植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

兼六園こばなし (出世地蔵祭)

2017-08-28 04:11:11 | 日記


金沢の観光スポットレポート その725(No.1089)

◇兼六園こばなし (出世地蔵祭)

○地蔵堂

兼六園の千歳台にはかつて加賀藩十二代藩主・前田斉広(なりなが)によって造営された竹沢御殿が存在していた。この竹沢御殿は、斉広の死後に取り壊されたが、斉広の枕元跡を踏まないように建てられたのが地蔵堂である。

この地蔵堂はクロマツの樹林地の中に建っており、二基の石地蔵尊が安置され、安産・出世・眼病治癒に御利益がある地蔵として信仰されている。

毎年8月24日には、主に茶店の人たちが中心になり、出世地蔵堂祭りが行われる。明治の頃には地蔵堂の横に小屋が作られ、加賀万歳などの余興も催され、なかなか賑わっていたようだ。

■写真は地蔵堂





○2体の地蔵

狭い堂内には2体の石造り地蔵があり、正面の地蔵の高さは86.5センチで4つに割れ、頭部上端が欠失して顔面は凹凸がひどい。古くから「面体異相」といわれてきた。
藩主前田家の江戸本郷邸内あったものだと伝えられ、背後に大同元年(806)あるいは大同2年の銘があるといわれていたものである。しかし昭和49年12月に綿密な調査をしたが銘らしいものは確認出来なかった。

もう一体は高さ84.5センチばかりで、頭部は新しく造られたものである。「金城勝覧図誌」では、江戸の刑場骨原の地蔵を金龍院すなわち12代藩主斉広の生母貞淋院(文政4年没)が移したとしているが、明治27年の「兼六公園誌」にはその帰依したものを後代に移したのであろうか。



■写真は新たに地蔵祭に1体が置かれている。



「続々漸得雑記」によって斉広の竹沢御殿居室で枕石の置かれた後に地蔵堂を建立したことがわかる。枕石というのは死者が枕をしたところに置く石をさし、地蔵堂の右後方に横約150センチ、縦約118センチの枕石がある。



○地蔵堂の管理

地蔵堂は石川県兼六園管理事務所の管理下にあるが、その奉斉等は兼六園観光協会があたっており、特に地蔵堂の近くに屋台店を出している清水亭の主人が先祖代代々世話をしている。この出世地蔵祭には天徳院の住職を招いて懇ろうな勤行を営んでいる。

参考資料)兼六園全史 金沢市





■写真は天徳院住職



■写真は天徳院山門

□ 天徳院紹介ブログページ(1)


□ 天徳院紹介ブログページ(2)


(完)


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