いしかわの観光スポットレポート(No.2008)
◇2021金沢城石垣巡り①-2(ユーチューブ連動解説版)
〇金沢城石垣の概要
金沢城の石垣は、技法や意匠の多様性に特色があり、石垣の博物館とも称される。「自然石積」「割石積み」「粗化工石積」「切石積」の石積み様式は、場の性格や周囲との調和にも配慮しながら、城郭整備の歴史と共に多彩な発展を遂げた。その結果、技法的にも意匠的にも、他に類を見ないほど、変化に富む石垣景観が出来上がった。
金沢城の現存する石垣は470面、総面積28,500㎡、うち切石積み面積が約3,400㎡、全体の12%と高い比率を占めることが金沢城の特徴の一つである。
1)石川門石垣
右側が「切石積み」左側が「粗化工石積み」の技法となっています。同じ場所で違う積み方を
した珍しい例で、明和2年(1765)の改修時のものと考えられます。
・創建:慶長(1596~1614)頃
・現状:明和2年(1765)頃の姿をとどめる
2)内堀石垣(鶴の丸付近)
この内堀は、平成11年~12年にかけて菱櫓や五十間長屋などとともに復元された。寛永8年(1631)の大火の後、二の丸を守る堀としてつくられたといわれている。この付近の石垣は明治時代に積み石の多くが取りはずされたため、五十間長屋石垣などの積み方を手がかりしながら、創建当時の姿を想定して復元されました。
・創建:寛永8年(1631)頃
・現状:平成11~12年復元
3)菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓石垣
菱櫓や五十間長屋などの土台になっているこの 付近の石垣は、平成10年から12年にかけ、菱櫓等の復元に伴って、一旦解体され、積み直しが行われた。ここから見える三の丸側が「粗化工石積み」、裏手の二の丸側が「切石積み」となっている。「粗化工石積み」の多くは廓などの外周などに、「切石積み」は出入り口どの重要な所によくみられる。
・創建:寛永8年(1631)頃
・現状:平成10~12年部分的に解体・積み直し
4)二の丸北面石垣
この付近の石垣は、形や大きさをそろえた割石が積まれている。「粗化工石積み」の中でも、最も完成されたものといわれており、加賀藩の石垣技術者、後藤彦三郎は「城内でも指折りの石垣」
とほめたたえています。石垣の上には、二の丸表能舞台の楽屋に使われた長屋が立てられていた。
・創建:寛永8年(1631)頃
・現状:貫文8年(1668)改修時の姿を残す
5)土橋門石垣
前(東側)の石垣は、後(西側)の石垣とあわせ、土橋門の土台になっていた。いずれも「切石積み」の技法が用いられています。前の石垣に組み込まれた六角形の石(亀甲石)は、水に親しむ亀を表したもので、防火の願いが込められています。
・創建:寛永8年(1631)頃
・現状:前(東側)は享和(1801-04)改修時
後(西側)は寛文5年(1665)の姿を残す
*土橋門石垣には六角形(亀甲石)はあり、三十軒長屋にあるものと合わせて2個あり、金沢城には推定約12万個の石垣石があり12万分の2の石である。
□金沢城公園 石垣巡り-1
□金沢城公園 石垣巡り‐2
□金沢城公園 石垣巡り‐3
□金沢城公園 石垣巡り‐4
(つづく)
ユーチューブ「2021金沢城石垣巡り①」