金沢の観光スポットレポート その1003(No.1442)
◇兼六園 橋巡り ①虹橋、月見橋、木橋
兼六園内(金澤神社含む)には大小40箇所の橋があります。その中で橋名がついているのが12箇所(2018年12月現在私が知っている個数)あります。今回は名前のついている橋にプラスして巡ってみます。
兼六園は高台にありながら、辰巳用水を引き込み、曲水や池、滝に注がれ、意匠を凝らした橋が架かり、周辺の風景ともよく馴染み四季を通して楽しませてくれます。
■写真は虹橋とことじ灯篭
■写真は兼六園橋の図
1)虹橋
虹橋が架けられた時期は分りませんが、天保末から弘化年間(1844~1848)に描かれたと推定される「竹沢并蓮池御庭御囲之図」には、水樋上門の竹沢御庭側に、それらしい橋が架かっています。また、竹沢御殿が、ほぼ解体されてはいるが蓮池庭と竹沢御庭の境に塀が残る安政3年(1856)に描かれた「竹沢御屋敷総絵図」にも虹橋らしき橋が描かれています。さらに文久年間(1861~1863)に描かれたという、13代藩主前田斉泰公が造営した兼六園の様子を伝える“兼六園、法眼佐々木泉玄筆”といわれる「兼六園絵巻」には徽軫燈籠の後に虹橋が描かれています。
■写真は虹橋と挟み石
2)月見橋
十三代藩主斉泰公が、眺望台と霞ヶ池の間の曲水に架けた橋で、別名玩月橋。文久3年(1863)に描かれたという絵図に載っています。しかし、その絵図では橋の様子はよく分りませんが、現在、踏み板に丸太を並べ土を敷いた土橋風の橋ですので、多分、それに近いものが架かっていたものと推測できます。
■写真は月見橋
■写真は月見灯篭とお月見飾り
3)木橋
昔、ここにあった旭橋は何時の頃か無くなりますが、昭和44年(1969)雁行橋が渡れなくなり、観光客が渡る代替橋として架けられました。文久の頃(1861)頃の絵図には、この場所に今と同じ様式の木橋(旭橋)が架かっています。また、以前は通行が出来た唐崎の松の下の通路を松の根の保護から通行止めになっていることから、今は千歳台と眺望台を結ぶ唯一の橋で、何時も多くの観光客で混雑しています。
■写真は木橋
参考資料:市民が見つける金沢再発見の会ページ
(つづく)