亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

今年最後の加賀宝生能

2011-12-09 | 日記・エッセイ・コラム

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今年最後の宝生能を見に行った。

今年最後の加賀宝生能、能楽堂は年末とあって満員。
今月の番組は能2番「三笑」「葛城」と狂言「苞山伏」。


能 三笑(さんしょう)
中国は六朝時代の僧、恵遠禅師が修行の為、山に籠し処、ある時陶淵明(とうえんめい)と陸修靜(りくしゅせい)の2人が訪ねてきた。3人で宴を催し、夜を徹して酒を酌み交わし身の上話などで花を咲かせていた。未明、酔っぱらった恵遠禅師は客人二人を見送りに出てうっかり越えてはならない虎渓の橋を踏み越えていた事に気付き、3人で手をたたいて大笑い。という話。

何故か一言も喋らない子役がでてきて中ノ舞を舞う。きらびやかな衣装で舞う姿は子供とは思えない立派なものだった。

「淵明禅師にさて禁足は破らせ給うかと一度にどっと手を打ち笑って。三笑の昔と。なりにけり。」で三人が笑うはずだが、三人は手を組んで輪を作るだけで顔は真一文字につむんだまま。能では笑う場面でも笑わないようだ。

狂言 苞山伏(つとやまぶし)

山人は弁当を枕元に置いて昼寝をしていた。近くで山伏も昼寝をしていた。そこへ使いに行く男が立ち寄り、山人の弁当を盗んで食べてしまった。
 目を覚ました山人は弁当がなくなっているのに気づき、近くにいた二人を疑った。弁当を食べた男は山伏のせいにした。さて、罪を着せられた山伏はどうするか。

能楽では幕間で狂言と言うのが入り、観客に息抜きをしてもらう。これがまた面白い。難解な能を見て半分眠っている人も目を覚まして笑いこける。山伏の呪文に架かって泥棒は降参。


能 葛城(かつらき)

出羽の国羽黒山の山伏、大峯葛城の明神に参詣せんと志し、日を重ねて遂に大和の国葛城山に辿りついたが、折しも大雪が降り前後も見えぬ程なので、一先づ木陰に立寄りて休んでいる。こゝに一人の里女らしき者が、柴を負ひて通りかゝり、山伏をみて言葉をかけ、妾(わらわ)はこの所の者で日頃通り馴れたる山路でありながら、今日の大雪には難渋している、況んや旅人の御身は定めて難渋の事なるべし、見苦しいけれども妾が庵にて雪を晴されよという。山伏は喜びて共にその庵室に行き、進めらるゝまゝに鈴懸を解いて休息していると余りに夜寒であるからといって主の女は葛城山の標(しもと)を焚いてあてながら標について色々とその謂れを物語るのである。かくて山伏が後夜の勤をはじめようとすると、御勤めとはありがたや、妾がためにも祈加持して給はれといい、まことは自分は葛城の明神であるが、そのかみ岩橋をかけざりし科によって、明王の索に身を縛められ、三熱の苦しみに堪えがたしといいそのまゝ姿を消すのである。
山伏は夜もすがら祈願をこめていると、明神はその神体を現わしたまい、舞を奏して喜びをなし、明けぬ先にとて葛城の磐戸の内に再びその姿を消すのである。

里女とは葛城山の神様の化身のようで、後半で目の覚めるような衣装で登場して大和舞を披露する。

能楽鑑賞の楽しみの一つは派手に着飾った見事な衣装を見ることでもある。

最近は女の方が目立つようになった。女性の文化水準も高くなったのだろうか。  

コメント
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