植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

兼六園の建築物 ⑤金城麗澤、旧津田玄蕃亭

2015-11-17 04:47:21 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その443(No.689)

◇兼六園の建築物 ⑤金城麗澤、旧津田玄蕃亭

9)金城麗澤(きんじょうれいたく)

兼六園の随身坂口を出て左手奥にある。金沢の地名の起こりとな
った伝説のある井戸だ。金城霊澤がまだ野にある沢だった頃、
芋掘藤五郎という農夫が山で掘ってきた芋を洗っていると、
砂金がたくさん見つかり、藤五郎は長者となった。そこで、この
沢は「金洗いの沢」と呼ばれるようになり、これが「金沢」地
名となったという。
井戸の直径は1m53cm、深さは1m80cmで、井戸を囲む丸い石の枠と
宝形造の覆屋は12代藩主斉広が整備したもの。水は枯れることな
く、今なおこんこんと湧き出ており、1月大寒の寒糊炊きや6月
百万石まつり茶会のお水取りなどが恒例行事となっている。







■写真は金城麗澤4



10)旧津田玄蕃亭(つだげんばてい)

随身坂口を出て道路に向かうと、右手に金沢城・兼六園管理事務
所の分室がある。この建物が津田玄蕃邸だ。津田家は2代孟昭以降、
1万石の高禄を賜った人持組の家柄。加賀藩には禄高1万石以上の
下臣が12人いたが、そのうちの1人である。
この邸宅は宝暦の大火(1759)後の建物で、築240年以上。玄関や式
台は昔のままだ。もとは大手町にあり、明治3年(1870)から藩立の
医学館の校舎として使われていた。医学館廃止後も病院として変
遷しながら存続。大正12年(1923)に金沢市立図書館の建設敷地と
なったため、現地に移され、現在に至っている。平成元年(1989)
に県の有形文化財となった。

■写真は旧津田玄蕃亭門



■写真は旧津田玄蕃亭玄関



■写真は辰巳用水の石管と灯籠



■写真は加賀藩1万石以上の重臣看板

(兼六園の建築物 完)