フラットアースの話をしていて、つくづく思った。
私はコロナ、ワクチン騒動の時は、分断してしまった「打て打てドンドン組」とか「マスクや自粛はマナーで感染防止組」を、時にはボロカスに言った。
それは実際に、自分や家族に迷惑をこうむったからである。
でも例えばフラットアーサーの人の話とか、宇宙人の話とか、トランプさんを崇拝するQアノンの人の話とか、マンデラエフェクトや世界線といったことは、自分が信じる信じない、共感するしないに関わらず、それらの言い分をバカにしたりとか、嫌悪感を感じたりは全くなかった。
だって彼らが、実生活に迷惑をかけたとか、イジワルしたとか、無礼や、邪魔や、攻撃や、何を強制したわけではないから。
自分や他人に、何をしたわけでもない人に、何でネガティブな気持ちになろう?
だって、何を信じるかなんて人の自由じゃない?
それは何か真摯に信仰をもってる人を、けなさないのと同じである。
私は自分と意見が違うだけで、他人を嘲笑ったり、侮辱したことはない。
あたりまえだけど。
それの何が悪い?
それのどこが「忖度」なのさ?
勘違いもほどほにね。
でも、これをわからず、逆にされたら黙ってないけどね。
自分はこう思うと主張してるだけである。
自分が信じないのは自由だけど、一理あるかも?と話を聞く人も気にいらなくて、侮辱の限りを尽くし、他人も自分と同調させたいなら、それはファシストだよね。
それを言うなら、月面着陸や、進化論や、捏造された歴史の方が義務教育でよほど強制させられたよ。
ファシストはたくさんだ。
自分にとって「地球が高速回転する球じゃないのはウソ」なのかもしれないけど、それと「平気でウソをつくゼレンスキーや河野太郎と同じ人間」というは、比喩がまったく違う。
根本的に意味が違う。
これはただのヒステリーの侮辱でしかない。
彼らはただそう本気で思っているだけなのだ。
それを、平気でウソをつくゼレンスキーや河野太郎と同じ人間…つくづく酷いわ。
悪いけど他人の好感度を上げるために、生きてるわけじゃないから。
こういうわけのわからない分析の押し付けも、やってろって感じ。
「フラットアーサーってこんな人」「球体を信じる人はこんな人」なんてくだらない言い合いはどうでもいい。
そんなの、どっちにも大きなお世話なのよ。
純粋に、どっちなんだろうねと話せる人がいいだけなんだよね。