娘が小学校に初登校した、本来なら、心配と不安が入り混じるような日?
あーこれで幼稚園時代のお迎え時間を気にすることから解放されたと、せいせいしながらニコニコしながら仕事をしていたら、担任から電話がかかってきた。
「最初の日は保護者の迎えが必要なんですが」と言われて、えっ?!(;゚∇゚)と焦った。
ちゃんと入学説明会も出て、話も聞いて書類も出したつもりだったんだけど、熱意が足りなかったのか何なのか。
懲りず、中学は最初の説明会をきれいに忘れていた。
まあ後で届けられた書類を見たらそれで充分で、制服もズックも、提出書類も問題なく揃えられたけどね。
おそらく私はS時代、学会活動ってこんな調子だったんだと思う。
言い訳すると題目はマジメだった。
ボケッと上げたなんてことは殆どなかったと思う。
(真剣に上げないと効果がないというか、真剣に唱えるほど効果があると聞いていたので時間と労力を無駄にしたくなかった)
でも興味ないことというかピンとこないことは、まるで頭に入らなかった。
決して反抗的な会員じゃなかったから、ちゃんと聞いていたんだけど、アンテナに引っかからなかったというか、刺さらなかったというか。
あれだけ大勢の人がいればいろんな人がいるから、いろんなことを言う人がいた。
例えば財務の指導となると「何十倍にも成って戻ってくるから出し惜しみしちゃ駄目よ」と真顔で力説する人とか、選挙とか新聞配達とか担当ごとに畳みかけるような「決め台詞」があったりした。
が、そんなのは定番というかマニュアルというか、真に受けるようなものじゃない。
今思うと、私はスルースキルが抜群にあったらしく、それらは遠慮なく頭を通過していった。
「変な人」とか「嫌な人」とか「よくわからないこと」も深く考えずにスルーしていたんだと思う。
アンチになった当時は
「そのテキトーさがいけなかったんだ」と深く反省して、アンチブログは一言一言全部を聞き漏らすまいと、超真剣に真に受けて読んだ。
そしたら、腹が立ったり可哀そうになったり激しく心を乱された。
結果…………アホらしくなった。
そして疲れた。
ちょっと省略しすぎで乱暴な書き方だけど、そんな経験から一言。
本当に真に受けるようなことや、刺さることって、しょっちゅうじゃなくて、たまにしかない。
(たまにはある)
でも無駄に煽る人はゴマンといる。
マジメな気質や性分はあると思うけど、人生…特に晩年は、肩の力を抜いてほどほどに。
「財務をたくさんすればするほど功徳がある」「S新聞の購読者を増やせば増やすほど功徳がある」「公明票をとればとるほど功徳がある」「守る会をやれば豪邸に住める」「新聞配達に勝る福運はない」「役職を断ってはいけない」etc…
基本、私は「学会活動に功徳がある」なんてことは意識はしないまでも真に受けてなかったと思います。
じゃあどう思っていたかというと、何というかそういうものに参加すると信心のモチベーションが上がるもの、或いはボタンティアの部分という感じだった。
なんでかな?
小さいうちから周りを見ていて「役職者や学会活動=福運とか功徳」には見えなかったからかな。
そういう言い方より「役職者や学会活動=人間性やリーダーになるタイプ」というイメージがあった。
教えられたわけじゃなくて自分の感覚ですね。
自分の感覚で、活動とはそういうものと思った。
だからさも活動すれば福運がつくとか、断ったら罰が当たるみたいな話がいくら飛び交っても、耳に入らなかったし真に受けなかった。
アンチはMCというのが強力で、S会員は皆こうなるとと言いたいんでしょうが、これは本当に人それぞれ。
いわゆるバリ、ユル、チョイだけでは分けられない様々なタイプがいるというかね。
Sアンチブログは本当に、誰にでも合うように書くのは難しい。
自分に合うサイトを選んで見るのがいいと思います。
そしてSも、S会員も一つには語れないとつくづく思います。
だからなのか、非活になり外部の女性と結婚しても、学会員として生きていかない道を選んだという寂しさこそあれ、罰が当たるとかは全く思う事もなかったですね。「もしそういうものがあるとしても、真剣にやってたし親や周りが救ってくれるだろうからセーフ」ぐらいに思ってました(笑)
今また信心するようになって感じるのは、自分はやはり学会員に向いてるんだなって事です。
だから「S脳」と一括りにされるのも違うんだけど、「皆が皆」にした方が、さも不気味でおもしろおかしくなるんでしょうね。
それからノルマとか役職とかいろんな疑問に悩んでいる人は、どんどん声に出した方がいいと思いますよ。
永遠のテーマ?「バリ活VSユル活」だけど、
「やってないくせに偉そうに」という言い分もわかりますが、断ったり疑問を口にしたらそれで引き受ける別の苦労があるんです。
それは「やった人にはわからない別の苦労」で、種類が違うだけで同じだと私は思うんですよね。
やりたくないことはしない。
やりたい人がやる。
それで持たない組織ならそれまでのことです。
で、同じ考えの人に出会うと「やっぱり間違いない」と確信を深める。この仕組みはアンチもシンパも同じかもしれません。
だから、もともとやめたかった人はアンチブログに共感するし、復帰した私はきっともともとやりたかったんだと思います。先日の座談会でも、B長さんが私の事を話してくれる姿にこみ上げるものがありましたが、昔海さんに「嘘臭い」と言わしめた、新聞の体験談を読んで目頭が熱くなったのと同じ種類の感情でした。男のくせにすぐ泣くんです(笑)
人前でこれが許されるのは高校球児だけ、と思っている昭和の女どす( ̄▽ ̄)
>同じ考えの人に出会うと「やっぱり間違いない」と確信を深める。この仕組みはアンチもシンパも同じかもしれません。
そうですね。
でも私はかなり前にこれをやめました。
本当に人はそれぞれ。
今は人がどう思おうと自分の感覚を信じる方が強いかな。
確かに合う人がいるとうれしくなりますけどね(^^)