玉村放久斗展を見学

2008-02-17 04:32:56 | 美術と文芸

   京都国立近代美術館で1月8日から2月17日にかけて「玉村放久斗展」が開催された。私にとっては初めて聞く名の画家で予備知識もなく興味を持たなかったが、京都新聞で、「前衛と日本画のはざまで」と題した5回シリーズの解説があり、画家の経歴と画風の概要を知って興味を持った。
   私は西洋絵画の歴史の中で、フランス革命による新時代到来の機に花を咲かせていったフランス印象派絵画に熱中した時期があったが、明治維新の場合にも日本画が新しく方向を変えたという観点から欧州留学した画家達の絵の変化は興味深いテーマであった。この意味で、玉村放久斗という画家の存在を知り、2月10日に見学した。
        
 
 今回の展示作品を見て感じた印象は、個展の場合に年とともに画風の変化が読み取れるが、放久斗の場合は、日本画家としてスタートした時点から柔らか味のある作品が多く、途中から画風が変わった後また純粋な日本画スタイルに戻り、また変化するという系統的ではない激しさを感じた。まさに“近代京都が生んだ異色の画家”という印象を持った。
 会場入り口に展示されていた「山十題」の中の湖東の山という作品は、南画風の丸い連山の緑・薄青・薄紫・濃青と配色の流れがよく、大正4年(1915)という京都市立絵画専門学校卒業直後の作として強い個性を感じた。
 今回の最大目玉は「雨月物語の絵巻」全9巻(全長235m)であり、80数年ぶりの公開であった。雨月物語は江戸時代に書かれた怪談集として知られているが、絵巻に登場する人物はお化けの顔をしており、大きい口は朱で塗られ、手足が曲がりくねっている恐ろしい姿をしており、開いた片面一杯は墨筆の文章で埋められていて斜めに置かれた細長い展示棚を見ただけで強烈な印象を持った。
 別室の展示には純日本画の掛け軸や都市風景を題材とした軽いタッチの絵があり、雑誌の挿絵や屏風絵など日本画の画材を用いた新しい展開を試みている。

   玉村放久斗という画家を世に引き出したのは、京都東山の神宮道にある画廊「博報堂」の経営者・星野桂三氏で、25年かけて作品を蒐集し、今回展示約140点の作品の半数は星野さんの蒐集品であると京都新聞(凡語)が紹介している。
私を印象派絵画の鑑賞の世界に導いてくれたのは美術評論家・高階秀爾氏(中公新書・近代絵画史)である。私の東京時代には国立西洋美術館長を務め、そのご倉敷の大原美術館長を務められた絵画界の重鎮であるが、2月6日付の朝日新聞で「大観と放久斗」と題した論文を発表し、横山大観と並べて放久斗を京都の偉才として紹介している。
   今回の展示会の開催まではあまり知られていなかった「玉村放久斗」の名はこの1ヶ月の間に全国に報道され、Google検索で1万件を超えるほどの過熱ぶりを示している。私のように絵画の知識の乏しいものが見学の機会をえたことを嬉しく思うこのごろである。同時に専門家による放久斗の解説が展開されるのを楽しみにしている。

 


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