金沢の観光スポット体験レポート その125(No.236)
◇金沢城公園巡り8 二の丸広場他レポート
◇切手門
江戸時代は加賀藩主が暮らした御殿の最も奥にある大奥
の通用門だったとか。
■写真は切手門
◇旧陸軍第六旅団司令部庁舎
明治31年に建てられた木造平家建て、床面積196平方メ
ートルの建物です。当時は、陸軍本省が各師団建物の設
計をしていたため、、全国に同様の建物が建てられまし
た。ここは、藩政時代には側室の住まい数奇屋敷があっ
た場所だったそうです。金沢大学時代には、教育開放セ
ンターとして利用されていた。
■写真は旧陸軍第六旅団司令部庁舎
■写真は通風孔の五芒星マーク
◇二の丸広場
二ノ丸は城内中央の郭で、 周囲が530m。利家が入城
して本丸には藩主とその家族が住み、二ノ丸、 三ノ丸、
西ノ丸、北ノ丸の周辺に藩の重臣たちの邸宅があった。
ところが慶長7年(1602)の天守閣焼失以降しだいに城
の中心は二ノ丸へと移され、藩主の居館として二ノ丸御
殿が整備されていった。 この豪壮な御殿は120年余
存続したが、宝暦9年(1759)の城下の大火の類焼で、
城内の殆ど全部が焼失した。その後の再建は二ノ丸御殿
を中心に行われ、明治14年(1881)に焼失するまで、焼
失と再建をくり返しながら、金沢城の中核としてその威
容を誇っていた。
■写真は二の丸広場
■写真は江戸後期の二の丸御殿推定図(1860頃)