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金沢KOGEIフェスタレポート ③(No.879)
10月8日(土)-9日(日)しいのき迎賓館、しいのき緑地にて、
KNAZAWA KOUGEIF ESTA 2016が開催された。
金沢は、城下町の風情が今も残り、伝統文化が暮らしの中に息づくと
ともに、金沢21世紀美術館などにみられる創造的かつ革新的な雰囲気
が感じられるまちで、まちのなかには、伝統工芸をはじめ、数多くの
工芸品店や作り手の工房、ギャラリーが集まっています。
しいのき迎賓館内では「KOUGEI体験」コーナー、「KOUGE
Iシアター」があり、伝統工芸士による各種の実演がありどの工芸を
見ても根気と技に感心するばかりであった。
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◇加賀泊の歴史
金屏風 金沢箔は藩祖前田利家が名護屋の陣中から七尾の工人に箔の製
造を命じている文書が残っていることから、利家が金沢に入城する前か
ら箔の職人を七尾に連れてきていたことがわかっている。
江戸時代、幕府は元禄9年(1696年)に箔製造の統制管理を行うなど、金
銀の取締りを厳しく行い、箔の製造に関しては、金箔は江戸、銀箔は京
都の箔屋以外には許可されなかった。
しかし、金沢では純度を落とすなどして密かに箔打ちが続けられて、明
治時代にはいり、金沢箔も一時は絶滅の危機に貧しましたが、江戸での
金箔作りが完全に途絶えたことと、金沢の箔打ち技術の高さや金沢の気
候や水質の良さなどが全国に認められ、金沢箔の基礎が確立していった。
以降、三浦彦太郎の創案により、箔打機が完成。金沢は金箔産地として
急速な発展を遂げた。
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■写真は加賀泊の実演
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◇加賀友禅歴史
加賀独特の加賀友禅の起源は室町時代、加賀独特の技法であった梅染
(無地染)にさかのぼる。 かつて加賀は絹の産出国とされていたこと
もあり、小松産の絹が「加賀絹」として全国に知られるようになった。
加賀友禅は、その加賀絹に施された「加賀染」が源流となっています。
その後、扇絵師として京都で活躍していた宮崎友禅斎が加賀を訪れ、
衣装の彩色を手掛けるようになり、「加賀友禅」の名称が生まれた。
図案作成から始まる十以上の製作工程はすべて職人たちによる手仕事。
何人もの手を経て生まれる気品に満ちた美しさ、それが現在の加賀友
禅です。
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■写真は加賀友禅彩色の実演
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■写真はミス加賀友禅
(つづく)