植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

「金沢~東京 参勤ウオーク」① 金沢城公園~津幡駅

2019-04-10 04:20:17 | 日記


IWA東京2020応援プログラム「金沢~東京 参勤ウオーク」レポート(1524 )

◇「金沢~東京 参勤ウオーク」① 金沢城公園~津幡駅 その1

石川県ウオーキング協会は2019年3月に金沢城をスタートし、2020年6月江戸加賀藩上上屋敷に到着する、東京2020応援プロクラム「金沢~東京参勤ウオーク」をレポートします。

〇 加賀藩の参勤・交代

加賀藩の参勤・交代は約2千人から4千人規模だったと言われ、加賀百万石に恥じない伝統と格式に裏付けされた華やかな大名行列は、沿道の庶民に藩と幕府の権威を示し、経済効果もあった。

寛永12(1635)年~文久2(1862)年の227年間、加賀藩では参勤93回、交代97回
の合計190回が実施された。その内181回は旧北國街道、中山道を利用した。

行列は総距離120里(約480㌔)を、1日平均10里(40㌔)を行進した。所要日数は12~13泊の旅程が一番多く、宿泊場所も一度に2千人を宿泊させる場所などなかった為、事前に手配した沿道の民家、寺なども宿泊場所としていた。1回の参勤・交代費用は現在の貨幣価値にすると、約5億円かかったという。



〇 2019’3月13日(水)金沢城→津幡(日帰り、津幡駅解散)

金沢城公園新丸広場にて110名の参加者で出発式を行った。

1)金沢城公園
金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)、佐久間盛政が築城を開始、天正11年(1583)、加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされました。
慶長7年(1602)に天守閣が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されませんでした。

2)尾張町
尾張町という町名の由来は、初代藩主・前田利家の生まれ故郷である尾張の国から移住してきた商人の多くが、この地に居を構えたことから名付けられました。金沢城の正門にあたる大手門を出ると武家の住居が集まる大手町があり、その先に尾張商人が多く暮らす尾張町が形成されました。



■写真は金沢城公園での出発式と大手門をスタート(9:08)



■写真は浅野川大橋



3)下口の松門(金沢市大樋町)

参勤で江戸へ向かうおり、ここで行列を緩め旅姿になり江戸へ向かい、交代で遠く江戸から金沢城入場する大名は衣装を整えてから、ここ松門より城下へ入る時行列を立て直し金沢城に入る為の惣門の役割を果たした松です。

■写真は下口の松門



■写真は森本駅



■写真は金沢市北森本町付近



4)旧金沢下口往還松並木

藩政時代には参勤交代をはじめ最も多く利用された幹線路であった。城下入口にあたる下口筋は、下口往還とも呼ばれ、黒松並木が残されている。

■写真は旧金沢下口往還松並木



■写真は北部運動公園スタート



5)浪自加弥(はじかみ)神社遥拝殿

浪自加弥神社遥拝殿がある。この神社は日本で唯一の香辛料の神様で、はじかみとは生姜や山椒、山葵などのように噛んで辛いものを指すという。

■写真は浪自加弥神社遥拝殿



■写真は津幡町内(津幡駅到着13:19)

(つづく)