植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢の広見巡り ④

2016-06-10 04:42:23 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その518(No.797)

◇金沢の広見巡り ④

今回の広見巡りは、金沢駅よりスタートし安江町、彦三町、
東山、小立野、本多町、片町周辺、長町、長土塀、犀川大
橋、寺町の21ヶ所を巡る。

■写真は天徳院の広見(南方面から)



◇広見とは

広見とは金沢独特の呼び方で、街路の一部が広くなってい
る部分をさし、広見、橋詰広場、枡形なども含めたもので
現存最古の寛文7年(1667)古地図での調査では101ヶ
所あったと思われる。

近世の城下町の特徴のひとつに「広見、枡形、橋詰め広場、
街路の屈折」より都市空間を分節し人間的スケール感をも
つ空間がデザインされたと思われる。

広見の使われ方には伏兵を配置するための戦略的計画や、
荷車の回転場所、火消しの結集地点、藩の高札や辻説法な
どと言われている。藩政期後半には火災予防が主な目的と
なったようである。

参考資料:金沢城下の広見の起源と配置について
     著者 馬場先恵子氏
     宮武 利男氏資料

■写真は広見地図



8)天徳院の広見

天徳院前に位置する。天徳院は三代藩・前田主利常の正室
・玉姫の菩提寺である。円宝寺と共に曹洞宗の触頭を勤め
る。金竜山、本尊は釈迦如来。

住所:小立野4丁目4番地先
面積:1,220平方メートル



■写真は天徳院山門



■写真は天徳院周辺地図(Google)


□天徳院紹介ページ①

□天徳院紹介ページ②



9)本多町の広見

この広見のある地域は藩政期、加賀藩の老臣・本多氏の下
屋敷のあったところ。周囲の道路は、約3~5m程度と狭
いが、この場所は9mの幅員がある。

住所:本多町1丁目3番先
面積:540平方メートル

■写真は本多町の広見(南方面から)



■写真は高木屋



■写真は本多町の広見(北方面から)



■写真は本多町の広見地図



■写真は鈴木大拙生誕地



10)油車(あぶらぐるま)の広見

市役所裏鞍月用水沿いで竪町方面への通り抜け。坪野屋
(多田)与助が城下に初めて絞油水車を設け、菜種油精
した。(亀の尾の記)宝暦9年(1759)に竪町に移宅。

住所:油車7番地先(丸田橋詰)
面積:120平方メートル

■写真は油車の広見(南方面から)



■写真は油車石柱



■写真は油車の広見(北方面から)



■写真は油車の広見地図

(つづく)