怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

9月4日 元校長に助けを求めたけれど

2011-09-04 08:41:07 | 学校に対して
   事故状況が解るにつれ、深まる元校長の 異常な行動    
     なぜ最高責任者である校長が、救助本部がグリーンプラザに移った事を
     知らない?
     警察や消防はその事を伝えない?自分から校長だとも名乗ってない?       
   事故後の偏執としか思えない  我が家への  連絡無しの30日にも及ぶ
   毎晩の弔問攻撃
   
   主人には事故の翌朝3時に、元校長が謝罪に来たが、
   母親の私には、謝罪の言葉一つもらっていない

校長に事故状況の調書のメモを、遺族への配慮を無視し読み上げられ、
私は「娘は学校に殺された」発言をし、毎晩の弔問には主人だけが応対していた。

自分ひとりでは来れず、毎晩数人の先生達を従えて来る元校長。
さすがに休日は無理だったのか、奥さんを連れて弔問に来た。
その奥さんが「浜名湖が牙を剥いた」と・・・
我が家に来て 娘の祭壇の前で、そこまで 自然のせいにする? 
私はその発言に常識を疑ってしまい、その後弔問に来た市教育長にも伝えた。
教育長は、遺族の過剰な反応?としか捉えず、理解することのできない校長夫婦を呼び出した。
9月の学校が始まる前に、外面は謝罪の気持ちで伏せっていると思わせるよう、円満退職の3月までは休職するように、校長というより奥さんに伝えたという
実は校長の自宅に、104の番号案内から主人が電話した事がある。
当初校長への個人攻撃の署名活動を考え、その前に校長の真意が確かめたくて。
国の事故調の判断が出るまでは・・といつになるかわからないことで逃げる校長。
「主人は立って(精神的に)られない状態です。」と校長に代わり電話を切る奥さん。

そういう日々の中で、いつのまにか日没は短く。
私の難病の方は何度も小さく再発を繰り返していたが、その混乱の中、
簡単に以前のように入院することもできず、体の方は進行していった。
何度も簡単に転倒を繰り返す体。

そんなある日、夕飯の準備していて転倒。
一人では起き上がれない体で、転倒したまま、どんどん暗く、寒くなる部屋。
娘が帰宅したら助けてくれるのに と泣きながらの辛い時間。
もう限界にきていた私の心と体。
翌日依頼していた 心のケアと生活ケアの回答で、電話してきた教育会館館長に
校長の奥さんに生活援助して頂けませんか?」
私からの切羽詰まった 意外な言葉は応じてくれる訳もなく、消されていった。

なにか隠している?教育委員会も 学校も。
事故から14ヵ月以上過ぎた今も、校長の医師の診断書も、休職の際添付した診断書も提示されない。
本人から「プライバシーと拒否された」 と言ってるけど・・・
いまだに 校長からも  校長を守る奥さんからも  
                 謝罪の手紙ひとつない。
この6月に入院手術した私。親戚一人いないこの地で、主人と乗り切った。
あの時、奥さんの助けがあれば。

先日我が家にきてくれた刑事さんも、元校長に電話したが奥さんに拒否されたと

    <娘の命の重さって?娘への責任って?   理解できない不可解な人達