IWA東京2020応援プログラム「金沢~東京 参勤ウオーク④」レポート(No.1560)
◇2019’4月24日(水)小杉駅→下村→東岩瀬 17キロ
4月24日石川県ウオーキング協会は東京2020応援プログラム「金沢~東京 参勤ウオーク③」をあいの風とやま鉄道石小杉駅において85名の参加者で開催した。
この企画は、来年の東京オリンピック開催までに金沢城を3月13日にスタートし来年6月に江戸本郷上屋敷ゴールする。江戸期に加賀藩が参勤・交代の通った旧北国下街道経由、中仙道の約500キロを23日間で歩く計画。
■写真は小杉駅をスタート
〇小杉宿新町
富山市と新湊市に挟まれた小杉町は、江戸初期に北国街道の宿場町として発達した町で、寛永16年(1639)加賀藩から大聖寺藩と富山藩が分封し、現在の富山市に富山城が築城されるにあたって、城下を迂回する道が建設された。
■写真は小杉新町
〇手崎道標
「右とやま左いわせ」と書いてある。加賀藩主は右の道を、一般人は左から富山に
向かったという。
■写真は手崎加茂神社と手崎道標
〇用水と旧街道
街道では防火のために用水を道の中央に置く、標準的な街道の構造、北国街道では珍しい。
■写真は用水と旧街道
■写真は八幡神社をスタート
〇本江道標
「右江戸道」、「左はまみち」と書かれた道標で、神通川の流れが変わったときの影響で、道がここで曲がることになったという。道を管理する「道番」はこの角にある諏訪社がつとめ、住むための「道番屋敷」がここにあったそうだ。
■写真は本江道標
〇神通川(じんずうがわ)
黒部川や常願寺川もそうだったが、大水により、運ばれてきた土砂により、この神通川の流れも西へ東へと激しく変わったという。鉱山廃液中のカドニュウム原因でイタイイタイ病が社会問題になったが今では静かな流れになっている
■写真は神通川を渡る参加者
〇北前船回船問屋 森家(国指定重要文化財)
明治11年頃に建てられたもので、平成6年、国の重要文化財に指定。建築当時のたたずまいを残す東岩瀬廻船問屋型町家の一つである。
日本海交易において活躍した北前船の廻船問屋の様式が残されています。物流だけでなく、文化の交流の礎となったことが、その建築様式からもうかがわれます。
■写真は北前船回船問屋 森家
■写真はライトレール東岩瀬駅
(つづく)