珈琲一杯分の話

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真っ向から書きます12

2020-05-31 | S教団関係
これ一旦最終回にしたんだけど、復活「真っ向から書きます」
改めてズバッと書こう。

何であれ、それを心から信じることができて確信を持つことができれば人は救われる。
迷いや不信、不安こそが人を悩ませる。
この単純な心理がわかれば、ある意味ラクになれるのに。

何度も書いたけど「Sは詐欺。ただ騙されていただけ」というこれが、24時間、365日、一寸の迷いなくそれこそ宇宙法則の如し、舌を噛んでも譲らない確信がある人がいる。
ここまでになるなら、それがその人にとっては、抱きしめて手放せないほどの守り神なのである。
それを奪ったり否定したり、けなすことはしたくないと思う。

それは「この信仰は絶対」と確信を持つ人の、同じだけの救いになるからである。

事実、私はSのシンパとアンチの両方をやったけど、これが絶対という確信を持ったらその幸福感は「両方が同じ」だった
それが心の支えになって救われるという意味では全く同じだった。
「心の支え」の正体は、迷うことのない強い確信だったんだよね。

生まれたての赤ん坊が、母親から絶対に裏切られることのない愛情で抱きしめられている時って本当に幸せと思う。
相手を心から信じあえる恋人同士がいたら、それも同じと思う。
何もかもを心底信じられるって滅多にないけど、そんな瞬間があれば人って幸せなんだよね。

今私が強く信じているのはSでも、Sのアンチ心でもない。
その二つともに疑いも迷いもあるので、両方ともが私を幸福にしないからである。

疑いなく迷わないものは、今は別にある。
人はそれがないと幸せじゃないなあと思う。

それぞれに疑いなく信じられるものがあって、それが尊重されれば、無駄に論争などなくなるのにね。
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1 コメント

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Unknown ()
2020-05-31 23:03:34
他宗をけなし合う両者は、なぜわからないのかなと思う。
それぞれが自分のところに確信を持っていたら、それは同じなんですよ。
Aの信徒は、自分とこの教えに確信をもっているからそれが満足。
Bの会員も、自分の教えに確信をもっているからそれが満足。
お互いが自分が満足しているように、相手も満足しているんですよ。

AとかBとか教えの中身じゃなくて、「確信することが幸せ」なことに気づかないし気づこうとしないし、認めない。
あくまでAだから幸せ。Bだからダメから離れない。
この独特の呪縛というか思い込みはいつ解けるんだろう?
相手のダメ出しなど全く無意味だし、やっちゃいけないことにいつ目が覚めるのかな?
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