北垣国道知事と京都市「錦市場」の話題

2010-11-18 16:05:50 | 琵琶湖疏水

 疏水仲間の会合で、北垣知事が京都の「錦市場」の組織化を推進したという話題を聴取したので、「北垣国道・錦市場」でネット検索を実施した結果、4~5件の類似情報を見出した。その要旨を紹介すると、
 ……北垣知事は明治14(1881)年から明治25(1892)年の間、京都府知事として赴任しているが、錦市場における不必要な商売上の競合を避けるために、知事の主導で「魚鳥干物商組合」を結成させ、錦市場の共同体としての結束を作り上げ、現在の発展の基礎を築いた……という記事である。

 錦市場のホームページや歴史資料によると、錦市場のある錦小路の歴史は古く、延暦年間(780~850)に開かれている。魚貝類の貯蔵に適した地下水に恵まれ、都の中心部に位置し、京都御所に近いこともあって、錦小路に魚屋が集まったとの記録もあり、幕府の認可もあって本格的魚市場として発展したが、明治維新のあと特権が廃止され、店数も減少しきびしい時期を迎えていた。北垣知事が組合結成の動きをしたのは、知事着任初期のころと想像される。(北垣の日記「塵海」には見当たらない)
 その後、明治44(1911)年に「錦盛会」の結成、昭和4(1928)年の「錦栄会」の設立、昭和38(1963)年の「京都錦市場商店街振興組合」の設立など発展の動きのあと、平成5(1991)年には写真に示す3色の新ア-ケ-ドが完成している。
    
    10-11-16-3031 錦市場の出入り口にある看板        10-11-16-3027 賑わう12m幅の買物道

 現在の錦市場は、生鮮食料品だけでなく日用雑貨品などの店もあり、今や京都随一の商店街に成長しており、世界にも知られた京都名所となっている。琵琶湖疏水のような巨大プロジェクトの推進に力を発揮した北垣知事が、このような庶民の動きに力を貸したという話題は少なく、記録に残したいと思った。