当時の山口県山陽道に位置する楠村(現宇部市)は宿場町として栄え、三味線・琴・琵琶・太鼓など日本古来の和楽器の需要が多くあり、琴の製造は、三代目の美博氏が研鑽を重ねて開始。琴製造への新規参入は厳しい道のりとなりましたが、長い精進が報われ、人間国宝の宮城喜代子師に自作を演奏してもらう縁をいただいて、高く評価されました。その後に明治神宮から依頼を受け、身を清めて専心して奉納させていただいたということも。
現在は四代目となる彰彦氏が三代目の技を受け継ぎ、日々、琴制作に励んでおられ、伝統技術の結晶といえるたましげの琴は各流派の先生方にご愛用いただいているということです。
工房にはいろんな琴板が立て並べてあり、細かな道具のあれこれを説明して頂きましたが、全てが手作業なので〝熟練の職人が織りなす雅な音色〟というキャッチコピーの通りだと思いました。
また、お土産などにと、観賞用のミニ琴「琴太郎君」(約62㎝)と演奏用のミニ琴「琴音ちゃん」(約80㎝)…とても可愛かった!
この日は四代目がおられず、奥様とまだ琴司見習いの五代目・智基さんが説明と琴の演奏をして下さいました。その曲が、昔ながらのものではなく、「風のセレナーデ」という難しそうな、でも美しいい曲で、それにみなうっとりと聞き惚れていました。
それもそのはず、智基さんは 小学六年生より筑紫会小林歌翠氏に師事して、同年「熊本箏曲ジュニアコンクール 金賞 一位」を受賞。 その他、様々なコンクールに出場を果たし、数々の賞を受賞。 国内だけにとどまらず、文化交流団の一員として海外でも演奏と、今若手の演奏家としてご活躍中の人なんですから。琴の制作はまだ見習いですが…と謙遜。20代の前途有望な好青年でした。独身ですってよ!(笑)
丁寧にお礼を告げて、帰ろうとするとき、奥様から〝琴でいい俳句を作って下さいね〟と言われ、〝はい、ガンバリマス〟とは答えたものの、これを詠むのは至難の業ですよ。以前も…禄な句は詠めてませんもの。
最後は、「岡崎八幡宮」。
この神社は船木地域の産土神で、古くから鎮守として尊敬されてきました。応永3年(1396)大内義弘が再興し、神田を寄進。陶春賢の防長大乱の時、兵火のため、炎上し歴代神宝が焼失したため、天正4年(1576)杉重良により再建され、続いて毛利家もたびたび修復したのだとか。
社前の楠の大樹は、樹齢推定700~800年といわれ、この木に生息しているシーボルト・コギセルという巻貝が、潮の干満に合わせて上下する習性を持つことから航海の安全のお守りとされています。
それで、みんなで目を皿のようにして探したんですが、どこにも…アッ、いました!一つだけ見つけましたが、分かりますか?拡大してボケてしまいました。ゴメンナサイ!昔は結構いたらしいんですが、みんなが珍しがって採って帰ったのかしら?
境内の桜が少し紅葉し始めていました。
また、当宮は、御神酒清酒醸造免許認可神社で、酒醸免許認可を明治32年10月5日に受けています。全国で酒醸免許を認可されている神社は、伊勢神宮、出雲大社、千葉県莫越山神社と、この岡崎八幡宮の4社だけだそうです。
この日は幸運なことに、御神酒酒造殿で出来た酒を神棚に供えるための準備で、酒器などを洗っておられた宮司さんにいろいろとお話を聞くことが出来ました。ラッキー!
御神酒の造り始めは、神功皇后がこの中国地方にて米の作り方を習われ大阪に帰られる時、この 地にお手植えになられた米で御神酒を作り、神様にお供えしたのが始めと言われていると。
大阪の住吉大社に「皇后、米の作り方を習い帰らる」の故事があるその米を早米(そうまい)といい、稲穂 の背丈が170cmにもなるそうですが、それが蔵の横に提げてありました。毎年のお田植祭により、種子は継承されているそうですが、最近はここの神田では作らずに他所で作って貰っているそうで、今年はとっても出来が悪いとか。
出来た御神酒は、10月の第3日曜日の岡崎八幡宮の秋祭、11月の第3週位の土・日・月の新嘗祭、正月3ケ日、2月の 節分の日に、お参りすれば頂けるんだそうですが、今年は殆どが中止で、お正月だったら参拝すれば飲めるかも?ということでした。
やがて、12時になりましたので、句会場になっているお食事処へ。昼食を食べた後、この部屋を無料で16時までは使わせて貰えると。コロナで唯一助かっているのは、お店が空いているので、意外と容易く個室を貸してもらえるということかしら。これもヘンな話ですよね。コロナのお陰だなんて…アハハッ…
でも、なかなかいい部屋でしたし、お昼のランチも美味しかった!これに天ぷらと茶碗蒸し、お吸い物が付いて、おまけにデザート・コーヒー付きで、しめて1,500円。安いと思いませんか?