金沢の観光スポット体験レポート その494(No.761)
◇金沢の広見巡り ①
金沢は藩政期より昭和まで、戦災がなく藩政期の街並みが
多く残されている。その一つに広見がある。
今回の広見巡りは、金沢駅よりスタートし安江町、彦三町、
東山、小立野、本多町、片町周辺、長町、長土塀、犀川大
橋、寺町の21ヶ所を巡る。
■写真はスタートの金沢駅もてなしドーム
◇広見とは
広見とは金沢独特の呼び方で、街路の一部が広くなってい
る部分をさし、広見、橋詰広場、枡形なども含めたもので
現存最古の寛文7年(1667)古地図での調査では101ヶ
所あったと思われる。
近世の城下町の特徴のひとつに「広見、枡形、橋詰め広場、
街路の屈折」より都市空間を分節し人間的スケール感をも
つ空間がデザインされたと思われる。
広見の使われ方には伏兵を配置するための戦略的計画や、
荷車の回転場所、火消しの結集地点、藩の高札や辻説法な
どと言われている。藩政期後半には火災予防が主な目的と
なったようである。
参考資料:金沢城下の広見の起源と配置について
著者 馬場先恵子氏
宮武 利男氏資料
■写真は寛文7年(1667)広見地図(馬場先恵子氏資料)
1)安江町の広見
照円寺、横安江町に近い安江北交差点である。当地の大部
分は旧外惣構掘跡地。藩政期には堀に架かる橋の袂に広見
があったと思われる。
住所:安江町15番先(照円寺前)
面積:1,090平方メートル
■写真は安江の広見(西方面から)
■写真は照円寺、はせがわ
■写真は安江の広見(北方面から)
■写真は安江の広見周辺地図(Google)
2)瓢箪町の広見
旧外惣構掘の跡地。藩政期にはこの惣構掘に隣接して広見
があったものと思われる。今は明成小学校、寺院、民家に
囲まれている。
住所:瓢箪町番先
面積:690平方メートル
■写真は瓢箪町の広見(西方面から)
■写真は瓢箪町石柱
■写真は瓢箪町の広見(東方面から)
■写真は瓢箪町の広見周辺地図(Google)
(つづく)