今日の天気予報は一日中曇でしたが、昼前から日が差してきて、これはシメタ!とすぐに洗濯。久し振りの青空が見えて…でもまたヘンな雲が…
そうなんです。しばらく停滞していた台風14号が、明日17日の午後には九州北部付近に上陸する見込み。その後も台風は、18日土曜日にかけて本州を横断する可能性が出ているんですって。
夕方外に出てみると、もうかなり風が強くなっていましたから、ちょっと心配。それにしても、今日の19時前に石川県能登地方で震度5弱の地震が発生したというニュースが流れましたが、それも心配です。
どうぞ台風と地震が重なって大きな被害が出ませんようにと祈るだけです。
コロナが一段落すれば今度は台風や地震と、一難去って又一難と気の休まるときがありませんね。こんな状況の日本を救ってくれるような人が出てきてくれないと…金権欲や保身と、自分のことだけで汲汲としているような人にだけは国を任せたくないですね。今回の自民党総裁選挙の日程は9月17日告示、29日投開票だそうですから、果たしてどういう結果が出るのでしょうか。
さて、見てみると水原秋櫻子先生にも台風の句がありました。
台風の夜半ぞ医師(くすし)の用おこる
この句について、『秋櫻子俳句365日』(梅里書房刊)に、德田千鶴子主宰は次のような鑑賞を書いておられます。
分娩というのは、どうしてか夜半に起こる事が多い。そのための徹夜が産婦人科の医師には、付きものなのだが、こんな台風の夜、停電の中では、困る。
廊下をわたって病院へ行く途中、屋根瓦が砕け落ち、花壇の垣が倒れているのが目に入った。風はますます激しくなり、病院へ馳け込んだ時は手術衣がびっしょり濡れてしまうほどだった。
裸火に九月一日の男の子生る
誕生の瞬間は、いつでも感動的であるが、台風の荒れ狂う中、蠟燭の火の下で処置したこの出産は実に厳粛で、湧き上がる感動に医師としての喜びも感じた。
妊婦と新生児の安静を確かめてから、家へ帰った。夜が明けつつあり、風の勢いは少し弱まったようだ。頭が冴えて眠れそうにないので、印象の薄れぬうちと、句をまとめた。(昭和13年作・句集『蘆刈』所収)
この文中の句に、「裸火」という語があったので、それを打ちながら…あれ、字が違うのでは?と、一瞬思いました。しかし、その後を読んで納得!私はてっきり戦前のことなので裸電球の灯と思ったんですが、〝蠟燭の火〟だったんですね。こういうところまで、秋櫻子先生は、さすが抜かりがないです。
想像してみて下さい。蠟燭の明りで取り上げた嬰児…そのおぎゃあという産声が薄暗い産室に響いたとき、どんなにか神々しくて眩しかったことでしょう。それも〝九月一日〟、そう、厄日なんですよ。そんな日に誕生なんて、あの厩で誕生したイエスーキリストにも匹敵するのでは…。
こういうことは台風だけでなく地震や洪水の時、また戦争中の防空壕の中でも起こり得ることでしょが、まさにヒューマンドラマのようですね。
もちろんこんなことは滅多にないこと、今なら差し詰めコロナ禍で病院をたらい回しにされるなどということが起らないようにと願いたいです。今の少子化の日本にとっては赤ちゃんの誕生なんてこんな目出度いことはないんですから。
とにかく台風が何事もなく過ぎてくれますように…さあ、一緒に心から祈りましょう。
写真は、今日の空模様の、昼頃と夕方です。