昨日は確か天気予報では曇のち雨だったのに、昼前からもう日が差して、青空が見えるよい天気になりました。洗濯する予定はなかったのですが、急遽変更。湿度が低かったので、サラッとしてキレイに乾きました。ウレシイ!
今日も朝の内は曇ですが…。そういえば、先日の吟行句会での話…
私の句の季語が「厄日前」だったので、〝今日は厄日なのにどうして前なんですか?〟と聞かれました。すると〝今日は厄日じゃなくて昨日がそうでしたよ〟と言う人がいて、エエッ、どうして?と聞くと、今年は立春が1日早かったからだと。ナルホド!
今までは9月1日の震災忌や防災の日と同じ日が厄日でしたから、てっきり一緒と考えていました。しかし、この〝厄日〟というのは〝二百十日〟のことで、立春から数えて210日目なんですから当然のことなんですけどね。古来風雨の激しい日とされて、この時期ちょうど早稲(わせ)の花が咲く頃なので農家ではこの大風を恐れていたのです。中稲(なかて)の頃も〝二百二十日〟といって、秋の季語になっていますもの。
枝少し鳴らして二百十日かな 尾崎紅葉
移り行く二百二十日の群鴉 高浜虚子
釘箱の釘みな錆びて厄日なる 福永耕二
ところで、先ほどの私の話に戻って…その時の句はここでは紹介できませんが、なぜ厄日と(本当は厄日後でしたが…)しなかったかというのは、〝この情景からすると厄日当日より前の方が効くからですよ〟と。すると今度は、吟行なのにそんなことをしてもいいのですかという質問。
さて、ここが問題なのです。吟行に行くと大抵の人がそこにあった物や咲いていた花、そこに見えたもので詠もうとします。すると殆ど似たような句が出来るのですね。今回も鉄工所の〝青い炎〟が3句、老漁夫の話になると4句も。おまけに季語も秋の〇〇というように似たり寄ったりで。
吟行地が漁港というある意味限られた句材しかないような所ですから、目線を変えたり、工夫をしたりしなければ当然似たような句になってしまいます。情景が誰でも詠みそうなものなら、せめて季語の吟味をして即けることが肝要ですね。
以前にも言いましたが、俳句では〝あり得る嘘〟は許せるということです。吟行も然り。吟行だからと言って正直に事実をそのまま575にするというのは初心の時だけにしましょう。かといって、秋なのに冬とかにするのはちょっとやり過ぎ。季節の変わり目とかであれば多少は許せますけどね。今回目に付いたのは、〝秋の海〟〝秋の空〟〝秋の雲〟〝秋の風〟など、秋を付けて季語にするもの。
ここでちょっと考えてみましょうか。今回出ていた季語に、次のようなのがありましたが、〝送りまぜ〟や〝雁渡し〟では風が、〝鰯雲〟なら雲、〝葉月潮〟では海が見えてきますでしょう。それにプラスαも付いてくる。安易に大雑把な季語を付けると、景がしっかり見えてこないし必然性もないので、季語が〝動く〟などと言われるのです。もちろん大まかな季語の方がいい時もありますので、それは個々の俳句で考えるしかないんです。私の言っていることはあくまで一般論的なことですから…その辺の所はご了解を!
写真は、吟行の時に撮ったもの。こんな句材もあったのに1句も出ていませんでしたね。もちろん私も詠まなかった…アハッ(笑)
上から「マテバシイ」「ユズ」「ペンタスにセセリ蝶」「ノブドウ」「ムラサキルエリア」。この中では、ペンタスやルエリアは外来種で季語としてはまだ使えません。でも〝椎の実〟〝野葡萄〟は秋、〝セセリ蝶〟は〝秋の蝶〟として詠めばいいかな。〝青柚子〟は夏、しかし〝柚子〟とすると黄色が感じられますので、やっぱり今は青を付けたいですね。