植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢の商業看板① 細野燕台

2017-09-04 04:36:44 | 日記


金沢の観光スポットレポート その7(No.10)

◇金沢の商業看板① 細野燕台

 金沢は藩政期、明治、大正、昭和、平成の「バームクーヘン都市」といわれ、その時代の建築物や工芸文化、食文化などが受け継がれ、現在と融合しているのが大きな魅力ではないでしょうか?

 商業用看板もその時代に造られたものを継承・保存したものや、新しく作ったものがあり、建物全体の雰囲気を醸し出しているのです。今回は、日頃はあまり意識をしない看板に焦点を合わせ、金沢市内中心部を取材し、バームクーヘン都市の魅力を探ってみました。

■写真は広瀬印房



1、細野燕台(ほそのえ んたい)の看板

□ 細野燕台

 明治5年(1872)~昭和36(1961)金沢市材木町生まれ。 細野燕台は若い頃、金沢の五香屋休哉(ごこうやきゅうさい)に漢字を学び、書家の北方心泉に書道を学んだ。 漢字や書道はもちろんのこと、茶道や書画骨董にも通じた燕台は、「金沢最後の文人」ともいわれています。また、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)が金沢に滞在した際に加賀の
伝統文化を紹介し、魯山人の才能を認めた最初の人物としても知られています。 燕台は生涯酒を愛し、押入れには1ヵ月30本の酒を用意していたといわれています。

■写真は細野燕台



□ 雅号「燕台」

 細野申三の雅号(がごう)である「燕台」は、金沢の町のことを意味します。富田景周(とだかげちか)の「燕台風雅」によると、儒学者・室鳩巣(むろきゅうそう)とその師である木下順庵(じゅんあん)が、医王山に登り金沢の街を眺めたときに、犀川と浅野川に挟まれ、その両翼に町が延びる姿が燕の飛ぶさまに似ていたことから、中国の北京を「燕京(えんきょう)」あるいは「燕台」と呼ぶのになぞらえて、金沢も日本の「燕台」と呼ぶことにしたと記されています。
 燕台の本名である「申三(しんぞう)」は、申(さる)の年、申の日、申の刻(とき)に生まれたことから名付けられました。



 細野家の墓は宝円寺(金沢市宝町)前田家菩提寺にある。





■写真は細野燕台の墓



1)広瀬印房

創業:明治七年(1874)
代表:広瀬 次三郎
所在地:金沢市兼六元町一の十四
TEL: 076-222-2441(代)

■写真は広瀬印房



2)谷庄商店(谷庄古美術店)

創業:明治16年(1883) 
竣工:昭和2年(1927)
住所:金沢市十間町44(十間町)
登録有形文化財指定:平成16年(2004)母屋



■写真は谷庄古美術店



3)九谷焼 黒田龍華堂
 
住所:金沢市南町6-20
電話:076-231-7418



■写真は黒田龍華堂

 この情報は金沢市景観みまもりたいの中田庸子さん(北國新聞第5回赤羽萬次郎賞「ふるさとへ」に刺激を受けたものです。



■写真は中田廉子さんの北国新聞入賞記事(2017.8.10朝刊)

(つづく)