今日は夫が東京出張でいないので、もう真夜中だというのに、1人お気楽に日本酒を飲みながら、オーティス・ラッシュを聴いている。
こういう時間っていいなぁ
先日、夫が金運・仕事運アップのパワーストーンブレスを買ってくれた話を書いたが、もうその効果があらわれている(?)
突然、休止宣言をされた某メーカーのカタログ企画書の話。
担当者から連絡があり、まわりまわってまた再開することになったとのこと。
もちろん報酬もちゃんと支払ってもらえると言われてほっとした。
よかった・・・
もう少しで20万円の仕事がゼロになるところだった・・・
さらに、この件で心配させたお詫びなのか、新たな仕事の話も同じ人からいただいた
ただ、この時期がお盆明けで、既に入っている東京の仕事とかぶりそうで……
まだどちらも予定がはっきりしないのでどうなるかわからないが、
パワーストーンのご利益で両方うまくいくと信じておこうと思う
今は鬱の時期も脱して、調子よく過ごしている。
この週末、リフレッシュできたのがよかったのかもしれない。
日曜日は貴船に行った話を書いたが、土曜日はまたサントリービール工場へ見学に行ってきた。
我が家の玄関から工場の入口まで、およそ35分。
このブログとは違う視点でも書いているので、こちらもよろしければどうぞ。
工場内にあるホップ↓

↓麦を煮込んでいる釜

↓「若ビール」を貯蔵しているタンク

↓試飲は3杯まで。もちろん3杯飲んだ。

いつも工場見学に行くと思うことがある。
私は数年前、仕事で大阪の製造業の中小企業を30社くらい取材していた。
その影響で、こういう機械を見ると思うのだ。
「あの部品を作っている会社があるんだなぁ・・・」と。
今日、プレミアムモルツを飲めているのは、単にサントリーのおかげではない。
想像できないほど多くの人の手を経て、おいしいビールを飲めているんだと、実感する。
大人でもそんなことを思うのだから、子供はどんどん社会見学で工場に行かせるべきだと思うなぁ。
アサヒだったけれど、ビールの6缶パックの箱を作るための型を作っている会社を取材したこともある。
それだけに、たくさんのビールの箱が並んでいるのを見て、ああ、この箱を作っている会社も、箱の型を作る会社もあるんだろうなぁと思ってしまった。
そんなような話はその場で夫にしたが、本当に言いたいことはうまく言葉にならなかったのでここに書こう。
私がその時思い出していたのは、幼稚園のときに聞いた園長先生の話だった。
キリスト教の幼稚園に通っていたので、園長先生の話もどうしても道徳的な感じになる。
今でも忘れられないのは、「このゴハンは誰に感謝する?」というお話。
ゴハンを食べるとき、皆さんは「いただきます」と手を合わせますね。
これは感謝の気持ちを表す言葉ですが、誰に対して言っていますか?
ゴハンを作ってくれたお母さんや給食のおばさんですか?
確かに作ってくれた人はそうです。
でも、このお米はどこで買いましたか?
お米屋さんですね。
じゃあ、お米屋さんはどこからお米を買いましたか?
農家の人たちですね。
じゃあ、お米屋さんや農家の人たちに感謝すればいいんでしょうか?
でも、農家の人たちがお米を育てるためには、太陽や雨が必要ですよね。
その太陽や雨は神様が与えてくださっているものです。
ですから、あなたたちが「いただきます」というとき、お母さん、お米屋さん、農家の人、神さま、みんなに感謝の気持ちをこめて言わないといけないんですよ。
・・・確かそんな話だったと思う。
まだ5歳だった私は、その話にとても感動して、ゴハンに限らず何か自分の好きなものを得たとき、
これはどこから来たんだろう・・・と考えるようになった。
一体誰に感謝すればいいのかと。
自分の職業がクリエイターだから、そういうことに敏感なのかなと思っていたこともあったが、
よく考えてみると、やはりこの話が原点なのかもしれない。
ビール工場で複雑な機械を目にするだけで、なんだかじんわりと涙が出そうになるのをこらえている。
いつも何気なく飲んでいるあのビール。
だけど、いろんな人の想いと手があって、ここに届いているんだなぁ、感謝しなければと。
「感情移入」が特技の私に、見たこともないたくさんの人の想いが勝手に入ってきて、胸を打つ。
最近、「日本は大丈夫なのかな」という不安と、
「日本なんだから大丈夫!」という希望的な想いとが入り混じる瞬間がある。
こういうときもそうで。
大企業の最先端の技術を見て、勤勉で優秀な日本人を見て、「ああ、こういう人たちがいるんだから、大丈夫!」と思う。
でも、いろんなニュースを見るたびに、「大丈夫なのか?」とも思う。
自分も含め、なぜこんな事態を迎えても、日本はパニックにならないのだろうか。
冷静な民族だから?安心できる何か裏づけがあるから?平和ボケしているから?
自分もその一部なので、よくわからない。
ただ、何か違和感だけはずっと感じている。
原発は全く収束する気配も見せず、一時期のように内部の様子をレポートされることもない。
東北の牛肉はほぼ全滅で、将来の畜産はどうなるのかと不安を覚える。
アメリカやオーストラリアの肉を輸入すればいいと、そう思っている人もいるのだろうか?
そして、米。
日々、放射能の影響が考えられる食品が増えていくのにも関わらず、誰もが静観しているような気がする。
それでも、スーパーに行けば、食べるものはあるし、輸入もあるし、と。
中国の信じられない列車の事故隠蔽と、福島原発は何ら変らないと私は思う。
国民は何も知らされていない。本当に大事なことは。
中国のように暴力的な制圧はないのに、そんな自由の中でただ静観しているだけしかない、
そんな状況を不気味に感じるのは私だけだろうか?
その一部になっている自分自身に不安を感じる毎日だ。
震災が起きてすぐに知ったプロジェクトだけど、まだここには書いていなかった。
「復興の狼煙」をご存知だろうか?
http://fukkou-noroshi.jp/
広告業の夫と二人、「すげぇなぁ」と感動していた。
同じような業種にいて、何ひとつカタチにできない自分。
募金もした。祈りもした。東北のお酒も買った。
直接何か頼まれれば、できるだけのことはしたいと思う。
だけど、こんなふうに、自分の仕事を通して役に立てることができればと、感動と悔しさが入り混じった気持ちでこれを見た。
私の好きなあの言葉がよみがえる。
「人が生涯で愛せる人の数は限られているが、仕事を通すと愛は無限に広がる」
この復興の狼煙を見たときに、この言葉が真っ先に浮かんだ。
そうなんだよなぁ・・・と。
愛は、無限に広がるんだ。仕事を通せば。
自分には何ができるのかなとぼんやり考えながら、
そして、現代の日本人の冷静さに(自分も含め)不気味さを感じながら、
とりあえず今日を生きることに必死になっている日々が3月11日からずっと続いている。
こういう時間っていいなぁ

先日、夫が金運・仕事運アップのパワーストーンブレスを買ってくれた話を書いたが、もうその効果があらわれている(?)
突然、休止宣言をされた某メーカーのカタログ企画書の話。
担当者から連絡があり、まわりまわってまた再開することになったとのこと。
もちろん報酬もちゃんと支払ってもらえると言われてほっとした。
よかった・・・
もう少しで20万円の仕事がゼロになるところだった・・・

さらに、この件で心配させたお詫びなのか、新たな仕事の話も同じ人からいただいた

ただ、この時期がお盆明けで、既に入っている東京の仕事とかぶりそうで……
まだどちらも予定がはっきりしないのでどうなるかわからないが、
パワーストーンのご利益で両方うまくいくと信じておこうと思う

今は鬱の時期も脱して、調子よく過ごしている。
この週末、リフレッシュできたのがよかったのかもしれない。
日曜日は貴船に行った話を書いたが、土曜日はまたサントリービール工場へ見学に行ってきた。
我が家の玄関から工場の入口まで、およそ35分。
このブログとは違う視点でも書いているので、こちらもよろしければどうぞ。
工場内にあるホップ↓

↓麦を煮込んでいる釜

↓「若ビール」を貯蔵しているタンク

↓試飲は3杯まで。もちろん3杯飲んだ。

いつも工場見学に行くと思うことがある。
私は数年前、仕事で大阪の製造業の中小企業を30社くらい取材していた。
その影響で、こういう機械を見ると思うのだ。
「あの部品を作っている会社があるんだなぁ・・・」と。
今日、プレミアムモルツを飲めているのは、単にサントリーのおかげではない。
想像できないほど多くの人の手を経て、おいしいビールを飲めているんだと、実感する。
大人でもそんなことを思うのだから、子供はどんどん社会見学で工場に行かせるべきだと思うなぁ。
アサヒだったけれど、ビールの6缶パックの箱を作るための型を作っている会社を取材したこともある。
それだけに、たくさんのビールの箱が並んでいるのを見て、ああ、この箱を作っている会社も、箱の型を作る会社もあるんだろうなぁと思ってしまった。
そんなような話はその場で夫にしたが、本当に言いたいことはうまく言葉にならなかったのでここに書こう。
私がその時思い出していたのは、幼稚園のときに聞いた園長先生の話だった。
キリスト教の幼稚園に通っていたので、園長先生の話もどうしても道徳的な感じになる。
今でも忘れられないのは、「このゴハンは誰に感謝する?」というお話。
ゴハンを食べるとき、皆さんは「いただきます」と手を合わせますね。
これは感謝の気持ちを表す言葉ですが、誰に対して言っていますか?
ゴハンを作ってくれたお母さんや給食のおばさんですか?
確かに作ってくれた人はそうです。
でも、このお米はどこで買いましたか?
お米屋さんですね。
じゃあ、お米屋さんはどこからお米を買いましたか?
農家の人たちですね。
じゃあ、お米屋さんや農家の人たちに感謝すればいいんでしょうか?
でも、農家の人たちがお米を育てるためには、太陽や雨が必要ですよね。
その太陽や雨は神様が与えてくださっているものです。
ですから、あなたたちが「いただきます」というとき、お母さん、お米屋さん、農家の人、神さま、みんなに感謝の気持ちをこめて言わないといけないんですよ。
・・・確かそんな話だったと思う。
まだ5歳だった私は、その話にとても感動して、ゴハンに限らず何か自分の好きなものを得たとき、
これはどこから来たんだろう・・・と考えるようになった。
一体誰に感謝すればいいのかと。
自分の職業がクリエイターだから、そういうことに敏感なのかなと思っていたこともあったが、
よく考えてみると、やはりこの話が原点なのかもしれない。
ビール工場で複雑な機械を目にするだけで、なんだかじんわりと涙が出そうになるのをこらえている。
いつも何気なく飲んでいるあのビール。
だけど、いろんな人の想いと手があって、ここに届いているんだなぁ、感謝しなければと。
「感情移入」が特技の私に、見たこともないたくさんの人の想いが勝手に入ってきて、胸を打つ。
最近、「日本は大丈夫なのかな」という不安と、
「日本なんだから大丈夫!」という希望的な想いとが入り混じる瞬間がある。
こういうときもそうで。
大企業の最先端の技術を見て、勤勉で優秀な日本人を見て、「ああ、こういう人たちがいるんだから、大丈夫!」と思う。
でも、いろんなニュースを見るたびに、「大丈夫なのか?」とも思う。
自分も含め、なぜこんな事態を迎えても、日本はパニックにならないのだろうか。
冷静な民族だから?安心できる何か裏づけがあるから?平和ボケしているから?
自分もその一部なので、よくわからない。
ただ、何か違和感だけはずっと感じている。
原発は全く収束する気配も見せず、一時期のように内部の様子をレポートされることもない。
東北の牛肉はほぼ全滅で、将来の畜産はどうなるのかと不安を覚える。
アメリカやオーストラリアの肉を輸入すればいいと、そう思っている人もいるのだろうか?
そして、米。
日々、放射能の影響が考えられる食品が増えていくのにも関わらず、誰もが静観しているような気がする。
それでも、スーパーに行けば、食べるものはあるし、輸入もあるし、と。
中国の信じられない列車の事故隠蔽と、福島原発は何ら変らないと私は思う。
国民は何も知らされていない。本当に大事なことは。
中国のように暴力的な制圧はないのに、そんな自由の中でただ静観しているだけしかない、
そんな状況を不気味に感じるのは私だけだろうか?
その一部になっている自分自身に不安を感じる毎日だ。
震災が起きてすぐに知ったプロジェクトだけど、まだここには書いていなかった。
「復興の狼煙」をご存知だろうか?
http://fukkou-noroshi.jp/
広告業の夫と二人、「すげぇなぁ」と感動していた。
同じような業種にいて、何ひとつカタチにできない自分。
募金もした。祈りもした。東北のお酒も買った。
直接何か頼まれれば、できるだけのことはしたいと思う。
だけど、こんなふうに、自分の仕事を通して役に立てることができればと、感動と悔しさが入り混じった気持ちでこれを見た。
私の好きなあの言葉がよみがえる。
「人が生涯で愛せる人の数は限られているが、仕事を通すと愛は無限に広がる」
この復興の狼煙を見たときに、この言葉が真っ先に浮かんだ。
そうなんだよなぁ・・・と。
愛は、無限に広がるんだ。仕事を通せば。
自分には何ができるのかなとぼんやり考えながら、
そして、現代の日本人の冷静さに(自分も含め)不気味さを感じながら、
とりあえず今日を生きることに必死になっている日々が3月11日からずっと続いている。