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明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

オーティス・ラッシュを聴きつつ、酒を飲みつつ考えたこと。

2011-08-02 23:34:33 | 想い
今日は夫が東京出張でいないので、もう真夜中だというのに、1人お気楽に日本酒を飲みながら、オーティス・ラッシュを聴いている。
こういう時間っていいなぁ

先日、夫が金運・仕事運アップのパワーストーンブレスを買ってくれた話を書いたが、もうその効果があらわれている(?)

突然、休止宣言をされた某メーカーのカタログ企画書の話。
担当者から連絡があり、まわりまわってまた再開することになったとのこと。
もちろん報酬もちゃんと支払ってもらえると言われてほっとした。

よかった・・・
もう少しで20万円の仕事がゼロになるところだった・・・

さらに、この件で心配させたお詫びなのか、新たな仕事の話も同じ人からいただいた
ただ、この時期がお盆明けで、既に入っている東京の仕事とかぶりそうで……
まだどちらも予定がはっきりしないのでどうなるかわからないが、
パワーストーンのご利益で両方うまくいくと信じておこうと思う

今は鬱の時期も脱して、調子よく過ごしている。

この週末、リフレッシュできたのがよかったのかもしれない。
日曜日は貴船に行った話を書いたが、土曜日はまたサントリービール工場へ見学に行ってきた。
我が家の玄関から工場の入口まで、およそ35分。

このブログとは違う視点でも書いているので、こちらもよろしければどうぞ。

工場内にあるホップ↓


↓麦を煮込んでいる釜


↓「若ビール」を貯蔵しているタンク


↓試飲は3杯まで。もちろん3杯飲んだ。


いつも工場見学に行くと思うことがある。
私は数年前、仕事で大阪の製造業の中小企業を30社くらい取材していた。
その影響で、こういう機械を見ると思うのだ。
「あの部品を作っている会社があるんだなぁ・・・」と。

今日、プレミアムモルツを飲めているのは、単にサントリーのおかげではない。
想像できないほど多くの人の手を経て、おいしいビールを飲めているんだと、実感する。
大人でもそんなことを思うのだから、子供はどんどん社会見学で工場に行かせるべきだと思うなぁ。

アサヒだったけれど、ビールの6缶パックの箱を作るための型を作っている会社を取材したこともある。
それだけに、たくさんのビールの箱が並んでいるのを見て、ああ、この箱を作っている会社も、箱の型を作る会社もあるんだろうなぁと思ってしまった。

そんなような話はその場で夫にしたが、本当に言いたいことはうまく言葉にならなかったのでここに書こう。
私がその時思い出していたのは、幼稚園のときに聞いた園長先生の話だった。

キリスト教の幼稚園に通っていたので、園長先生の話もどうしても道徳的な感じになる。
今でも忘れられないのは、「このゴハンは誰に感謝する?」というお話。

ゴハンを食べるとき、皆さんは「いただきます」と手を合わせますね。
これは感謝の気持ちを表す言葉ですが、誰に対して言っていますか?
ゴハンを作ってくれたお母さんや給食のおばさんですか?
確かに作ってくれた人はそうです。
でも、このお米はどこで買いましたか?
お米屋さんですね。
じゃあ、お米屋さんはどこからお米を買いましたか?
農家の人たちですね。
じゃあ、お米屋さんや農家の人たちに感謝すればいいんでしょうか?
でも、農家の人たちがお米を育てるためには、太陽や雨が必要ですよね。
その太陽や雨は神様が与えてくださっているものです。
ですから、あなたたちが「いただきます」というとき、お母さん、お米屋さん、農家の人、神さま、みんなに感謝の気持ちをこめて言わないといけないんですよ。

・・・確かそんな話だったと思う。

まだ5歳だった私は、その話にとても感動して、ゴハンに限らず何か自分の好きなものを得たとき、
これはどこから来たんだろう・・・と考えるようになった。
一体誰に感謝すればいいのかと。

自分の職業がクリエイターだから、そういうことに敏感なのかなと思っていたこともあったが、
よく考えてみると、やはりこの話が原点なのかもしれない。

ビール工場で複雑な機械を目にするだけで、なんだかじんわりと涙が出そうになるのをこらえている。
いつも何気なく飲んでいるあのビール。
だけど、いろんな人の想いと手があって、ここに届いているんだなぁ、感謝しなければと。
「感情移入」が特技の私に、見たこともないたくさんの人の想いが勝手に入ってきて、胸を打つ。

最近、「日本は大丈夫なのかな」という不安と、
「日本なんだから大丈夫!」という希望的な想いとが入り混じる瞬間がある。

こういうときもそうで。

大企業の最先端の技術を見て、勤勉で優秀な日本人を見て、「ああ、こういう人たちがいるんだから、大丈夫!」と思う。
でも、いろんなニュースを見るたびに、「大丈夫なのか?」とも思う。

自分も含め、なぜこんな事態を迎えても、日本はパニックにならないのだろうか。
冷静な民族だから?安心できる何か裏づけがあるから?平和ボケしているから?
自分もその一部なので、よくわからない。
ただ、何か違和感だけはずっと感じている。

原発は全く収束する気配も見せず、一時期のように内部の様子をレポートされることもない。
東北の牛肉はほぼ全滅で、将来の畜産はどうなるのかと不安を覚える。
アメリカやオーストラリアの肉を輸入すればいいと、そう思っている人もいるのだろうか?

そして、米。

日々、放射能の影響が考えられる食品が増えていくのにも関わらず、誰もが静観しているような気がする。
それでも、スーパーに行けば、食べるものはあるし、輸入もあるし、と。

中国の信じられない列車の事故隠蔽と、福島原発は何ら変らないと私は思う。
国民は何も知らされていない。本当に大事なことは。
中国のように暴力的な制圧はないのに、そんな自由の中でただ静観しているだけしかない、
そんな状況を不気味に感じるのは私だけだろうか?
その一部になっている自分自身に不安を感じる毎日だ。

震災が起きてすぐに知ったプロジェクトだけど、まだここには書いていなかった。
「復興の狼煙」をご存知だろうか?

http://fukkou-noroshi.jp/

広告業の夫と二人、「すげぇなぁ」と感動していた。
同じような業種にいて、何ひとつカタチにできない自分。

募金もした。祈りもした。東北のお酒も買った。
直接何か頼まれれば、できるだけのことはしたいと思う。
だけど、こんなふうに、自分の仕事を通して役に立てることができればと、感動と悔しさが入り混じった気持ちでこれを見た。

私の好きなあの言葉がよみがえる。

「人が生涯で愛せる人の数は限られているが、仕事を通すと愛は無限に広がる」

この復興の狼煙を見たときに、この言葉が真っ先に浮かんだ。
そうなんだよなぁ・・・と。
愛は、無限に広がるんだ。仕事を通せば。

自分には何ができるのかなとぼんやり考えながら、
そして、現代の日本人の冷静さに(自分も含め)不気味さを感じながら、
とりあえず今日を生きることに必死になっている日々が3月11日からずっと続いている。

ショボいし、暇やし、悪循環。

2011-07-26 15:20:42 | 想い
今月は仕事がほとんどない。

「ほとんどない」は、文字通りにとってもらっていい。
もう7月も終わるけど、日数にしたら、まともに仕事をしたのって、5日間もないんじゃないのか?
人生で、「働いていない月、ベスト3ヶ月」に入るくらい暇である

じゃあ、暇だったら遊びまくったらいいやん!と思うかもしれないが、
罪悪感から遊びに行く気持ちにもなれず、毎日鬱々と暮らしている。
お金もないしね……

この言葉を書くとますます現実になりそうだから嫌だけど、仕事運・金運から完全に見放されている気がする。
例えば、ゴールデンウィークを2、3日つぶしてやっていた某メーカーカタログの企画書。
プレゼンも通って、中身のコピー作成までやっていたのに、突然「休止になった」という知らせが
理由を聞いてもよくわからないし、「ボクのとこもお金もらえるかわかんないんで…」と私にもお金が支払われないようなことを暗に伝えてくる。
かなりもらえると聞いていた仕事だったので、それがゼロになるのはかなりキツイ
夫に言うと、「なんとか5万円くらいでももらい!ゼロはあかん!」というのだが、交渉する元気も奪われた

そして、また先週、打診があった仕事が1件キャンセルに。
こちらは2、3万円の仕事なので、金額的な打撃は少ないが、「やろう!」と思っていた仕事がなくなると精神的にダメージが大きい

そんな感じで、意気消沈したままで時が流れていっている。

たまにこういう暇な月があるけれど(まあ、ここまで暇じゃないが)、いつもと違うのは営業する気持ちにならないこと。
なんかなぁ……と思うのだ。
もう営業しても虚しいばかりで……。

元気がない時は何をする気も起こらないし、悪いオーラに包まれてしまって抜け出せない。
ふと、1年前の今頃は何をしていたのかな、とブログを辿って読んでいたら、ちょっとしたことに涙が出たり
私はこの1年間、何にも成長していないなーと。
今とおんなじことして、おんなじことばっかり考えている。

食べ歩いて、お酒ばっかり飲んで、たまに庭仕事して、
「仕事がない、仕事がひまや」とかボヤいて、
「禁酒せな」
「お金貯めないと」
「ダイエット!」
と何年も変わらない目標を立ててはくじけている。(ショボいなぁ…)

昨年の今頃、こんなことを書いている。

自分自身に問いかける。
「ちゃんと生きてるか?」

「生」に対して不誠実になってはいけない。
惰性で生きていくような日々を、どこかで切り替えなくては。

毎日一生懸命仕事もしているし、ちゃんと生活しているし、
決しておかしな日々を送っているわけではない。
だけど、もし自分が求めているものがあって、
それがないと満足できないのであれば、
そこから目をそむけて楽なほうへと流れて生きることは、
不誠実ではないのか?
一度だって自分をギリギリまで追い詰めたことがあったか?

この間から、何度も自分自身に問いかけていることがある。
「私は死ぬ時に、本当に後悔しないだろうか?」

答えはまだでない。

ただ、考えている。
水遣りを怠って、すっかりカラカラになってしまった感受性を
今からでももう一度、豊かに潤すことはできるだろうか・・・


こうやって疑問を投げかけたまま、答えを出すこともできずに1年が過ぎた。
人より何が劣っていたっていいけど、1年前の自分から一つも成長していないなんて、あかんやろ。
ショボい、ショボすぎる……

夫を見ていると、近くにいたって日々成長していることがよくわかる。
毎日夜中に帰宅しても「仕事が楽しくて仕方がない」としょっちゅう言うし、勉強家だし、向上心がある。
ちゃんと会社でも認められてきているし、仕事は目に見える成果を出している。
「また自分の案が採用された」「また褒められた」ということが増え、自信がついてきたみたいだ。
すごくいい循環の中にいるのがわかる。

私もなんとかしないとな……
金運・仕事運アップのパワーストーンも買ってもらったし。

ああ…
石に頼るようになったらもう末期

自分の中にある、たった一つのぶれないものは「文章を書きたい」という気持ち。
子供の頃から持ち続けているし、実際に15年は文章を書くことで生活してきた。
これまでにどれほどの言葉を綴ってきたかわからんけど、いくら書いても「書きたい」という欲望がおさまらない。

でも、自分の中に「書きたいもの」があるのかどうかもよくわからないのだ。
昔は確かにあったのだけど……。

はぁ。
ヒマやとこんなことばっかり考えるね。

今、この後にめっちゃ長い文章を書いたけど、消した。
昔はこの日記が自分のはけ口だったけど、今はなるべく楽しいことだけ書こうという気持ちが働いてしまう。
たまにネガティブな本来の自分が爆発するけど。

とりあえず、今は悪循環の中にいる。
やる気に溢れて、行動力に満ちて、いろんなことがどんどん成功しそうなときもあるんだけどなぁ。
潮の満ち引きみたいに、またそんなときが来るのを待ちましょ……


ターニングポイント

2011-07-13 16:40:04 | 想い
ついに私もスマートフォン。

スマホデビュー

AQUOS PHONE IS11SHにした。
色はピンク。

スライドでテンキーが出てくるので、メール打つのも携帯と変らなくてカンタン。
なんかいろいろやってみたくなる。
しかし、ずっといらってたら、腕がだるくなってきた。
どうもまだ慣れないなぁ。

取材で移動が多いから、地図は役立つと思う。
乗換案内も携帯より使いやすい、速い。
自分のブログも見やすいし、他もいろいろ役立ちそう。
せっかくだから使いこなさないとね

今日は腕もだるいし、腰も痛い
午前中、庭の手入れをやっていたら、腰にきた。
私は腰が弱いので、同じ格好を続けていると、すぐ腰にくる。
明日、長時間の取材やのに、不安やなー

でも、今日でとりあえず「夏の花壇」完成。
もう少し花が咲いてからアップしよう。

手入れしていたら、ヤクルトさんが来て、コスモスの種をくれたから、それも蒔いた。
うまく芽が出て育つといいなぁ。

さて、今週はまだいいが、来週からお盆明けまで、たぶんあまり仕事がない
でも、これはもともと予測できていて、来年の新事業の準備期間にあてたいと考えている。

この間、ふみこが
「生活に関係ない私でも、ハケンの仕事が途切れると焦るから、かおりちゃん、ようやってるなーと思ったわ」
という意味のことを言ってくれた。

フリーで次々に仕事を見つけ、途切れさせないように生活していくという、この精神的負担を実感してくれたらしい。
本当に、こんな生活をよくもまあ、15年も続けてきたもんだ。

それでも私がこんな不安定な生き方を選んだのは、
「毎日同じところに通って、同じ人たちの中で、同じ仕事をする」ということの精神的負担に比べればマシだと思っているからで。
人間には、向き・不向きというものがあるのだ。

でも、もう歳も歳だし。
なんとかあと15年働きたいと思っているので(家のローン返さないと!)、大きく何かを変えないといけない時期だなと思っている。(勤め人になるという意味ではない)

ターニングポイント。

以前、仕事をいただいていた会社の社長さんがよくこう言っていた。

『努力するはダメ。変えること』

努力することは確かに素晴らしい。でも、努力しても2割か3割くらいしか状況は良くならない。
今の状況を本当によくしようと思えば、何かを根本的に「変える」しかないのだ。
そういう意味でこの言葉を社訓にされていた。

私もこの15年間、努力はしてきたけれど、状況はもうこれ以上は良くならないことが見えてきている。
じゃあ、変えるしかない。

まだ半分やもんなぁ。
これまで歩いてきたのと同じだけの道のりが、まだ目の前に続いていると思うと気が遠くなる。
もうこれまでと同じことを、同じ時間、やり続ける体力も自信もない。
40歳やし、なんか、新しいことを始めるのにはいい年齢やね!

先週、「習慣」ということを書いていたが、あれからひたすらブログを更新し続けている。
やはり習慣は素晴らしい。
書けば書くほど、書きたいことが出てくるのだ。

今、調子6割出た。
まだこれからやな。

「好きなこと」をもう語れない

2011-07-07 05:05:27 | 想い
変な時間にうたた寝してしまったせいで、こんな時間に目が覚めた。(5時)
布団で転がっていても眠れないので、起きて日記でも書くことに。

最近、「自分」と「文章を書く」ということの溝が深まる一方で、少しヤバイな、と感じている。

何に関しても「習慣」というものは力になる。
読み続け、書き続けていれば、自分の感情と綴る文字との距離はどんどん縮まる。
でも、いったんこの習慣が崩れると、自分の感情を綴ることが難しくなり、時間がかかる。
そのことにどんどん嫌気がさし、離れていく、という悪循環にもなりかねない。

もう一度、「習慣」を作らなければ、という気持ちでいる。

最近、読書もあまりしていない。
「本好き」だったはずなのに、おおっぴらに宣言できなくなってきた。

今日、仕事で知り合った古くからの友人Tさんと久しぶりに会って、本の話になった。
もう15年ほどの付き合いにはなるが、彼と会ったのはまだ合計10回程度。
なので、付き合いは長くても、お互いのことをあまり知らない。

「好きな作家って誰ですか?」と聞かれ、一瞬、言葉が出なかった。

こういうとき、できれば話は盛り上げたい。
わりと読書量はあるので、Tさんが好きそうな作家を挙げて、「いいですよねー」なんて話が続けばいい、というサービス精神まで働く。

しかし、彼の趣味まで深く知らないので、何を言っていいのかわからなかった。

「……村上春樹、とか」

失敗。
乗ってこなかった。

村上春樹が好きなのは、もちろん事実。
たくさんいる好きな作家の中で、できれば共通する人物を挙げたい。

「吉田修一、とか」
知らない。

「最近面白かったのは、高田郁の『みをつくし料理帖シリーズ』」
知らない。

「一昨日は、有川浩読んでた」
「あー・・・『阪急電車』の人」
知ってるけど、興味なし。

でも、こうやって話しながら、心の中で、「あれ?私って誰が好きなんだっけ?」とも思っていた。
昔は、別に人が知っていようがなんだろうが関係なく、「この人が好き!」と言える作家が何人かいたのだけど。

さっき、布団の中でぼんやりとそのことを考えていた。

自分が本当に好きな作家。

やっぱり川端か。
これはどうしたって不動の1位なのである。

最近読まなくなったとはいえ、自分にしみついているのは、やっぱり近代文学で。
昔は躊躇なく、川端康成、堀辰雄、安部公房を挙げていた。
それは、ちゃんと彼らの作品について「語れるもの」があったからだと思う。

堀辰雄にいたっては、大学3回生のときに1年かけて研究をやっていたし、
その頃書いていた小説は、文体が完全に堀辰雄の影響を受けていた。

谷崎も好きだったし、志賀直哉、太宰、漱石あたりは文学者として「基本」だったし、
田山花袋や樋口一葉、梶井基次郎も好きだった。

そういうことを、もう自分は「語る」ことが難しくなっていることに気付いた瞬間だった。

文学から随分遠く離れたところに来てしまったんだなぁ、と痛感。
少し寂しかった。

近代文学でなくとも、以前は好きな作家を挙げろといわれれば、
宮本輝、鷺沢めぐむ、それから、小説家じゃないけど、沢木耕太郎の名は必ず出た。
やはり彼らについても全作品を読み込んでいたし、「語れる何か」があった。

佐藤多佳子や伊坂幸太郎なども今よく読む作家だけど、
「あれ、面白かった」くらいしか、語れるものが見つからない。

だから「好きな作家」を挙げるときに、迷ったんだろうか。
私の「話を盛り上げたい」という変なサービス精神ではなく。

遠いなぁ……文学から。

Tさんは数年前から織田作之助が好きになり、ハマりきって、織田好きな人が集まる会にまで参加している。
芸術家肌で文学とは縁遠い人だと思っていたので、意外だった。
私はあまり興味がなかったので、細かな内容は話されなかったけれど、「どれほど好きか」ということは十分伝わる熱さだった。

自分にも何かそういう、「語れるもの」がもう一度欲しいな、と思った。

ランチとお茶の後、「中之島図書館」に行こうということになって、久しぶりに足を運んだ。
(織田文庫の資料を見たかったらしい)

大学4回生のとき、毎週のように通った場所。
大学の図書館蔵書は悲惨だったし、国文科研究室にもまともに卒論を書けるような資料はなかったので、よくここにお世話になった。

私は「中之島」という場所が好きだ。
明治時代に建てられた、ルネサンス様式の建物が並ぶ場所。
見ているだけで嬉しくなる。

ビジネスマンが闊歩する街なのに、一歩川へと降りると世界が変わる。
ぼーっとしている人、明らかに浮浪者……
そこは時間の流れが違った。

あの感じが好きで、私もよくそこでぼーっとしていた。

図書館の中にも久しぶりに入った。
懐かしい。
空気が以前と変わらなかった。
昔聴いていた音楽を久しぶりに聴いたときのような感覚。
その時代がよみがえってくるような。

図書館を出た後、橋を渡るときに、
「ここに来るといつも宮本輝を思い出す…」とつぶやいたら、Tさんが初めて反応した。
「宮本輝、読むんですか?」と。
ああ、共通項はこんなところだったのか、と思った。
随分回り道をしたものだ。

ここを歩くと、いつも宮本輝の『泥の河』を思い出すのだ。
今でもあの作品を読んだときの衝撃は忘れられない。
大学のとき、奈良から帰る近鉄電車で読んでいた。
電車が京都に停まった後も、言いようのない感動で、しばらくベンチから動けなかった。
「こういう文学を探していた、ずっと!」と思った。
ストーリーがどうだとか、そういうことではなく。
BLUESを聴いたときみたいに、soul to soulで文学を感じられたのだ。

後で知ったが、これは宮本輝のデビュー作で、氏は無謀にもサラリーマンを突然辞めて作家になると決め、この作品を書いたという。
後がない。
もう引き返せない。
自分がどうしても伝えたかったものを吐き出す!

そういった、鬼気迫るものすら、この作品からは染み出てくる。
それが、まだ20歳だった私の魂に、ドッカン!と直撃したのだ。

そして、自分も小説を書き出した。

でも、これももう「過去」の話。

今の自分には語れるものは何もない。

だから、Tさんにも特にこんな話はしなかった。
食いついてはくれたけれど、温度差があった、ということもある。

「宮本輝が読めるんだったら、織田作も読めますよ」
とTさんは言った。

「読めるんだったら」という言葉がひっかかった。
「いや、読めるも何も、あんなわかりやすい文学ないでしょう」と言ったが、
「わりと男の世界なんで、女性は苦手っていう人も多いんですよ」と言われた。
そうなのか?
私の周りは結構普通に読んでる人ばかりだけどなぁ、と思ったが、統計をとったわけではないので言わなかった。

その後、Tさんとは別れ、1人、梅田のビールスタンドで立ち飲みしながら考えていた。
最初に村上春樹とか、たまたま一昨日読んだ有川浩とか、そういう作家の名前を挙げてしまったから、流行作家のものしか読まない人と思われたんかなぁ、と。
文学なんて縁遠い人で、「やっと宮本輝が読める」レベルかと。
もうちょっと賢そうなことを言っておけばよかったな、と後悔。
でも、実際、今の自分は文学から遠いので、反論もできない。

「無趣味だよな……」とひとりごちて、家路をたどった。

多趣味なつもりでいたが、いつの間にか無趣味になっていることに最近気付いた。
読書量はガクンと減ったし、昔みたいに毎週のようにライブハウスに行くこともなくなったし、
子供の頃から夢中だったお菓子作りや手芸もほとんどしなくなったし、旅にも出なくなった。
料理は趣味とは言えるレベルのものじゃないし(好きやけど生活やから)、
「酒」というのは簡単だけど、なんだか悲しすぎる。。。

書くことまで遠ざかってしまった今、語れるものが何もない。

たまにこういうことを言うと、「めっちゃ趣味あるやん!」と言われるが、なんか違うんだよなぁ…
例えばBLUESひとつとって考えてみても、私は楽器も弾かないし、知識だって本当に好きな人と比べたらぜんぜん……

で、次に言われるのが「私だって特にないよ。別にいいんちゃう、なくても」という話。

そう。
別に趣味がなくてもいいのである。
好きなことはたくさんあるし、人生を楽しんでいるのだから、それでいいのだと思う。

ただ、なんか淋しいんだなー。
昔は寝食を忘れるほど夢中になれるものがあったし、それらに情熱を注ぐことで随分自分はいろんなものを得た。
知識であったり、感動であったり、技術であったり。
そういうものが何もない自分というのが淋しく感じられる。
でも、ただそれだけのことで、無趣味だからダメだと思っているわけではない。

だけど、文学に関しては、「宮本輝が読めるんだったら……」なんて人に言われるようじゃ、さすがにあかんやろ。
「文学部 国語国文学科 国語国文学専攻」出身やのに(笑)

こんなことをだらだらと綴っているうちに、すっかり夜が明けた。
雨が降り続いている。

明け方にこうして自分と向き合うのはいいな。とても静かな時間だ。

いろんなことを失っていってもいいけれど、「文章を書く」ことからはもうこれ以上離れたらいけないな、と思う。
少しずつ溝を埋めていこう。
「感情」と「言葉」の。

また1つ、歳を重ねた日。

2011-05-27 13:35:45 | 想い
昨日は誕生日だった。

アラフォー……というか、ジャストフォーティーである

40歳!!

しかし、30歳になったときよりは衝撃が少ない気がする。
もう30も40も一緒やね。

実年齢なんてあんまり関係なくなってくるよな…と思う、今日この頃。
見た目や体力、生き方、暮らし方。
そういうことのほうが重要で。
何歳だから、どないしたん?という感じだ。

そして、誕生日だからといって特別な催しがあるわけでもなく、
朝から仕事の打ち合わせに行って、真夜中まで仕事。
時間がなかったので、1日中、パンをかじって空腹をしのいだ。
夫は仕事のピークを迎えていて、夜中3時にタクシーで帰宅。

別にそういうのも「淋しい」とか思わない。
朝から晩までひっきりなしに、いろんな人たちからお祝いのメールをいただき、
宅配でプレゼントがいろいろ届き、とても幸せな1日だったから

本当に、毎年、誕生日ってなんてステキなんだと思う。
生まれただけでみんなに「おめでとう」と言ってもらえるなんて。
「私も別に生きていていいんだよな」と確認できる日。

プレゼントは、リクエストしていないのに、欲しかったものばかり届いた。
傘の骨が折れてしまったので「買い換えないと」と思っていたら、傘が届き、
夏だからカゴバッグがほしいなと見ていたら、カゴバッグが届き、
キッチンマットのもう少し長いのがほしいなと、この間から探していたら、キッチンマットが届いた。

本当にありがたい。

プレゼントを見ていると、全部に共通していることがあって、
それは「花柄」。
私はちょっとファンシー系?少女趣味?なところがあって、
花柄、水玉、レース、フリフリ、クマさん……みたいなのが昔から好きである。
そういうのがやっぱり皆の中で根付いているのか、
私のイメージってこういう感じなんだなぁと思うと、恥ずかしいけど、嬉しくなった。

しかし、もうこんな歳やのに、いつまでも少女趣味でどうやねんと思っていたら、
もんちゃんが「今のままかわいくいてください」とメッセージを書いていてくれて、
そうやなー、カワイイのが好きなのは、そのままでいいんかな、と思った。

「40代はどんなふうに生きる?」
と、何人からかメールで質問されたので、返答した。
こんなスローガンまで作った。

「むしろ、女子力アップ!

これが40代の目標だ。

この「むしろ」は大事。
女子力をなくしていく40代だからこそ、むしろアップさせるのだ。

この間の京都めぐりも楽しかったが、おととい、ライター友達と一緒にまた京都へ行った。
内容は詳しくまた書きたいのだけど、誕生日の前日だったので、彼女からもプレゼントをいただいた。

それが、「ジョー マローン」のフレグランス!
キャンドルとシャワージェルのセットだった
なんか、すごい高級品!!

彼女は私のような庶民と違ってセレブだし、優れたものもいろいろ知っている。
私に合うような香りを…と選んでくれた。
(たぶん本人はこれを読んだら「セレブじゃないよ」というと思うが)

なんというか……、こんな女性らしいものを贈られたのは初めてで、
ふわふわした気持ちになってしまった

「でも、キャンドルって、いつ使うの?」と庶民が聞くと、
「仕事に行き詰ったときとか、気分転換に。私はそうしてるよ」とセレブ。

なんと!!
仕事に行き詰ったときにキャンドルの香りでリフレッシュするという発想が私にはない
せいぜい、早めの缶ビールを開けるくらいだ……

しかし、ぜひやってみようと思ったし、
そういうステキなことを教えてくれた彼女に心から感謝した。
40歳という年にふさわしい、大人の女性になったような気分になった。

女子力アップ以外に、もう1つ目標がある。
目標というか、指針というか。

それは、「本当に良いものを少しだけ」。

口にするもの、身に着けるもの、生活雑貨……
暮らしの中でこれから買うもの、選ぶものは、「本当に良いもの」だけにしようと思う。
そして、それを「少しだけ」。
もうそんなにたくさんのものはいらないかもしれないなと思うのだ。

これまでも器や家具や食品や……、どちらかといえばそういう方針でやってきたけれど、
より徹底して、できればワンランクアップさせていきたいと思う。

心の中が豊かになるような、そんな生活をしたい。

まあ、細かい目標を挙げだしたらキリがないので、大きくはこの2つかな。

20代は家を出て一人で暮らし、がむしゃらに仕事をした。
30代は自分の心や生き方を見直し、結婚と新築という大きな節目を迎えた。
いい30代を過ごせたなと心から思える。

そして、40代は……?

どうなるかはわからないが、50歳になったときに振り返って、
「いい40代を過ごせたなと心から思える」と表現できるように生きたい。

周りの方々、これからもどうぞ見守ってください
よろしくお願いします。

そして、いつもありがとう


花より蜜?

2011-04-20 21:22:41 | 想い
毎朝、庭に出る。
バラの花が咲くのを心待ちにしている。

昨年植えた3種類のバラが大きく育ち、ついにアーチを描いた。
花がいっぱい咲いたら、画像もアップしよう

町を歩いていると、よその庭や花壇が気になって仕方がない。
あー、この家のチューリップ、ついに咲いたなぁとか
お向かいのお家はまた新しい寄せ植えを作ったなぁとか、
こんな珍しくて可愛いお花、どこで買ったんだろうとか、
そんなことを想いながら歩く。

だから、春は、いい。

歩いているだけで楽しくて感動できるなんて。
なんて素晴らしい季節なんだろうかと思う。

でも、最近、シロツメクサを見なくなったなぁと、ふと思った。
私が子供の頃は、あちこちにシロツメクサの白い花が咲いていたものだ。
シロツメクサ・・・?
いわゆるクローバーだ

検索したら画像があったから載せておこう。




子供の頃はこれを摘んで、花輪を編むのが大好きだった。
もう1年のうちで一番楽しい時と言ってもいいほどに。
四つ葉のクローバーを見つけるよりも、ずっと楽しかった。

でも、どうして見ないのかな?

とにかく花を摘むのが好きだったのだが、
道端の花を摘んで帰って、母に怒られたことが2回だけある。

1回は、ある秋の日。
田んぼを歩いていたら、真っ赤な大きな花があぜ道に続いていた。

その美しい鮮やかな色に魅せられて、何本か摘んで帰った。
帰って母に見せると、「これは彼岸花だからダメよ」と言われた。
彼岸花は毒があるから、と。
そういわれると、この赤い色が妖しく思えたけれど、でもやっぱりきれいだなと思ってしまう。
(そういう女性って、いるよね)

もう1回は、マジ怒り。
あまりに可愛いから、つい摘んでしまった小さな花。
帰って母に見せると、「これはお隣のおばちゃんが大切にしてる花よ!」と。

「謝りに行きなさい!」と、母は言った。
身内でない大人に一人で謝ったことなどない私は、泣いて嫌がった。
でも、母は許してくれなかった。
まだ小学校の低学年くらいだったと思う。

泣きながら、お隣のおばちゃんのところへ行って、
「ごめんなさい」と謝った。
おばちゃんはもちろん許してくれた。

あの出来事は子供心に強烈で、今も忘れることができない。

今の時代の母親だったら、自分が謝りに行くんじゃないだろうか、と思う。
人によるだろうけど。
私も子供ながら思ったもん。
「お母さんが謝りに行ってくれればいいのに!」と。
大人が解決すればいいと思ったのだ。

でも、母は断固として私に謝りに行かせることを曲げなかった。

だから、印象に残ってるんだろうなぁ。
母に謝ってもらっていたら、こんな些細な出来事、記憶に残らなかった。

「悪いことをしたら謝る」という当たり前のこと。
今思えば、いい経験だ。

しかし、あの花は何の花だったんだろうな……
あんなに欲しかった花なのに、花の印象は薄れてしまっているなんて。

レンゲ畑は今でもある。
GWくらいが見頃。

レンゲは蜜を吸うのが好きだった。
この時期になると、小学校の帰り道の田んぼで、毎日吸っていた。
レンゲの後はツツジ。
ツツジもひたすら花を摘んで、蜜を吸った。
戦時中じゃあるまいし、なんであんなに吸いたかったのか(笑)
そういえば、桜まで「花びらって食べられるんだって」という情報を友達から得て、
花を食べてみたことがある。

・・・おいしくなかった(笑)

とにかく私はどうも花を摘むのが好きらしい。

この間、夫と町を歩いていたら、きれいな花が咲いていた。
紫のクレマチスみたいな感じ。

どうしても欲しくなって、摘んで帰った。
誰の物でもないから、いいよね、と。

道端の花を摘んだのなんて久しぶりで、すごく心が浮き立った。
帰ってすぐに花瓶に活けた。
でも、あっと言う間に枯れてしまった……

思い出した。
なぜか野の花は、摘むとすぐに枯れてしまうんだ。
タンポポだってそう。

ごめんやで……と思う。
私のエゴで、儚い美しさを奪ってしまったことを。

野の花は、野に咲くからいいのかもしれない。
可愛いけれど、強い。
強いけれど、実は弱い。
(そういう女性も、いるよね)

とりあえず、GWにレンゲを見つけたら、蜜を吸ってみようと思っている

結局、花より蜜?

改めて清志郎の「イマジン」を聴く

2011-04-13 11:29:36 | 想い
昨日書いた清志郎の件。

昔、清志郎が原発のこと歌ってたなぁ……と思って検索してみたら、
私と同じようなことを考える人は世の中に山ほどいるわけで。
YouTubeではかなりの再生数らしい。

昨日の日記に貼っといたんで、まだ聴いたことがない人はぜひ。

もう一つ、清志郎の反核で有名なカバーがある。
ラブ・ミー・テンダーという名曲ラブソングを、反核の替え歌にしてしまうというセンスがロッカーで泣ける。
私なんて、オリジナルを結婚式で演奏してもらったちゅうねん(笑)



 放射能はいらねぇ 牛乳を飲みてぇ
 何やってんだ 金返せ 目を覚ましな
 巧みな言葉で一般庶民を騙そうとしても
 ほんの少しバレてる その黒い腹


この歌詞が、もうシャレになんねぇ……

でも、こうやって清志郎の歌を改めて聴いていると、
本当に、愛深き人だったんだなと感じる。
反骨精神でこういう歌を作ってるわけでも、社会派ミュージシャンでもない。
逆に、タイマーズとかでこういう歌ばっかり歌い出したときは、
「どうしちゃったんだろう?」って思ったくらいだ。

今ならわかる。
ただ、愛と平和を願っていただけなんだな……と。
敬愛するジョン・レノンもそうだったように。

サマータイムブルースやラブミーテンダーもいいけど、
今はこの曲が心にしみた。



「イマジン」の映像は他にもあるけど、これはすごい。
(映像と音が途中からズレてるのがもったいない!)
朝から感動で号泣してしまった。
ジョン・レノンの偉大さと、清志郎の愛を感じられる。
日本語、いいな。
「みんながそう思えば、簡単なこと」
すごくストレートに魂に響く。

冒頭で、「ジョン・レノンが生きてたら、どう思うんだろう、この状況を」
って最初に言うんだけど……。

私は同じように思う。
「清志郎が生きてたら、どう思うんだろう、この状況を」って。

ファンはきっとみんなそう思ってるだろうな……。



今日もいい天気だ。
春の青空が広がってる。
緑が眩しい。
原稿に追われていて、センチになってる場合でもない。
無駄な想像力はしまっておいて。
とにかく目の前にある、自分の仕事を懸命にやろう。

日常は続くのだから。

無関心なうちに漏れていた

2011-04-12 20:54:08 | 想い
最悪のレベル7に引き上げられたとのこと。

これまで原発に対してあまりにも無関心で無知のまま生きてきたことを恥じる毎日。

電気はいつもそこにあるもので、
誰がどうやって作っているのかなんて、改めて考えたことなどなかった。

原子力発電所に関しても、まあ、もし自分の町にできる……なんてことになったら反対するだろうなぁとは思っていたけれど、
実際にはそんなことも起こらないし、自分の生活に「原発」は賛成も反対もない、
最悪の「無関心」ってやつだった。

私が「原発って、危ないの?」と思った最初の記憶は、
高校生の時、大好きだったRCサクセションで清志郎が歌う「サマータイム・ブルース」を聴いた時だ。
確か「カバーズ」というアルバムの1曲だったと思う。



 寒い冬がそこまで来てる
 あんたもこのごろ抜け毛が多い
 それでもテレビは言っている
 「日本の原発は安全です」
 さっぱりわかんねえ、根拠がねえ
 これが最後のサマータイム・ブルース


今になると、この歌詞が重い……

あまりにストレートな反原発の歌だったものだから、発売元の東芝EMIとケンカになってメディアに取り上げられた。

その時の私はただ、「なんか清志郎、カッコイイな~!ロッカーやなぁ」と思ったくらいだった。(ただのアホ)

あれから20年以上経って、こんな事故が起こって、久しぶりにこの曲を思い出す。
ここまでどうしようもなくなってから。

原発のことを調べていくにつれ、自分の無関心と無知がこれほどまでかと驚き、情けなくも思う。
これから先の果てが見えない原発との闘いを思うと、気持ちが勝手に落ち込んでいく。
何に向けていいのかわからない憤りもある。

清志郎も天国で苦笑してるやろな……
「だから、俺が歌ってただろ、ベイベー」って。

 知らねぇうちに漏れていた
 飽きれたもんだなサマータイム・ブルース



ゆるやかな春の訪れと、今の自分に足りないBlues

2011-04-05 14:27:28 | 想い
しばらくまともに仕事をしていないと、なかなか仕事の感覚が戻らない。
3月後半からずっと、飲んだくれて遊び暮らしていた。

あんなに仕事が集中していたのは一体何だったのか?
この暇な時間をあの時の私にくれてやりたいよ……

というか、すぐこんなふうにヒマになるのは、トータルしての仕事量が少なすぎるのが問題だ。
この2年ほど、ずっとこんな感じだなぁ……。
自分の周りのライターさんたちは、いつ話を聞いても忙しそうで、本当に羨ましい。

しかし、羨ましがることすら、私には出すぎた行為。
就職活動もせず、どこの組織にも属さず、勝手気ままに生きてきたツケなんだと思う。
他の人たちはちゃんと何年も勤めて、社会人として、ライターとしての基礎と人脈を作ってから独立しているわけで。
私なんかとはスタートラインが違うのだから、「今」が違って当然。

こういう人生のリスクを背負うことを承知で生きてきたのだから、ぼやいても仕方が無いのである。
決して卑屈になることなく、また地道に営業しつつ、来年の新たな活動に向けての準備を進めていこう。

毎日書きたい想いはあふれてくるが、いろんな意味で立ち止まることも多く、
この数日は日記も書けていなかった。
言葉にするのが難しい感情もある。

でも4月だし、春だし。
ようやくしょぼしょぼと仕事も入ってきているし、
今週から気持ちも新たに規則正しくまともな生活をしようと気合を入れて、これを書いている。

そして、ちょっと食傷気味……
しばらくはお酒も控え、自分が作る素朴な家庭料理を食べようと思う。



花壇のビオラがどんどん咲き始めた。
家の中も切り花が少しずつ増えてきて、春が来たなぁと感じる。
朝、庭へ出て花の世話をするのがホッとする瞬間。
日差しも明るく、あたたかい。

この日本で起きている惨状が嘘のよう。

さて、日曜の夜は夫と京都の「都雅都雅」へ行った。

↓このライブを見に。

KANSAI BRAND SOUL vol.1
・ 小林エミ(田中晴之(G)・山田晴三(B)・小林健治(Dr))
・ 歌屋BOOTEE(カサスリム(Vo/G)・芳賀正浩(Vo/G))
・ 西野やすし & The KANSAI(和田八美(Vo/Pf)・山田晴三(B)・小林健治(Dr))
・ ザ・ツインズ(小竹 直(Vo/G)・小竹 親(Vo/G))
・ まんにゃわ素(宅間 顕(G)・川辺ぺっぺい(B)・中村 岳(Per)・木村和人(Per)・三井雅弘(Vo)

ホスト役の三井さんが、久しぶりに関西ブルースのノリを思い出させてくれた。
小林エミさんもよかったな……soulがあって。

ライブ中、「関西から元気にしていこう!」みたいな話はどうしても出るんだけど、
たくさんのお客さんの盛り上がりの中、
それまでもわかっていた感覚なのに、ずっと言葉にできなかった想いが、
突然、言葉になって浮かんできた。

被災者の人達に対して「お気の毒」と思う気持ちはおそらく皆、当然あり、
何かできることを……と、それぞれが募金なりボランティアなりを行っている。
「こんな時期だから」と自粛することも理解できるし、
また、「自粛はかえってよくない」と普通に生活することもまた理解できる。

こういういろんな想い、行動の裏に潜む共通する「何か」。
「関西から日本を元気にするんや!」と叫び、応える人々。
2杯目のバーボンを飲み、長時間タバコの煙にまみれて気持ち悪くなる胸を押さえながら、
私は何か地震が起きてからずっともっていた感覚を「言葉」として実感した。

それは、「他人事じゃないんだ」ってこと。
被災した人の苦しみや悲しみなど、100分の1もわからないし、わかるはずもない。
だから、そういう「優しさ」みたいな話じゃなくて、
客観的に、同じ国に住む者として、ものすごく緊迫した事態なんだってこと。

あの土地の農業は?漁業は?酪農は?
日本の経済は一体どうなるのか。
そして、原発はどこまで被害が広がるのか。

これは他人事じゃない。
これから何年もかかって、日本全体が負わなければいけないものだ。
知らんふりをしても、何らかの形で多少なりとも自分自身にもふりかかるはず。
それは、食料のことかもしれないし、仕事のことかもしれないし、
もしかしたら、人体的なことかもしれない。

不景気は拍車がかかるだろうし、
ただでさえ悪かった雇用環境もますます悪くなることは間違いない。

毎日普通に生活はできているけれど、そんな漠然とした不安がどこかにあって。
それを被災していない地域の人々も皆感じているような気がする。

「関西から日本を元気にするで~!」と叫ぶ人に応えながら、
私はその瞬間、被災地のことを思ってではなく、
自分自身の不安を振り払おうとしているように感じてドキッとした。

途中で気分が悪くなったのは、そのせいかもしれない。

この日、どうしてもブルースが聴きたくてこのライブへ行ったが、
残念だったのは、ブルースが根底にあるミュージシャンたちなのに、
この日のライブはベタなブルースがなかったこと。
私は不完全燃焼。

今の自分にはブルースが足りない。

それで、春の爽やかな青空にはふさわしくないメンフィス・スリムを
今日もひたすら聴いている。

進歩がない

2011-03-22 10:59:08 | 想い
この3連休は、芝刈り、花の植え替え、酒造見学、飲み会、取材、で終わった。
酒造の話は改めて詳しく書こうと思う。

夫は仕事で上海。
今日、帰国する。

私は憂鬱な気持ちで今朝目覚めた。
連休の疲れか?

いや……、なんだか最近、気持ちがブルーで。
変に淋しかったり、孤独を感じたり、人を疑ったり、イライラしたり。
人の言動が癇に障って仕方がない。
そうやって攻撃的な気持ちで終わればいいのだが、
結局、そんな気持ちになっている自分がいやになって、最後は自己嫌悪。
凹みっぱなしの毎日だ。

酒造見学の日はよかった。
聡明で思いやり深く、楽しい人たちばかりに囲まれ、久しぶりに明るい気持ちになれた。

でもまた一人になると同じこと。

たくさんのいい言葉があって、アドバイスがあって、
そういう人の想いは心を動かすきっかけにはなるけれど、
結局のところは、自分自身の心が変わらなければ、どんないい助言も力にはならない。

私自身が変わらなければ。

そして、人に対するいろんなことをあきらめてしまえれば、きっとラクになるんだろうな、と思う。

自分が人のことを好きだとか、人が自分のことを好きだとか、
そんなことはどうでもいいことで。
自分が自分を好きになれば、そんなことに惑わされることはない、と言われたけれど、
これがとても難しい。
なんで私はあんなこと言っちゃったんだろうなぁ……とか、
あの人の気持ちはどうなんだろう、とか、
なんであの人はあんなことするんだろうとか、ずっと考えてる。

あまりにも他人に惑わされすぎだろう……

進歩がない私。

そろそろここから進まないといけないな……
考えても、心配しても、過去や他人は何一つ変えることはできないのだし。

でも、未来と自分は変えられる。

この鬱々とした気持ちを早く振り払って、楽しく過ごしたい。

真実と嘘、そして虚構

2011-03-17 14:39:53 | 想い
昨日は公立高校入試ということで、W氏のお声かけがあり、生徒の慰労会?に参加。
久しぶりに塾へ立ち寄って、生徒の顔を見た。
今年はみんないい顔をしていたので、安心した。

5時半を過ぎてもまだ盛り上がっていて、なかなかみんな帰らない。
最近は年のせいか、中学生と戯れるのもしんどいので、自分の片づけをして、早めに退散した。

生徒の一人が、「今までありがとうございました。新聞のお仕事頑張ってください」と、丁寧に声をかけてくれて、少しほっこりした。
(新聞のお仕事じゃないけど、まあ、生徒はライター業をそう理解している)

丁寧に挨拶できること、偉いね。
ACの「ありがとウサギ」には、ほとほと嫌気もさしているが。

三度目の正直で、やっとこの春、塾から完全に去る。
不思議と淋しさはない。
もう今年は自分のクラスをもっていなかったし、2月後半から一度も行っていなかったし、ゆっくりフェードアウトしていったという感じがする。

あとは、どこかで1日、自分の教材だけ後の人が使えるように整理して、きれいに去っていこう。

毎日いいニュースが聞かれない中、今朝、自分だけにはいいニュースが舞い込んだ。
この間、立て続けにしていた取材のコピーだが、制作会社からはノーチェックでOKをもらった!
まだクライアントのチェックでどうなるかわからないけれど、
とりあえず次の仕事に繋がるようなレベルの仕事はできたと思う。

コピーを提出する前に、夫にチェックしてもらったのがよかった。
客観的に見たアドバイスをもらった。
それで書き直したこともあって、ノーチェックだったんだろうと思っている。

真実・虚構・嘘。

まだ私が駆け出しのライターだった頃、ある人に教えられたこと。

嘘を書くのはいけない。
でも、真実を書けばいいというわけでもない。
「虚構」を取り入れることが大事だと。

広告の世界なんて、特にそうで……。
夫からも
「確かにこの取材相手はこう言ったかもしれないけど、これをそのまま書くのは広告としていけない。
嘘を書くわけじゃない。ちょっと順番を変えたり、言葉を変えるだけでいい」
と言われた。

その時に、久しぶりにこの言葉が思い浮かんで、
ああ、私はまだ昔と変わらず、こんなところで悩んでるのか……と思った。

私はつい真実を書きたくなってしまう。
それもできるだけ正確な真実を。
でも、そこにはマイナス情報も入っているわけで……。
それを嘘ではなく、いかに言葉で飾り、プラスのイメージにもっていくか、
それがライターの技術。

夫の助言で、そんな基本的なところに立ち返った。

夫はもともと虚構が上手な人だ。
コピーライター向きだと思う。
「言葉で飾る」ことを知っている。

生クリームや宝石のようなフルーツで飾られたケーキ。
目で見ても楽しいし、心惹かれる。
ちょっとクリームをなめて、フルーツをつまんでみる。
とてもおいしくて、中身が楽しみになってフォークを入れる。
もちろん、中もおいしい。
でも、それ以上に、フォークを入れる前に感動を与えている。

夫はもともとそういう文章が書ける人だし、
広告の世界で生きているから、身に染み付いてもいる。

私は、飾りなんて一つもなく、スポンジそのもののおいしさだけで勝負しようと、
ストレートにそれだけをぶつけてしまう。

たしかに食べればおいしいんだけど、なんだか無骨だ。

「文章のレベルは高いと思う。だけど、広告としてはダメだ」と夫に言われたのはそういうことなんだと解釈。

自分でもいつも悩んでいた部分だから、ちょっと逆ギレしたけど(笑)、
でも、素直に訂正してよかった。
おかげでノーチェック。
こういうとき、夫が同業者でよかったと実感する。

でも、私にとって、もの書きとしての面白さは、真実を書くことにあるんだとも思う。
仕事としては成り立たないけど。
だからブログは赤裸々なのか?
わからないけど、ここで虚構を書く意味はまだ見つからない。

人に読まれるかもしれないという緊張感は必要だけど、
読んでもらうという行為自体は、私は必要としていないと思うことがある。
アウトプットして、それで終わり。それがすべて。

ただ、自分の常識をふりかざして、人の価値観を否定し、攻撃するようなものは書かないように気をつけているけれど。

もう自分の常識など、既に常識ではなくなっているのかと、驚くことが多い今日この頃。
憤りも、淋しさも、疑問も、ここに書ければ楽になるだろうけど、
他人の価値観や常識を言葉の力で変えることなんて無理な話で……。
そんな建設的じゃないことはやめたほうがいいだろうと、冷静な判断。

小さなことだと吐き捨てて、考えないことが一番だ。
そして、自分は反面教師的に行動すればいい。
私の信じる常識が、人にとってプラスになるものであるなら。

そんなことを自分に言い聞かせている時点で、もうこの日記も虚構か。
だんだん書く意味がなくなってきたな……


大好きな東北のためにできること

2011-03-14 20:54:45 | 想い
土曜日の夜9時頃、ようやく仕事が一段落した。
2月後半から20件くらい取材をして、全ての原稿を書き上げ、同時進行でメルマガ等の細かい仕事もし、企画も8案企画書に落とし込んだ。
最後の追い込みはちょっとキツかったけど、それでもまあ、充実していてよかったな。

しかし、いつもなら一段落した後、「やったー!!」って感じでビールでも飲んで解放感でいっぱいになるのだが、土曜の夜はさめざめと泣いていた。

たくさんの死者の魂と、日本中を覆う「負のオーラ」をまともに感じてしまって、とにかく元気が出ない。
テレビを見て泣いてばかりいるので、目は腫れるし、鼻のかみすぎで鼻の皮はむけるし……。

「そりゃ、胸は痛むけど、そんなに泣くほど?」
と友達に笑われる。

だめなんだ、私は。

被災者の方の言葉とかじゃなく、車や家が津波に飲み込まれていく様子を見るだけで、涙が止まらなくなる。

<物語>だ。

黒い波に飲み込まれる車1台からでも、笑い合っている家族、楽しい思い出……いろんな<物語>が一瞬にして私の中に入り込む。
そして、その瞬間に、<物語>の登場人物に感情移入してしまっている。

映像を見るたびに、たくさんの<物語>が私に襲いかかる。

それで、涙が止まらなくなる。
ティッシュがいくらあっても足りないし、もうなるべくテレビはつけないようにしている。
時々、状況確認するだけ。
それでもしんどいなぁ……

死者は1万人を超えるだろう、とのこと。
阪神大震災をあっと言う間に追い越してしまう。

私の大好きな東北。
大学時代から何度も何度も旅をした場所。
あの美しい土地があんな瓦礫の山に埋もれているのを見ても、また涙が出る。

仙台は3回行ったな、と思う。
岩手は2回。
青森は5、6回。
福島は2回。

日本中、旅をしたけど、やっぱり東北が大好き。

今年も久しぶりに青森に行きたいなと思っていた。

明日からぐっと寒くなるという。雪も降るかも。
気の毒で仕方がない。

岩手出身の知り合いは、今日、ご両親の無事が確認できた、とメールをくれた。
よかった……
本当によかった。

でも、生まれ育った土地が、あんなふうになってしまったのを見て、どんなに辛いだろうかと思う。
そして、またその想像だけで、彼女の<物語>が見えてきて、泣いてしまう。

この無駄な想像力をどうにかしたい。

明日、確定申告の受付最終日だというのに、まだ手付かず。
夕方家に帰って、テレビをつけたのが悪かった。
また負のオーラにやられてしまっている……

とりあえず、泣いていても一人も助からないし、他には何もできないので、義援金だけさっき送った。

私はネットバンクを使っているので、こういうとき、とても便利。
いつも震災などが起きると義援金を送るのだけど、自分の中のルールがある。
それは、残金を見て、千円台からの端数を送るということ。
例えば、258,691円残金があるとしたら、8,691円を送る。
いくら送ったらいいかわからないので、そういうルールを自分に作ってずっとやっている。

前みたいに、残金が7000えんしかなかったらびびるなぁ……と思いつつ(※このエピソード、覚えていますか?)3ヶ月ぶりに残高確認してみたら、よかった、万の位まであった。

本当に、私はお金に無頓着……。

結局、端数は6,179円だったので、少ないけど、とりあえずそれを送金。

今回は本当に被害が大きいので、あと2回くらい送ろうと思っている。
ただ……、今、私はスリムクラブ状態(?)で、仕事はめちゃくちゃしてるのに、お金が全然振り込まれないので、本当に財政が厳しい……。
なので、3月末、4月末にいろいろ振り込まれてから、また送金するつもりだ。

そのために、今月は飲みに行く回数を減らして、お酒を買うのも少し減らそうと思っている。
そして、また仕事を増やして頑張る!!
頑張って働いて、ちょっとでもたくさんお金を送ってあげられたらいいなと思っている。
生活もローンもあるから、全部は無理だけど……。

他に何もできないもんなぁ……
祈るくらいか?

とにかく、義援金。それしかやれることは今のところない。
1回飲むのガマンして、1着洋服ガマンして、みんなが少しでも送ってあげるといいね。

怠惰は罪

2011-03-01 01:17:15 | 想い
「怠惰」とは、罪である。
ずっとそう思って生きている。

しかしながら、このことに限らず、私は理想だけがしっかりあって行動が伴わないことが非常に多いという、なんともやっかいな人間なので、
自分の怠惰に嫌気がさし、自己嫌悪に陥ることも多々あるわけで

たぶん、人と比べれば、相対的に見れば、決して怠惰な人間ではないと思う。
ただ、私は何でも物事を「相対的に見る」ということができない。
いつも絶対的。
それは、自分の中で何に対してもきちんとした基準があるからで。
あくまでも「自分の基準」だけれど。
だから、人が怠惰だろうと、なんだろうと、それはどうでもいいのだ。
人と比べて、「あの人よりマシ」とか、そういう考え方は一切無い。
比べているのではなく、自分の理想、自分の基準に達していないから自己嫌悪に陥るだけだ。

仕事においてもそうだ。
私はだいたい痛い目を見るまで自分の怠惰に気付かない。

この「物書き」という仕事も、何年もやっていると、だんだん「要領」で書くことを覚えてしまう。
ここに「怠惰」が顔を出す。

私は昔から「仕事が早い」と言われる。
確かに同じ事務所で一緒に原稿を書いていても、人の3倍くらいの速さで書ける。
もちろん、クオリティが3分の1になっているわけではない。
同じか、それ以上。

漫画家でも、描くのが速い人と遅筆な人というのがいる。
藤子不二雄A氏が「まんが道」の中で描いていたけど、手塚治虫先生や石森章太郎先生はめちゃくちゃ描くのが速かったという。
藤子不二雄は二人とも遅筆。
その差は何なのか?
A氏が書いていたのは、「線を引くスピード」なのだとか。
絶対的な自信をもって線を引けるかどうか、そのスピードで決まるのだという。

まんがとは違うが、文章もちょっと似ていて、絶対的な自信をもっているときというのは、書くのが速い。
その「自信」はどこから来るかといえば、自分の才能とかそういうことじゃない。
取材した時の「感動」と「理解」があるかどうか。
速く書ける原稿というのは、取材しているときからもうわかっている。
取材しながらも既に頭の中でプロットができていて、あとは紙の上に打ち出すだけの作業。
考えない。
作らない。
だから、速いのだ。

しかし、取材中に何の感動もなく、話も理解しきれていないと、当たり前だが書くのは困難だ。
さて……と、メモを取り出し、時には録音を聴き(私はほとんどないが)、
組み立て、作り出していくという作業がある。
だから、遅い。

「頭の回転が速いから、書くのが速いのよ」と言われることもあるが、私はそうじゃないと思っている。
それは、実感としてわかる。
本当に、何時間かかっても書けないものもあるのだから。

そして、恐ろしいのは「要領」で書けること。
毎日文章ばかり書いて生きていると、素材をチョイチョイと料理できるようになる。
これが「怠惰」だ。
本当に怖い。

もちろん、怠惰をこれほど憎む私だから、「チョイチョイとやったれ」と思っているわけではない。
だけど、いつも100%か?と問われれば、数パーセントは要領でこなしてしまっているように思えて。
それで自己嫌悪に陥る。

今回、久しぶりに「難しい」と思う記事を担当させてもらった。
一部上場企業の幹部役員に来期の方針を聞き、まとめるというもの。
専務や常務、本部長など4名を取材した。

そこで、自分のボロが出た。

「わかっているつもり」でいただけで、実際にわかっていなかったワードが話に出る。
その時は意識していなくて、「ふんふん」と聞いているのだけど、「書く」段階になると自分の無知が見えるのだ。

「教える」ことと似ているかもしれない。
人に教えるには、問題を解けるかどうかじゃなくて、「本当に」理解していないと無理だ。
書くのも同じ。
「本当に」理解していないと、表現できない。
キーボードを打つ手が何度も止まった。
だから、改めてワードをネットで検索したり、資料を読み返したり、録音を聴き直したり、そういう作業が必要になってくる。
ものすごく時間がかかる。
遅筆になる。

2時間でできると思っていることが5時間になって、ハッとする。
この3時間が、自分の「怠惰」だったのだ、と。
普段からもっと勉強していれば、この3時間は必要なかったはず。
取材の時からもっと深い質問ができていて、もっといいものが速く書けたはず……。

反省はしたが、後悔しても仕方がないので、とりあえずベストを尽くす。
決して「要領」では書かないように。

今日、夜になってようやく仕上がって、送った。
すぐに編集の方からメール。

「すごいですね。
 さすがって声に出ました」

なんというのか……
このメールを読んだ瞬間、ホッとした。
体中の力が抜けた。
「褒められた」なんて嬉しい想いではない。
「なんとかクリアした!」というギリギリの想い。

私の大嫌いなギリギリセーフ。

それで「よかったー!」なんて胸をなでおろしていたら、そこまでだ。
いつもギリギリでOKだと思ってしまうだろう。
そんなのは絶対に嫌だ。

OKもらってホッとした、なんていうのは、自信のなさの表れ。
そんなのプロの仕事か?

自分をフォローするとすれば、フリーの難しさは確かにあるのだ。
特に私はジャンルを問わず幅広く書くから、流通のことだけを勉強していたらいいわけじゃない。
ファッション、食品、製造業、健康、求人、電化製品、冠婚葬祭……
本当にいろんなジャンルのことをその都度、勉強していかなくてはならない。
言葉のチョイスから、法律まで関わってくる。
だから、専門的になるのは難しい。

でも、ある程度のことを任されれば、そこまで勉強しないといけない。
私を育てようと、いろんなことを教えてくださって、いろんな記事を書くチャンスを与えてくれる。
そういう想いには、ちゃんと応えなければならない。

それが、プロの仕事だと思うから。
何より、人の想いに、自分の怠惰で応えられないなんて、恥ずかしい。

今回の仕事は難しかったけれど、本当に勉強になった。
人の優しさに甘えず、もっと期待を超えられるようなライターになろうと思った。
貪欲に勉強しよう。

久しぶりに壁にぶつかって、仕事のことで本気で自己嫌悪に陥ったけど、そのおかげでまたひとつ成長できたように思う。

仕事以外では、「優しさ」ということについて、ずっと考えていた。

10歳の時に読んだ本の中にあった言葉。

「優しいことは、強いのよ」

大人になった今も、この言葉をいつも繰り返している。
優しいことは、強いんだ、と。
優しい人間になりたければ、強くならなくては、と。

親切や、人と穏やかに付き合うことが優しさだなんて、私は思わない。
でも、つい、面倒になって、そうしてしまいそうになる。
それも、怠惰。

小さなことも責任をもってできない人間が、大きなことなんてできるわけがないと、そう自分を戒める。
そして、毎日の小さなことをきちんとやろうと気を引き締める。

決して怠惰になってはいけない。

別にクソ真面目に、がんじがらめに生きてるわけじゃない。
酔っ払って京都線を3往復するもよし
人に迷惑かけなきゃ、ダメダメ人間でもまあいいやと思っている。
生活は楽しめばいい。
でも、本当の楽しさなんて、「ラク」の中からは生まれないから。
労働の後だから、お酒がおいしいのと同じで。

そして、怠惰では成長しないし、本当の意味で人に優しくもできないと思っている。

絶対に自分が守らないといけない信念。
それが「怠惰は罪」なんだと、改めて思う今日この頃。

真摯に向き合う

2011-01-28 18:41:57 | 想い
昨年はどうしてあんなにサボっていたのかな、と思う。
いろんなことを。

家を建てて、「ああ、これでとりあえず住むところは確保できた」と、
どこか安心してしまっていたのかもしれない。

レギュラーでもらっている仕事だけでも
贅沢さえしなければ、何とか生活はできているから、
それで「まあ、いいか」と怠惰になっていたのかもしれない。

真摯さに欠けていたと思う。

しかし、それを反省。
1月もそろそろ終わるが、今年に入ってからはちゃんと生活できている。

昨日、1社と契約できたけど、今日もまた別の制作会社にメールを送った。
それとは別に、単発の案件にもエントリーした。
新案件が得られなくても、2月はいろいろと動くから忙しくなりそうだけど、
そこに甘えず、しっかり営業は続けていこうと思う。

それに、勉強することは山ほどある。
人と話をしていると、自分の無知に嫌気がさすこともある……
もっと精進しなければ。

仕事や生活態度以外にも、もう一つ今年は見直したいことがあって。
それは、日本酒のこと。

2009年にちょっとだけやっていた日本酒ブログを再開しようかなと思っている。
あまりに誰も見てくれないからイヤになってやめてしまったけど、
自分の記録としてつけていけばいいかな、と。

2008年10月から家で飲んだ日本酒をずっとエクセルにつけているんだけど、
昨年はこんなことまで怠惰になってしまい、秋頃からきちんときき酒できていなかった。

最近「私って、無趣味だな」と思うことがある。
若い時はいっぱい趣味と言えるものがあったのに。
何もかもが中途半端。

だから、今年は日本酒にも真摯に向き合おうと思う。
ブログはその第一歩。
飲んでしまって「残す」ものがないと、もったいないし。

最近の夢。
いつかお酒に関する仕事(ライティング)をしたい。

仕事にする場合、私は、お酒の「味」のことを書きたいとは思わなくて。
例えば、こういう日本酒がおいしいとか……、
そういう「日本酒の選び方」みたいな本が出ているけど、意味ないと思う。
味の好みなんて人それぞれだから。

私が書きたいのは、「人」と「想い」だ。
「酒造りはロマンだ」という私の信条のもと、造り手の心を書きたいと思う。
自分は、今はコピーの仕事もしているけど、
やっぱり「仕事をしている人」とその想いを取材して書いてなんぼやと思っているし。
ずっとそればっかりやってきたから。

もう10年も前だけど、スポーツ新聞の観光欄で、
観光地で働く人々を取材させてもらって記名入りの記事を書かせてもらっていたことがあった。
ああいうのは、本当に楽しかった。
料理長、バスガイドさん、タクシーの運転手さん、陶芸家、ペンションのオーナー、庭園の管理者……。
いろんな職業の人が、それぞれの想いと誇りをもって真摯に生きていた。
それを聞いて書くのは楽しかったなぁ……。
(新聞記事は独特の書き方があるから、本当に私が書きたい文体ではないけど)

お酒に関わる人のことを、いつか書ければいいな

でも、これはまだ「いつか」の話。
今は逼迫している生活をなんとかしなくては……

とりあえず、近々、日本酒ブログ再開だ。
「あのブログ、好きだっったのに……」と言ってくれていた、片手で数えられるくらいのファンの人、お楽しみに!

闘いの先に光は見えるか?

2011-01-18 01:51:27 | 想い
心が弱っていると感じたら、いつも岡本太郎の言葉を読む。

『芸術はいつでもゆきづまっている。
 ゆきづまっているからこそ、ひらける。』

『自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ。』

『ぼくは、人に好かれる楽しい絵を描こうとは思わない。
 それよりも猛烈に叫びたい。絵のなかで。』

・・・岡本太郎の言葉は、何を読んでも私の心に響く。
でも、きっとそうでない人もいるのだろうな。
BLUESみたいなもんだと思う。

今の自分は、無理にポジティブ思考で笑ってみるより、
とことんゆきづまったほうがいいのかもしれない。
とことんありのままの自分を直視したほうがいいのかもしれない。
そして、とことん叫んでみればいいのかもしれない。

こうしていても、何もひらけない。
だったら、とことんやってみるか、一番苦しい作業を。

今日、最後に開いた岡本太郎の本のページの言葉はこれだった。

『もっともっと悪条件のなかで
 闘ってみるべきだね。』

厳しいなぁ・・・



岡本太郎『壁を破る言葉』より