ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝後の月〟

2020年10月28日 | 俳句

 昨日の天候もまあまあ…10月の終り頃というのは、このように朝夕の冷え込みを繰り返しながら冬への準備を徐々に進めてゆきます。そんな秋の最後を飾って、昼間は紅葉が美しく照りかがやき…というのが相場なんでしょうが、こちらではそういうわけにはいかないのです。全てがあの台風10号の置き土産…。でも総合的にいえば、今年は台風の数が少なかったし、大きな被害も一部を除いてはない年だったからよかったでしょう。

 しかし、あの10号の塩害は酷いものでしたから、今年の紅葉や黄葉は殆ど諦めています。が、その分北海道や東北、信州の方々のブログで愉しませて貰っています。今年はコロナ自粛のためにどこへも行けずじまいでしたので、居ながらにしての観光かな…アリガタイものです。私もブログを始めて、いろんな分野でのいろんな方々の発信を拝見して、随分賢く?なったような…(笑)いつも拝見させて頂いているブロガー様、感謝です!

 さて、昨日の句会の兼題は〝後の月〟でした。晩秋の季語で、「十三夜」とか「名残の月」、また枝豆や栗を供えるので「栗名月」「豆名月」などともいい、陰暦9月13日の夜、またはその夜の月のことです。中秋の名月に対しての「後の月」ということなんです。

 名月と同じようにこの日も月見をしますが、秋も深まって冷えてくる頃だし、少し欠けているということで十五夜のような華やかさはありません。しかし、その欠けたところで侘び・寂びを愛でるというのが、日本独特の美意識なのです。

 今年(2020年)の「後の月」は、10月29日。だとすると昨日の夜、帰りに見上げた月は半月でしたが、11夜月ということになりますね。とても澄んでキレイなお月様でした。ちなみに満月は31日ですよ。  

  皿小鉢洗つて伏せて十三夜           鈴木真砂女

  あげ底の酒の徳利や後の月             

 2句ともに鈴木真砂女氏の作。1995年出版の句集『都鳥』に収められている句ですから、きっとこの〈皿小鉢〉も〈酒の徳利〉も銀座の小料理屋「卯波」で使用したものでしょう。

 十三夜の月は、十五夜よりも出るのが少し早いし、〈皿小鉢洗つて伏せて〉というと、もうかなり夜更けの時間かもしれません。お客が一段落したときなのか、それとももう店じまいの片付けが終わって、ホッとしたときの中天の月かも。どちらにしても、ああ、やっと1日が終ったと…いやこの月も今度見るのは来年かと、感慨深く眺めている月…。しみじみしてきますでしょう。

 落語にも出てきますが、〈月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月〉という、 読み人知らずの有名な和歌がありますよね。満月は毎月毎月あるでしょうが、やはり〝名月〟や〝後の月〟などというのは1年に一度だけですもの。そして、その思いは桜にも通じる思いでしょう。つまり、昔から日本人の感性の出所は、月や花…ほら〝雪月花〟といういうように…。

 そういう前句のしみじみとした情感に引き替え、後句にはちょっと苦笑してしまいます。せっかくいい月夜で、一杯呑みに来てくれたお客さんに対して…〈あげ底の徳利〉とは。このあげ底の徳利は飲み屋などでは儲けの常套手段のようですが、それにしても…。真砂女女将はどう思っていたのでしょうか。〝儲けさせてもらって申し訳ないわね〟ぐらいの気持ちなのかな?それともあげ底ぐらいでちょうどいいのよ、目一杯飲まずに早くお帰りなさい。お月様がほらこんなにキレイなんだからと…客のためを思って?でも、お金はきっちり貰うんでしょうから…やっぱりこれはあり得ないかも…。どなたかまたよい解釈があれば教えて下さい。よく居酒屋などに行かれる方などはお分かりになるのでは…(笑)

 ところで、この日の句に〈収獲を終へて今年も秋の声〉というのがありました。そこで、皆さんちょっと頭の体操!一緒に考えてみて下さい。

 私が先ず〝これは何の収獲を終えたのかしら?〟と聞きました。すると〝そりゃあ、葡萄でしょ!〟とみんなが言いました。〝それならこれではおかしくない?〟と…。

 私も句会のみんなも、作者のHさんが葡萄を作っているということを知っています。だって、前回の句会でみんな美味しい葡萄を頂いたんですもの。でも敢て、〝もし何も知らない人がこの句を見て思うのは何でしょう?〟と聞きますと、誰もが???〝何か気がつかない?〟といっても…??? 

 さあ、これを読んで下さっている皆さんは何か気がつきましたか? 以前私が〝思い込み〟ということを書きましたが、そう、それなんですよ。人というものは、一旦思い込むと全く違う見方をしようとはしません。この場合もそうだったんです。

 この句は今年の〈収獲〉をやっと終えたという安堵感を詠んだものですが、よく見て下さい。まあ、季語がどうかと思われた方がいらっしゃるかも知れませんが、そこは初心者ですから…ね。

 問題は「獲」の字なんです。この字は、狩りをして鳥や獣など、また漁をして魚などを得ること。だから、猪などの狩が終わったのか、または魚の収獲期が終わって一段落したのかと思うのではありませんか。要するに、作者は猟師さんか漁師さんだろうということになるのです。もし農家の稲や芋とか、または葡萄などの取り入れだったら「穫」を使うべきでしょう。そうすれば、農作物などを刈り入れることだと分かるのですから。

 言われて見れば、な~んだ!というちょっとしたミスなんです。でも、作者のことを誰も知らない俳句大会などに投句したとしたらきっと間違って解釈されますよ。選者は当然表現された言葉によってその句の情景や心情を理解し、鑑賞しようとしますからね。

 俳句は17文字しかないので、ちょっとした助詞の使い方でも意味がガラッと変わることがありますし、用いる文字によっても大きく違うということを心して詠まねばなりません。特に漢字は意味の発信力がとても強いので、誤字などは絶対に避けないと、大損をしてしまいます。くれぐれも細心の注意を怠りなく!頑張って下さいね。では、また。オヤスミナサイ!

 写真は、み~んな季節外れの草花…やっぱり雑草は逞しいですね。秋の終りの日差しの中でこんなに生き生きと咲いていました。上から、「蒲公英(たんぽぽ)」は春の、「都草(みやこぐさ)」「酢漿草(かたばみ)」「紫酢漿草」は夏の季語なんですよ。もうすぐ冬だというのに…寒くないのかしら!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする