ボキャブラリーの豊富さときたら、尋常じゃない。
昔はノートにこの人の文章を写すという作業を繰り返していた。
気に入った文章だけではあるが。
他の現代作家にはない言葉の美しさがある作家なのだ。
(物書き視点かもしれないけれど)
こんなふうに言葉を自由に操れたらどんなにいいだろうかと、憧れた作家でもある。

久しぶりに彼女の作品を読んで、
官能小説みたいな場面が多いことにびっくりはしたけれど、
それでもやっぱり語彙の豊富さ・使い方の正確さ・文章の美しさは健在だなぁと感動した。

ストーリーにはあえて触れないが、
仕事をもつ女性には読んでほしい本かもしれない。
あと、男性経験の豊富な人は「ああ……」と納得できる部分も多いのでは?

私の感想としては、「やっぱり村山由佳ってすごいなぁ」と。
内容云々よりも、そんな漠然とした、でも賞賛の想いだけである。

『悪人』 吉田修一

2008-12-03 23:45:52 | 
先日、ようやく吉田修一の『悪人』を読んだ。

彼の作品はほぼ目を通してきたし、
いろいろな文学賞もとり、評判も良いこの本。
読みたい、読みたいと思いつつ、先日まで手が出なかったのは、
1800円という価格がまずある。
文庫本になるまで待とうかな・・・という気持ちがあった。
それから、もう一つ、手が出なかった理由はタイトル。
私は基本的にハッピーエンドが好きなので、
なんだかもう、いかにも悪い人が出てきて辛い結末になりそうな、
こんなタイトルの本を手にするのがちょっと怖かったのだ。

だけど、3センチくらいある分厚いこの本を買って、
3時間くらいで一気に読み切ってしまった。

悲しいとか、かわいそうとかいうのではないのだけど、
なんだか最後はやりきれなくて、
やりきれなさを拭うために、代わりに涙が出た。
読み終わった後も、しばらくぼんやりして、じめじめ泣いて、
何度もため息をついた。

人って悲しいなぁと、久しぶりに思った。
不器用に生きている人間の、なんと多いことか。

これから読む人のために、あらすじなどは詳しく書かないが、
この物語は一人の女性の死と、それに関わった男性の事件から始まる。
誰が主人公なのかわからなくなるほどたくさんの登場人物がいて、
それぞれの感情、気持ちが克明に描かれている。

『悪人』。
このタイトルに直接結びつけるべき登場人物はいるのだが、
読んでいる途中も、読み終わってからも、思うのだ。

一体誰が「悪人」なのか?

これはある種、人間の心理を問うゲームのようにも思える。

殺人を犯した者
殺人を犯す原因を作った者
殺人者の親
殺したくなるほど憎たらしい者
被害者やその親を笑う者
殺人者を逃げさせた者

さあ、この中で一体誰が一番の「悪人」なのでしょうか?

そんな心理テスト。
もちろん、それぞれの言い分があり、殺人にもワケがあり、
情を誘う場面もあり、人間らしい優しさも転がってる。

いろんな要素を総合して見たときに、
果たして誰を「悪人」だと思うのか?
そこに「正解」はない。
だから、心理テストだというのだ。

読んだ人に聞いてみたくなる。
ねえ、あなたは誰が一番の「悪人」だと思った?と。
その答えで、その人の価値観がわかるような気がするのだ。

もちろん、吉田修一がそんなことを意識して書いたとは思わないが。

最近の若手作家では、やはり吉田修一と伊坂幸太郎がすごいと思う。
伊坂幸太郎は完全に「伊坂ワールド」があるが、
吉田修一の面白さというのは、作品によって全く違う世界があること。

ミステリーもあれば、恋愛小説もある。
せつない青春小説もあれば、ハードボイルド系も。
同じ作者が書いたとは思えないほど、その作風は様々。
そして、かなり早いペースで新作を発表するにも関わらず、
一定レベルの質を保っているのが素晴らしい。

デビューして10年。
そこで、この傑作である。

次はどんなものを書くんだろうかと、いつも楽しみになる。
そういう作家だ。

ある一つの事件に関わった人々を描いた『悪人』。
それぞれが弱さや不器用さを露呈しているが、
どん底まで落ち、
そして、這い上がる姿もある。
「愛」を知る人もいる。
「人」というものが本来もっている、底にある「強さ」をふと感じる場面もある。

そこに、ひと筋の希望の光を見出した瞬間、
このやりきれない世の中でも、
どんな状況の中でも、
歯をくいしばって生きなきゃダメなんだと思えた。

東野圭吾 『さまよう刃』

2008-06-12 20:57:32 | 
今週は久しぶりにかなりハードな毎日。
でも、不思議なことに忙しいときほど、日記の更新が続いている。

昨日は、朝、老人介護ホームを取材して、昼からIT関係の企業を取材して、
一度家に帰って空きの1時間に家事をこなして、それから塾へ。

8時までだったので、帰って仕事をしようと思っていたのだが、
テスト前日ということで生徒が「残って数学やるぅ~」と言う。
他の講師に任せて帰ってもよかったのだが、どうしても最後まで教えたくて、
結局11時まで居残りに付き合った。

帰るともう夜中12時。
そこから2時まで原稿書いて、2時半就寝。
今朝は7時半に起きた。

でも、私がニコニコしていたら、夫が
「そんなにハードやのに、そんな笑顔で迎えてくれるの?
と嬉しそうだった。
「いや、別に疲れてないから……」と私。

そう。
すぐに体が慣れるタイプなので、この「ハードな生活」というリズムを作ってしまえば、もうほとんど疲れるということがない。
ホント、便利な体だ。

今日は昼間、整体の先生のところへ取材。
ちょっと原稿がたまってきたので、今日明日は執筆モードで頑張らなくては。

しかし、体は疲れていないのに、今日は酒を飲む気にもならないほどに気分が憂鬱になっている。

移動が多かったので、この間買っておいた東野圭吾の「さまよう刃」を読んだのだ。
前半でもう気分が悪くなって、買わなければよかったと思った。
東野圭吾は大好きで結構な数を読んでいるけれど、これは苦手……。
でも、読みかけた本を途中で置くのはポリシーに反するし、またストーリー自体は東野圭吾らしく引き込ませるものだったので、どうしても先を進めてしまう。

だからこそ、「なんで買っちゃったんだろう」と後悔したのだけど。

身近な愛する人を、少年の身勝手な軽い気持ちで陵辱され、命を奪われる者たちの気持ちを、「復讐」という形で描いていた。
少年犯罪について深く問いただす作品でもある。

極端に人に感情移入してしまう私には、かなりきつかった。
つらい想いをしている登場人物が多すぎる。
負の感情ばかりが自分の中に入ってきて、読み終わった後、しばらく動けなかった。
いろんなことを考えた。

人を幸せな気持ちにする物語もあれば、
人の生き方を考えさせる物語もある。

未来に希望をもって明るい気持ちになるような本ではなかったのだけど、
読み終わった後、なぜか「頑張って生きよう」と思えた。
この間の秋葉原の事件や、マンション隣人殺人の事件や、
そういうのを知ったときにも思ったのだけど、
今日生きていることは当たり前じゃなくて、奇跡なんだなぁと。

1日1日感謝して生きないと……。
そんな謙虚な気持ちになる。

そして、決して容疑者に同情するわけではなく、
でも、なんだか淋しい人が多いんだな、と、そう思う。

そういうことを考えて、朝からニュース見て涙を浮かべてばかりいたときに(←遺族に感情移入)、この本を読んでよけいに暗い気持ちになった。
なんだかつらいねぇ…


『風花』 川上弘美

2008-04-25 11:46:57 | 
  わたし、
  離婚した方が
  いいのかな。

こんなコピーが書かれた帯にドキッとして、
思わず手にしてしまった『風花』。

川上弘美の作品はわりと好きで、『蛇を踏む』に始まり、
『センセイの鞄』『古道具中野商店』『光ってみえるもの、あれは』
『ニシノユキヒコの恋と冒険』等、いくつか読んできた。

川上弘美の最高傑作といわれる『センセイの鞄』は、
広く読まれただけに賛否両論あるとは思うが、
私は好きである。
ただ、一番自分にしっくりくるのは『古道具中野商店』なのだけど。

今回読んだ『風花』も悪くはなかった。
最初は、川上弘美特有の、まったりした空気感に慣れず、
入り込むのに時間はかかったが、一度入り込むと一気に読んだ。

いつもながら、空白の多い文章だ。
もちろん、実際に「スペース」があるという意味ではない。
よく「行間を読め」なんて言われるが、
その「行間」に何かがぎっちり詰まっているのではなく、
すごく大きな空白というか、空間というか、
そういうものが感じられるというのが、この人の文体の特徴だ。

これが心地良く感じられる人もいれば、
うざったく感じられる人もいるのだろう。

33歳の主人公「のゆり」。
夫が浮気していることを知る。
そして、離婚を迫られる。

自分がどうしたいのか、わからない。
その葛藤。
「変わろう」「夫と向き合おう」とする時間。

「のゆり」のおっとりした考え方や行動に、
正反対の私は多少イラつきもしたが、
「がんばるんだ、わたし」と自分を奮い立たせている様子がいじらしくなる。

いろんな人のレビューを読むと
「のゆりに感情移入できない」という意見もあったが、
私は夫の感情が最後までよくわからず、なんだかスッキリしなかった。

そして、ラストもなんだかスッキリしないまま終わったので、
最終ページで「えー!ここで終わり?」と叫んでしまった。
なんか、スッキリしたいな。

というわけで、面白かったのかどうかもよくわからない。

結婚1周年を目の前にして、離婚の小説を読んでしまった私。
まあ、こっちは相変わらずラブラブだけどね

ちなみに、今月は多少読書ができたのでよかった。
読みかけで置いていた新堂冬樹の『忘れ雪』
石田衣良の『夜を守る』
堀江敏幸の『雪沼とその周辺』
そして、川上弘美の『風花』

そういえば、前に私がこのブログでおすすめしていた伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』、今年の本屋大賞になっていた。
納得!!
あれは本当に伊坂ワールドの集大成のような、
からくり、ミステリー的要素、エンターテイメント性、メッセージ性、
すべてにおいてレベルが高くバランスの良い作品だったと思う。

「なんか面白い本ないかな」と思っている方、ぜひ一読を。

『静かな爆弾』 吉田修一

2008-03-25 23:12:09 | 
今年に入ってから、月に1、2冊しか本を読んでいない……。
通勤がなくなったので、家で本を読むという習慣をなかなか作れないでいる。
ただ、これではいけないと、なるべく寝る前の1時半~2時までの30分でも読書に充てようと決めた。

久しぶりに、吉田修一作品を読んだ。

吉田修一といえば、「パーク・ライフ」を読んだのが初めで、中野が「吉田修一なら『パレード』が好き」というので、次は「パレード」を読んで、そこからハマッて8~9割程度の作品は読んでいる。

読むたびに思うのは、私なんかと並べること自体が申し訳ないが、あくまでも書き手視点で「この人って、才能豊かだなぁ」ということだ。
好き嫌いはもちろんあると思うし、読者としてみればまた違うのだろうが。

例えば、石田衣良は好きだけど、彼の女性視点の作品ってどこまでいっても男性が書いているという感じがして仕方がない。
でも、吉田修一は違う。
『7月24日通り』などで見せた女性視点の作品は、その違和感のなさが見事としか言いようがない。
かと思えば、ギラギラで、ねっとりとした、男臭さが漂ってくるようなハードボイルドな作品も書ける。
そして、『東京湾景』のような純文学の薫り高い作品も生み出せる。

また、新作を発表するスピードが速い。
本屋に行くと「え、もう新しいの出たの?」という感じだ。
だけど、作品の質が落ちない。
いろんなタイプの作品を書く作家だから、好みはあるだろうが、それでも年々マンネリになるとか、もう枯渇してるんじゃないかとか、そういった印象もなく、商業作家的なつまらなさもない。
どれもがまるで処女作のような初々しい輝きがある(ように私には見える)。
そして、しっかりと「文学的」だ。
エンターテイメント的な要素もあるのだけれど。

今回読んだのは、おそらく最新作の『静かな爆弾』。
1行で言えば、「テレビ局に勤める男性と、耳の聴こえない女性の恋愛ストーリー」だ。

「耳が聴こえない」というフレーズを出してしまうことをためらうほど、不自由なことを主張した物語ではなくて。
確かに全編を通してそれはキーワードになってはいるのだが、なんといったらいいのか……、それはその女性の「個性」でしかないのだ。
そのことが物語を引っ張ってはいない。

引っ張っているのは、むしろ何かもやもやとしている男性の気持ちのほうで。
そして、結末もその気持ちの終結をもって締め括られる。

この作品は、一度読んだだけではここにレヴューを書くのがためらわれる。
学生の頃、文学を学問として勉強していた私としては、研究対象にしたら面白い作品だなぁという感じ。
「爆弾犯」を追う彼と「耳が聴こえない」彼女の対比。
物語に出てくる「神様」の意味。
彼の両親との関係。
……様々な視点でもう少しじっくり検証したい。

単純に「面白かった!」というわけではなく、
もう一度読んで、考えてみたいことがいろいろある、そういう作品だった。

★印象に残ったセリフ

   子供って、誰かに伝えたいと思って、木に登るわけじゃ
   ないんだよ。木に登ったらどんな景色が見えるのか、
   ただ、それが知りたくて登るだけなんだよ。
   でもさ、年取ってくると、木に登らなくなる。
   万が一、登ったとしても、それを誰かに伝えたいって
   気持ちが先に立つ。

ああ、憧れの平安文学

2007-02-01 15:08:17 | 
最近、夜寝る前に「あさきゆめみし」を読み返している。
「源氏物語」を大和和紀が漫画にしたものだ。

私は平安文学を研究したくて大学に入った。
もちろん、文学部国文科。
平安貴族の雅やかな世界に憧れ、できれば「和歌」を研究したいと思っていた。
「伊勢物語」などの「歌物語」の世界に憧れていた。
もしくは、「日記文学」。
菅原孝標女の「更級日記」や藤原道綱母「蜻蛉日記」など。
紫式部や泉式部の日記でもよかった。
とにかく、平安~鎌倉にかけての時代を生きた貴族の女たちの「想い」を研究できれば、どんなに楽しいだろうかと胸をわくわくさせていた。

それが……。
我が大学国文科には「平安文学」を専門でやっている教授がいなかった!!
1学年、生徒はたった26人だったので、教授も4人。
近代文学、近世文学、中古中世の仏教文学、万葉集。
専攻はこれだけだった。

嘘やろ……と思った。
だって、平安文学って、国文学の花形じゃないか!!
これはかなりショックだった。

仕方なく、必修だったので、あまり興味のない万葉仮名を解読したり、近世の近松門左衛門の浄瑠璃脚本をふにゃふにゃの近世の文字で読んだり、法華経を買って仏陀の教えを読み解いたりしていた。プロレタリア文学や、詩人や、樋口一葉や、堀辰雄もアホほど読んだ。

どれも面白かったが、結局、平安文学ほど、私の心をひきつけるものはなかった。
3回生の終わり、卒論のテーマを決めないといけない時期が来ても私だけはまだ決まらず……。
もう近代にしようか……と考えていた時、「遊女が普賢菩薩になる」という説話に出会う。
卑しい身分とされていた「遊女」が踊り、歌っているのを見ていた法師の目には、その遊女が「普賢菩薩」の姿に見えた……という話だ。
この話に惹かれてやまず、ギリギリのところで近代から中古中世に切り替えた。

そんな経緯があって、ついに私は平安文学を研究することはできなかったのだが、やっぱり「あさきゆめみし」を読んでいると、もう一度学生に戻れるなら、今度こそ平安文学をやりたいとつくづく思う。

日本人の、日本人らしい独特の感性というのは、この「平安貴族」と「鎌倉以降の武士」との両方が基本になっているように感じるのだ。

それにしても、紫式部って人は天才やなぁ。
どうしてこんなドラマティックな大長編を書けたのか。
平安時代、貴族の娘たちが夢中になって源氏を読んだというのがよくわかる。
私も漫画だけど夢中になってしまう。

一夫多妻制もすごいなぁ。
もうほとんど強姦に近い

「姫を垣間見る」→「美しい!」→「手引きしてもらって、無理やり御簾の中に入る」→「あれ~」→「

こんな男性中心社会があったんやから、ほんとびっくり。
女性の生き方って、すごく限られていたんだろうなと思う。
淋しい人生を送った人も多かっただろう……

彼にこの話をして、「一夫多妻制ってどお?」と訊いてみた。
「いや、俺はそんなん別にいいわ」と言うからほっとしたら、
「でも、男はたまに火遊びも必要や」と言ってニヤッとした!!

おいおい……!
結婚3ヶ月前やで!