小松市の観光スポットレポート(No.959)
◇前田利常公の足跡を訪ねて ⑪奥野八幡神社
13)奥野八幡神社
吉野朝の忠臣結城宗広の守護神を授かった佐次右衛門が北国に下って寺井に居住。寺井の奥城に奥乃社を奉祀したのに始まる。
明治6年(1873)に奥野八幡社と改称。同39年(1906)に神饌幣帛料供進神社に指定され、同41年に同区鎮座の無格社少彦名命社、八幡社、春日社三社と合併、奥野八幡神社と改称。
■写真は鳥居
昭和6年(1931)社殿を改築するため社地を拡張したが、社殿の改築は
戦争で遅れ、同31(1956)年に奥殿を、同38年(1963)に幣殿と拝
殿をそれぞれ改築した。
社宝には寺井町指定文化財の七重の塔、九谷庄三作冨士越の竜図大皿、初代善平作神苑の鳩図陶板などがある。
□七重塔
境内に建立されている七重塔について、下記のような石碑、説明分がある。
豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役1592~1595)の際に前田のなにがしが持ち帰った。また加藤清正が持ち帰り前田家に贈呈したものとの両説があり、当初は二基対をなしていたとされ、1基は兼六園瓢池の「海石塔」であると言われている。
前田利常が小松城に移る際に、これを持参愛賞したが廃藩置県の結果、明治5年(1872)に一般に払い下げたのを寺井村の綿谷平蔵氏が買収し、村民挙げて運搬し、奥野八幡宮に奉納した。なお、この一部(二重)は小松城内に埋没しているとの説もある。能美市教育委員会
■写真は七重塔
■写真は拝殿
■写真は天満宮
□兼六園の海石塔
瓢池の中にある島に立つ石塔。高さ4m10cmで、虫喰いのように穴のあいた薄茶色の笠石が六重に積み重ねられている。宝珠、請花、塔軸は青戸室石、火袋は坪野石だ。
この由緒については、三代藩主前田利常がつくらせたもので、金沢城の玉泉院丸の庭園にあった13層の石塔の一部をここに移したという説と、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰って豊臣秀吉に献上したもので、秀吉から初代藩主前田利家に下賜されたという二つの説が伝わっている。
多重塔は通常奇数段とされのにこの塔は6層になっており、下から第1・第2・第3及び第5層が低い火口の付いた火袋であるのに対し、第4・第6層は横長の火口の付いた火袋と縦長・長方形の火袋の付いた火袋が重ねられている。
(参考資料:兼六園図鑑HP、宮武利男氏資料)
■写真は兼六園の海石塔
(前田利常公の足跡を訪ねて 完)