亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

新聞は私の先生

2020-03-12 | 日記
朝刊のコラムから
人の腹には、虫がいる。普段はおとなしいが、節目の折りに、暴れたり、騒いだりする。君もそうだろう?と、いきなり取材相手に問われたことがある▶出し抜けのことで返事に窮(きゅう)したが、今なら少しは応(こた)えられる。「ええ、春先に少しばかり」。バスに乗り合わせた受験を終えたらしい少女の一団を見て、腹の虫を思い出した。マスク越しに晴れやかな顔がのぞき、弾む声が行き交(か)う。彼女らのお腹では、愛らしい虫が陽気なダンスの真っ最中に違いない▶受験という重い荷を下ろした解放感は、わが遠い記憶でも、なぜか鮮やかである。義務教育でなく、自(みずか)らの意志、希望で選んだ進路の第一歩。緊張の分だけ、解放感も大きい。虫だって踊り出すにはおれまい▶これから、サクラが咲く日を待ち、新しい道を歩み出す。腹の虫も、時にはむずかり、暴れ回る。十五の春は、そんな虫の目醒めの時だろうか▶連れだってバスを降りた一団は、全員マスク姿。が、重苦(おもくる)しさはみじんもなく、軽く、緩やかに足を運ぶ。さながら、腹の虫が「春の歩調をとれ」と号令するみたい。ユウウツな街で、いいものを見た
コラム名「時鐘」を読むようになって私のもの考え方は根本的に間違っていることに気付きました。これを読んでいるとほかのページを開かなくてもその時代の動きがよく分かる。
毎日のようにこの記事をワードに打ち込んで書き方の勉強をしている。
パソコンの打ち込み練習になり、社会勉強にもなる。
ことばを知っていてもどんな漢字を当てはめればいいのかさっぱり分からないことがある。太字で打ち込んである字はよく迷う字だ。「いきかう」という言葉は知っているがどういう字を当てはめればいいのか、「自ら」という字は意味は分かるのだけど、送り仮名は分からず苦労、「じら」と打ち込んでも「自ら」と出るので今までそう書いていた。「時鐘」は難しい字には仮名を打ってくれるので、それで正しい読み方をずいぶん教わった。「重苦しい」と打ち込むとき、「おもぐるしい」と打ち込むと、いくら変換キーで探しても出てこない。「く」にテンテンしただけででてこないのだ。それで自分の日本語がが間違っていたことに気付く。ずいぶん教えられた。書き言葉はだいぶ改善したが実際の会話間違ったままでなかなか治(直?)らない。
さて、「時鐘」と書いて何と読むのだろう?これにはフリガナはない。

 新型コロナウイルスは弱いウイルスらしい。健康な体だと症状がほとんど出ない。でも感染力は強く、しぶとく生きるウイルスらしい。知らないうちに媒介者にされてしまう。一列に並んでウイルス検査とはいかない、人を寄せれば感染する確率が高くなる。検査しなければどれだけの人が感染しているのか分からない。
面倒なものが入ってきた。

🐶コウちゃんは最近利口になった。自分の排泄物をオシッコシートを丸めて隠すようになった。野生の犬は穴を掘ってその中でウンチをして、その上に砂をかけて自分のウンチを隠す?。 しかしお家の中では穴が掘れない、砂がない。あるのはオシッコシートだけなのだ。昔は、玄関に砂の入った箱を置いてそこでさせていた。
そこには自分の排泄物を隠す砂がたっぷりあった。

 



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