怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

9月3日 気持ちのない手紙

2011-09-03 10:40:12 | 学校に対して
昨晩の金曜トラウマ弔問は、1年先生2人だった。
以前娘が喜ばない!とお断りした校長(監視役?)は、車で待っていてもらった。

1年の先生達に娘の遺影の前で、自らの手紙を読み上げてもらう。
いつもの学校生活の内容の手紙。

 私が 娘が 欲しいのは  そんな子供でも書ける
                  
                   生活綴り文じゃないの・・・

  現場の先生達の  娘の命への   自分達の気持ちなの!

以前お若い刑事さんが、元校長に書かせた調書の代わりの手紙。
謝罪の気持ちを引き出すため、何通も書かせたという。

○○中を逃げ出した先生達にお願いした「私にとっての命」というテーマの手紙も
「事故から帰宅すると待っていた娘と抱きあって泣いた」
「私の亡き妹の事」とか、、うちの命も夢も奪われた娘への気持ちがない 自分中心の全て生活綴り文だった。

何度も私は同じ事をしている。
昨年の8/6から毎週、先生達に書いてきてもらっても、
先生達の気持ちが、行間から出てこない。。。

NGワード?
命を奪ってしまった当事者校という自覚の無さ。。。

お断りした元校長にも、手紙を金曜に書いて来たというので、読んでもらった去年の8/13。
内容は「○○さんをO×B×R×させてごめんなさい。」と
残酷な事故の状況を、娘への手紙で平然と書く神経。

 
一体なんなの?  この命の重さへの気持ちの無さは?  遺族への気持ちの無さは?

私はこの金曜に、この気持ちのない人達に、何をしているんだろう。
        何を望んでいるんだろう。

いつまでも癒されない  学校への  この不信感。
  

追記:事故のプレートは教頭が せっせっと進めていると、1年の先生も2年の先生も言う。
   お願いしたのは、そうじゃないんだけど。